「魔王、パリでドカ食いしながら失恋を笑い飛ばす」
【パリの青空と、魔王の優雅な朝食(ドカ食い)】
午前十一時。
雲一つない青空が広がる、フランス・パリのメインストリート、シャンゼリゼ通り。
マロニエの並木道に面したオープンテラスのカフェで、極東の魔王一行は優雅な遅めの朝食を楽しんでいた。
「ふはははは! 見ろ鮎! このクロワッサン、バターの香りがなまら最高だ! これで三個目だぞ!」
「持子様、お口の周りにパイ生地がついてますよ! はい、あーん!」
「モグッ……うむ、美味い!」
テーブルの中心には、これでもかとばかりに積み上げられたペストリーの山。その頂点に君臨する恋問持子は、昨日までの過酷な撮影の疲労など完全に吹き飛び、絶好調の胃袋でパリの洗練された味を堪能していた。
そんな持子を囲むように、個性豊かすぎる9人のメンバーが陣取っている。
「……持子、あまり食べ過ぎると昼飯が食えなくなるぞ。ほら、口元拭けよ」
隣の席をキープした土御門朔夜が、呆れたように言いながらも、甲斐甲斐しくナプキンを差し出す。
中身が肉食系男子である彼は、今日の「オフ」を完全に持子とのデートだと思い込んでおり、朝から隙あらばエスコート(という名の過保護な世話焼き)を仕掛けていた。
「おおお……持子様がパンを頬張るお姿……! まるで絵画のように神々しい……っ! その食べこぼし、私がすべて拾い集めて瓶に詰めますぅぅっ!」
「エティエンヌさん、キモいからやめて! ほら、ルージュも何か言ってよ!」
「モグモグ……わたくしはただ、このエクレアを楽しんでおりますの。あなたたちも早く食べませんと、持子様にすべて平らげられてしまいますわよ?」
エティエンヌが鼻息を荒くし、鮎がツッコミを入れ、ルージュが涼しい顔でスイーツを堪能する。
少し離れた席では、霞涼介が手元のタブレットを高速で弾き、午後からの完璧な観光ルートを計算していた。
「……現在時刻、11時15分。このペースでの食事であれば、ルーヴル美術館への移動もスムーズに可能です。皆様、準備を」
「……持子先輩がいっぱい食べるのは、良いことですね」
その隣で、風間楓が紅茶をすすりながら、静かに、だがどこか楽しげに目を細めている。
その足元では、昨夜の拾い食いで生死の境を彷徨った花園美羽が、まだ青白い顔で「お、お肉……お肉食べたいですぅ……」とゾンビのように這いつくばっていた。
【時差ありの失恋同盟と、周囲の身勝手な安堵】
「……ねえ、持子ちゃん」
そんな賑やかなテーブルの端で、葉室鶴子が、アイスティーのグラスを両手で包み込みながら、ふと持子に微笑みかけた。
「なんだ、鶴子。お前、さっきからパンをちぎってばかりで全然食べておらんではないか。パリの飯が口に合わんのか?」
持子が不思議そうに小首を傾げる。
「ううん、違うの。……私ね、今こうして持子ちゃんと一緒にパリで笑い合えて、本当に良かったなって思って」
鶴子は、憑き物が落ちたような、すっきりとした笑顔を向けた。
「……もう前のことだけど。私が洋助お兄さんにフラれて、公園で大泣きしてた時。持子ちゃん、私の話を全部聞いて、大福をくれたじゃない? あの時、持子ちゃんが慰めてくれたおかげで、私、すごく心が救われたの。……本当に、ありがとう」
「む……あ、ああ。そうであったな」
持子は少しだけ気まずそうに、ポリポリと頬を掻いた。
あの時、洋助と姉の桐子の結婚が決まり、自分の初恋が終わってしまった絶望で泣き崩れる鶴子に対し、持子は「存分に泣け」と親友としてそのぐちゃぐちゃな感情を抱きしめたのだ。
「ふん。気にするな。友として当然のことをしたまでだ」
持子はドヤ顔でふんぞり返った。
だが、持子はすぐに、ふぅっと細い息を吐き出し、黄金の瞳を鶴子へと真っ直ぐに向けた。
「……しかしな、鶴子。実は、わしからもお前に一つ、言っておかねばならんことがあるのだ」
「えっ? なに?」
「……その、なんだ」
持子は、意を決したように口を開いた。
「実はな……つい最近、東京を発つ直前のことなのだが。わしも、お前と全く同じ相手……『風間洋助』に間接的にフラれたのだ」
「「「えっ!?」」」
鶴子だけでなく、周囲で聞き耳を立てていた全員が(朔夜以外は)驚きに目を見開いた。
「も、持子ちゃんが!? 洋助お兄さんに!?」
「ああ。わしもな、あの底抜けの優しさと強さに、不覚にも女としてキュンとしておったのだ。……だが、お前の姉の桐子に、完全に格付けされてへし折られてな」
持子は、つい先日、氷川神社の客間で桐子の圧倒的な「正妻オーラ」の前に敗北した日のことを思い出し、ギリッと唇を噛み締めた。
「あの桐子の奴め! 『私を姉と慕うなら神術を教えてあげる』などと言いくるめおって! おかげでわしは、淡い初恋を自ら封印する羽目になったのだ!」
その告白を聞いて。
朔夜をはじめとする周囲のメンバーたちは、一斉にホッと胸を撫で下ろしていた。
(……よかった。持子が洋助なんかに取られなくて、本当に、本当にフラれてくれて良かった……っ!!)
全員が、内心でひっそりとガッツポーズを決めている。
「そ、そうだったんだ……」
鶴子は、驚きながらも、なぜかパァッと顔を輝かせた。
自分が一番憧れていて、世界で一番美しくてかっこいいと思っている持子が、自分と同じ人を好きになって、そして同じように失恋していた。
その事実が、鶴子の心に残っていた最後の小さなトゲを、不思議なほどスッと抜き取ってくれたのだ。
「ふふっ……あははははっ! なんだか、私たちバカみたいだね、持子ちゃん!」
「うむ! まったくだ! なんでわしらが、あんな鈍感で無自覚なタラシ男のことで悩まねばならんのだ!」
時差を経て、同じ男にフラれた二人は顔を見合わせ、まるで憑き物が落ちたように笑い合った。
「「風間洋助のバカヤロー!!」」
パリの青空の下、二人の乙女の叫びが響き渡る。
それを聞いていた仲間たちは、苦笑いしながらも(そして内心で大喜びしながら)温かい目で見守っていた。
【義姉妹の契りと、お姉ちゃん争奪戦】
「しかし……そう考えると、ずいぶんとややこしいことになったな」
ひとしきり笑った後、持子が腕を組んで唸った。
「わしは先日、桐子の前で完敗し、神術を教わる代わりに、あいつを『桐子お姉さん』と呼んで義姉妹の契り(?)を結んだのだ」
「うんうん」
「ということは……だ。葉室桐子の実の妹であるお前(鶴子)から見れば、わしは『持子お姉さん』ということになるのではないか?」
「あっ……!」
鶴子がポンッと手を打つ。
「そっか! 私、持子ちゃんと親友だと思ってたけど、これでお姉ちゃんにもなっちゃうんだ! やったー!!」
鶴子は満面の笑みで、持子にガバッと抱きついた。
「よろしくね、持子お姉さまっ!」
「ふははは! 苦しゅうない! わしに可愛い妹ができるとはな! 存分に甘やかすが良いぞ!」
持子も満更ではない様子で、鶴子の頭を撫で回す。
だが、そこへ。
「……ちょっと待ってください」
紅茶のカップをソーサーに置き、静かに口を挟んだ者がいた。
洋助の従妹であり、氷川神社の巫女である、風間楓だ。
「持子先輩が、桐子義姉さんの『妹』になったということは……必然的に、桐子義姉さんと結婚する洋助兄さんの『義理の妹』にもなるということですよね」
「う、うむ。理屈の上ではそうなるな」
「そして、洋助兄さんの妹である私から見れば……年齢的には私が一つ下です、親族の序列的には、持子先輩は私の『義理の姉』にあたるということですか?」
楓は、普段の氷のような表情を微かに崩し、心底「微妙」な顔で持子を見つめた。
「む? なんだ楓、不服か? お前もわしのことを『持子お姉さん』と呼んでくれて構わんのだぞ!」
持子がドヤ顔でふんぞり返る。
しかし、楓は冷ややかな目を細め、ため息交じりに言った。
「……仕方ないですね。『持子お姉さん』」
「ふはははは! なまら良い響きだ!」
「でも、持子先輩。あなたの心は『(男)』なんですよね? だとしたら、『持子お兄さん』と呼ぶべきではないでしょうか?」
「なっ!?」
痛いところを突かれ、持子が言葉に詰まる。
「い、いや! そこは『お姉さん』で良いのだ! 見た目が美少女なのだから!」
「ふふっ……」
楓は、どこか楽しげに、極上の(しかし小悪魔的な)微笑みを浮かべた。
「私からすれば、すぐに食べ物に釣られて、感情が顔に出やすくて、いつも私に助けられて、どこか放っておけない持子先輩は……どちらかというと『妹』みたいに思えるんですけどね」
「な、なんだと……ッ!?」
「ほら、持子先輩。私を『楓お姉さん』と呼んでみてください。よしよししてあげますよ」
楓が、まるで子供をあやすように手を差し伸べる。
図星を突かれた持子は、顔を真っ赤にしてワナワナと震え出した。
「き、ききき、貴様ぁぁぁっ! このわしを妹扱いするとは何事だ! 誰が呼ぶか!」
持子は席からガタッと立ち上がると、楓の背後に回り込み、その脇腹に向かって猛烈な勢いで指を突き出した。
「えっ……ちょ、持子先輩……っ!?」
「ふはははは! 生意気な妹には、わし直伝の『くすぐりの刑』だ!」
コチョコチョコチョコチョッ!!
「ひゃあっ!? や、やめ……ふふっ、あははははっ! 持子先輩、そこは、ダメです……っ!」
普段は絶対に感情を乱さない氷の美少女・楓が、持子の容赦ないくすぐり攻撃の前に崩れ落ち、涙目で大笑いしながら身悶えする。
「あははは! 持子お姉さま、ずるい! 私もまぜてー!」
「鶴子も来い! 楓を徹底的にわからせてやるのだ!」
「あっ、こら持子! 店の中で騒ぐな! ……って、俺の隣から離れんなよ!」
朔夜が慌てて止めに入ろうとするが、完全に蚊帳の外だ。
「ふふっ、本当に賑やかなご主人様たちですわね」
ルージュが紅茶を傾け、エティエンヌが「くすぐられている楓様になりたい……っ」と呟き、霞が「カフェでの騒音レベルが規定値を超えそうです」と眼鏡を押し上げる。
足元では美羽が「私もまぜて……お肉……」と呻いている。
パリの青空の下、カフェのテラス席。
時間差の失恋の痛手を笑い飛ばし、奇妙な『義兄弟の契り』を結んだ極東の魔王と化け物たちの休日は、賑やかな笑い声と共に、騒がしく幕を開けたのである。




