「空飛ぶ最高級ホテルで、魔王は今日も無視される」
【空飛ぶ最高級ホテルと、無視される魔王】
ゴォォォォォォォォォッ……!!
高度一万メートルの上空。
フランス・パリへと向けて雲海を切り裂くように飛ぶのは、世界的ブランド「リュクス・アンペリアル」の女帝エレーヌ・リジュが手配した、超特大のプライベートジェットである。
機内はもはや「空飛ぶ最高級ホテル」と呼ぶにふさわしい空間だった。ふかふかの純白の革張りシートに、磨き上げられたバーカウンター。キャビンアテンダントが最高級のシャンパンとキャビアを恭しく運んでくる。
極東の魔王たる恋問持子、そのプロデューサーにして至高の推しである立花雪、第一下僕の忠犬・本多鮎、そして吸血鬼の元女王ルージュ。
本来ならば、この四人で優雅で賑やかなバカンスの空の旅を満喫しているはずだった。
――はずだったのだが。
「…………」
持子は、神が創り賜うた黄金比の美しい顔をこれでもかと顰め、向かいのテーブル席をジト目で睨みつけていた。
「おい、雪。なぜ……なぜ、朔夜が一緒に乗っておるのだ?」
持子が不機嫌極まりない声で指差した先。
そこには、雪と並んで座り、分厚い陰陽道の古文書を真剣な顔で覗き込む一人の『美少女』(男
)――土御門朔夜の姿があった。
透き通るような白い肌と色素の薄い髪。見た目は儚げな絶世の美少女だが、中身は持子に真っ直ぐな好意を寄せるゴリゴリの肉食系男子である。先日、退院祝いのデートで「持子の隣に立つ男になる」と豪語し、そのために命懸けで雪に弟子入りを志願した、どうしようもない大馬鹿者だ。
「ん? ああ、朔夜のこと?」
雪はテキストから顔を上げ、眼鏡の奥の瞳をキラキラと輝かせた。普段の冷徹な社長としての顔からは想像もつかないほど、生き生きとはしゃいでいる。
「朔夜はね、私の『陰陽道の弟子』としてパリに連れて行くことにしたのよ! 機内でみっちり特別講義をしておこうと思って。……いやぁ、朔夜ってば本当に優秀なのよ!」
雪は、まるで自慢の愛弟子を紹介するかのように、朔夜の華奢な肩をポンと叩いた。
「私が教えた複雑な術式も、たった一度見ただけで完璧に理解して応用しちゃうの! 教えれば教えるほどスポンジみたいに吸収して急成長していくのよ! ああ、こんなに教えがいのある優秀な弟子、滅多にいないわ! ね、朔夜!」
「……過分な評価です、雪先生。ですが、先生の術式構築の美しさと合理性は、土御門の秘伝すら凌駕しています。俺は……さらに深く、その深淵を学ばせていただきたい」
朔夜は真面目腐った顔で深く頭を下げた。中身は男子の「俺」であるが、雪の前では礼儀正しい真摯な弟子としての顔を完璧に作っている。
「ふふっ、良い心がけよ! じゃあ次は、この重力制御と結界術の複合展開についてだけど――」
キャッキャウフフ。
いや、話している内容は極めて高度で殺伐とした呪術の話なのだが、雪と朔夜の間には、完全に『二人だけの世界(師弟の絆)』が構築されてしまっていた。
「…………っ!」
持子は、その光景を見て、ギリッと奥歯を噛み締めた。
(な、腹が立つ……っ!)
持子の胸の奥で、ドス黒い『嫉妬』の炎がメラメラと燃え上がり始める。
雪は、持子にとって命を救ってくれた恩人であり、母のような『至高の推し』だ。その雪が、自分を放置して見慣れない弟子(朔夜)にかかりっきりではしゃいでいる。それだけでも面白くない。
だが、持子をさらにイラつかせているのは――朔夜の態度だ。
(朔夜のやつ! 涼しい顔をして雪と術式の話で盛り上がっておるが……お前、この間のデートで『俺は持子のことが好きだ』と抜かしたばかりであろうがっ!)
持子の脳裏に、夕暮れの街で真っ直ぐに自分を見つめてきた朔夜の顔がフラッシュバックする。わしを護るためだけに、化け物である雪に喧嘩を売って弟子になったと言ったのは、どこの誰だ。
(わしという絶対的な美の化身が目の前にいるというのに! ちらりとも、ただの一度もわしの方を見ようとせんとはどういうことだ! 完全に無視ではないか! ええい、腹立たしいっ!)
【暴君の当てつけと、苛立つ肉食系男子】
(……ええい、雪も朔夜も、わしを無視するなら勝手にするが良い! わしには可愛い下僕がおるのだ!)
持子はフンスと荒く鼻息を吐くと、隣のシートで大人しく高級メロンを食べていた第一下僕・本多鮎へと、バサッと身を乗り出した。
「おい、鮎! こっちを向け!」
「はいっ! なんでしょうか、我が愛しきご主人様!」
鮎が尻尾を振る犬のようにパッと顔を輝かせる。
持子は、わざとらしく、向かいのテーブル席の朔夜に聞こえるような大きな声を張り上げた。
「今から、わしに最高に甘えろ! お前が一番わしを愛しておることを、この場で存分に証明するのだ!」
「えっ……!? あ、甘える、ですか……!?」
鮎のピンク色の髪がバサッと逆立ち、瞳孔がハート型に開いた。
「そうだ! ほら、このキャビアを食え! わしが直々に食べさせてやる! あーん、だ!」
持子は銀の小さなスプーンでキャビアを掬い、鮎の口元へ運ぶ。
「あぁむっ……んちゅ……♡ はぁぁっ、持子様から食べさせてもらうキャビア、世界一美味しいですぅ! ご主人様、大好きですぅぅっ!」
「ふははは! うむ、美味いか鮎! お前は本当に可愛い奴よのう! ずっとわしのそばにおれ!」
ナデナデナデッ! すりすり……!
持子は鮎の頭を撫で回し、わざとらしく肩を抱き寄せて、これ見よがしにベタベタとイチャつき始めた。
そしてチラッチラッと、朔夜の方を盗み見る。
(さあ、どうだ! わしが他の女に触れておるのを見て、顔を真っ赤にして嫉妬するが良い!)
しかし。
「……で、この五芒星の結界の基点に、水属性の呪符を置くことで、防壁の柔軟性が……」
「なるほど。剛の結界に柔を混ぜるのですね。素晴らしい発想です」
パラパラパラ……。カキカキカキ……。
雪は完全に陰陽道のテキストに没頭しており、持子たちの三文芝居など一ミリも視界に入っていなかった。
だが――ただ一人、土御門朔夜だけは違った。
ピキッ。
テキストに書き込みをしていた朔夜のペンの先が、一瞬だけ止まった。
可憐な美少女の顔のまま、朔夜の黒い瞳の奥に、ギラリとした雄の苛立ちが走る。
(……あいつ、俺の気を引こうとして、わざとあんなことやってんな)
朔夜は、持子の不器用な当てつけなど、完全に最初からお見通しであった。
持子がチラチラとこちらを窺ってくる視線。そして、大げさに鮎と絡むその態度。デートの時、「俺に見つめられるのが恥ずかしいんだろ?」とからかった時のように、持子の行動原理は朔夜にとって手に取るように分かった。
(……ほんっと、子供みたいな意地張りやがって。俺のことめちゃくちゃ意識して、こっち向いてほしいくせに、素直になれねぇのかよ。……お前、完全に俺に惚れてんじゃん)
朔夜は内心でニヤリと優越感に浸りながらも、ギリッと奥歯を噛み締めた。
(でも……俺の目の前で、他の女とイチャついて見せつけるのは、流石に腹が立つな……)
嫉妬と独占欲で、朔夜の胸の中はドロドロに煮えくり返っていた。
今すぐ席を立って、あの鮎という女を引き剥がし、持子を自分の腕の中に閉じ込めて「俺だけを見てろ」と強引に唇を奪ってやりたい。
しかし、今は隣に立花雪がいる。持子を護れるだけの圧倒的な力を手に入れるために、今は一秒でも無駄にせず、この化け物(雪)から知識を吸収しなければならないのだ。
(くっ……今は我慢だ。後で二人きりになったら、絶対に泣いて謝るまでわからせてやるからな、持子……!)
朔夜はふぅーっと細く息を吐き出し、強引に理性を総動員して、再び雪のテキストへと視線を戻した。
「どうしたの朔夜? 難しいかしら?」
「い、いえ。なんでもありません。続きをお願いします、先生」
【暴走する忠犬と、プロデューサーの鉄拳】
朔夜の超人的な忍耐により、持子の「当てつけ作戦」は完全に空回りに終わろうとしていた。
「なっ……!?」
持子は絶望した。完全なるスルーである。
「むむむっ……朔夜のやつ、なぜ平然としておるのだ! あれだけわしに好きだと言っておきながら、わしが他の奴とイチャついても何とも思わんのか! ええい、もっとだ鮎! もっと激しくイチャイチャしろ!」
持子がヤケクソ気味に命令する。
「えっ!? も、もっと激しく、ですか!? いいんですかご主人様!?」
ここで、最大の誤算が発生した。
当てつけの道具として使われた本多鮎の理性のストッパーが、パキィィィンと音を立てて砕け散ってしまったのだ。
「ハァッ……ハァッ……持子様ぁっ! もう、雪さんたちのことなんてどうでもいいじゃないですか! 今は、こっち(私)を向いてくださいっ!」
ドサッ!
鮎は持子をシートに押し倒すような体勢になり、持子の腰に両手を回して顔を近づけてきた。
「ちょ、おい鮎! わしはただ雪と朔夜の気を引きたいだけで――」
「だーめーでーすー♡ こんなに美味しそうな持子様を前にして、寸止めなんて酷すぎますぅ! 持子様の極上の魔力、私に直接、粘膜から注ぎ込んでくださいませぇぇぇっ!!」
「んんっ!? ま、待て、鮎、唇が、近い、近いぞーっ!」
チュウウウウウウウウウウッ!!!!!
鮎の桜色の唇が、持子の唇を完全に塞ごうと迫る!
持子が「んがーっ!」と慌てて顔を背けようとした、まさにその瞬間だった。
ゴオォォォォォォォォッ……!!
機内の空気が、急激に圧縮されたような錯覚。
「…………」
スッ、と。
いつの間にか、持子と鮎の真横に、冷ややかな無表情を浮かべた立花雪が立っていた。
その手には、丸められた分厚い陰陽道の古文書がしっかりと握られている。
「あ、ゆ、雪……ち、違うのだ、これは……」
「はうっ、雪さん……」
雪は、眼鏡の奥でピカッと冷たい光を反射させると、その丸めた古文書を高く振り上げた。
「――うるさぁぁぁぁぁぁぁいっっっ!!!!」
バシィィィィィィィィィィィンッ!!!!!
「「ぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!!??」」
雪の愛と怒りのこもった容赦のないフルスイング・チョップが、持子と鮎の脳天に美しく、そして強烈にクリーンヒットした。
「い、痛いぃぃっ! 雪、なぜ叩くのだ!」
「はうぅぅぅっ! 脳髄に響きますぅぅっ!」
頭を抱えて涙目で蹲る魔王と忠犬。
雪は、仁王立ちになって二人を見下ろし、ピシャリと言い放った。
「機内で騒ぐなバカ者ども! 朔夜の大事な勉強の邪魔でしょ! だいたい、リジュが用意してくれた飛行機の中で、みだらな真似をするんじゃないわよ! パリに着くまで、大人しく寝てなさい!!」
「う、うぅ……雪が、雪がわしよりも朔夜を贔屓するぅぅ……っ」
持子がシクシクと嘘泣きをして抗議するが、雪は「はいはい、ワガママ言わないの」と冷たくあしらい、再び朔夜の元へと戻っていってしまった。
「……フッ」
その一部始終を見ていた朔夜が、テキストの陰でほんの少しだけ口角を上げ、持子の方を見て「ざまぁみろ」とでも言いたげな、勝ち誇った視線を送ったのを、持子は見逃さなかった。
(あ、あの朔夜ぁぁぁっ! やっぱり気づいておったな!? 絶対に後でわからせてやるぅぅっ!)
持子はギリギリとハンカチを噛みちぎらんばかりに悔しがったが、雪の監視がある手前、もう大人しくシートに沈み込むしかなかった。
「はぁ……持子様との濃厚なチューが……」
頭に大きなたんこぶを作った鮎も、隣でチーンと燃え尽きている。
【優雅なる傍観者と、花の都へ】
そんな、魔王とプロデューサーと忠犬、そして天才陰陽師が繰り広げる騒がしい機内のドタバタ劇から少し離れた、一番後ろの特等席。
「……ふぅ。本当に、下々の者たちは騒がしいですわね」
吸血鬼の元女王・ルージュは、足を優雅に組み、クリスタルのグラスに注がれた最高級のドン・ペリニヨンをゆっくりと傾けていた。
パリの地下を三百年間支配した彼女にとって、この程度の騒動は日常茶飯事である。
「まぁ、主人達である持子様や鮎が元気なのは良いことですけれど。……それにしても、このマカロン、なかなかのお味ですわ」
パクッ。
ルージュは、キャビンアテンダントが用意した色とりどりのマカロンを優雅に口に運び、満足げにため息をついた。
「パリの空は、美しいですしょうね。……ふふっ、エティエンヌのやつ、持子様が来るからと今頃は血眼になって歓迎の準備をしているのでしょうね。滑稽なことですわ」
窓の外には、どこまでも広がる青い空と、真っ白な雲海が続いている。
呆れ果てたようなため息を吐きながらも、ルージュの真紅の瞳は、これからのパリでのバカンスへの期待に少しだけ楽しそうに輝いていた。
極東の魔王一行を乗せたプライベートジェットは、騒がしい嫉妬と空回り、そしてドタバタの修羅場を乗せたまま、一路、花の都パリへと飛び続けていくのだった――。




