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『魔王、覚悟の男に追い詰められる』

✴︎『退院祝いは、嵐の予感?』その4


逢魔が時――。

昼と夜の境界が曖昧に溶け合う、帝都の黄昏。

ビルの隙間から差し込む茜色の夕陽が、二人の影をアスファルトの上に長く、長く引き伸ばしていた。


「今日のデート、楽しかった?」


夕風に色素の薄い髪を揺らしながら、朔夜がふと足を止めて問いかけてくる。

その声は、ゲームセンターで騒いでいた時の無邪気な少年のものではなく、どこか静かで、熱を帯びた響きを持っていた。


ドキッ、と。

持子の心臓が、柄にもなく大きく警鐘を鳴らす。


「……た、楽しかったが」


持子は、ギュッと自身のドレスの裾を握りしめた。

そして、夕陽の眩しさを誤魔化すように、少しだけ顔を背けて言い放った。


「だがな! 告白の返事は、まだ『保留』だ! わしは魔王たる者、そう簡単に心を許すわけにはいかんのだ!」


精一杯の強がりと、傲岸不遜なポーズ。

しかし、朔夜は怒るでもなく、悲しむでもなく。ただ、静かに小さく頷いた。


「……そっか。分かった」


スッ、と。

朔夜が、持子の目の前に立ち塞がるように回り込んだ。

そして、その儚げで美しい瞳で、持子の黄金の瞳を逃げ場のないほど真っ直ぐに、射貫くように見つめてきた。


「……でも、持子。本当にいつまでも保留のままで、良いのか?」


「っ……!!」


低い、紛れもない『男』の声色。

至近距離から注がれる、逃げ隠れを許さない真剣な眼差しに、持子は耐えきれず、サッと視線を斜め下へと逸らしてしまった。

顔が熱い。魔王としての威厳など、この不可思議な少年の前では薄紙のように破れ去っていく。


「う、うるさいっ……! わしが良いと言ったら良いのだ!」


しどろもどろになりながら抗弁する持子を見て、朔夜はふっ、と口元に余裕の笑みを浮かべた。


「……目を逸らすってことは、俺に見つめられるのが『恥ずかしい』ってことだろ?」


「なっ!?」


「嫌いな相手なら、堂々と睨み返せばいい。でも恥ずかしがるってことは……完全に『脈あり』だな。なら、俺はいつまででも待つよ」


「き、貴様ぁ……っ、どこまでも図星を……!」


カァァァッ! と全身から火が出るほど赤面する持子。

だが、からかうような朔夜の笑みは、次の瞬間、まるで冷水でも浴びたかのようにスゥッと消え去り、極めてシリアスな、張り詰めた表情へと変貌した。


ピリッ、と。

二人の間の空気が、急速に温度を下げていく。


「……それと。もう一つ、持子に言っておくことがあるんだ」


「む……? なんだ、改まって」


持子が怪訝に眉を潜めると、朔夜は一度ゆっくりと瞬きをして、静かに、だが爆弾のような事実を口にした。


「俺、これから立花雪『先生』から……古代陰陽道を直々に教わることになった」


「――――は?」


持子の思考が、一瞬完全に停止した。

立花雪。持子の所属する芸能事務所『スノー』の社長であり、その正体は、八百比丘尼の伝承にある人魚の肉を喰らい、千年以上を生きる不老の怪物。

その絶対的な秘密を、なぜ、陰陽師とはいえ(中身が男の)美少女であるはずの朔夜が知っているのか。


「お、おい、朔夜……! お前、なぜ雪が……ッ!?」


持子の声が、微かに震える。

朔夜は周囲に人の気配がないことを確認し、声を潜めた。


「陰陽庁執行部・『六壬りくじん』。……聞いたことあるだろ? 帝都の裏社会で、呪術犯罪を専門に狩る国家の猟犬たちだ。あいつらは、東京の霊的治安の裏で暗躍する、得体の知れない強大な『何か』の存在に薄々気がついていた」

「六壬、だと……?」

「ああ。俺は独自のルートでその機密情報を引っこ抜いて、点と点を繋ぎ合わせた。……そして、その正体が、持子の事務所の社長である立花雪に行き着いたんだ」


ゾクッ、と。持子の背筋に冷たい汗が伝う。

雪の正体は、国家機関にすら秘匿されるべき最重要機密だ。それを嗅ぎ回るなど、文字通り命を捨てるに等しい行為である。


「だから……俺は、直接雪さんの執務室に乗り込んだ。俺の掴んだ情報をカードにして、極限の交渉ゲームを持ちかけたんだ」

「き、貴様ッ……正気か!?」


持子は思わず、朔夜の両肩をガシィッ! と強く掴んでいた。


「あの雪に交渉だと!? あいつがどれほど底知れない化け物か、お主は分かっておらんのか! 一歩間違えれば、魂ごと深海に沈められていたのだぞ!!」


持子の悲痛な叫びに、朔夜は自嘲気味に、だがどこか誇らしげに口角を上げた。

そして、彼自身の白く細い首筋に、そっと手を触れる。


「……ああ。分かってるよ。マジで、瞬殺されかけたからね」


その時の記憶が蘇ったのか、朔夜の瞳の奥に、本能的な『死の恐怖』がフラッシュバックする。


「俺が書類をデスクに叩きつけた瞬間、雪さんが眼鏡を少し押し上げて、ふっと笑ったんだ。その途端……周囲の空気が、物理的に凍りついた」


「っ……!」


「深海の底に放り込まれたみたいだった。呼吸すらできなくて、魂の根源から『あ、俺はここで死ぬ』って強制的に理解させられた。あの人の纏う殺気は、人間のそれじゃない。何千年も積み上げられた、絶望そのものだったよ」


朔夜の言葉に、持子は息を呑む。

雪の恐ろしさを誰よりも知っているからこそ、朔夜がいかに無謀な真似をしたかが痛いほど分かった。


「……でも」


朔夜は、持子を真っ直ぐに見つめ返した。

その瞳には、並々ならぬ、狂気すら孕んだ決意の炎が赤々と燃え盛っていた。


「俺は、ただ持子に守られるだけの、か弱い『美少女』のままでいるつもりはなかった。だから、震える膝を必死に押さえつけて、その深淵の怪物に向かって笑い返してやったんだ」


『俺を殺すのは簡単でしょうが、俺の心臓が止まれば、この情報が六壬の上層部に自動送信されるようにセットしてある』と。


「なっ……! は、ハッタリか!?」


「当然だろ。そんな高度な術式、組む暇もなかった。完全なブラフ、全額ベットの命乞いだ」


朔夜はニヤリと、肉食獣のように笑う。


「そして、こう続けてやった。『あんたの正体をバラされたくなければ――なんて三流の脅しはしない。ただ、持子の隣に立つための「力」を俺にくれ。俺を殺して六壬を敵に回すより、俺を鍛え上げて、持子を守る「最強の狂犬」として飼い慣らす方が、あんたにとっても有益な投資だろ?』ってな」


持子は、絶句した。

朔夜のやっていることは、どう考えても無茶苦茶だ。

千年の時を生きる怪物に対して、ブラフで脅しをかけ、殺し気を向けられながらも、そこから詭弁と機転で弟子入りを志願する。少しでも見透かされれば、痕跡すら残さず消去されていたはずの、あまりにも危険な綱渡り。


(……だが)


持子の脳裏に、今朝の出来事がよぎる。

マンションのオートロックを突破するための黒いカードキー。そして、持子のスマートフォンに届いた雪からのメール。


(……なるほどな)


持子は、ふっ、と小さく息を吐いた。

あの過保護で、持子への深い愛情と執着を持つ立花雪が、朔夜を消すことなく、あろうことかマンションの鍵を預け、デートを後押ししたのだ。


それはつまり、立花雪が、朔夜の『命懸けのハッタリ』と『持子への狂気的な想い』を気に入り、陰陽師の弟子として、そして何より一人の男として、試験し、認め、受け入れたという何よりの証拠であった。


「……お主は、本当に、どうしようもない大馬鹿者だ」


持子は、掴んでいた朔夜の肩から手を離し、呆れたように、けれどどこか熱を帯びた声で呟いた。


「わしを護るためだけに、あの雪に喧嘩を売って弟子になるなど……命がいくつあっても足りんぞ」


「それでもいいよ」


朔夜は、一切の躊躇なく言い切った。

夕陽を背負い、風に髪を揺らすその立ち姿は、見た目こそ儚げな美少女でありながら、内面は誰よりも雄々しく、圧倒的に『男』だった。


「俺は、持子の隣に立つ男になるって決めたから。そのためなら、命だって、魂だって削ってやる」


「…………っ」


その真っ直ぐすぎる言葉と、彼が背負った覚悟の重さに、持子の胸の奥で、何かが決定的に音を立てて崩れるのが分かった。

傲岸不遜な魔王の頑なな理性を、たった一人の不器用で無茶苦茶な少年の熱が、容赦なく溶かしていく。


(……こいつには、一生勝てんかもしれんな)


持子は、ふいっと再び顔を背けた。

今度は夕陽のせいではなく、どうしようもなく頬が熱く、緩んでしまうのを隠すために。


「……勝手にしろ。ただし、雪の修行は地獄だぞ。途中で音を上げたら、この魔王が直々にあの世へ送ってやるからな」


「ははっ、望むところだ!」


帝都の黄昏の中。

無茶苦茶な覚悟を決めた少年と、それを不器用に見守る魔王は、並んで帰路についた。

長く伸びた二人の影は、いつの間にか、互いの距離を埋めるように寄り添い合っていた。


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