「戦いの翌日、天使に餌付けされる魔王」
【激闘の翌日、魔王と天使の食卓】
過酷な合気武道部の夏合宿から一夜明けた、翌日の昼下がり。
絶世の美女にして、その魂に三国志の暴君・董卓を宿す極黒の魔王・恋問持子は、東京の端に位置する氷川神社の境内を歩いていた。
ザクッ、ザクッ……。
(ふはは……。昨夜、忠犬である鮎との儀式を経て、わしの内に目覚めた『光と闇のカオス魔力』……。確かな手応えはあるが、やはり専門家の助言が欲しいところだな)
持子の手には、老舗和菓子屋で買ってきた高級な「水羊羹」の詰め合わせが握られている。
目当ては、この神社の巫女であり、以前、光の魔力の片鱗を見せてくれた後輩の風間楓であった。
「たのもーーっ!!」
持子は社務所の玄関の引き戸をガラリと開け、道場破りのような元気な声を響かせた。
パタパタパタッ!
奥の廊下から、軽やかな足音が駆けてくる。
現れたのは、楓ではなく、まだ幼さを残す可愛らしい美少女――楓の妹である、風間高子であった。
「あ! 持子お姉ちゃん!」
パァッと花が咲いたような笑顔で出迎えてくれる高子に、持子も黄金の瞳を細めて相好を崩した。
「おお、高子ではないか! 楓はおるか? 少し魔力……いや、武道の相談があってな」
持子の問いに、高子はフルフルと首を横に振った。
「楓お姉ちゃんはね、まだフランスから帰ってきてないよ。おじいちゃんも、今日は御祈祷ないからって遊びに行っちゃったの」
「なんと! 留守であったか……」
持子は少し肩を落とした。楓が不在となれば、長居しても仕方がない。
(まあよい。魔力の制御は追々やっていくとしよう)
「そうか。では、この水羊羹を土産に置いていくゆえ、後で皆で食べてくれ。わしはこれで帰るぞ」
持子が背を向けようとした、その時である。
キュッ。
高子の小さな手が、持子の服の裾を力なく掴んだ。
振り返ると、高子はどこか寂しそうな、しょんぼりとした瞳で持子を見上げていた。
「……持子お姉ちゃん、お腹空いてない……?」
「ビクゥッ!?」
持子の肩が大きく跳ねた。
実を言うと、持子は氷川神社に来る直前、自身の絶対的なソウルフードである『ラーメン二郎』にて、「ニンニクアブラカラメ増し増し」の特大ラーメンを腹の底まで詰め込んできたばかりであった。
暴食の魔王とはいえ、現在は胃袋のキャパシティの9割が豚骨と背脂で満たされている状態だ。
(い、いかん! わしの胃袋は現在、二郎の麺と豚で満員御礼だ! だが……ッ!)
持子の黄金の瞳に、高子の『一人でお留守番をしていて寂しかった子犬のようなウルウル顔』がクリティカルヒットした。
(こ、こんな可愛い顔で引き止められて、断れるわけがないであろうがァァァッ!!)
持子は瞬時に満腹中枢を魔力で強制シャットダウンし、ポンッと自身の見事な腹を叩いた。
「ふ、ふはははは! 奇遇だな高子! わしは今、腹と背中がくっつくほど腹ペコなのだ!!」
「ほんと!? やったー! 上がって上がって!」
高子はパァッと顔を輝かせ、持子の手を引いて客間へと案内した。
◆背徳の豚バラ肉と天使の微笑み
風通しの良い縁側のある客間に通された持子の前に、キンキンに冷えた麦茶と、持子が持参した高級水羊羹が早速並べられた。
「待っててね! すぐ作るから!」
高子がエプロン姿で台所へ向かうと、数分もしないうちに、ジュワァァァァッ! という食欲を暴力的に刺激する肉の焼ける音と、塩胡椒の香ばしい匂いが漂ってきた。
(……おおお。二郎を食べたばかりだというのに、この匂いを嗅ぐと別腹が起動するな……!)
「お待たせー!」
お盆に乗せられて運ばれてきたのは、圧倒的な「茶色と白の暴力」であった。
大盛りによそわれたツヤツヤの白米。
その横には、山盛りのキャベツの千切りと、塩胡椒だけでシンプルに炒められた豚バラ肉の山。
そして、湯気を立てるお味噌汁だ。
「お味噌汁はね、朝ご飯の余ったのなんだけど、すぐ出せて美味しいんだよー!」
高子がえへへと笑いながら説明する。
「ふはは! 朝の味噌汁は具材の出汁が極限まで染み出していて最高なのだぞ! では、遠慮なく……いただきます!!」
持子は両手を合わせ、箸を手に取った。
まずは、メインの豚バラ肉をキャベツと共にガサッと掴み、大盛りのご飯にワンバウンドさせてから口の中へ放り込む。
「……ッッ!! なまら美味いッ!!」
持子の黄金の瞳がカッと見開かれた。
味付けは塩胡椒のみという極めて単純な料理だが、その『焼き加減』に高子の天才的なセンスが光っていた。
(ただ炒めただけではない! 一部の肉は脂身がカリカリになるまで香ばしく焼き上げられ、もう一方は肉のジューシーさを残した普通の焼き加減……! この二つの食感が口の中で交わり、豚の脂の甘みを引き立てておる! なんという背徳的な味だ……!)
カリッ、ジュワッ!
シャキシャキのキャベツが脂を中和し、そこへすかさず白米をかき込む。
「ハフッ、ホフッ! ズズズッ!」
朝の余り物だという味噌汁が、これまた五臓六腑に染み渡る。
煮詰まって少し濃くなった味噌の味が、豚バラ肉の脂を綺麗に洗い流し、次の一口への無限ループを強制的に発動させていた。
「ふはははは! 止まらん! 箸が止まらんぞ高子ォ!」
持子は、直前にラーメン二郎を完食してきたことなど完全に忘れ去り、猛然たる勢いで豚バラ炒め定食をブラックホールのような胃袋へと吸い込んでいった。
その豪快な食べっぷりを、高子は客間の座布団の上で両手で頬杖をつきながら、ニコニコと見つめていた。
「えへへ……。持子お姉ちゃんの食べるすがた、可愛いから好き」
ドッキォォォォォォォォンッ!!!
持子の心臓に、再び特大の隕石が直撃した。
絶世の美女であり、世界的トップモデルである持子に向かって、「綺麗」でも「カッコいい」でもなく、「食べる姿が可愛いから好き」。
その、あまりにも純真無垢な天使の微笑みとストレートな愛情表現に、持子の内なる董卓の血(という名の変態的煩悩)が、大沸騰を起こした。
(なっ……なんという破壊力だこの生き物は!! あかん! なまら可愛い! 可愛すぎるぞ!! このまま鞄に詰めて、わしのタワマンにお持ち帰りしてしまいたいッ! いや、今日からわしの妹(下僕)として、永遠にわしにご飯を作らせて囲い込んでやるぅぅぅぅッ!!)
持子の美しい顔が、ヨダレを垂らさんばかりのだらしなく、そして底知れぬ欲望にまみれた『極限の変態顔』へとグニャリと歪んだ。
「ふへへへ……高子ぉ、お前は本当に良い子だなァ……ぐへへへ……」
完全に通報レベルの顔面で高子に手を伸ばそうとした、その時である。
ピシャァァァァンッ!!!
突如、客間の襖が音を立てて開き、周囲の空気が絶対零度まで凍りついた。
「――どうしたら、その美しい顔をそんな変態顔に崩す事ができるの?」
「ビクゥゥゥゥッ!?」
そこに立っていたのは、楓の兄・洋助の婚約者であり、八咫烏の次期代表という巨大な権力を持つ、葉室桐子であった。
彼女の背後からは、持子のような闇の魔王を絶対に許さない『絶対浄化の光』のオーラが、ゴゴゴゴゴ……と怒りと共に立ち上っている。
「き、桐子ォ!?」
「可愛い高子ちゃんにその不潔な手を伸ばすなら、今すぐその腕ごと浄化の光で消し飛ばすわよ、このド変態魔王」
桐子のゴミを見るような冷酷な視線と、一切の容赦がない言葉の刃に、持子はピタッと動きを止め、スッと正座の姿勢に戻った。
「……も、申し訳ございませんでした」
先ほどまで覇王の覚醒だなんだと息巻いていた極黒の魔王は、純白の天使の誘惑に完敗し、恐ろしい正妻(桐子)のプレッシャーの前に、ただただ滝のような冷や汗を流しながら深く反省するのであった。
合気武道部の夏合宿が終わっても、持子の煩悩とカオスな日常は、まだまだ終わる気配を見せないのである。




