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『嵐の日、少女たちは語り、魔王は堕ちる』

合宿四日目の朝、氷川神社の秘境を包み込んでいたのは、木々を揺らす激しい風音と、天の底が抜けたかのような豪雨の音だった。


ザァァァァァァァァッ!!


「あかん……これは、なまらヤバい雨だぞ」


絶世の美女であり、黄金の瞳を持つ極黒の魔王・恋問持子は、宿泊棟の縁側に立ち、ドシャ降りの空を見上げて忌々しそうに舌打ちをした。

夏休み直前の私立聖ミカエル学園の喧騒から遠く離れたこの場所で、合気武道部の地獄の夏合宿は中盤戦を迎えていた。しかし、今日ばかりは大自然の猛威の前に人間の無力さを思い知らされることとなった。


時刻は午前十一時。

当初は雨を避けて板の間の道場での稽古を試みたものの、猛烈な湿気と雨の吹き込みを防ぐために窓を閉め切った結果、道場内部は文字通りの「超サウナ状態」と化してしまった。


「はぁっ、はぁっ……先生、酸素が……酸素が足りません……」


佐藤陽翔が床にへばりついて白目を剥き、真面目な門蒼真でさえも大量の汗を滝のように流して膝をついていた。


「……無念だが、これ以上の稽古は命に関わる。今日は中止だ」


寡黙で理論派の顧問、影安壮三が苦渋の決断を下したことで、四日目は急遽「完全休養日」へと変更されたのである。


「ふははは! しょうがない! 天の怒りには逆らえん! 貴様ら、今日はしっかり体を休めろ!」


持子が号令をかける。

ここ氷川神社分社は、深い森に囲まれた秘境であり、携帯の電波も全く届かない「圏外」の地だ。現代っ子にとってスマホが使えない環境は地獄のようだが、幸いにして本多鮎が厳密に計算してくれた「一週間分(少し余裕あり)」の食糧の備蓄はある。

そして何より、この合宿所には最高の癒し設備が備わっていた。


「よし! 女子共、暇なら風呂へ行くぞ! 昼間から堂々と天然温泉に入れるなど、王侯貴族の嗜みというものよ!」


持子の提案に、一年生女子三人と主将の千手美貴はパァッと顔を輝かせた。


***


チャプン……、ザバァァ……。

大雨を避けるための立派な木造の屋根が設えられた、広々とした天然の露天岩風呂。

もうもうと立ち込める白い湯気の向こうで、女子部員たちは手足を思い切り伸ばし、合宿の疲労を溶かすように至福の吐息を漏らしていた。


「はぁぁ〜〜……極楽です〜〜……」


異常な体の柔らかさを持つ阿部凛花が、長い手足をクラゲのように脱力させてお湯に漂う。


「本当に、生き返りますね。筋肉の繊維一本一本に温泉の成分が浸透していくのが分かります」


冷静で知的な毒舌家、南原紗良が、湯船の縁に頭を乗せながら理路整然と分析する。


「でも、スマホが使えないのは少し痛いかな。最新の美容ニュースとかチェックしたかったのに……」


プライドが高く、教科書通りの美しい型にこだわる高橋玲央が、綺麗に結い上げた髪が濡れないように気をつけながら唇を尖らせた。


「まあまあ、たまにはデジタルデトックスもいいんじゃない? こうやって女子だけでゆっくり話せる時間なんて、学校じゃなかなか無いしね!」


小柄で童顔、しかし体脂肪率5パーセント以下というバキバキの筋肉を隠し持つ主将・千手美貴が、ケラケラと笑いながらお湯をすくって肩にかけた。

持子はその中心で、最も湯の温度が高い岩の近くに陣取り、暴君・董卓としての威厳を保ちながらも、温泉の気持ちよさにふやけた顔をしていた。


「うむ、千手の言う通りだ。せっかくの女子だけの時間だ。何か面白い話でもないのか?」

持子のその一言が、思春期の女子高生たちのパンドラの箱を開けることとなった。


「あ、それなら私、気になってたことがあるんです!」


玲央がパシャリとお湯を跳ねさせ、目をキラキラと輝かせて千手の方を向いた。


「千手先輩と、副主将の森先輩って……その、お付き合いされてるんですよね?」


その直球すぎる質問に、千手は「ぶふっ!?」と盛大にお湯を吹き出し、持子は「ほう」と黄金の瞳を面白そうに細めた。


「ちょ、玲央ちゃん! いきなりストレートすぎるよ!」


千手が童顔を真っ赤にして慌てふためく。


「えー、いいじゃないですか! ずっと聞きたかったんです。あの寡黙でストイックな森先輩と、明るい千手先輩がどうやってくっついたのか。ねえ、馴れ初めを教えてくださいよ!」


玲央の追及に、凛花も「聞きたいです!」と同調し、紗良までもが「興味深いですね。森先輩の感情のベクトルがどう変化したのか、心理学的な観点から考察したいです」と身を乗り出してきた。


「うぅ……もう、仕方ないなぁ……」


千手は観念したように、照れ臭そうに頬を掻きながら口を開いた。


「告白は……森くんからだったんだよ」


「「「ええええええっ!?」」」


一年生三人組から、驚愕の悲鳴が上がる。あの、日本刀のように鋭く、受け身を取らないと骨が折れるほどの容赦ない合気を使う、真面目人間の森盛夫が、自分から告白したというのだ。


「ふはは! 森の奴、意外と肉食ではないか!」


持子が愉快そうに笑う。


「そ、そんなんじゃないよ! もう、すっごい不器用だったんだから!」


千手はお湯の中で身をよじりながら、去年の出来事を語り始めた。


「稽古の時ね、私が少し無理して技を受けて、手首を痛めそうになったことがあったの。そしたら森くん、いきなり稽古を止めて、無言で私の手首にテーピングを巻き始めてさ……。その時の真剣な顔と、大きな手の優しさに……なんか、ドキッとしちゃって」


「きゃーっ! なんですかそれ、少女漫画ですか!」


玲央が興奮して身悶えする。


「それで、その日の帰りに一緒に駅まで歩いてたら、いきなり立ち止まって……『お前の背中を、ずっと俺に護らせてくれないか』って。合気武道の理みたいな、わけわかんない硬い言葉で告白されたの」


「「「ふぉぉぉぉぉっ!!」」」


岩風呂の中に、女子高生たちの黄色い歓声がこだました。


「いいねぇ、青春だねぇ。森の奴、見かけによらずロマンチストではないか」


持子もニヤニヤしながら千手をからかう。


「もう、恥ずかしいからこの話はおしまい! それより、一年生はどうなのさ! 気になる男子とかいないの?」


千手が顔をパタパタと扇ぎながら、見事に話を逸らした。

矛先を向けられた一年生三人組は、顔を見合わせた。


「えーっと……気になるというか、純粋に男としてカッコいいなって思うのは……やっぱり門くんですかね」


阿部凛花が、少し頬を染めながらポツリとこぼした。


「あ、それ私も分かります!」


すかさず玲央が同意する。


「あの圧倒的な身体のデカさと、パワー! なのに性格は無口で真面目で、なんか不器用じゃないですか。令和の時代に『高倉健か!』ってツッコミたくなりますけど、逆にそこが男として頼れるというか……」


玲央の言葉に、持子も「うむ」と深く頷いた。


「門はいい男だぞ。合気武道の稽古に対する熱意も本物だ。不器用ゆえに型は崩れがちだが、その魂の根底にある真面目さは、武道家として高く評価できる」


「そうそう! 門くんは優良物件だね!」


千手も親指を立てて太鼓判を押す。

凛花や玲央が門蒼真を高評価するのには、彼女たちが「芸能科」であるという背景も大きく関係していた。


「私たち芸能科の女子って、学校の中だと周りもみんな芸能人志望のライバルでしょ? 友達であっても、オーディションの枠を争うバチバチの関係になりがちだし……」


凛花が少し影のある顔でため息をつく。


「そうなんです。同じ芸能科の男子と何か恋愛絡みの噂でも立てば、最悪の場合、お互いの事務所が出てきて大揉めになるリスクがありますからね。だから、一般科の門くんや佐藤くんみたいな人たちの方が、変な打算なしに気楽に話せるっていうか……」


玲央がプライドの高さを少しだけ下ろし、本音を漏らす。芸能科ならではの、複雑なしがらみとストレス。それを忘れさせてくれるのが、一般科の男子たちとの純粋な部活動の時間だった。


「……私は、そうは思いません」


その時。

今まで黙って話を聞いていた南原紗良が、お湯の中からボソリと小さな声を上げた。


「ん? 紗良、どうした?」


持子が首を傾げる。

紗良は、普段の冷静で知的な表情を完全に崩し、耳の先まで真っ赤に染めながら、お湯の表面にブクブクと口まで沈めて呟いた。


「私は……佐藤くんの方が、かわいいと思います……」


「「「………………は?」」」


持子を除く全員の動きが、完全にフリーズした。

雨音だけが虚しく響き渡る中、数秒の沈黙の後、露天風呂に爆発的な反論の嵐が巻き起こった。


「「「えええええええっ!? ないないないない!!」」」


玲央と凛花、そして千手までもが全力で首を横に振った。


「紗良ちゃん、気でも狂ったの!? あの佐藤くんだよ!?」


玲央が信じられないという顔で詰め寄る。


「いや、確かに佐藤くんは明るいお調子者で、部内の雰囲気を良くしてくれるムードメーカーとしては最高ですよ? でも、稽古になればすぐサボるし、受け身ばっかりで合気武道も弱いし、卑怯だし……男としては、ちょっと、ねぇ?」


凛花が苦笑いしながらダメ出しをする。


「私は嫌悪感までは無いし、いい友達だとは思うけど……恋愛対象かと言われると、絶対に『無い』かなぁ」


「私は苦手です! 私は努力しない人が一番嫌いなんです。あいつのあのヘラヘラした態度は、私の完璧な美意識に反します!」


玲央がバシャッと強めに腕を組む。


「まあまあ、でも陽翔くんのあの受け身の天才っぷりは、逆にすごいと思うよ? どんな技をかけてもノーダメージで逃げるから、こっちも思い切り技をかけられるし。鍛え甲斐があるっていうか……むしろ、私が徹底的に技をかけまくって、無理やり伸ばしてやる!!」


千手が、童顔に似合わない戦闘狂のような恐ろしい笑顔を浮かべた。


「ほら、やっぱりみんな佐藤くんのこと、弱いままのサンドバッグ扱いじゃないですか。……そんなことないです。佐藤くんは、やればできる子です」


紗良が小声で、しかし頑なに反論する。

その様子をニヤニヤと眺めていた持子が、ここで悪魔のような提案を放り込んだ。


「ふははは! 紗良よ、そんなに佐藤のことが好きなら、こう言ってみればどうだ? 『佐藤くん、合気武道が強くなったら、私のおっぱい見せてあげる』……とな!」


「「「ぶっっ!!??」」」


女子全員が再びむせた。


「な、ななな何を言ってるんですか持子先輩!! 破廉恥すぎます!!」


玲央が顔を真っ赤にしてお湯に潜る。


「ふはは! わしは至って真面目だぞ! この間、テレビの深夜放送で『おっぱいバレー』という映画を観たのだ! やる気のない男子学生たちに、美人の先生が『試合に勝ったらおっぱいを見せる』と約束した途端、奴らは血の滲むような努力をして結果を残したのだ! 男のスケベパワーを舐めてはいかん!」


持子は董卓としての絶対的な自信を持って、熱弁を振るう。

実は持子の脳裏には、昨夜の「覗き事件」の情景が鮮明に浮かんでいた。(あの時、佐藤の奴はわしの裸見たさに、蒼真を巻き込んでまで狂気的な執念を見せておった。あいつのスケベを原動力にしたパワーは、間違いなく本物だ!)と、謎の確信を持っていたのだ。

しかし、冷静な毒舌家である紗良が、そんな暴論に納得するはずもなかった。

紗良はお湯からガバッと立ち上がり、持子に向かって冷ややかな視線を突き刺した。


「……そんな事、言えるわけないじゃないですか。バカですか、持子先輩は」


「なっ!?」


「映画のフィクションと現実を混同するなんて、非論理的にも程があります。それに、佐藤くんは決してそんなスケベな理由で動くような、浅ましい人間ではありません! 持子先輩は、ただのバカでした!」


ストレートすぎる猛毒の連発に、極黒の魔王たる持子の心に「グサッ! グサッ!」と見えない矢が突き刺さる。


「ぐはぁっ……! し、しかしな紗良! 佐藤のスケベパワーは本当に凄いのだぞ! 昨日だって……」


持子が昨夜の事件を口走りそうになった瞬間。


「持子先輩の言う通りですよ、紗良ちゃん!」


玲央がピシャリと口を挟んだ。


「え?」


「昨日の事件? は何のことか知りませんけど、佐藤がスケベなのは事実です! いつも、私たち女子のこと、いやらし〜〜い目で見てくるじゃないですか!」


玲央が自分の豊かな胸元を手で隠すようにしながら、嫌悪感を露わにする。


「そうそう! 玲央ちゃんの言う通り! 陽翔くん、視線が分かりやすすぎるんだよね〜。私の筋肉とか、凛花ちゃんの足とか、いつもジロジロ見てるし!」


千手もウンウンと頷く。

昨夜の「覗き事件」を知らない女子たちでさえ、日頃の佐藤の態度から、彼が立派なスケベであることは完全に察知していたのだ。


「そ、そんなこと……」


紗良が反論の言葉を失い、再びお湯の底へブクブクと沈んでいく。

そのやり取りを見ながら、持子は改めて、同じ温泉に浸かっている女子部員たちの裸体を、ジィィィィッとねっとりとした視線で観察し始めた。


(……うむ。佐藤がいやらしい目で見るのも、無理はないな)


持子の脳内で、冷静かつスケベな分析が始まる。

まずは主将の千手美貴。


(小柄で童顔、明るくて愛嬌のある顔立ち。それなのに、肩から背中にかけての筋肉の付き方はまさに芸術品だ。体脂肪率5パーセント以下の引き締まった肉体と、その童顔のギャップ……マニアにはたまらん逸品だろう)


次に、阿部凛花。

(こいつはヤバい。元々はクラシックバレーダンサーを目指していたが180センチ近くもある。身長が高くなりすぎた為に踊りを諦め、挫折を味わって芸能科のモデルコースに転向してきたという苦労人だ。だが、その手足の長さと異常な体の柔らかさは、見られることに慣れている者の洗練された美しさがある。わしという世界的モデルの先輩を崇めてくれるのも可愛いしな。今はまだ全体的に細身だが、骨格の美しさは本物だ。数年後、肉付きが良くなれば……間違いなく極上の女になる)


そして、高橋玲央。

(プライドが高く、努力家の女優志望。その性格を裏付けるように、日頃から完璧にケアされた美少女フェイスは非の打ち所がない。しかも、こいつは身体の完成度も異常に高い。出るところはしっかり出ており、くびれはキュッと締まっている。あの佐藤が、玲央の豊かな胸元や美しいプロポーションをジロジロ見たくなる気持ちも、痛いほどよく分かる)


最後に、お湯に沈んでいる南原紗良。

(子役から芸能界で活動しているが、いまいちブレイクしきれていない苦労人。だが、そのポテンシャルは計り知れない。大きくて綺麗な瞳と、庇護欲をそそる圧倒的な童顔。中肉中背で健康的な身体つきも、実に親しみやすくて良い。何より、あの可愛い見た目から放たれる『冷酷な毒舌』というギャップ! このギャップのせいで友達が少ないようだが、一部のニッチな性癖を持つマゾヒストにとっては、ご褒美でしかないだろう)


持子は、自身の黄金の瞳を爛々と輝かせ、鼻息を荒くした。


(……改めて見回すと、ここの女たちの見た目、ヤバいくらい魅力的ではないか。思春期の血気盛んな男子が、いやらしい目で見るのは生物学的に仕方あるまい)


持子の内なる董卓の血が、ドクドクと沸き立つ。


(いや、男子だけではない。今のわしだって、この極上の女たちをいやらしい目で存分に楽しんでおる! もし、わしが合気武道部の同志でなければ……いや、ただの男だったなら、見るだけでは絶対に済まさん! 確実に手を出しておる! 手を出さない自信など、一ミリも無い!! 全員まとめて、わしの後宮ハーレムに入れて手篭めにしてくれるわァァァァッ!!)


「ふふふ……ふははははは……!!」


持子の脳内は、すでに暴君としてのドス黒く、そしてピンク色に染まった変態的な妄想で完全に支配されていた。

絶世の美女の顔が、ヨダレを垂らさんばかりの、だらしなくも恐ろしい「極限のスケベ顔」へと歪んでいく。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


岩風呂の中に、再び不自然な沈黙が落ちた。

雨音だけがザァァァァッと降り注ぐ中、女子部員四人の冷ややかな視線が、一人で悦に入っている持子に一斉に突き刺さる。


「……あの、持子先輩?」


玲央が、引きつった笑顔で口を開いた。


「ん? どうした玲央。わしの美しさに惚れ惚れしたか?」


持子が変態顔のままドヤ顔を作る。


「違います。顔が……顔が信じられないくらい、いやらしいです」


「えっ」


「持子先輩、今絶対に私たちのこと、すっごく不潔な目で見てましたよね?」


凛花が両手で自分の身体を隠しながら、ドン引きの表情を浮かべる。


「いや、その、これはだな! わしは美しいものをただ美しいと思っていただけで……!」


「そんなの関係ないです。というか、よだれ垂れてますよ、先輩」


紗良が冷酷な毒舌と共に、タオルを持子に投げつけた。


「だらしなさすぎるよ持子ちゃん! 佐藤くんのこと変態扱いしてたけど、一番の変態は持子ちゃんじゃない!」


千手が呆れたようにため息をつきながら、お湯をピシャッと持子の顔にかけた。


「ぐはぁっ!? ち、違う! わしは魔王として、純粋にお前たちの美しさを評価していただけで……!」


「言い訳は美しくないですよ、持子先輩!」


「最低です! 幻滅しました!」


「……キモいです」


かくして、合気武道部の夏合宿四日目。

大雨で稽古が中止になった癒しの天然温泉は、極黒の魔王・恋問持子が後輩女子たちから総スカンを食らい、一人寂しく岩の影でいじけるという、コミカルで騒がしい結末を迎えるのだった。

過酷な稽古を離れた彼女たちの絆は、このドタバタな恋バナと変態騒動を経て、より一層(色々な意味で)深く結びついていくのである。


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