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『極秘の祝宴と、終わらない残業(デスゲーム)』

【極秘の祝宴と、借りてきた退魔師たち】


 パリの中心部、セーヌ川の美しい夜景を一望できる『リュクス・アンペリアル』所有の迎賓館シャトー

 世界中の裏社会を震撼させ、新たな不可侵のルールを叩きつけた翌日の夜。そこでは、昨夜の血塗られた死闘が嘘のような、華やかで、しかし徹底的な情報統制が敷かれた『極秘の戦勝パーティ』が開かれていた。

 豪奢なバカラ製のシャンデリアが眩い光を放ち、磨き上げられた大理石の床やクリスタルのグラスを乱反射させて輝いている。

 会場に用意されたのは、最高級のヴィンテージ・シャンパン、そして星付きレストランのシェフたちが腕を振るった目にも鮮やかなフランス料理の数々。簡易的な慰労会と銘打たれてはいるものの、エレーヌ・リジュの莫大な資金力が投入されたその場は、国家元首の晩餐会にも引けを取らないほどの豪華絢爛さであった。

 しかし。

 その華やかな立食パーティの会場の隅で、明らかに『場違いなオーラ』を放ち、小さく身を寄せ合っている一団があった。

 極東から海を渡ってきた、日本の退魔クランの出稼ぎ部隊――蔵王権蔵(鳳翼山伏衆)、蓮華院慈空(曼荼羅浄土門)、鬼頭豪三(龍胆組・霊学会)をはじめとする、ベテランの退魔師のおじさん、お爺さんたちである。


「……お、おい、慈空。このペラペラした肉、どうやって食うんだ? 箸はねぇのか、箸は」


「しっ! 声が大きいですぞ、権蔵殿。これは生ハムとかいう西洋の洒落た保存食ですじゃ。……それにしても、この首に巻かれた布(蝶ネクタイ)、息が詰まって死にそうですわい」


「まったく、俺のドスをどこに預けやがった。こんなピチピチのスーツ(タキシード)じゃ、肩が凝って肩が凝って、悪霊の首一つ刎ねられやしねぇぜ……」


 彼らは皆、リジュの専属スタイリストによって、無理やり最高級のタキシードやスリーピースのスーツを着せられていた。

 昨夜の市街地戦では、数百万の死霊の軍勢を相手に、豪快な雄叫びを上げて巨大な錫杖や大太刀を振り回し、屍鬼王の首を易々と刎ね飛ばした歴戦の猛者たちである。悪魔や怨霊を相手にすれば一歩も引かない彼らだが、このような『フォーマルで華やかな西洋のパーティ』という場においては、完全に「借りてきた猫」状態であった。


「……あ、あの、シャンパンのお代わりはいかがでしょうか?」


 美しいドレスを着た給仕の女性が、銀のトレイに載せたグラスを差し出してくる。


「ひぃっ! い、いや、結構! ワシらは、その、般若湯(日本酒)があれば十分でしてな! ゲホッ、ゴホッ!」


 慈空が慣れないシャンパンの炭酸にむせ返り、権蔵が「バカ野郎、粗相をするな!」と慌ててその背中をバンバンと叩く。

 美味しい食事や酒であることは、彼らの舌にも十分に理解できた。しかし、周囲を取り囲むきらびやかな空気、立食という慣れないスタイル、そして何より「自分が浮いている」という強烈な自覚が、彼らの胃を縮み上がらせていたのだ。

 普段は東京の裏社会で「俺のシマを荒らすな」と豪快に威張り散らしているおじさんたちが、グラスを両手で大事そうに持ちながら、ビクビクと周囲の目を気にしている姿は、どこか滑稽でさえあった。

 そんな彼らの様子を、少し離れた場所から見ていたフランス勢――ベアトリス率いる異端審問官の傭兵たちや、エティエンヌ配下の吸血鬼の貴族たちが、スッと近づいてきた。


「……おい、来たぞ。西洋の退魔師と吸血鬼どもだ。因縁つけられるんじゃねぇか?」


 豪三が、タキシードの下で思わず拳を握りしめる。

 昨日まで、フランス勢は極東から来た彼らに対して、明確な「距離」を置いていた。言葉も通じず、文化も違う。何より、日本の呪術などたかが知れていると、心の底で軽視していた部分があったからだ。

 だが、歩み寄ってきたフランスの屈強な傭兵たちは、豪三たちの前でピタリと立ち止まると――深々と、そして最大限の敬意を込めて頭を下げた。


『――極東の戦士たちよ。昨夜のあなた方の戦いぶり、真に見事であった。我々だけでは、あの死霊の波を抑えきることはできなかっただろう』


 TIA特製の同時翻訳デバイスを通じて、彼らの真っ直ぐな称賛の言葉が、豪三たちの耳に届いた。


『あなた方の刀の冴え、そして炎の魔術。我々の誇る聖炎にも劣らない、素晴らしい力だ。……昨日までの非礼を詫びたい。そして、共にパリを救ってくれたことに、心からの感謝を』


 吸血鬼の貴族の一人も、優雅にワイングラスを掲げて微笑んだ。


『ええ。夜の王の眷属として、あなた方の猛勇に敬意を表します。この素晴らしい勝利に、乾杯を』


「えっ……あ、いや、その……」


 権蔵や慈空、豪三たちは、一瞬ポカンと口を開け、顔を見合わせた。

 日本の裏社会において、彼ら退魔師は常に「日陰の存在」である。怨霊を祓い、妖を斬り伏せても、それが表のニュースになることはなく、一般人から称賛されることもない。ただ暗闇の中で血を流し、同業者同士でシノギを削り合うだけの、泥臭い人生だ。

 それが今。

 遠く離れた異国の地で、何百年もの歴史を持つ誇り高き騎士や貴族たちから、真っ向からその実力を認められ、英雄として讃えられているのだ。


「……へっ。なんだよ、お前ら。意外と話の分かる奴らじゃねぇか」


 豪三が、照れ隠しのように鼻の頭を擦り、ニッと笑って自身のグラスを掲げた。


「俺たちは、リジュの女帝の金に釣られて出稼ぎに来ただけだ。だが……一緒に背中を預けて戦ったこたぁ、悪くねぇ夜だったぜ」


「ガハハハッ! 違いない! ほれ慈空、お前もグラスを上げろ! この美味い泡の酒で、国境を超えた退魔の力に乾杯じゃあ!」


「やれやれ、権蔵殿は調子が良すぎますぞ。……ですが、悪くない気分ですな。乾杯!」


 カチンッ、カチンッ!

 クリスタルのグラスが重なり合う、澄んだ音が響く。

 恥ずかしさの中に、隠しきれない誇らしさと喜びを滲ませながら、日本のベテラン退魔師たちは、フランスの戦士たちと笑い合った。

 言葉の壁も、文化の違いも、昨夜の死線を共に潜り抜けたという絶対的な事実の前では、些末な問題に過ぎなかった。酒を酌み交わし、身振り手振りで互いの武勇伝を語り合ううちに、いつしか会場の隅の「借りてきた猫」の集団は、国境を超えた新たな友の輪へと変わっていったのである。


【英雄への賛歌と、結ばれる絆】


 パーティの空気が十分に温まり、人々の談笑が最高潮に達した頃。

 会場の正面に設置された豪奢な壇上のマイクに、鋭いハウリング音が鳴った。

 キィィィン……。

 一瞬にして、会場が静寂に包まれる。

 壇上に姿を現したのは、プラチナブロンドの長髪を真紅のイブニングドレスで包み込んだ真祖の吸血鬼、エティエンヌ・ド・ロシュフォール=ノクティス。

 そしてその隣には、純白のパンツスーツを完璧に着こなした若き女帝、エレーヌ・リジュが並び立っていた。


「……皆の者、よくぞ集まってくれましたわね」


 エティエンヌの、優雅で、それでいて絶対的な威圧感を伴う声が、マイクを通じて会場の隅々にまで響き渡った。


「昨夜の戦いは、まさに苛烈を極めました。五百年続いた私の支配に反逆した愚か者どもは、あなた方の奮力により、一晩にして塵と消えた。……このパリの地下は、再び絶対の静寂と秩序を取り戻したのです」


 エティエンヌは真紅の瞳を細め、会場に集ったすべての戦士たちをゆっくりと見渡した。


「私は、我が愛する絶対の主、恋問持子様の御名において、あなた方全員の健闘と、生き残ったその強運を、心から讃えたいと思いますわ」


 ワァァァァァァッ!!

 会場から、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。


「そして、言葉だけではありません」


 エティエンヌがスッと手を差し伸べると、リジュが一歩前へ進み出た。


「リュクス・アンペリアルの名において、昨夜の戦いに参加した各クラン、および傭兵団の代表者に対し、約束通りの『多大な報奨金』と、我々からの『感謝状』を授与します」


 リジュの合図とともに、黒服のスタッフたちが、分厚いアタッシュケースと金箔の施された証書を持って壇上へと運んできた。


「まずは、極東から駆けつけてくれた退魔クランの代表たち。前へ」


 名前を呼ばれ、権蔵、慈空、豪三たちが、ビクビクしながらも誇らしげに壇上へと上がる。


「お、おお……なんという重さじゃ。これで東京の霊学会も、向こう十年は安泰だぜ」


 アタッシュケースを受け取った豪三の手が、そのズッシリとした重み(札束)に小刻みに震えていた。彼らは深々と一礼し、会場からの温かい拍手を受けながら壇を降りる。


「さて、各団体への報奨に続き……」


 リジュがマイクを握り直し、少しだけ声のトーンを柔らかくした。


「本日は、この劣勢の状況をひっくり返すにあたり、極めて多大な、そして決定的な働きを見せてくれた『二人の個人』に対し、特別感謝状と特別報奨金を授与したいと思います」


 会場の視線が、一点に集中する。


「一人目は、我が傭兵軍団の長であり、神聖なる炎で悪魔を焼き尽くした聖女。……ベアトリス・ド・ロシュフォール」


「はっ」


 白銀の甲冑の代わりに、洗練された漆黒のドレスを身に纏ったベアトリスが、凛とした足取りで壇上へ上がる。


「そして二人目。……極東の魔王の威光をその身に宿し、神話の光を以て反逆の吸血鬼どもを無傷で制圧した、最強の巫女。……風間楓。前へ」


「……はい」


 漆黒の長髪を揺らし、持子に選んでもらったシックで美しい紺色のパーティドレスに身を包んだ楓が、音もなく静かに壇上へと進み出た。

 エティエンヌから、二人にそれぞれ金箔の感謝状と、目録の入った封筒が手渡される。


「……素晴らしい戦いぶりでしたわ、楓。持子様も、さぞかし貴女を誇りに思うでしょうね」


 エティエンヌの言葉に、楓は「……当然です」とだけ短く返し、目録を受け取った。


「では、特別功労者のお二人から、一言ずついただきましょう。まずは、楓さん」


 リジュに促され、楓はマイクの前に立った。

 会場に集まった数百の裏社会の人間たちが、このバグのような強さを持つ日本の少女の言葉を一言たりとも聞き逃すまいと、固唾を飲んで静まり返る。

 楓は、氷のように冷徹な瞳で会場を見渡し、ゆっくりと口を開いた。


「……大層な感謝状と報奨金をいただきましたが。私たちがここへ来たのは、決して賞賛や金のためではありません」


 凛とした、澄み切った声。


「つい数日前。私たちの住む東京が、古竜と怨念の泥に沈みかけた『東京霊脈戦線』において。……エティエンヌ様、リジュ様、そしてベアトリス様は、極東の危機を救うために、その莫大な力と資産を惜しみなく注ぎ込み、身を挺して戦ってくださいました」


 楓の言葉に、会場にいた日本勢の者たちが深く頷く。


「私たちがフランスを助けに来たのは、その時に受けた『恩』と『借り』を返すために、こちらも自分たちの出来る限りの力を行使した……ただ、それだけのことに過ぎません」


 義理と恩義。

 極東の武士道にも通じるその真っ直ぐな精神に、フランスの戦士たちが感嘆の溜息を漏らす。


「ですが」


 楓はふっと、いつもは決して見せないような、柔らかく、温かい微笑みを浮かべた。


「昨夜の戦いを経て、これで日本とフランスの『貸し借り』はゼロになりました。……これからは、義理や借りではなく。両国の裏社会の間に生まれた、新しい『絆』と『友情』によって、共に手を取り合っていけると思っています。……今後とも、極東の我々を、よろしくお願いいたします」


 深々と、美しい一礼。

 数秒の静寂の後。

 ウワァァァァァァァァァァァッ!!!

 会場中から、地鳴りのような満場の拍手と歓声が爆発した。


「素晴らしいぞ、極東の巫女!」


「ブラボー! これぞ真の戦士の言葉だ!」


 権蔵たち日本勢のおじさんたちも、「よく言った、楓嬢ちゃん! ワシらの誇りだ!」と涙ぐみながら手を叩いている。

 鳴り止まない拍手の中、楓は静かに一歩下がり、ベアトリスとマイクを代わった。

 ベアトリスは、感極まったような表情で会場を見渡し、力強く口を開いた。


「風間楓殿の言葉に、私も完全に同意する。……昨日まで、我々は極東の呪術を、彼らの実力を、どこか侮っていた部分があった。だが、昨夜の彼らの勇姿は、我々のその浅はかな偏見を木端微塵に打ち砕いてくれた」


 ベアトリスは、会場の隅にいる豪三たちや、美羽、霞、鶴子たちの方を真っ直ぐに見つめた。


「彼らは、遠い異国の地で、我々のために血を流してくれた。この御恩は、決して忘れない。……これより、我々ヨーロッパの異端審問官、そして夜の眷属たちは、極東のクランを『最高の戦友とも』として迎え入れたいと思う! 我らが新たな絆と、勝利に!!」


「「「勝利に!!」」」


 シャンパンのグラスが再び高々と掲げられ、会場のボルテージは最高潮に達した。

 もはやそこに、東洋と西洋の壁はない。

 圧倒的な危機を共に乗り越えた者たちだけが共有できる、血と汗で結ばれた強固な絆が、パリの夜を熱く、そして美しく彩っていた。


【残党掃討の密談と、美しき修羅の決意】


 パーティの喧騒から少し離れた、会場の奥にある防音魔術が施されたVIPラウンジ。

 その静寂の空間では、エティエンヌ、リジュ、ベアトリス、そして風間楓の四人が、最高級のワイングラス(楓はミネラルウォーター)を傾けながら、今後の『後始末』についての密談を交わしていた。


「……表向きの敵の主要戦力は完全に粉砕しましたが。まだ油断はできませんわね」


 エティエンヌが、真紅のワインを揺らしながら冷徹な声を出す。


「パリの地下道カタコンベのさらに奥深くや、近隣の国境付近の森には、昨夜の戦火を逃れ、潜伏している残党や小規模な反抗組織が確実に存在しますわ。これらを完全に掃討おそうじしなければ、いずれまた新たな火種となります」


「ええ。その通りよ」


 リジュがホログラム端末をテーブルの上に広げる。

「リュクス・アンペリアルの情報網と、ヘルメス結社から提供された魔力探知システムを使って、残党のあぶり出しはすでに始まっているわ。……ベアトリス、あなたの軍団の再編と出撃準備はどう?」


「問題ない。昨日までの防衛戦とは違い、これからはこちらから狩りにいく掃討戦だ。数日もあれば、片がつくはずだ」


 ベアトリスが力強く頷く。


「……で、あるならば」


 楓が、グラスを静かにテーブルに置いた。


「私と、美羽先輩、霞、鶴子さんの四人は、しばらくこのフランスに『残る』ことにします」


「あら? 楓。あなたたちは日本の危機を救った報奨ももらったのだし、帰国しても構いませんのよ? 持子様も、早くあなたたちの顔を見たいでしょうに」


 エティエンヌが少し驚いたように尋ねる。


「……ええ。ですが、中途半端な仕事をして帰れば、持子先輩の顔に泥を塗ることになります。それに……」


 楓は、会場のガラス越しに見える、楽しそうに談笑している美羽や鶴子たちの姿に視線を向けた。


「彼らは今回の実戦で、確実に『一皮剥けました』。……残党掃討という実戦の機会は、彼らの能力をさらに高め、持子先輩の隣に立つための完璧な『武者修行』になります。……この絶好の機会、逃す手はありません」


 一切の妥協を許さない合理主義。

 そして何より、自分たちを育て上げてくれた実戦という場への執着。


「……ふふっ。相変わらず、恐ろしい上昇志向ね、極東の巫女は」


 リジュが呆れたように、しかし頼もしそうに微笑んだ。


「いいわ。日本のクランの大人たち(権蔵や豪三たち)は、明日には順次帰国させる手筈になっているけれど。……残りたいというなら、歓迎するわ。パリでの滞在費や活動資金は、すべて私が面倒を見るから、存分に暴れてちょうだい」


「感謝します、リジュ様」


 楓が淡々と答える。

 その時、ふとエティエンヌが、真紅の瞳を細めて楓の全身をまじまじと見つめた。


「……それにしても、楓。リジュが持子様のために選んだというそのドレス、貴女の冷たい美貌にもとてもよく似合っていますわね」


「ええ、本当に」


 リジュも同調するように頷き、プロのブランド社長としての目を光らせた。


「漆黒の髪と、その涼やかな眼差し。……こうしてドレスアップした姿を見ると、貴女、本当に持子に似ているわね。骨格のバランスや、人を惹きつける絶対的な引力が、あの黄金比を持つ持子にそっくりよ」


「……」


 楓は無言で二人の言葉を聞いていた。


「どうかしら、楓。日本へ帰る前に、我がリュクス・アンペリアルのモデルとして、一度カメラの前に立ってみない? 貴女なら、持子とはまた違う、氷のような孤高の美しさで世界を席巻できるわよ」


 リジュのスカウト。

 世界的ブランドの社長からの直々のオファーなど、世界中のモデルが喉から手が出るほど欲しい栄誉である。

 しかし、楓は一切の表情を変えず、ただ冷たく首を振った。


「お断りします」


「あら、即答ね。なぜかしら?」


「私は、持子先輩の影であり、剣です。表舞台で輝くのはあの方だけで十分。それに……」


 楓の脳裏に、傲岸不遜でありながら、誰よりも純粋で情に厚い持子の笑顔が浮かんだ。

 出会ってから今日まで。持子は常に楓を対等な『友』として扱い、時に無邪気に寄りかかってきた。楓は表向きは冷徹な後輩として振る舞いながらも、心の底ではそんな持子を深く慕い、彼女の隣で剣を振るうことに至上の喜びを感じるようになっていたのだ。


「持子先輩と私は、互いの背中を預け合う対等な仲間です。……ですが、私にとってあの方は、誰よりも眩しく、誰よりも守り抜きたいと願う絶対的な光。……モデルとして並び立つなど、おこがましいにも程があります」


 楓はふっと、いつもは決して見せないような、柔らかく、温かい微笑みを浮かべた。


「そうですか。……それは残念ね」


 リジュが苦笑し、エティエンヌも「本当に、持子様は罪作りな方ですわね」と肩をすくめた。


「……失礼します。私は、部下たちに『残業』の通達と……持子先輩の隣に立つにふさわしい実力をつけさせるための、少しばかりの『教育』を施してまいります」


 バサッ!

 楓は、ドレスの裾を翻し、VIPラウンジを後にした。

 その瞳には、かつてないほどの鋭い闘志と、仲間たちを更なる高みへと引き上げるための、厳しくも温かい決意が宿っていた。


【かつての敵、今の友。癒される傷と誓い】


 一方、メイン会場のテラス。

 心地よい夜風が吹き抜ける中、若手組である花園美羽、葉室鶴子、霞涼介、そして天草・クリストファー・流星の四人は、美味しいスイーツとカクテル(未成年のためノンアルコール)を手に、和やかに談笑していた。

 彼ら四人は、全員が同じ17歳の『三年生』であり、私立聖ミカエル学園で顔を合わせる同級生である。

 かつては互いの組織の威信を懸けて持子を懐柔すべく、裏で牽制し合っていた間柄だ。


「あーっ、このマカロン、すっごく美味しいですにゃ! 日本で食べるのとは全然違う香りがしますぅ!」


 美羽が、頬をリスのように膨らませて幸せそうに咀嚼している。


「本当ですわね。わたくしも、このような格式高いパーティにお呼ばれするなんて、八咫烏の屋敷にいた頃には想像もつきませんでしたわ」


 鶴子が、今日は上品な夜会服イブニングドレスを着こなし、優雅に笑う。


「……胃薬を飲まずに食事ができるというのは、本当に素晴らしいことですね」


 霞も、銀縁メガネの奥で心底リラックスした表情を浮かべていた。かつては内閣府『彼岸花』のエリートだったが、現在は正式に『TIA』の所属工作員として活動している。

 そこへ、白銀の甲冑の代わりに、軍服を模したフォーマルな礼服に身を包んだ流星が、グラスを持って微笑んだ。


「ハハハ! みんな、楽しんでいるかな? 迷える子羊たちよ!」


「あっ、流星くん!」


 かつては『聖三条騎士団』のエリート工作員として、彼らと同じく学園に潜入していた流星。しかし彼もまた、持子の極黒の魔力に魅せられ、恩師との死闘を経て騎士団を離反。強さを求めて単身ヨーロッパへ渡り、ベアトリスの元で武者修行を積んでいたのだ。


「ごきげんよう、流星様。……その右腕、まだ痛みますの?」


 鶴子が、流星の右腕が分厚い包帯とギプスで固定され、首から吊られているのを見て、心配そうに眉をひそめた。昨夜、上位悪魔の絶対空間を打ち破るために放った『極大聖拳・超新星スーパーノヴァ』の代償である。


「ああ、これかい? 全治一ヶ月とベアトリス団長には言われたけれどね。……我が神、持子様に捧げた名誉の負傷だ。痛みなど、誇りでしかないのだよ!」


 流星は包帯の巻かれた腕をかばいながらも、爽やかなドヤ顔で言い放つ。


「僕はこれからもベアトリス団長の部下として、このヨーロッパの最前線で武者修行を続けるつもりだ。持子様の隣に立つその日まで、この程度の怪我で休んでいる暇はないからね!」


「……流星くん、立派な騎士様になったですにゃぁ」


 美羽が、かつての同級生の成長を眩しそうに見つめた。


「私たちは、明日には日本の大人たちと一緒に帰国するつもりだから……遠く離れちゃうけど、これからも修行、頑張ってね。応援してるですにゃ」


「私も、TIAでの任務が溜まっているので帰らねばなりません。……お互い、持子様の隣に立つに相応しい実力を磨き続けましょう、流星」


 美羽と霞が、流星に対して励ましの言葉をかける。

 彼らはこの時点では、明日には極東へ帰り、持子の待つ平和な日常へ戻るのだと信じて疑っていなかった。


「ありがとう、美羽、霞。……二人の言葉、胸に刻んでおくよ」


 流星が嬉しそうに頷く。

 その時だった。


「……流星様。少し、失礼いたしますわ」


 鶴子が、手に持っていたグラスをテーブルに置き、流星の正面へと進み出た。

 そして、流星のギプスで固められた右腕を、両手でそっと、優しく包み込んだ。


「えっ……? つ、鶴子? 一体何を……」


「動かないでくださいませ」


 鶴子が目を閉じ、静かに深い呼吸をする。

 次の瞬間、彼女の手のひらから、太陽のように温かく、そして眩い『黄金色の光』が溢れ出した。

 古神道結社・八咫烏の秘伝、純度百パーセントの『光の治癒神術』である。


「おおっ……!? こ、これは……!」


 流星が驚愕の声を上げる。

 包帯の下で粉々に砕け、ズキズキと痛んでいた右腕の骨が、その光に包まれた瞬間から、まるで時を巻き戻すかのように、恐ろしい速度で再生していくのが分かった。痛みが嘘のように消え去り、細胞の隅々にまで温かな活力が満ちていく。


「……ふぅ。これで、よろしいかと思いますわ」


 数分後。光が収まり、鶴子がそっと手を離した。

 流星が恐る恐るギプスを外し、腕を動かしてみる。

 ミシリ、とも言わない。指先まで完全に力が入り、昨日まで以上の力強さを取り戻していた。


「す、すごい……! 完全に治っている……! ありがとう、鶴子!」


「……ふふっ。お礼には及びませんわ」


 鶴子は、少しだけ額に汗を滲ませながらも、最高に美しく、優しい笑顔を向けた。


「でも、不思議なものですわね」


 鶴子は、流星、美羽、霞の顔を順番に見渡し、クスリと笑った。


「かつては……わたくしたち、それぞれ『聖三条騎士団』『彼岸花』『八咫烏』という敵対する組織の工作員として、持子ちゃんを巡って学園で牽制し合っていたのに」


 その言葉に、三人の脳裏に、数ヶ月前の『アブラとニンニクの紳士同盟』の奇妙な日々がフラッシュバックする。

 お互いを敵とみなし、使い魔や重力呪具で牽制し合い、そして持子という規格外の魔王に振り回された日々。

皆心底可笑しそうにくすくすと笑う。


「……ええ。組織の思惑など、あの御方の圧倒的な引力の前では、何の意味も持たなかったということですね。……我々は、もう敵同士ではない」


 霞がメガネを押し上げ、深く頷く。


「ああ。我が神、持子様の導きが、我々を真の戦友ともにしてくれたのだ!」


 流星が、完治した右腕で力強くガッツポーズを作る。

 敵対組織のスパイとして出会った彼らが、魔王の威光の下で一つになり、今、パリの夜風の中で肩を並べて笑い合っている。

 それは、どんな魔術よりも奇跡的で、美しく尊い『絆』の証だった。


「ふふふっ、あはははっ!」


「フッ……カカカッ」


 同級生である四人の若者たちの、衒いのない、心からの笑い声がテラスに響き渡る。

 ――だが、彼らのその平和で感動的な空気は、背後から音もなく現れた『絶対的な上司』によって、あっさりと断ち切られることになる。


「……随分と楽しそうですね、あなたたち」


「「「「ヒィッ!?」」」」


 背後から響いた絶対零度の声に、四人はカエルのように飛び上がった。

 振り返ると、そこには美しい紺色のパーティドレスを着た風間楓が、能面のような無表情で立っていた。

 学園においては、彼女は彼らの一つ下の『二年生(後輩)』である。

 だが、裏社会、とりわけTIAおよび魔王陣営のヒエラルキーにおいては、彼女は特級エージェントであり、彼ら全員の命殺与奪を握る『圧倒的な上司(司令官)』であった。


「か、楓ちゃん……っ! い、いつの間に背後に……っ!」


「……ちょうど良かったです。皆さんに、決定事項の通達があります」


 楓は、有無を言わさぬ冷徹な眼差しで、美羽、霞、鶴子の三人を順番に見据えた。


「日本のクランのおじ様たちは、明日帰国させます。……ですが、私と、あなたたち三人は、しばらくこのフランスに『残業のこ』ってもらいます」


「「「…………は?」」」


 三人の思考が、完全に停止した。


「パ、パリ郊外の森や地下道に、まだ残党が潜伏しています。これを完全に掃討するまで、我々の任務は終わりません。……持子先輩の隣に立つための、絶好の『実戦訓練デスゲーム』の続きですよ。……光栄に思いなさい」


「えええええええっ!? ま、またあの地獄の殺し合いをやるんですかぁぁっ!?」


 美羽が頭を抱えて絶叫する。

「……待ってください、楓さん……いや、楓上官。私はTIAの東京での任務が……」


「霞。私に口答えする気ですか? 私の命令は組織の命令と同じです。宜しいですか?」


「…………残ります」


 霞が即座に胃薬を飲み込み、直立不動になる。


「オーッホッホ……わ、わたくし、着替えのドレスをこれ以上持ってきておりませんのよ!?」


「リジュ様が無限に買ってくれます。問題ありません」


 楓の完全なる独裁決定の前に、三人の帰国という甘い夢は、わずか数秒で木端微塵に粉砕された。


「ハハハハッ! さすがは楓さんだ! 美羽先輩、霞殿、鶴子殿! これからも共に、このヨーロッパの地で肩を並べて戦えるとは! 僕は嬉しいよ!」


 流星だけが、空気を読まずに完治した右腕を振り上げて歓喜している。


「うわぁぁぁんっ! 私、もう日本に帰ってポテチ食べたいですにゃぁぁっ!」


 美羽の悲痛な絶叫と、流星の高笑い、霞の胃を押さえるうめき声、そして鶴子の困惑した悲鳴が、パリの美しい夜空に溶けていく。

 日本の大人たちへの称賛と、三年生の若者たちの新たな地獄(特訓)の始まり。

 極東の魔王の威光を背負った少年少女たちのフランスでの過酷な武者修行は、もう少しだけ、血と汗と涙に塗れて続くのであった。


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