『神威の巫女と、血統粛清の夜』
【神話の巫女と、血の粛清】
パリ郊外にひっそりと佇む、豪奢で歴史ある洋館。
その大広間には、真紅の絨毯が敷き詰められ、壁には何世紀も前の重厚な絵画が飾られていた。しかし、その優雅な空間を満たしていたのは、鼻をつくような濃密な血の匂いと、醜悪なまでの『怒り』と『侮蔑』の感情であった。
「……嘆かわしい! 全くもって嘆かわしいことだ!」
血を満たしたクリスタルのワイングラスを床に叩きつけ、ひとりの貴族が激昂した。
「我らヨーロッパの闇を五百年間統べてきた完全無敗の真祖、エティエンヌ・ド・ロシュフォール=ノクティス! あろうことか、自らの肉体をあのような卑しい『女』の姿に作り変えるなど……ッ! これは我ら誇り高き吸血鬼への、最大の侮辱であり、許されざる『恥』である!」
彼らは『純血主義の貴族ヴァンパイア』。エティエンヌの絶対的な支配に長年服従しながらも、その変節を機に反逆の牙を剥いた保守派の貴族連合であった。
「その通りだ。今夜こそ、あの恥知らずな元王を粛清し、我らが新たな夜の支配者となるのだ」
「ギヒヒ……。東洋カラ来タ助ッ人トヤラモ、我ラノ『疫病』ノ前ニハ、血ヲ吐イテ腐リ落チルダロウヨ……」
貴族たちの頭上、高いシャンデリアの梁にぶら下がっていたのは、巨大なコウモリのような異形の化け物たちであった。人の姿を捨て、ただ血と病を撒き散らす獣へと退化した吸血鬼――東欧の古血。
彼らの吐き出す息には、致死性の疫病のウイルスがドス黒い瘴気となって混ざり込んでいる。
「さあ、まずはエティエンヌの喉笛を――」
貴族ヴァンパイアが残酷な笑みを浮かべた、その時だった。
「――エティエンヌの喉笛をどうするって?」
スゥッ……。
大広間の入り口。いつの間にか、そこに二人の少女が立っていた。
重厚な扉を開けた音など、一切しなかった。吸血鬼の鋭敏な感覚すらも欺く、神速にして無音の歩法。
「なっ!? 貴様ら、どこから……人間の小娘がなぜここに!」
そこにいたのは、漆黒の長髪を揺らす氷川神社の巫女・風間楓と、その背中に隠れるようにして息を潜める花園美羽であった。
「美羽先輩」
楓は、広間を埋め尽くす数十の貴族ヴァンパイアと、天井に蠢く数百のノスフェラトゥを前にして、氷のように冷徹な声で告げた。
「先ほどの戦い、少しはマシになりましたが、まだまだ無駄が多い。……ここからは私が手本を見せます。しっかりと見て、勉強しなさい」
「は、はいですにゃ……っ」
美羽は短刀を握り締めながら、コクコクと激しく頷いた。
「フン! 迷い込んだ子羊か! 我らの喉の渇きを潤す生贄になれ!」
数人の貴族ヴァンパイアが、鋭い爪を伸ばし、目にも止まらぬ超高速で楓へと襲い掛かる。
だが。
「……目障りです」
ピカッッ。
楓が、空間から神話級の白銀の直刀『生太刀』を顕現させる
。
シュバァァァァァァァァッ!!!
抜刀の軌跡が、文字通り『白銀の閃光』となって空間を切り裂いた。
「ガハッ……!?」
「な、に……?」
襲い掛かってきた貴族ヴァンパイアたちの身体が、魔力による防御ごと、いとも容易く上下に両断される。彼らの誇る超再生能力も、神の娘の転生体が振るう絶対的な『浄化の理』の前では一切機能せず、そのままサラサラと灰になって崩れ落ちた。
「なっ……!? バカな、我が血族の精鋭が一撃で……!」
「ギィヤアアアアッ! 殺セェェッ!」
地上の惨劇を見た天井のノスフェラトゥたちが、一斉に巨大な翼を広げて急降下してくる。彼らの口から、触れれば全身から血を噴き出して死に至る『疫病の霧』が、ドス黒い雨のように降り注いだ。
「ひぃっ! 楓ちゃん、上からですにゃ!」
美羽が悲鳴を上げるが、楓は視線すら上に向けない。
「不浄な病など、この空間に撒き散らすことは許しません」
楓が『生太刀』を鞘に納め、スッと両手を虚空へと翳す。
そこに、光の粒子が収束し、白銀に輝く巨大な弓――『生弓』が顕現した。
ギリギリギリッ……!
楓が弦を引き絞ると、そこに現れたのは、太陽の如き眩い浄化の力を秘めた『破邪の鏑矢』。
「穿て」
ヒュドォォォォォォォォォンッ!!!!!
放たれた光の矢が、天井のノスフェラトゥの群れの中央に着弾した瞬間。
凄まじい『浄化の爆発』が巻き起こった。
「ギギャァァァァァァァァァッ!?」
「ア、アァァァァ……ッ!」
疫病の霧は一瞬にして光に灼き尽くされ、巨大なコウモリの化け物たちは、逃げる間もなく数百匹まとめて蒸発し、消え去った。
洋館の屋根ごと吹き飛ばす、文字通りのオーバースペック。
「…………」
背後で見ていた美羽は、ポカンと口を開け、手から短刀をポロリと落としそうになった。
(いやいやいやいや! 楓ちゃん、それ絶対に手本にならないですにゃ!? 私にあの神様みたいな光の爆発なんて出せないですぅぅぅっ!)
『見て勉強しなさい』と言われたものの、それは暗殺者の技術などとはあまりにも次元が違いすぎる、一方的で理不尽な『神の蹂躙』であった。
「ひぃっ……! な、なんだお前は……! なんなのだ、貴様はァァッ!」
生き残った貴族ヴァンパイアたちが、かつてない死の恐怖に顔を歪め、後ずさる。
彼らは数百年もの間、人間を餌として見下してきた。その絶対的な捕食者のプライドが、たった一人の極東の少女によって完全に粉砕されたのだ。
楓はゆっくりと、コツ、コツと靴音を鳴らして生き残りの貴族たちへと歩み寄る。その漆黒の長髪が、冷たい夜風に靡いていた。
「……命乞いをするなら、今のうちですよ」
氷点下の声が、広間に響く。
「あなたたちの真の王である、エティエンヌ……。あの方の姿がどう変わろうと、その絶対的な力と、夜の王としての権威には何ら変わりはありません」
楓は冷徹な眼差しで、這いつくばる貴族たちを見下ろした。
「あの方を愚弄した罪は万死に値する。……ですが、今ここで膝を折り、エティエンヌへの絶対の忠誠を再び誓うのであれば。……あなたたちのその醜い命、生かしてはおきますが?」
エティエンヌを助けるための助っ人として、楓はここで『夜の王』の権威を完全に確立させるつもりであった。エティエンヌの支配を強固なものにすることこそが、この戦いを最も早く、確実に終わらせる手段だからだ。
「ふ、ふざけるなァァッ! 我ら誇り高き純血の貴族が、女の姿に成り下がった恥知らずに再び忠誠を誓うなど……ッ! 断じて、断じてあり得な――」
ズバァァァァァッ!!!
「……そうですか。ならば、死になさい」
貴族が言葉を言い終わるよりも早く、楓の『生太刀』が冷酷に一閃され、その首を綺麗に刎ね飛ばした。
ゴロン、と床に転がる貴族の頭部。
話し合いの余地など一切ない、明確な『処刑』。
「ヒィィィィッ!! わ、私は誓う! 誓うぞぉぉッ!!」
「私もだ! エティエンヌ様に、永遠の忠誠を! だから命だけは、命だけは助けてくれェェッ!」
圧倒的な恐怖の前に、純血のプライドなどあっけなく砕け散った。残された数名の貴族ヴァンパイアは、床に額を擦り付け、ガタガタと震えながら命乞いを始めた。
「……ふん。所詮は、その程度の誇りですか。エティエンヌの足元にも及びませんね」
楓は冷たく鼻を鳴らし、生太刀の刃に付いた灰を払って鞘に納めた。
「終わりましたよ、美羽先輩。……少しは、勉強になりましたか?」
「な、ならないですにゃ……っ! 楓ちゃん、強すぎて全然参考にならないですぅぅっ!」
半泣きで抗議する美羽をよそに、楓は涼しい顔で洋館を後にした。
極東から現れた神話の巫女による圧倒的な蹂躙劇は、反逆の吸血鬼たちの心に、エティエンヌへの絶対的な恐怖と服従を再び刻み込んだのであった。




