「聖女を求めた亡霊、猫は己を選んだ」
【聖女の幻影と、泥棒猫の覚醒】
エティエンヌが廃城で伝説の巨獣を蹂躙していた頃。
別動隊としてパリの市街地――かつて処刑場があったとされる広場の地下遺跡へと潜入した東京組は、ヨーロッパの凄惨な歴史が産み落とした『特級の怨霊たち』と激突していた。
重力呪具を解放し、霞涼介が血の伯爵夫人・エリザベート・バートリーの操る血の茨にCQCで肉薄していく。
一方で、葉室鶴子は、物理攻撃を一切受け付けないフランス革命の怨念の集合体『断頭台の亡霊群』に対し、八咫烏の神風を以て呪いの霧を吹き飛ばすべく、死闘を繰り広げていた。
そして。
広場のさらに奥、冷たい石畳が敷き詰められた祭壇の前にて。
「ガハッ……! あぐぅっ……!」
ドゴォォォォンッ!!
花園美羽の小さな身体が、強烈な衝撃と共に太い石柱へと叩きつけられた。
「げほっ、ゴホッ……! くそっ、なんて……数ですにゃ……ッ!」
口から鮮血を吐き出しながら、美羽は震える足で必死に立ち上がる。彼女の制服と防護服はすでにボロボロに引き裂かれ、白い肌のあちこちから赤黒い血が流れ落ちていた。
彼女の視界を埋め尽くしているのは、おぞましい形相をした『悪魔』の群れである。山羊の頭を持つ者、巨大なコウモリの翼を持つ者、どろどろに溶けた肉塊のような者。その数は優に百を超えている。
「おお……おおお! 素晴らしい! なんという純真なる魂の輝き! 傷つき、血に塗れてもなお立ち上がる、その可憐な瞳!」
悪魔たちの群れの奥。祭壇の上に立つのは、かつてジャンヌ・ダルクの戦友でありながら、黒魔術と悪魔崇拝に堕ちた元帥の怨霊、『青髭』ジル・ド・レェであった。
豪奢だが薄汚れ、どす黒い血に染まった貴族の服を纏う彼は、両手を天に掲げ、狂気に満ちた眼で満身創痍の美羽を見つめていた。
「間違いない、お前は……私の聖女! 私のジャンヌだぁぁぁッ!!」
「はぁ……!? 誰が、ジャンヌですか……っ。私は持子様の所有物、世界一可愛い泥棒猫の花園美羽ですにゃ……っ!」
ゼェゼェと息を荒らげながら、美羽は両手の短刀を構え直す。
元「国民の妹」的清純派アイドルである美羽の童顔と、決して折れずに足掻くその可憐な姿が、狂気に沈んだジルの脳内で、かつての戦友である『聖女ジャンヌ・ダルク』の幻影と完全に重なってしまっていたのだ。
「ああ、ジャンヌ! 再び私の元へ堕ちてきてくれたのですね! 今度こそ、今度こそ私の腕の中で、永遠にその魂を犯し、穢して差し上げよう!! 行け、我が愛しき悪魔たちよ! 彼女の四肢を食いちぎり、私の寝室へ運ぶのだァァァッ!」
ギシャァァァァァァッ!!
ジルの号令と共に、無数の悪魔たちが一斉に美羽へと襲い掛かった。
「来ないで、ですにゃっ!」
ガキンッ! ギギギギギギッ!!
美羽は『無足の歩法』で回避を試みるが、疲労とダメージで足がもつれる。
「ギャアアアアッ!」
悪魔の鋭い爪が、美羽の太ももを深く掠めた。
「ああっ!?」
体勢を崩したところに、別の悪魔が放った業火の魔法が直撃する。
ズガァァァァンッ!
「キャアアアアァァァッ!!」
爆炎に巻き込まれ、美羽は石畳の上を無様に転がった。全身の皮膚が焼け焦げるような激痛。耳鳴りが止まらない。
(……痛いっ、痛いですぅ……っ。身体が、動かない……)
「ゲハハハハッ!」
「シャァァァッ!!」
薄れゆく意識の中、よだれを垂らした三体の巨大な悪魔が、動けなくなった美羽の上に馬乗りになろうと飛び掛かってくるのが見えた。
鋭い牙が、美羽の首筋へと迫る。
(……持子、様……っ)
美羽が死を覚悟し、ギュッと目をつぶった、その瞬間。
シュバァァァァァァッ!!!
神話級の白銀の閃光が、美羽の目の前を通り過ぎた。
「ギャアアアッ!?」
飛び掛かっていた三体の悪魔が、文字通り塵一つ残さず『浄化』され、空間から一瞬にして消滅する。
「……情けないですね、美羽先輩」
カツン、と。
石柱の上から、冷徹で凛とした声が降ってきた。
見上げれば、漆黒の長髪を靡かせた氷川神社の巫女・風間楓が、白銀の直刀『生太刀』を片手に、氷のように冷たい視線でボロボロの美羽を見下ろしていた。
「か、楓ちゃん……っ!」
学校では一つ下の後輩(高2)。だが、TIAの特級エージェントであり、美羽にとって地獄の特訓をつけてくれた恐ろしい『師匠』でもある絶対的強者。
「その程度で、私の特訓を耐え抜いたと言うつもりですか。……持子先輩の隣に立つ資格があるかどうか、ここで証明してみせなさい」
楓は生太刀を鞘に納め、腕を組んで高みの見物を決め込んだ。
そして、絶望的な数で押し寄せる悪魔の群れを前に足のすくむ美羽へ、たった一言だけ、冷たく、けれど的確なアドバイスを投げかけた。
「――敵をしっかりと観ろ。自分の特性と、持っている武器をよく考えろ!」
「……っ!」
美羽の脳裏に、TIAの地下訓練室で楓から受けた、血反吐を吐くような地獄のシゴキの日々がフラッシュバックする。
『美羽先輩、あなたは正面から力で押し切るタイプではありません。泥棒猫らしく、相手の死角を盗み、急所を掠め取りなさい!』
(……私の、特性。私が持っている、武器……!)
美羽は、痛む身体に鞭を打ち、地面に突き立てていた二本の短刀――火の属性と水の属性を持つ呪具を、ギュッと握り直した。
大きく深呼吸をする。
心の中の恐怖を、持子へのドロドロとした重い愛と執着で塗り潰していく。
(……私は、持子様の泥棒猫。目に付いた『欲しいもの』は、絶対に盗み出すクレプトマニア……)
美羽の大きく可愛らしい瞳の奥で、カチリと、暗殺者(影)としてのスイッチが切り替わった。
世界が、スローモーションのように感じられる。
無数に群がる悪魔たち。その恐ろしい外見や、放たれる殺気に惑わされてはいけない。
暗殺者の眼――相手の『急所』と『死角』という、最も価値のある情報を『盗み見る』力が、極限の集中力の中で覚醒していく。
「……見えた……にゃ」
炎を纏う悪魔の胸の奥にある、冷たい核。
分厚い装甲を持つ悪魔の関節の隙間。
毒霧を吐き出す悪魔の、魔力供給のライン。
「おおお! ジャンヌ! どうして立ち上がるのです! さあ、大人しく私と一つに――」
「黙れ、変態青髭」
ヒュンッ!
美羽の身体が、音もなくブレた。
『無足の歩法』。殺気も、足音も、風切り音すらも完全に消し去った、極致の歩法。
「なっ……消え、た……!?」
ジルが驚愕に目を剥く。
「火の悪魔には、水の牙を」
ズバァァァァァッ!!
水の属性を宿した短刀が、炎の悪魔の死角から正確に核を貫き、水蒸気爆発を起こして粉砕する。
「装甲の悪魔には、雷の牙を!」
カチャッ! と、瞬時に武器を換装する。
バリバリバリバリッ!!
雷の短刀が、装甲の隙間にねじ込まれ、内部から悪魔の回路を焼き切った。
「毒の悪魔には、風の牙で!」
シュバァァァァッ!
風の短刀が嵐を巻き起こし、毒霧を悪魔自身へと跳ね返し、その肉体を切り刻む。
「バ、バカなっ! 私の悪魔たちが、あんな小娘一人に……っ!」
まるで流れるような、一切の無駄がない死の舞踏。血に塗れながらも、その動きは致命的に研ぎ澄まされていた。
五行(火・水・風・土・雷)の短刀を瞬時に持ち替え、相手の弱点属性を的確に突き、急所を的確に『盗み取る』。
美羽は、恐ろしいスピードで悪魔の群れを単騎で突破していく。
「さあ……最後ですにゃ!」
美羽の両手に、七牙の中でも最強の二振り――『聖』と『闇』を宿した短刀が握られた。
「来いッ、ジャンヌゥゥゥッ!!」
ジルが狂乱し、自らのドス黒い魔力を一点に集中させ、巨大な黒魔術の槍を形成して投げ放つ。
直撃すれば、魂ごと消滅する必殺の一撃。
だが。
「私の名前は、花園美羽。持子様の世界一可愛い、泥棒猫ですにゃァァァッ!!」
美羽は逃げない。
相反する『聖』と『闇』の力を同時に解放し、二つの短刀を交差させる。
光と闇が激しく衝突し、循環し、強大なエネルギーの渦となって美羽の全身を包み込んだ。
「七牙連斬――『白黒天衝』!!」
ドガァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
美羽の放った光と闇の斬撃が、ジルの黒魔術の槍を正面から叩き割り、そのまま一直線に祭壇へと突き進む。
「ア、アァァァァ……ッ!? ジャ、ンヌ……私の、光……ッ」
ズバァァァァァァァァァッ!!!
交差した二つの刃が、ジルの怨霊の核を、その狂った魂ごと、綺麗な十字に切り裂いた。
「アアアアアアアアアアァァァァァァァァッ!!!!」
青髭の怨霊は、断末魔の叫びと共に、光と闇の奔流に飲み込まれ、サラサラと灰になって崩れ去っていった。
主を失った残りの悪魔たちも、次々と霧散して消滅していく。
「……ハァッ、ハァッ……、やっ、やった……」
美羽は、祭壇の上にへたり込み、荒い息を吐きながら両手の短刀を力なく下ろした。
全身は傷だらけで、立っているのもやっとの状態だ。だが、その瞳には、かつてないほどの確かな自信と、誇りが宿っていた。
カツ、カツ、カツ。
ゆっくりと歩み寄ってきた楓が、美羽の前に立ち止まる。
「……どうやら、少しは『視える』ようになったみたいですね、美羽先輩」
「か、楓さん……」
楓は、いつもの氷のような表情を微かに緩め、フッと不敵に笑った。
「合格です、泥棒猫。……持子先輩の隣に立つ資格、確かに証明して見せましたよ」
「っ……!」
その言葉を聞いた瞬間。美羽の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
厳しくて、恐ろしくて、絶対に敵わないと思っていた年下の「師匠」からの、初めての明確な承認。
「う、うぇぇぇぇんっ……! 楓ちゃぁぁぁんっ! 私、怖かったですぅぅぅっ、痛かったですにゃぁぁっ!」
美羽は子供のように泣きじゃくりながら、楓の腰にガバッと抱きついた。
「ちょ、ちょっと美羽先輩! 汚い血と鼻水を私にくっつけないでください! 斬りますよ!」
「嫌ですぅ! いっぱい褒めてくれるまで離れないですにゃぁぁっ!」
パリの地下遺跡に、美羽の泣き声と、楓の困惑した怒声がこだまする。
極東の魔王に忠誠を誓う少女たちは、異国の地で、また一つ確かな高みへと昇ったのであった。




