『茜色のブランコと、魔王の苺大福』
✴︎『茜色のブランコと、魔王の苺大福』
そして、夕暮れ時。
赤く染まった空から、鼓膜を劈くような蝉時雨が降り注いでいた。
ミィン、ミィン、ジジジジジ……。
茹だるような熱気がアスファルトから立ち上る中、恋問持子が最後に向かったのは、帝都の郊外にある、人気のない静かな児童公園だった。
公園の片隅。
古びたブランコに一人ポツンと座り、地面に落ちる自身の長い影を虚ろな目で見つめている少女がいた。
八咫烏の令嬢であり、葉室桐子の妹である葉室鶴子だ。
(……あやつめ。あの地下で、わしを助けるために一族の長老どもを吹き飛ばしたというのに。随分と小さく、今にも消えそうに縮こまっておるな)
持子は、足元の砂利をわざと「ザッ、ザッ」と鳴らしながら、ゆっくりとその背中へと近づいた。
「……鶴子」
低く、落ち着いた声で呼びかける。
「ビクッ!」と、鶴子の華奢な肩が大きく跳ねた。彼女がゆっくりと顔を上げると、いつもは完璧に整えられている美しい黒髪の姫カットは乱れ、その大きな瞳は、見ていて痛々しいほどに真っ赤に泣き腫らされていた。
「……持、子ちゃん……?」
掠れた声。持子は何も言わず、鶴子の隣のブランコにどっかりと腰を下ろした。
キィィィィ……。
錆びた鎖が、持子の体重と規格外の存在感を受け止めて、悲鳴のような重い音を立てる。
しばらくの間、蝉の声だけが二人の間を通り抜けていった。
やがて、鶴子が自身の膝の上で両手をギュッと握り締め、ぽつり、ぽつりと血を吐くように語り始めた。
「……聞いたわ。お姉様が、洋助様と結婚するって」
鶴子の声は、今にも千切れてしまいそうなほど震えていた。
彼女は、大好きな姉・桐子のために、自身の初恋である洋助への想いをずっと心の奥底に封じ込め、身を引こうとしていた。
先の地下での死闘の代償で子供を産めなくなった姉の代わりに、長老たちから「風間家の妻」に指名された時。姉からすべてを奪うことに絶望しながらも、それでも洋助を傍で支える覚悟を決めようとしていたのだ。
しかし、結果として、洋助は組織の決定も未来もすべてを投げ打ってでも、桐子を選んだ。鶴子の入る隙など、一ミリもなかったのだ。
「……わたくし、お姉様が幸せになってくれて、本当に、本当に嬉しいんですの。お姉様は、誰よりも洋助様を深く愛していましたから……。でも……っ」
ポロッ……。
鶴子の大きな瞳から、堪えきれなくなった大粒の涙が零れ落ち、着物の膝を黒く染めた。
「でも、どうしてこんなに悲しいんですの……っ! わたくしだって、洋助様のこと、ずっと、ずっとお慕いしておりましたのに……っ! お姉様が子供を産めないなら、わたくしが代わりに洋助様の奥様になれるって、心のどこかで、ほんの少しだけ期待してしまっていた……そんな醜い自分がいたんですわ……っ!」
「鶴子……」
「わたくしは、最低な妹ですわ……! お姉様の不幸を土台にして、自分の恋を叶えようとしたなんて……っ! 神罰が下ったんです。だからわたくしは、洋助様にも選ばれず、お姉様にも顔向けできず、こうして一人ぼっちで……っ!」
自己嫌悪と失恋の激痛に完全に押し潰され、鶴子は顔を両手で覆った。
「あぁぁっ……うぅぅぅっ……!」と、もはや令嬢としての矜持もかなぐり捨て、小さな子供のように声を上げて泣きじゃくる。
大好きな姉の幸せが喜ばしい反面、自分の淡い初恋が完全に終わってしまった絶望的な悲しみ。感情の行き場がなく、情緒不安定になって完全に心が壊れかけていた。
持子は、そんな鶴子に慰めの言葉をかけるでもなく、ただ黙って、その痛切な叫びを聞いていた。
前世で天下を恐怖で支配した暴君・董卓の魂を持つ彼女にとって、人間の『欲』など当たり前のものであり、否定する気など毛頭なかったからだ。
ガサゴソ……。
不意に、持子は持参していた大きな風呂敷包みを探り始めた。そして、中から一番大きく、一番甘そうな『特大の苺大福』を取り出すと、泣き崩れる鶴子の膝の上に、ポンッと無造作に置いた。
「……え? 持子、ちゃん……?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、鶴子が呆然と大福を見つめる。
「食え。腹が減っていては、悲しみも余計に重く、冷たくなるぞ」
持子は、自身の分の大福を取り出すと、大きな口を開けて「パクリ!」と豪快に平らげた。モグモグと咀嚼しながら、静かに、だが腹の底に響くような力強い声で言い放つ。
「貴様は何も醜くなどない。好きな男の隣に立ちたいと願うのは、女として、いや、人間として当然の欲求であろうが。……ただ、今回は桐子と洋助の『愛』が、貴様の想いよりも少しだけ、物理的にも精神的にも図太かっただけだ」
「図太い……って……」
「そうだ。あいつらは、おのれの寿命だの、一族の長老だの、組織の世間体だの、そういう面倒なものを全部力技でへし折ってくっつきおった。傍迷惑な奴らだ! ……あのような規格外のバカ共を相手に、貴様が一人で『自分が醜い』などと思い悩む必要などないのだ」
持子は「よっこらせ」とブランコから立ち上がると、鶴子の正面に立ち、その白く細い手で、泣き濡れた鶴子の頭をポン、ポンと、少しだけ乱暴に、しかしどこまでも優しく撫でた。
「あの地下で、わしを助けるために一族を裏切ってまで道を切り開いた貴様が、弱いわけがなかろう。……存分に泣け、鶴子。そして、思い切り愚痴をこぼせ。この極黒の魔王が、貴様のそのぐちゃぐちゃな感情を、全部受け止めて聞いてやる」
持子の大きく、温かい手が、鶴子の冷え切っていた心をゆっくりと溶かしていく。
「……そして明日からは、また誇り高き八咫烏の令嬢として、いや、わしの『友』として、堂々と前を向くのだ。よいな?」
その言葉は、まるで絶対的な王の勅命であり、同時に、世界で一番優しい親友からの赦しであった。
鶴子の中で張り詰めていた最後の糸が、プツリと切れた。
「……っ、うぅっ……持子ちゃぁぁんっ……!!」
ガバッ!
鶴子はブランコから身を乗り出し、持子の腰にすがりついて、今日一番の大声で泣き叫んだ。
洋助への叶わなかった恋心。姉への罪悪感。そして、自分だけが置いてけぼりにされたような寂しさ。
そのすべてを涙と嗚咽と共に吐き出し、持子という絶対的な強者の胸に顔を擦り付けた。
「わ、わたくし……本当は、お姉様みたいに洋助様の隣で笑いたかったですわぁぁっ……!」
「うむ、そうか。辛かったな」
持子は、自身の服が鶴子の涙と鼻水で汚れることなど一切気にせず、ただ「むぎゅっ」と力強く、その震える小さな背中を抱きしめ返した。
茜色に染まる公園の空に、蝉の声と、一人の少女の痛切な泣き声が響き渡る。
世界を救うための絶望の戦いは終わった。しかし、彼ら彼女らが抱える個人的な感情の戦いや、新しい人生への一歩は、ここからまた始まっていくのだ。
「……まったく、世話の焼ける友だ」
持子は、泣き疲れて次第にしゃくりあげるだけになっていく鶴子の背中を優しく叩きながら、ふっと柔らかく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
沈みゆく夕陽が、二人の影を長く、一つに重ねて地面に伸ばしていた。
う〜鶴子〜ごめんよ。
こっちが泣けてきた。




