『東京霊脈戦線・後日譚』〜銀ぶらと鬼の考察、そして西日の帰還〜
✴︎『東京霊脈戦線・後日譚』〜銀ぶらと鬼の考察、そして西日の帰還〜
【朝の報せと、三百年の渇望】
夏の帝都に、眩い朝日が降り注いでいた。
三百年間、光を恐れ、地下墓所の暗闇に引きこもっていた吸血鬼の元女王ルージュは今、エティエンヌと共に、ホテルのバルコニーでそのあたたかな陽光を全身に浴びていた。
「……信じられませんわ。本当に、少しも痛くありませんのね」
ルージュは、自分の白い肌に落ちる光の粒を愛おしそうに見つめながら、恍惚とした吐息を漏らした。
「ああ。持子様と、鮎の強大な魂の力が、私がお前に与えた吸血鬼としての呪いを書き換えたのだ」
絶世の金髪美女の姿をしたエティエンヌが、優しく微笑む。
「……ふふっ。なんだか、無性に外を歩きたくなってしまいましたわ。エティエンヌ様、今日一日、わたくしの我儘にお付き合いいただけますか?」
「もちろんさ。夜の帝王と呼ばれた私が、今や極上のエスコートレディだ。どこへでも連れて行こう」
ルージュは嬉しそうに頷くと、持子から買い与えられていたスマートフォンを取り出し、主である本多鮎の連絡先をタップした。
プルルルル……ガチャッ。
『ルージュ!? あんた、今どこにいるんですか! 朝になっても影に戻ってこないから、灰になっちゃったんじゃないかって、私……!』
電話に出るなり、鮎の焦燥しきった声が鼓膜を打つ。主従のパスが繋がっているとはいえ、使い魔が長時間離れていることは、神経質な鮎にとって極度のストレスなのだ。
「ごきげんよう、マスター・鮎。ご心配をおかけして申し訳ありませんわ。……実は、少しエティエンヌ様とお買い物を楽しんでから帰りたいと思いまして」
『お、お買い物ぉ!? あんた吸血鬼でしょ! 日が昇ってるのにどうやって外を歩くんですか! エティエンヌの魔力で保護膜でも張ってもらうつもりですか!?』
「ふふふ、それは秘密に御座います。……今日の夜までには必ず、マスターのお部屋に帰りますわ。ですから、どうかお許しを」
ルージュが甘えるように言うと、電話の向こうで鮎が深いため息をつくのが聞こえた。
『……はぁ。全く、手のかかる使い魔ですね。いいですか、絶対に無茶はしないこと! 私はこれから夜までバラエティ番組の収録ですから、何かあってもすぐには助けに行けませんよ!』
「ええ、重々承知しておりますわ。収録、頑張ってくださいませね」
通話を切り、ルージュはパァッと顔を輝かせた。
「許可は降りましたわ! さあエティエンヌ様、早速参りましょう! 目指すは帝都の心臓部、銀座ですのよ!」
【極上の銀ぶらと、止まらぬ物欲】
午前十時。
世界のハイブランドが軒を連ねる銀座の中央通りに、二人の規格外の美女が降り立った。
一人は、月光のようなプラチナブロンドの髪を揺らす、185センチの長身美女エティエンヌ。
もう一人は、燃えるような真紅の髪と瞳を持つ、気高くも愛らしい美女ルージュ。
「ざわっ……」
「な、なんだあの外国人モデル……信じられないくらい綺麗だぞ……」
すれ違う人々が次々と振り返り、感嘆の声を漏らすが、二人は全く気にする様子もなく、優雅な足取りで高級ブティックへと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ……! ひっ、お客様、なんという素晴らしいプロポーション……!」
熟練の店員ですら言葉を失う中、ルージュの三百年間溜め込んでいた「物欲」が、ついに大爆発を起こした。
「これも、これも、あれも! あとそちらの棚の端から端まで、すべて試着させていただきますわ!」
ルージュは、次々と最新のコレクションを指差していく。
地下墓所で過ごしていた三百年間、彼女は自分の足で買い物に出かけることなど一度もできなかった。常に下僕に買いに行かせるか、時代遅れのドレスを直して着るしかなかったのだ。
「ああっ……! 自分で洋服を選んで、試着室の鏡で合わせる……なんて素晴らしい人間の文化なのでしょう! これが『ショッピング』というものに御座いますのね!」
ルージュは、純白のサマードレスから、シックな黒のセットアップ、果てはカジュアルなデニムスタイルまで、あらゆる服を着こなしてみせた。
「エティエンヌ様、どうかしら?」
「ああ、どれも最高に似合っているよ、ヴィクトリア。店員さん、今彼女が着たもの、サイズ違いも含めてすべて貰おう」
エティエンヌは、リュクス・アンペリアルの無限の限度額を持つブラックカードを、涼しい顔で店員に差し出した。
「わたくしばかりでは不公平ですわ! エティエンヌ様も、これを着てご覧なさい!」
ルージュは、今度はエティエンヌを試着室へと押し込んだ。
元・夜の王子であるエティエンヌの肉体は、持子の趣味によって「完璧なプロポーションの女」へと作り変えられている。どんな服を着ても、パリコレのトップモデル以上の着こなしを見せてしまうのだ。
「ふむ……」
大胆に背中が開いた真紅のイブニングドレスを着て、少し照れくさそうに頬を掻くエティエンヌ。
「まあっ! すっごくお綺麗ですわ! さすがはわたくしが見込んだ方ですの! これも買いますわよ、エティエンヌ様のカードで!」
服だけでは飽き足らず、二人はそのまま高級ジュエラーへと流れ込み、ダイヤモンドのネックレスやサファイアの指輪を次々と買い漁った。
「太陽の光の下で輝く宝石……。こんなにも美しいものだったのですね」
ルージュは、ショーケースに並ぶ宝石たちを、まるで夢でも見ているかのような潤んだ瞳で見つめていた。
【イタリアンランチと、鬼の考察】
両手に入りきらないほどのブランド品の紙袋(それらはすべて、後で密かに影の中へと収納された)を抱え、二人は銀座の超高級イタリアンレストランで遅めの昼食をとることにした。
「ボーノ! この『うにのくりーむぱすた』という料理、絶品ですわ!」
ルージュは、フォークに巻きつけたパスタを幸せそうに頬張る。
エティエンヌもまた、極上の仔牛のローストに舌鼓を打っていた。
「本当に。持子様から魔力をいただいたおかげで、人間の食事がこんなにも美味しく感じられるとは……。五百年の人生で、最も価値のある敗北だったよ」
ワイングラスを傾けながら、二人は人間の文化の素晴らしさについて語り合った。
「さあ、お腹も満たされたことですし、次は『映画』を見てみたいですわ! マスター・鮎が、最近『きめつのやいば』という映画が素晴らしいと言っていましたの!」
「ほう。極東の映像芸術か。それは興味深いな」
午後二時。二人は銀座の大型シネマコンプレックスのVIP席に座り、巨大なスクリーンを見上げていた。
映画の題材は、奇しくも『鬼』。
太陽の光を浴びれば灰となって消滅する、人間の血肉を喰らう哀しき化け物たちの物語だった。
映画が終わり、エンドロールが流れる中、二人は深い沈黙に包まれていた。
カフェに移動し、エスプレッソを飲みながら、エティエンヌが静かに口を開いた。
「……恐ろしいほどに、我々吸血鬼の生態と酷似していたな。太陽の光を恐れ、夜の闇に隠れ、永遠の命と引き換えに人間を喰らう……」
「ええ。あの『鬼舞辻無惨』という鬼の始祖……彼の、太陽を克服し、完璧な存在になりたいという異常なまでの執着は、かつてのエティエンヌ様に少し似ておりましたわね」
ルージュの指摘に、エティエンヌは苦笑して肩をすくめた。
「否定はしない。私も五百年間、あらゆる魔術と秘薬を研究し、太陽の呪いから逃れようと必死だったからね。……しかし、あの映画に出てくる『鬼殺隊』という人間たちは、どうだ」
エティエンヌの真紅の瞳に、深い畏敬の念が宿る。
「永遠の命も、圧倒的な再生能力もない、ただの脆い人間たち。それが、己の命を燃やし尽くし、ただ『誰かを護るため』だけに、あの化け物たちに立ち向かっていく。……彼らの姿に、私はあの地下での戦いを思い出してしまったよ」
「風間洋助殿や、葉室桐子殿……そして、マスター・鮎や美羽殿たちのことですね」
ルージュも、神妙な面持ちで頷いた。
「ええ。人間は脆い。だが、愛する者を護ろうとするその魂の輝きは、いかなる不死の化け物よりも強靭で、美しい。……持子様が私たちをねじ伏せたのも、きっとその『人間の魂の力』なのだろうね」
エティエンヌは、自分の手を見つめながら静かに言った。
「あの映画の鬼たちは、最後まで太陽を克服できず、暗闇の中で悲しい最期を遂げた。……だが、私たちは違う」
エティエンヌはルージュに微笑みかけた。
「私たちは、持子様や鮎という強大な人間の魂に触れ、愛を知ることで……今日、太陽の光を克服することができた。……私たちは、本当に幸運な、救われた化け物だよ」
「……はい。本当に、その通りですわ」
ルージュは、胸の奥が熱くなるのを感じながら、深く、深く頷いた。
【西日の帰還と、主従の絆】
夕方。
街が茜色に染まり始めた頃、エティエンヌとルージュは銀座の交差点で別れを告げた。
「今日は本当に、夢のように素晴らしい一日でしたわ。エティエンヌ様、ありがとうございます」
「私も楽しかったよ、ヴィクトリア。またいつでも、エスコートさせてくれ。……さあ、愛しい主の元へ帰りなさい」
エティエンヌと別れたルージュは、再びスマートフォンを取り出した。
『あ、ルージュ! 今バラエティの収録が終わったところです! すぐに車で迎えに行きますから、どこかの日陰で大人しくしていてください!』
電話に出た鮎の声は、やはり過保護な母親のように焦っていた。
「ふふっ、大丈夫ですわマスター。わたくし、もうマスターのマンションの近くまで来ておりますの。夜になったら影に戻りますから、お部屋で待っていてくださる?」
『えっ? ま、まあ、マンションのロビーなら日は当たらないでしょうけど……わかりました、すぐに帰ります!』
午後六時。
帝都の超高級マンションの最上階。
ガチャリ、と重厚な扉を開け、鮎が急ぎ足でリビングへと飛び込んできた。
「ルージュ! 帰りましたよ! 大丈夫ですか、どこも火傷したりしてませんか!?」
鮎は、使い魔の身を案じるあまり、息を切らして部屋の中を見渡した。
「お帰りなさいませ、マスター・鮎」
リビングの奥。
大きな窓から、強烈な西日が真っ赤に差し込むその場所に。
ルージュは、堂々と立っていた。
「……え?」
鮎の足が、ピタリと止まる。
「る、ルージュ……? アンタ、なんでそんな窓のそばに……! 早くカーテンを閉めなさい! まだ日が沈みきってないんですよ! 灰になっちゃう……ッ!」
鮎が慌てて駆け寄ろうとした、その時。
ルージュは、西日を全身に浴びながら、くるりと優雅にターンをして見せた。
「マスター。よく見てくださいませ」
「……っ!」
鮎は、息を呑んだ。
ルージュの真っ白な肌は、強烈な西日を浴びても、煙一つ上げていない。火傷を負うどころか、その肌は夕陽を反射して、生命力に満ちた美しい輝きを放っていたのだ。
「ルージュ……アンタ、太陽の光が……平気なの?」
鮎は信じられないものを見るように、震える手でルージュの頬に触れた。
あたたかい。かつての死人のような冷たさではなく、生きている人間のような、柔らかな温もりがそこにあった。
「ふふふっ……」
ルージュは、鮎の手を自身の両手で包み込み、満面の笑みで答えた。
「これもすべて、マスター・鮎のお陰に御座いますのよ」
「私、の……?」
「ええ。マスターが、毎日わたくしに惜しみなく、あたたかくて力強い生気を分け与えてくださったから。マスターのその強靭な魂の力が、わたくしの吸血鬼としての呪いすらも、完全に書き換えてしまったのですわ」
ルージュは、大粒の涙をポロポロとこぼしながら、鮎の胸に飛び込んだ。
「三百年間……ずっと、太陽の光が恐ろしかった。地下の暗闇で、一人で震えておりました。……でも、もう恐くありません。マスターが、わたくしに光の世界を……人間のあたたかい世界を、見せてくださったのですから!」
「ルージュ……」
鮎も、目頭を熱くさせながら、自分の使い魔の背中を力強く抱きしめ返した。
「……バカですね。アンタが私の影(下僕)になった時から、アンタの命は私のものなんですよ。太陽ごときに、私の大切な使い魔を焼き殺させてたまるもんですか」
インテリで嫉妬深い第一下僕の、ぶっきらぼうだが、誰よりも深い愛情。
ルージュは、鮎の腕の中で、幸せそうに泣きじゃくった。
「ぐすっ……あっ、そうですわ! マスター、見てくださいませ!」
ひとしきり泣いた後、ルージュはパッと顔を上げ、自身の服装をアピールするように両手を広げた。
それは、銀座の高級ブティックでエティエンヌに買ってもらった、最新コレクションのシックな黒のセットアップ。そして、首元には最高級のダイヤモンドのネックレスが輝いている。
「今日、エティエンヌ様に買ってもらったんですの! どうかしら、似合っております?」
「……は?」
鮎の表情が、感動の涙から一瞬にして「真顔」へと急降下した。
「ちょっと待ちなさい。……その服、シャ○ルの最新作ですよね? 首のネックレスも、ハリー・ウィ○ストン……。全部でいくらしたんですか」
「えっと……一千三百万円くらいかしら? エティエンヌ様のブラックカードで買いましたから、よく覚えておりませんわ!」
ルージュが屈託なく笑う。
「あの変態吸血鬼……ッ! 私の使い魔に、勝手に貢いでんじゃないわよ!」
鮎の貧乏性(元々は堅実な家庭育ち)と、ライバル下僕への対抗心が大爆発を起こす。
「いいですかルージュ! アンタのマスターはこの私です! 欲しい服があるなら、私がタレントのギャラで買ってあげますから、二度とあいつのカードを使わないでください!」
「ええ〜っ!? マスター、最近、雪社長にギャラ没収されて金欠だと言っていたではありませんか!」
「うるさいうるさい! 私のプライドの問題ですぅッ!」
西日が差し込むリビングで、主従の微笑ましい(そして騒がしい)口論が響き渡る。
三百年の闇から解放された吸血鬼の元女王と、彼女を光の世界へと引っ張り上げたインテリな忠犬。
太陽の光に祝福された彼女たちのあたたかな日常は、これからも賑やかに、そしてどこまでも深く結びついていくのであった。




