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『東京霊脈戦線・後日譚』〜真紅の夜想曲と、朝日の奇跡〜

✴︎『東京霊脈戦線・後日譚』〜真紅の夜想曲と、朝日の奇跡〜


【焼肉の宴の後で】


極上焼肉店での凄まじい肉の宴は、極黒の魔王のブラックホールのような胃袋をひとまず満たし、大団円のうちに幕を閉じた。


「ふはは! 食った食った! 道産牛の脂は最高だぞ!」


店を出た恋問持子は、満足げにぽんぽんと腹を叩いた。その顔に疲労の色は全くなく、むしろ摂取した莫大なカロリーを魔力で圧縮する『質量操作』によって、さらなる覇気をみなぎらせている。


「持子様、お疲れ様ですぅ。私はそろそろ家族の元へ帰るですにゃ」


美羽が、名残惜しそうに持子の袖を引いた。元アイドルの彼女も、普段は一人の女子高生としての生活がある。


「うむ、大儀であった美羽! また明日な!」


「はいっ! 持子様もゆっくり休んでくださいね!」


美羽が手を振って夜の街へと消えていくのを見送った後、持子はギラギラとした黄金の瞳を輝かせた。


「よし! わしも帰るぞ! 今夜は『三國志8 REMAKE パワーアップキット』を徹夜でプレイせねばならんからな! 今回こそ、わし(董卓)を裏切ったあの不忠者どもを根絶やしにしてくれるわ!!」


持子は、自身の前世である暴君・董卓に感情移入し、画面に向かって本気で激怒するという極めて俗物的な趣味を持っている。


「ああっ、持子様! 私もぜひ、その天下統一の覇道をご一緒させてください! ご主人様のお傍で、コントローラーの充電係でも何でもいたします!」


鮎がすかさず食い下がるが、持子はピシャリと手を突き出した。


「不要だ! わしは一人で歴史のIFに没頭したいのだ! 鮎は自分の家に帰れ、明日もタレントの仕事が入っているだろう!」


「そ、そんなぁぁぁッ!! ご主人様ぁぁぁッ!!」


無惨にも同行を断られ、アスファルトに膝をついて泣き崩れるインテリ忠犬。

そんな鮎の背中に、スゥッ……と優雅な足取りで近づく者がいた。

絶世の金髪美女の姿をした真祖の吸血鬼、エティエンヌだ。


「……鮎。持子様が一人になりたいと仰っているのだから、今日は諦めなさい」


「ぐすっ……分かってますよぉ……」


「その代わりと言ってはなんだが……今夜、ルージュを私に貸してはくれないだろうか?」


「……へ?」


涙目で振り返る鮎に、エティエンヌは真紅の瞳を柔らかく細めた。


「かつての妻と、積もる話をしたいのだ」


鮎の足元の影から、ドロリと黒い影が波打ち、ルージュが顔を出した。


『……エティエンヌ様。わたくし、今夜はマスター・鮎の影のベッドで優雅に眠りたい気分にございますけれど』


「そう言わずに、付き合ってくれ。美味い酒も用意させる」


ルージュは少しだけ不満げに唇を尖らせたが、かつての夫のどこか寂しげな瞳を見て、小さくため息をついた。


『……はぁ。仕方がありませんわね。一晩だけ、お付き合いして差し上げますわ』


「……まあ、持子様に振られた私を慰めてくれるわけでもないなら、別にいいですよ。ルージュ、明日の朝にはちゃんと私の影に戻ってきなさいよ」


鮎は渋々了承し、とぼとぼと一人で帰路についた。


【超高級ホテルの晩餐と、絶対的な王の器】


帝都の夜景を一望する、超外資系ホテルの最高級スイートルーム。

分厚い絨毯が敷き詰められたリビングのテーブルには、ルームサービスで運ばれてきた極上の料理が並べられていた。


「さあ、遠慮なく食べてくれ、ヴィクトリア(ルージュ)」


エティエンヌ(♀)は、シルクのガウンを身に纏い、ワイングラスを傾けながら微笑んだ。彼女自身の前には、彩り鮮やかなサラダとフルーツ、そして少量のチーズといった軽食しか並んでいない。

対するルージュの席には――。


「いただきますわ!」

ゴクリ、と喉を鳴らし、ルージュは目の前に置かれた『特製・濃厚ビーフシチュー』と『A5ランク黒毛和牛の厚切りステーキ(300g)』に、猛然とナイフとフォークを突き立てていた。

サクッ、ジュワァァァッ!


「ん〜っ! この脂の甘みと、赤身の旨味のハーモニー! 堪りませんわぁ! さすがは日本の和牛ですの!」


ルージュは顔を綻ばせ、次々と分厚い肉の塊を胃袋へと収めていく。


「……お前、本当にそれだけの量を食べられるのか?」


エティエンヌは、信じられないという顔で目を丸くした。

吸血鬼にとって、人間の食事は砂を噛むようなものだ。味などしないし、身体も受け付けないはずである。自身も、持子から莫大な魔力を分け与えられたことで味覚は取り戻したが、それでも肉体を維持するための食事量はごく僅かで済む。

ルージュは、口元のソースをナプキンで優雅に拭うと、不敵な笑みを浮かべた。


「ふふっ。驚くのも無理は御座いませんわね。ですが、今のわたくしはマスター・鮎と『魔力のパス』で深く繋がっておりますの。鮎から流れ込む、若く力強い人間の生気オドのおかげで、こうして人間の食事も美味しく、そして大量に消化できる身体へと変異したのですわ」


「……なるほど。生体バッテリーである鮎の魔力か」


エティエンヌは感心したように頷き、自身のワインを一口飲んだ。


「それにしても……」


エティエンヌは、窓の外に広がる帝都の光の海を見つめながら、ポツリと漏らした。


「まさか、この私が……五百年間、夜の支配者として君臨してきた真祖の私が、ただの人間の下僕になるとは、思いもしなかったよ」


「ええ、本当に。わたくしも驚きましたわ」


ルージュはステーキを飲み込み、真剣な表情でエティエンヌを見つめ返した。


「元旦那様である貴方は、真祖の吸血鬼としても、そしてヨーロッパの貴族としても、誰よりもプライドが高かった。その貴方が、女の身体になってまで持子様の下僕になるなど……。ですが、それ以上に驚くべきは、恋問持子という存在の『器』の底知れなさですわ」


ルージュは、フォークを持ったまま言葉に熱を込めた。


「主従の契約というものは、いくら双方の同意があろうとも、下僕側となる者のレベルが主君を遥かに凌駕していれば、魂の格が違いすぎて『魔力のパス』は繋がらないはず。……それが、真祖である貴方と、完全にパスが繋がっている。つまり、持子様の魂の格は、すでに真祖の吸血鬼と同等、あるいはそれ以上ということですのよ」


「ああ、その通りだ」


エティエンヌも深く頷いた。


「正直に言おう。南仏の私の城での戦い……あの時、魔力量や身体能力といった純粋な『力』の面では、まだ私の方が上だった。持子様は魔力が完全に枯渇し、立ち上がることもできない状態だったからね」


エティエンヌは、自身の胸の奥、かつて聖剣に貫かれた場所をそっと撫でた。


「持子様が私に勝てたのは、最後の最後で、私が油断して持子様の『髪の毛』を掴んでしまったのが敗因だ。あの絶体絶命の状態から、敵の力と重心を完全に利用して私を投げ飛ばした、あの『合気武道』の神技。そして何より……死の淵にあっても絶対に折れない、あの恐るべき『心の強さ』」


エティエンヌの真紅の瞳に、熱を帯びた狂信の光が宿る。


「あの強靭な魂の輝きに、私は完全に心を奪われた。力でねじ伏せられたのではない。魂の格の違いで、私は彼女に平伏したのだ」


「……ふふっ。本当に、すっかり持子様に骨抜きにされてしまいましたのね」


ルージュは呆れたように笑いながらも、その瞳にはどこか安堵の色が浮かんでいた。


【追憶の宴と、変わらぬ絆】


「さあ、ヴィクトリア。私の話はこれくらいにしよう」


エティエンヌはワインボトルを手に取り、ルージュのグラスに注ぎ足した。


「聞かせてくれないか。お前が東京に渡ってから、持子様たちがどのような戦いを潜り抜けてきたのか。持子様の成長、鮎や美羽の活躍、そして……お前自身のことも」


「あら、わたくしの武勇伝を聞きたいと? 長くなりますわよ!」


ルージュは嬉しそうに目を輝かせ、ビーフシチューを一口食べると、身振り手振りを交えて語り始めた。


「わたくしが持子様たちに屈服させられ、マスター・鮎の影に潜むようになってから、本当に色々なことがありましたの! まずはあの地下迷宮カタコンベ! わたくしが時間の歪んだ空間の正解ルートを導き出し、純度100%の『魔石』を精製して皆様の魔力を全回復させたのですわ!」


「おお、それは見事な働きだ。さすがは私の妻だった女だ」


エティエンヌが感心して頷く。


「それから、最深部での洗脳された持子様との悲しい戦い……。わたくし、破壊神となった持子様を止めるために、自身の右胸に爪を突き立てて真祖の血を直接引きずり出し、『血の茨・絶対拘束』を放ったのですのよ! あの時のわたくしの自己犠牲たるや、涙なしには語れませんわ!」


「なんと……あの持子様を拘束するとは、お前も随分と無茶をしたものだな。痛かっただろう?」


「ええ、もう死ぬかと思いましたわ! ですが、マスター・鮎が両腕の骨を折られながらも持子様の盾になっている姿を見たら、わたくしも退くわけにはいきませんでしたの」


ルージュはワインをあおり、少し頬を赤く染めながら話を続ける。


「マスター・鮎は、普段は嫉妬深くて面倒くさいインテリですけれど、持子様への忠誠心だけは本物ですわ。……美羽殿もそうです。あの狂気じみたヤンデレの泥棒猫が、持子様を正気に戻すために、真っ先に短刀で斬りかかっていったのですから」


「ふふっ、本当に面白い娘たちだ」


「ええ、本当に! それに持子様は、最後にあの恐ろしい御影の呪いを、自らの魂ごと喰らい尽くして救済してしまわれたのです! あの時の持子様の、極黒の翼を広げた神々しいお姿……思い出すだけでも震えますわ!」


話はいつしか東京霊脈戦線の激闘から脱線し、鮎の面倒くさい生態や、持子の常軌を逸した食欲、雪の恐ろしいお説教の数々へと移っていった。


「それでですね、持子様ったら、分数の計算ができないからって『分母というおぞましい呪詛を使うな!』って本気で激怒するんですのよ!?」


「あはははっ! それは傑作だ! あの魔王が算数に敗北するとは!」


最高級のスイートルームに、元夫婦の楽しげな笑い声が響き渡る。

三百年の愛憎とすれ違いを経て、吸血鬼の真祖と元女王は、美味しい食事と酒を交わしながら、まるで旧知の親友のように穏やかな時間を共有していた。


【夜明けの帰路と、真紅の愛情】


楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、時計の針は午前四時を回っていた。

夏の東京の朝は早い。窓の外は、すでにうっすらと白み始めている。


「……そろそろ、お開きの時間だね」


エティエンヌが、空になったワイントラスを置いて立ち上がった。


「まだまだ話したいことは山ほどあるが、日光に弱いお前を、日が昇る前に鮎の元へ送り届けねばならない」


「……ええ。名残惜しいですけれど、仕方がありませんわね」


ルージュも立ち上がり、衣服を整えた。

二人はホテルを出て、まだ人影の少ない帝都の街を並んで歩いた。

夏の早朝の、少し湿気を帯びた涼しい風が、二人の頬を撫でる。


「……エティエンヌ」


ルージュが、前を歩くエティエンヌの美しい背中を見つめながら、ポツリと呟いた。


「貴方、本当に……身も心も、変わってしまったのね。かつての冷酷で高慢だった夜の王の面影は、もうどこにもありませんわ」


その言葉に、エティエンヌは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

その絶世の美貌には、底知れぬほど深く、あたたかい微笑みが浮かんでいた。


「……そうだね。私は変わった。男としての誇りも、真祖としての孤独も、すべて持子様に砕かれ、そして救われた」


エティエンヌは、一歩ルージュに近づき、その細い肩にそっと手を置いた。


「だが、今の私は……これまでの五百年の人生の中で、最高に幸せだ」


「幸せ、ですか?」


「ああ。持子様を、魂の底から愛している。そして、先輩下僕である鮎様、美羽様を愛している。あたたかな家族に囲まれ、私は今、とても満たされているのだ」


エティエンヌは、真紅の瞳を細め、ルージュの顔を真っ直ぐに見つめた。


「それに、ヴィクトリア……ルージュ。私は、お前のことも……もちろん、愛しているよ」


「っ……!」


ルージュは顔を真っ赤にして、バシッとエティエンヌの腕を振り払った。


「ひ、ひどいですわ! それって、わたくしは四番目ということですの!?」


「いや、持子様の次だ。お前は二番目だ」


「ふふっ……前にも言いましたけれど、そういう時は嘘でも『お前が一番だ』と言うところですのよ? 本当に、不器用な方」


ルージュは呆れたようにため息をついたが、その口元は嬉しそうに綻んでいた。


「でも……そんな、バカみたいに正直になった貴方が……わたくしは、とても可愛いと思いますわ」


「ヴィクトリア……」


エティエンヌは、ルージュの腰を抱き寄せると、その赤い唇に、自身の唇をそっと重ね合わせた。


「んっ……」


甘く、優しい、元夫婦の口づけ。

ルージュも目を閉じ、喜んでエティエンヌの背中に腕を回し、強く抱きしめ返した。

触れ合う肌から互いの熱が伝わり、二人の白磁の頬が、ほんのりと桜色に染まる。


【朝日の奇跡と、進化の証】


唇を離すと、エティエンヌはルージュの頬を撫でながら、真剣な眼差しで空を見上げた。


「……ルージュ。私は最近、思うのだ。我々は、吸血鬼という種族を超えて、新しい何かに『進化』したのかもしれない、と」


「進化、ですの?」


「ああ。私は持子様とパスを繋ぎ、その極黒の魔力を受け入れた。そしてお前も、鮎からの生気を大量に受け取り、人間の食事すら消化できる身体になった。……よく見てみろ、お前のその肌の色を」


エティエンヌに言われ、ルージュは自身の手のひらを見つめた。

かつては死人のように青白かった肌が、今は血の巡りを感じさせるような、生命力に満ちた健康的な白さへと変化している。吸血鬼特有の、あの冷たい肌質ではないのだ。


「……本当に。わたくしの身体、確かに強く変化しているような気がしますわ」


その時だった。

ビルの隙間から、黄金色に輝く太陽が、ゆっくりと顔を出し始めた。

夏の強烈な朝日が、帝都の街を照らし出す。


「あっ……朝日が!」


ルージュは反射的に身をすくませ、エティエンヌの足元の影へと逃げ込もうとした。

吸血鬼にとって、太陽の光は肉体を焼き尽くす猛毒。直射日光を浴びれば、瞬く間に灰となってしまう。

だが。


「……え?」


ルージュの動きが止まった。

彼女の肩に、真っ直ぐに朝日が降り注いでいる。

しかし――苦しくない。

肉体が焼けるような、あの忌まわしい激痛が、全く感じられないのだ。


「ルージュ……そのまま、光を浴びてみろ」


エティエンヌが、静かに促す。

ルージュは恐る恐る顔を上げ、眩い太陽の光を全身に受けた。


パァァァァァッ……。


「あ……ああぁっ……!」


ルージュの深紅の瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出した。

痛くない。

それどころか、細胞の隅々まで染み渡るような、圧倒的な『あたたかさ』が彼女を包み込んだのだ。


「あたたかい……。太陽の光が、こんなにも、優しいなんて……っ!」


三百年間、地下墓所の暗闇で生きてきた元女王が、初めて知る陽だまりの温もり。

エティエンヌは、長い年月と独自の魔術研究の果てに、ようやく日光を克服した。しかし、それは特例中の特例であり、本来、純血の真祖ですらないルージュに太陽の克服など絶対に不可能だった。

だが、今、奇跡が起きたのだ。


持子と、鮎。

人間たちの強大で純粋な魂(魔力)と深く繋がり、愛を知り、心が変容したことで、吸血鬼としての呪いすらも書き換えられたのである。


「エティエンヌ様……っ!」


ルージュは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、エティエンヌの胸に力強く飛び込み、その首に腕を回して強く抱きしめた。


「たしかに……貴方の言う通り、変わったみたいですわね。わたくしたち……」


朝の光の中、ルージュはエティエンヌの胸の中で、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべた。


「わたくし……今、とっても、とっても幸せですわ……!」


「……ああ。私もだ、ルージュ」


エティエンヌも、愛しいかつての妻の背中を抱きしめ、黄金色に輝く夏の空を見上げた。

血塗られた過去も、長い孤独も、すべてはあの極黒の魔王に出会うための布石だった。

太陽の下を歩ける歓びを胸に、二人の美しき吸血鬼は、新しい朝の光に包まれながら、いつまでも静かに抱きしめ合っていた。


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