『極黒の魔王、氷川神社で巫女になる』
✴︎『極黒の魔王、氷川神社で巫女になる』
午後。うだるような真夏の太陽がジリジリとアスファルトを焼き、境内の木々から鼓膜を揺るがすほどの蝉時雨が降り注ぐ、赤坂・氷川神社。
民間霊的組織【TIA】の本部でもあるこの神聖な場所に、極黒の魔王・恋問持子は、両腕に抱えきれないほどの高級メロンの桐箱と老舗の羊羹セットを抱えて堂々と乗り込んでいた。
「たのもーっ! 風間の翁はおるか! 楓! 高子! 遊びに来てやったぞ!」
持子が社務所の奥にある風間家の居間へ声を張ると、ドタドタドタッ!という足音と共に、白髭を蓄えたTIAのトップ・風間助平がすっ飛んできた。その後ろから、涼しげな部屋着姿の妹・高子と、いつものように冷徹な美貌を崩さない巫女の楓が姿を見せる。
「おおおお! 持子君ではないか! よくぞ来てくれたのう!」
「……先輩。こんな暑い中、わざわざどうしたんですか」
「持子さん、いらっしゃい。冷たい麦茶、淹れるわね」
持子はドサリと縁側に高級メロンと和菓子の山を置い
た。
「ふはははは! 今回の地下での戦いでは、貴様ら風間一家には大層世話になったからな! 雪から預かったお礼の品だ、存分に食うが良い!」
「おお、これは見事な特秀品のマスクメロン……! 雪の奴め、相変わらず気前が良いのう」
助平はメロンの桐箱を撫でながら目を細めたが、すぐにそのスケベな本性をギラリと剥き出しにし、持子の前にジリジリと歩み寄った。
「じゃがな、持子君。ワシにとって、メロンなど所詮はただの果物じゃ。そんなものよりも、もっと……もっと価値のある、極上の『お礼』を頂きたいのじゃが」
「む? 極上のお礼だと?」
「カカカッ! そうじゃ! その神が創り賜うた絶世の美貌と黄金比のプロポーションを、ワシのディレクションで存分に『撮影』させてくれんかのう!!」
助平の鼻息の荒い要求に、楓がピキッと青筋を立てた。
「……お爺様。セクハラでTIAの通信回線を物理的に切断しますよ」
「待て待て、楓! ワシは純粋な芸術への探求心からじゃ! なあ持子君! 頼む、この通りじゃ! 最高の衣装も用意してあるんじゃ!」
助平が土下座の勢いで懇願すると、持子は「ふむ」と腕を組んで傲岸不遜に笑い飛ばした。
「ふはははははっ! なるほど、わしの宇宙一の美しさを後世に記録として残したいということだな! 良いだろう、その願い、この魔王が快く叶えてやろうではないか!」
「おおおおおっ! さすが持子君、話が分かる!」
「……先輩。お爺様の趣味に付き合う必要なんてないんですよ?」
「よいよい! 恩返しであるからな! さあ、衣装とやらを持ってこい!」
数分後。
氷川神社の静寂な神苑にて、カオス極まりない「極黒の魔王・夏の特別撮影会」が幕を開けた。
助平が用意した衣装とは、なんと丈を少し短くアレンジされた(しかも生地が微妙に薄い)『特製の巫女服』であった。神を祀る神社において、完全に罰当たりなコスプレである。
「うむ! なかなか涼しくて動きやすいではないか!」
白衣と緋袴に身を包んだ持子が、長い黒髪を夏の風に揺らしながら、黄金の瞳で不敵に微笑む。その神々しさと妖艶さが入り混じった圧倒的な被写体力を前に、助平は「おおお……美の暴力じゃ……!」と感涙に咽び泣いていた。
「さあ楓! ワシの代わりに、その愛機で最高の持子君を撮るのじゃ!」
「……はぁ。神聖な巫女服をこんな風に使うなんて、罰当たりにも程が……」
文句を言いながらも、楓は首から下げた愛機であるフルサイズデジタル一眼レフカメラ『PENTAX K-1 Mark II』を構えた。ファインダー越しに持子の姿を捉えた瞬間――修羅の巫女の瞳に、プロのカメラマン顔負けのガチの光が宿った。
「……先輩。もう少し顎を引いて。目線はレンズじゃなくて、私の少し右の虚空を見つめるように。……そうです、そのまま」
カシャッ! カシャカシャカシャッ!!
「高子! 右斜め上からの光が足りません! ドローンでレフ板の角度をあと5度下げて!」
「了解。メインシステムからドローンのAI制御をマニュアルに切り替えるわ。……これでどう?」
「完璧です! ……先輩、次は縁側に座って、少し気怠そうに足を崩してください。ああ、素晴らしい……」
カシャカシャカシャカシャッ!!
「おい楓! 貴様、やけに手際が良いな! テンション上がっておらんか!?」
持子がツッコミを入れるが、楓は重厚なシャッター音を鳴らし続けながら、心の中で(このデータは後で厳重にロックをかけて私だけの秘密のフォルダに永久保存します……!)と熱く誓っていた。罰当たりの撮影会は、天才ハッカーである高子のドローン照明支援も加わり、1時間近くぶっ通しで行われた。
* * *
✴︎『極黒の魔王、氷川神社で巫女になる』(縁側での甘いお茶会編)
* * *
「ふはぁ〜っ! 疲れたが、なかなか面白かったぞ!」
罰当たりな撮影会を終え、いつもの私服に着替えた持子は、風間家の縁側でドカッと胡座をかき、キンキンに冷えた麦茶を喉の奥へ流し込んだ。
隣には、カメラのプレビュー画面を見てホクホク顔の楓と、タブレットを操作する高子が座っている。助平は「今日のデータだけで寿命が百年延びたわい……」と燃え尽きて奥の部屋で幸せそうに気絶していた。
風鈴のチリン、という涼しげな音が蝉時雨に混じって響く。
持子はふと、空になったグラスを置き、隣に座る凛とした黒髪の巫女――風間楓の横顔をじっと見つめた。
「……楓」
「なんですか、先輩」
「地下の最深部では……世話になったな。雪の形代を使って、わしを正気に戻してくれた。……ありがとう」
普段の尊大な態度は鳴りを潜め、持子は真っ直ぐに感謝の言葉を紡いだ。楓はカメラから顔を上げ、少し驚いたように目を瞬かせる。
持子はそわそわと視線を彷徨わせた後、意を決したように両腕を少し広げた。
「あのな、楓。……わしは、その、貴様を抱きしめたい。友として、駄目か……?」
恐る恐る尋ねる魔王の姿に、楓は「はぁ……」と深いため息を吐いた。
しかし、その冷徹なはずの瞳の奥には、隠しきれない柔らかな光が宿っていた。
「……鮎さんや美羽さんみたいに、発情したら殺しますよ」
「ふ、ふはは! わしがそんな変態なわけがなかろう!」
楓はくすりと小さく笑うと、呆れたように、けれどとても優しく、持子の大きな身体をそっと抱きしめ返した。
「……本当に、帰って来れて良かったです。おかえりなさい、持子先輩」
「あ、ああ……! ただいま戻ったぞ、楓!」
持子はたまらず、細い楓の背中を『ぎゅーっ』と力強く、壊さないように抱きしめた。
(……全く、この楓という女には、わしは一生頭が上がらんのだろうな)
持子は内心で独り言ちる。
なぜこの少女は、命を懸けてまで何度もわしを救ってくれるのか。
狂信的な鮎や、依存してくる美羽のような『愛の下僕』ではない。絶対的な母である雪とも違う。年齢は楓の方が下のはずなのに、時に持子を厳しく叱り、悪さをすれば正そうとする、まるで『厳格な姉』のような存在だ。
「……楓、お前と出会えて良かった」
柄にもなく、素直な言葉が口をついて出た。
楓は何も言わなかった。ただ、持子の背中に回した手に少しだけ力を込め、静かに、温かく抱きしめ続けてくれた。
「コホン。……持子さん、私もいるんですけど?」
「おわっ!? た、高子!」
少しだけ甘い空気を遮るように、高子がお盆を持って縁側へやって来た。その上には、綺麗に切り揃えられた手作りのミックスサンドイッチが山盛りに乗っている。
「高子、わしは貴様にも礼を言わねばならん! 迷宮でのナビゲート、本当に助かった。ありがとうな!」
「ふふ、どういたしまして。それより、これ私が作ったの。持子さん、食べてみて?」
「おおお! 飯か!! 食うぞ!!」
先ほどのしんみりした空気はどこへやら、持子はブラックホールのような胃袋の要求に従い、サンドイッチを鷲掴みにして大きな口を開けた。パクッ、モグモグモグ!
「むんっ!! 美味いぞ高子! 卵の塩加減が絶妙ではないか!」
「よかったぁ……。最近、少しずつ料理を覚えようとしてるの。だから、よかったらこれからも遊びに来て、私の料理を食べてね」
高子は嬉しそうに微笑み、モグモグと幸せそうに頬張る持子の顔を愛おしそうに見つめた。
「私、持子さんが美味しそうに食べてる姿、すごく綺麗で好きなの」
「んぐっ? わ、わしを好きと言ってくれるのか?」
突然のストレートな好意に、持子はサンドイッチを咀嚼したまま目を丸くした。高子は「うん!」と満面の笑みで頷く。
「好きだよ、お爺ちゃんも、お姉ちゃん(楓)も、私も、みんな持子さんのことが大好きなの。だから、持子さんを助けるために、みんなで一生懸命頑張ったんだよ」
夏の陽射しよりも眩しい、一切の裏表がない純粋な笑顔。
「だから、これからもいっぱい遊びに来て、その綺麗な顔を見せてね? また美味しいもの、たくさん作るから」
「た、高子ぉ……!」
持子は感動のあまり、危うく涙腺が崩壊しそうになった。
(なんという健気で可愛い生き物だ……! こんな妹なら、今すぐわしの家に連れて帰って養ってやりたい……!)
「……先輩。今、高子を連れて帰ろうとか考えてませんか? あげませんよ」
「ギクッ! か、考えておらんぞ!」
心を読んだかのようにジロリと睨んでくる楓に、持子は冷や汗を流す。
すると、高子が少し上目遣いになって、持子の服の裾をちょこんと引っ張った。
「あのね。……私、持子さんのこと、『持子お姉ちゃん』って呼んでもいい?」
「な、なんだと!?」
持子は心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受け、バッ!と楓の方を見た。「許可してくれ!」という魔王の必死の懇願の眼差しに、楓は本日二度目の深いため息を吐き、コクリと小さく頷いた。
「……いいぞ! 呼んでいい! さあ、呼んでみろ!」
持子が期待に胸を膨らませて身を乗り出すと、高子は少し照れくさそうにはにかんで、鈴を転がすような甘い声で言った。
「えへへ……。持子お姉ちゃん!」
「――ッッ!!!」
ドッギュゥゥゥン!!!
極黒の魔王の心臓は、ゼロになった。
「か、可愛すぎる……! わしは今日から高子の姉だ! 妹のために、国の一つや二つ、いつでも滅ぼしてやるからな!!」
「国は滅ぼさないでください!」
縁側に響き渡る持子の歓喜の叫びと、楓の的確なツッコミ。そして高子のクスクスという笑い声。
過酷な死闘を乗り越えた少女たちの夏休みは、甘いサンドイッチの味と共に、どこまでも優しく、穏やかに過ぎていくのだった。
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