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『東京霊脈戦線のあとで、魔王はお礼回りをする』

✴︎『東京霊脈戦線のあとで、魔王はお礼回りをする』


帝都の地下深くに渦巻いていた呪いの泥と、神話級の古竜との死闘の数日。

世間は、いよいよ待ちに待った夏休みへと突入した。

夏休み初日の朝。芸能事務所『スノー』の社長室にて、恋問持子は目の前に積み上げられた「山」を見て、黄金の瞳を限界まで見開いていた。


「……ゆ、雪よ。これは一体、何の儀式だ? わしへの貢物にしては、少々包装が地味ではないか?」


持子が指差した先には、老舗和菓子屋の最高級羊羹の詰め合わせ、桐箱に入った特秀品のマスクメロン、そして有名ブランドの焼き菓子セットなど、総額ウン十万は下らないであろう「お仕着せの菓子折り」が、ピラミッドのように積み上げられていた。

デスクの向こう側で、立花雪は優雅にハーブティーを啜りながら、ピカッと眼鏡を光らせた。


「貢物じゃないわよ、持子。これはね、今回の『東京霊脈戦線』であなたが地下から無事に帰還するために、身を粉にして働いてくれた関係者たちへの『お礼の品』よ。昨日私がこんこんとお説教した通り、少しは周りに感謝を示しなさい」


「お礼、だと?」


「ええ。裏社会のクランやTIAの部隊には私から既に金一封と物資を回したわ。でも、あなたと直接チームを組んで最前線で戦ってくれた子たちには、助けられた張本人であるあなたが、直接『お礼参り』に行くのが筋というものでしょう?」


「お、お礼参り……ッ!?」


持子の脳内に、前世の記憶(三国志時代のヤクザな発想)がフラッシュバックする。


「なるほど、そういうことか! 助けてもらった恩を返すため、鉄パイプと木刀を持って各陣営のドアを蹴破り、『この度は世話になったのゥ!』と暴れ回るのだな! よし、魔王の仁義、見せてやろうではないか!」


「どこのヤンキーよ!! 言葉の綾よ、普通に菓子折りを持って『ありがとうございました』って頭を下げて回るの!!」


雪の容赦ないハリセンが、持子の美しい後頭部に炸裂した。


「い、痛いぞ雪! わかった、わかったから叩くな! ……しかし、わしが直々に頭を下げに行くなど、魔王のプライドが……」


「あら、嫌なの? じゃあ、今日の夕食に予約していた三ツ星フレンチの『極上シャトーブリアンのロースト』はキャンセルね」


「行く! 今すぐ行く! わしは礼儀正しいトップモデルだからな!」


肉という最強の人質を取られた持子は、慌てて菓子折りの山を両腕に抱え込み、弾かれたように社長室を飛び出していった。


     * * *


雪から言い渡された「お礼参り」の最初の目的地は、持子を「神」と崇める変態インテリ・本多鮎の自宅である。



わんわんと子供のように泣きじゃくりながら、鮎は持子の胸に顔をぐりぐりと押し付ける。その細い腕は、絶対に持子を逃がさないとばかりに背中に強く回されていた。

地下最深部の魔界において、洗脳された持子の理不尽な鉄拳から逃げることなく、両腕の骨を完全にへし折られながらも「肉の盾」となって彼女を拘束し続けた狂信的な第一下僕。

その時の痛々しくも気高い姿を思い出し、持子は黄金の瞳を優しく細めた。


挿絵(By みてみん)


「……心配かけたな、鮎。よく駆けつけて、わしを救いに来てくれた。感謝しておるぞ」


持子は文句も言わず、抱えきれないほどの愛情を込めて、鮎の背中に腕を回し、力強く抱きしめ返した。


「ひぐっ、う、あぁぁぁ……! もちこ、さまぁ……っ!」


持子の温かい体温と、その真っ直ぐで不器用な労いの言葉に触れた瞬間。

極限の恐怖と安堵から解放された鮎の様子が、次第にねっとりとした熱を帯び始めた。持子の胸元にすりすりと頬を擦り付け、その匂いを肺の奥深くまで吸い込む鮎の吐息が、異常なほど荒くなっていく。


「はぁっ……はぁ……っ、ご主人様の匂い……っ、熱い、生きていらっしゃる……っ。ああ、ダメです、ご主人様の温もりを感じていたら、私……身体の奥から熱くなって、我慢できなく……っ」


持子に理不尽に虐げられることに喜びを感じるドMな狂信者である彼女は、安心感から完全に発情していた。潤んだ瞳で持子を見上げ、服の裾を強く握りしめてくる。


「……はぁ。貴様は本当にブレないな。だが、今日ばかりは特別だ。その忠義に免じて、わしが直々に付き合ってやろうではないか」


「ご主人、様……っ!」


挿絵(By みてみん)


持子は傲岸不遜な笑みを浮かべると、纏っていた衣服を無造作に脱ぎ捨てた。鮎もまた、震える手で自身の服を脱ぎ捨て、二人はそのまま寝室の柔らかなベッドへと倒れ込んだ。


——それから約1時間。


持子は、自身に依存し狂信的な愛情を向ける鮎の全てを受け止め、たっぷりとその熱情に付き合った。肌と肌を重ね、生きていることを確かめ合うように。地下での絶望的な恐怖を、甘く濃密な時間で完全に塗り潰すように。

そして、甘い熱に溶けた時間の最後。


「ほれ、目を閉じろ」


持子は鮎の顎をクイッと持ち上げ、その唇に己の唇を深く重ねた。

ただのキスではない。持子は、魔王としての規格外の魔力を、口づけを通して鮎の体内に惜しげもなく大量に流し込んだのだ。


「んぐッ……!? ――あ、あぁぁぁぁぁぁッ!! 最高ですぅぅぅッ!!」


常人なら一瞬で消し飛ぶほどの純度百パーセントの魔力の奔流。生体バッテリーとしての役割も持つ鮎にとって、それは極上の劇薬だった。

その圧倒的な力の暴力に、鮎の脳髄は完全に焼き切れ、彼女は究極の恍惚の表情を浮かべて物理的に(?)昇天し、パタリとシーツの上に倒れ伏した。


「ふむ。ようやく静かになったな」


満足げに息を吐く持子。

すると、ベッドの傍らに落ちた鮎の影がぐにゃりと歪み、そこから一人の豪奢な美女が姿を現した。

三百年を生きる吸血鬼の元女王であり、今は鮎の影に棲まう下僕、ルージュである。


挿絵(By みてみん)


「……ちょっと、持子。本当に鮎はアンタの事、心の底から心配していたんだからね。しっかり大事にしなさいよ」


腕を組み、ツンとそっぽを向きながらも、ルージュはどこか安堵したような口調でそう告げた。地下で持子を拘束するために、自身の右胸に爪を突き立てて真祖の血を引きずり出した彼女もまた、持子への強い想いを抱えている。


「ちょっと持子。アンタを助けるために地下で無理して、心臓に爪を突き立てたせいで、わたくし、まだ胸が痛いのよ。アンタの狂信者の駄犬のせいで散々な目に遭ったんだからね」


腕を組み、ツンとそっぽを向いてブツクサと文句を言う吸血鬼の女王。

しかし、持子はそんなルージュに向けて、ふっと柔らかい、王としての風格に満ちた笑顔を向けた。


「ルージュよ。あの時は本当に助かったぞ。貴様のその決死の茨がなければ、わしは今ここにいなかったやもしれん。心から感謝しておる」


「なっ……!?」


持子の真っ直ぐで嘘偽りのない感謝の言葉を浴び、ルージュはカッと顔を赤くした。


「ふ、ふふんっ! ま、まぁ? 吸血鬼の女王たるわたくしにかかれば、あの程度の戦い、造作もないことだったけどね! アンタがそこまで言うなら、許してあげないこともないわよ!」


口では強がっているが、その表情は隠しきれないほどデレデレに緩み、素直に喜んでいるのが丸わかりであった。


「うむ! では、鮎が目を覚ますまで時間がかかりそうだからな。メロンでも食って待っておれ。わしは次の用事があるゆえ、これにて失礼するぞ!」


持子は、気絶したままの鮎と、ご機嫌な吸血鬼の女王をタワーマンションに早々に残し、足早に次の目的地へと向かった。


     * * *


〜泥棒猫の実家編〜


タワーマンションから一転、続いて持子が向かったのは、都心から少し離れた下町にある、昭和の香りを色濃く残す古い一軒家だった。

ここは、持子に異常な執着を見せる「泥棒猫」こと、花園美羽の実家である。父親が失踪中で、母親の代わりに美羽が大黒柱として支えている極貧の大家族だ。


「ごめんくださーい!!」


夏休みに入ったばかりの昼下がり。持子がガラガラッ! と勢いよく引き戸を開けると、いつもならドタドタドタッ! と子供たちが玄関に殺到してくるはずだった。

しかし、今日に限って誰も出てこない。

代わりに、奥の居間から何やら神を崇めるような、子供たちの歓喜の声が聞こえてきた。


「わあーっ! 涼しいー! すごーい!!」


「風が冷たいよ! お家の中が天国だぁー!」


「これで今年の夏は、わざわざ図書館とかイオンのフードコートに涼みに行かなくていいね!」


「うん! もう長時間居座って、店員さんに怒られなくて済むね!」


挿絵(By みてみん)


「……む?」


持子が不思議に思いながら靴を脱いで居間を覗き込むと、そこには……土壁に真新しく燦然と輝く、最新式の『大型エアコン(クーラー)』が設置されていた。

ブォォォォォン…… と心地よい冷風を吹き出すその機械の真下に、7〜8人の子供たちが一列に並んで正座し、冷たい風を全身に浴びながら、涙ぐましい表情で感動に打ち震えていたのだ。


「お、おい……。貴様ら、クーラーの風を浴びるだけで、なぜそんなに泣きそうになっておるのだ……」


持子がドン引きしていると、奥からエプロン姿の美羽がダダダダッ! とすっ飛んできた。


「こ、こらーーっ! あんたたち、私の持子さんがいらしたのに何してるの! 早くご挨拶しなさい!」


そう叫んだ直後、美羽は玄関に立つ持子の姿を正面から捉えた。

瞬間、彼女の大きな可愛らしい瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。地下最深部の魔界において、洗脳された持子の目を覚まさせるために真っ先に双剣で斬りかかり、合気の理によって無惨に壁へと投げ飛ばされた記憶。

あの時、本当に持子を失ってしまうかもしれないという絶望を味わった美羽にとって、今目の前で傲岸不遜に立っている「日常の持子」の姿は、何よりも尊い奇跡だった。


「持子さぁん……っ! ああぁっ、私の、私の持子さん……っ!」


「おわっ!? 貴様も飛びついてくるのか!」


美羽は持子の腰にガバッと抱きつき、そのドロドロとした重い愛と執着を隠すことなく、持子の服に顔を擦り付けた。


「生きてる……ちゃんと温かいですにゃぁ……っ。もう、本当に死んじゃうかと思ったんだから……っ! 私の所有物コレクションが傷つくのは、もう嫌ですからね……っ!」


「全く……口の減らない泥棒猫め。あの時は、わしを正気に戻すために一番に斬り込んできたそうだな。……よくやった。褒めてやろう」


持子がポンポンと美羽の頭を撫でてやると、美羽は「えへへ……」とだらしなく顔を綻ばせた。


「あ! テレビに出てるすっごい綺麗なお姉ちゃんだー!!」


騒ぎを聞きつけて台所から出てきた美羽の母親は、持子の姿を見るなり、深々と、本当に地面に額がつく勢いで土下座のようなお辞儀をした。


「恋問さん……! いらっしゃいませ。今回は、美羽が本当にお世話になりました。それに……あの、これ……」


母親は、壁の最新式クーラーを見上げて、ハンカチで涙を拭った。


「うむ。美羽には世話になったゆえ、雪から預かった菓子折りを持参したのだ。それにしても、随分と立派な冷房がついたではないか」


持子が雪から預かった高級和菓子の詰め合わせを差し出すと、母親は震える手でそれを受け取った。


「菓子折りだなんて、とんでもない。……私たち家族が今、こうして涼しい部屋で過ごせて、毎日温かいご飯を食べられるのは、すべて恋問さんと、スノーの雪社長のおかげなんです」


持子が小首を傾げると、美羽が照れくさそうに頭を掻きながら、声を潜めて持子の耳元で囁いた。


「あはは……。実はね、持子さん。私、雪社長のところでカルトシンガーとして再デビューできたでしょ? お給料も歩合制にしてもらって、歌えば歌うだけ稼げるようになったの。それに……」


美羽は、かつて修学旅行先の小樽で背負った330万円の借金を思い出すようにニヤリと笑う。


「TIAのアルバイト(裏社会の戦闘や潜入任務)の方でも、今回の救出作戦の特別ボーナスってことで、雪社長から目ん玉が飛び出るくらいの『超多額の礼金』をもらったのよ。おかげで、残ってた借金も全部返せて、弟や妹たちの教育費もバッチリ貯金できて……それで今日、奮発してクーラーを取り付けてもらったの!」


「おおお! 肉だー! 今日はすき焼きだー!」


「クーラーの効いたお部屋で、お肉が食べられるー!」


奥の台所から、子供たちの歓喜の叫び声が聞こえてくる。どうやら、今日の美羽の家の食卓は、かつての貧しいモヤシ炒めから、高級和牛のすき焼きへと劇的な進化を遂げているらしかった。


「……なるほどな。雪の奴、裏で随分と気前よく金をばら撒いておったのだな」


持子は、涼しい風を浴びてはしゃぐ子供たちの笑顔を見ながら、ふっと口元を綻ばせた。

自分を神と崇めるドMな変態インテリも、自分に依存する泥棒猫も。彼女たちの狂気じみた愛情はともかく、その生活基盤は、すべて雪の圧倒的な財力とマネジメント能力によって、完全に掌握され、豊かに潤っているのだ。


(ふははっ。わしのハーレムなどと言っておるが、実態は雪の財力に完全に飼い慣らされておるだけではないか。恐ろしいプロデューサーだわい……)


「持子さん? どうしたの、ニヤニヤして」


「いや、なんでもないぞ。それより美羽よ! すき焼きと聞いては、この暴食の魔王の胃袋が黙っておらん! わしにも一口、いや、鍋ごと食わせろ!」


「ええーっ!? ちょっと、持子さんの胃袋ブラックホールなんだから、子供たちの分まで食べ尽くさないでよー!」


下町の真夏の昼下がり。

真新しいクーラーが静かに冷風を吹き出す居間で、美羽の悲鳴と、子供たちの笑い声、そして持子の「ふはははは!」という傲岸不遜な笑い声が、どこまでも平和に響き渡っていた。

絶望の霊脈戦線を乗り越えた帝都の夏は、今日も騒がしく、そして温かい。



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