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『霊都東京、白き誓い』(イラスト有り)

✴︎『霊都東京、白き誓い』


病室の窓から差し込む眩しい夏の日差しが、真っ白なシーツを容赦なく照らし出していた。

帝都・東京を未曾有の危機に陥れた霊的災害、御影との壮絶な死闘から数週間が経過していた。古神道結社「八咫烏」の系列であるこの特別病棟は、外部の喧騒から完全に隔離された静寂の中にあった。

ベッドの上に力なく座る葉室桐子はむろ きりこは、手鏡に映る自身の姿を、どこか他人事のように見つめていた。


「……見事に、真っ白ですわね」


挿絵(By みてみん)


自嘲気味な呟きが、静かな病室に落ちる。

かつて、八咫烏の次期代表として、そして何より愛する人の隣に立つに相応しい女であるために、彼女が毎日丹念に手入れをしていた艶やかな黒髪。それは今、毛先だけでなく根元に至るまで、雪のように純白に染め上がっていた。

地下最深部での「最悪の古竜」との戦い。婚約者である風間洋助を守るために、桐子は己の寿命と生命力を触媒とする禁忌の絶対防護神術『天の岩戸』を展開した。

圧倒的な竜のブレスを逸らし、洋助を救った代償として、彼女の生命力は限界まで削り取られたのだ。

肌の艶や容貌そのものが老いさらばえたわけではない。ただ、色素を完全に失った白髪だけが、彼女がどれほどの命を燃やしたのかを無言で物語っていた。

だが、髪が白くなったことなど、桐子にとっては些末な問題に過ぎなかった。

彼女の心を、それこそ自分自身を殺したくなるほどに深く、鋭く抉り、絶望の底へと突き落としたのは、つい先ほど担当医師から告げられた残酷すぎる真実だった。


『……極度な霊力の枯渇と、生命力そのものを術の代償として搾取された影響により、子宮および霊的経絡の機能が完全に停止しております。非常に申し上げにくいのですが……桐子様は今後、お子を宿すことが極めて困難な、事実上不可能な身体となってしまわれました』


医師の言葉は、死の宣告よりも冷たく、そして重かった。

古神道結社「八咫烏」の代表・葉室嗣綱の娘として生まれた桐子。そして、東京の霊的治安を裏から牛耳るもう一つの巨大組織、TIAの次期トップである風間洋助の婚約者。

二人の結びつきは、単なる男女の恋愛ではない。八咫烏とTIAという、相容れない両組織の衝突を回避し、東京の平和を支えるための「政略結婚」という極めて重要な意味を持っていた。

強固な霊的防衛網を次世代へと繋ぐための、神聖なる血の交わり。

子供を産めないということは、すなわち、名家の妻としての存在意義そのものを完全に喪失したことを意味していた。


コンコン、と。

重苦しいノックの音が響き、病室の扉が開いた。

現れたのは、白い浄衣を纏った数人の初老の男たち――八咫烏の伝統と血統を重んじ、組織を裏から操る保守派の長老たちであった。


「……桐子お嬢様。お加減はいかがかな」


「ごきげんよう、長老の皆様。……ご覧の通り、生き恥を晒しておりますわ」


桐子は手鏡を伏せ、無理に背筋を伸ばして気丈に振る舞った。だが、長老たちの視線は、彼女を労わるものではなく、まるで壊れて使い物にならなくなった道具を見るような、冷徹で事務的なものだった。


「先の地下戦線でのご活躍、身を挺して組織と東京を護られたこと、見事でありました。しかし……」


筆頭長老が、手にした杖で床をコツリと叩いた。


「我々八咫烏とTIAの結びつきは、個人の感傷よりも遥かに重い。お身体のことは医師から聞きました。次代の血を繋げぬ石女うまずめとなられた以上、貴女がこれ以上、風間殿の隣に立つことは許されません。それは八咫烏の恥であり、風間家に対する背信行為となります」


「……」


桐子は無言で、シーツを握りしめた。爪が手のひらに食い込み、微かに血が滲む。


「すでに風間家の当主・助平殿、および洋助殿には、我が方から婚約の破棄、および『代わりの者』を立てる旨を通達しております」


「代わりの……者」


「ええ。貴女の実の妹君である、鶴子お嬢様です」


その名を聞いた瞬間、桐子の肩がビクッと跳ねた。


「鶴子様も、先の戦いで魔王たちとの交流を経て、皮肉なことですが霊的にも精神的にも大きく成長なされました。彼女の類稀なる神術の才、そして何より『健康な身体』であれば、十分に風間殿の正妻としての役目を果たせましょう」


長老の無慈悲な言葉が、病室に反響する。


「八咫烏の次期代表の座も、鶴子様に譲っていただきます。桐子お嬢様におかれましては、退院後は本家の奥の院にて、静かに神に祈りを捧げる余生をお送りください。……よいですね」


反論の余地などなかった。

組織の理屈として、それはあまりにも正論すぎた。

桐子は、震える唇を噛み締め、喉の奥から絞り出すようにして答えた。


「……承知、いたしました。すべては……八咫烏と、洋助様のために」


長老たちが去ってから一時間後。

今度は、遠慮がちな、しかし急ぎ足の足音が病室に近づいてきた。


「……お姉様ッ!」


勢いよく扉を開けて飛び込んできたのは、美しい黒髪の姫カットを揺らす妹・葉室鶴子だった。

以前、魔王・恋問持子にそそのかされて「金髪ギャル服」を着て渋谷を練り歩き、殻を破って満面の笑みを見せていた時の面影はない。彼女の大きな瞳は赤く腫れ上がり、大粒の涙が次々と溢れ落ちていた。


「鶴子……。そんなに慌てて、淑女らしくありませんわよ」


桐子は、妹を安心させるために、いつも通りの厳しい、けれど愛に満ちた姉の微笑みを作った。

だが、鶴子は桐子のベッドにすがりつくようにして泣き崩れた。


「お姉様……っ! わたくし、聞きましたわ! 長老たちが、お姉様と洋助様の婚約を破棄して、わたくしを代わりの妻にするなどと……そんなこと、絶対に嫌ですわ!」


鶴子にとって、桐子は常に前を歩く、誇り高く完璧な姉だった。

誰よりも努力し、誰よりも嫉妬深く、そして誰よりも風間洋助という男を深く愛していたことを、鶴子は一番近くで見てきたのだ。その大好きな姉から、地位も、未来も、愛する男もすべて奪い取ることなど、鶴子にできるはずがなかった。

しかし一方で、桐子もまた、妹が隠し持っている『秘密の感情』に気づいていた。


(……優しい子。でも、あなたは昔から、洋助様のことが好きだったのでしょう?)


風間洋助。TIAの次期トップであり、あらゆるモノを絶死の兵器に変貌させる「武器の天才」。彼は極めて誠実で真っ直ぐな男だが、それゆえに他者との距離感がバグっており、「無自覚に女性を口説き落とし狂わせる」という天性のタラシ体質を持っていた。

鶴子がまだ神術の修行に行き詰まり、自分の才能に自信を持てずに和室で一人泣いていた時。

八咫烏の屋敷を訪れていた洋助は、ふらりと彼女の前に現れ、しゃがみ込んでその頭を優しく撫でたのだ。


『鶴子ちゃんは、真面目で偉いな。でも、無理しすぎるなよ。桐子も心配するからさ。……俺も、君が笑ってる顔の方が好きだ』


ただの、兄のような気遣い。

しかし、思春期の少女の心を永遠に縛り付けるには、十分すぎるほどの破壊力を持った「無自覚な甘い毒」だった。

鶴子の瞳に灯った、淡く、けれど決して消えることのない初恋の熱を、嫉妬深い桐子が見逃すはずがなかった。だが、桐子は妹のその純粋な想いを咎めることは一度もしなかった。妹が、決してその想いを口に出さず、姉のために身を引こうとしているのを知っていたからだ。


「……泣かないで、鶴子」


挿絵(By みてみん)


桐子は、ベッドに顔を伏せて泣く鶴子の頭を、優しく撫でた。真っ白な髪が、さらりとこぼれ落ちる。


「長老たちの言う通りよ。私では、もうダメなの。風間家という巨大な組織を背負って立つ洋助様には、どうしても未来を継ぐ子供が必要なの。それが、私たち名家に生まれた者の運命さだめですわ」


「お姉様……っ、でも、わたくしは……!」


「鶴子」


桐子は、妹の肩をそっと掴み、真っ直ぐにその瞳を見つめた。


「あなたが洋助様を支えてあげて。あなたなら、安心して彼を任せられるわ。……私の大好きな妹だもの。きっと、洋助様を幸せにできる」


「お姉様ぁぁっ……!」


鶴子は桐子の胸に顔を埋め、声を出して泣きじゃくった。

桐子は、自身の心が千切れ、血を流していることを悟られないように、ただひたすらに妹の背中を撫で続けた。妹の幸せと、愛する男の未来だけを願って、自分自身の魂を殺すために。

その夜。

消灯時間を過ぎ、月明かりだけが病室の白いシーツを青白く照らしていた。

桐子は一人、暗闇の中で音を殺して泣いていた。

『闇の魔力を絶対殺すマン』と恐れられ、常に凛と立ち、洋助に近づく女がいれば容赦無く威嚇してきた彼女。

桐子には、絶対の自負があった。

この世の誰よりも、自分が一番、風間洋助という男を深く愛しているという自信が。

彼の誠実さ、不器用さ、そして無自覚に女性を惹きつけてしまうあのタラシな性格に、いつもハラハラさせられ、嫉妬の炎を燃やしながらも。戦場で見せる冷徹な横顔も、日常で見せる人の良すぎる笑顔も、すべてを愛していた。

最深部の古竜との戦い。洋助が霊子振動刀をひしゃげさせられ、両腕の骨を完全に砕かれながらも、自分たちを護るために命を投げ出そうとした時。桐子もまた、彼を生かすためだけに、己の命と寿命を躊躇いなく差し出したのだ。

後悔はない。彼が生きているだけで、この世界は光に満ちている。


(でも……だからこそ、私は身を引かなければならないのですわ)


桐子は、白く染まった己の髪を、痛いほどに強く握りしめた。

洋助の未来。彼がいずれ風間家の当主となり、TIAという巨大組織を率いる時、隣にいる正妻が子供を産めない石女であれば、周囲からどれほどの誹謗中傷と圧力を受けるか。

心無い言葉が彼を傷つけ、彼の立場を危うくする。

彼に、そんな重荷を背負わせるわけにはいかない。


「洋助様……愛しています。愛しているからこそ……私は、あなたを手放しますわ」


それは、自分自身を殺す作業だった。

彼を想えば想うほど、彼から離れなければならないという矛盾。

嫉妬深い桐子にとって、彼が他の女性――たとえそれが最愛の妹である鶴子であっても――と結ばれ、愛し合い、子供を授かって笑い合う光景を想像することは、発狂しそうなほどの激痛を伴った。

心臓を素手で握り潰されるような苦しみ。


(いっそ、あの地下で死んでしまえばよかった……)


ふとよぎった暗い感情を、桐子は慌てて首を振って打ち消した。


(いいえ、そんなことを思ってはダメ。彼が命懸けで護ってくれた命なのだから)


明日、彼が病室を訪れるという連絡があった。

その時に、すべてを終わらせよう。

冷たく、突き放すように。彼が自分を軽蔑し、すんなりと諦めてくれるように。自分から、決定的な別れの言葉を告げるのだ。

桐子は、決死の覚悟を固め、静かに夜明けを待った。

翌日の午後。

コンコン、と控えめなノックの音が病室に響いた。


「……桐子。入るぞ」


現れたのは、風間洋助だった。

彼もまた、先の激戦の傷が完全に癒えているわけではない。包帯が巻かれた両腕は痛々しく、頬は少しやつれていた。しかし、その端正な顔立ちと、真っ直ぐで誠実な瞳は、桐子が愛してやまないいつもの洋助のままだった。

ドクン、と桐子の心臓が跳ねる。

抱きつきたい。その腕の中で泣いて、弱い自分を慰めてほしい。

そんな甘い衝動を、桐子は必死に理性の奥底へと封じ込め、ベッドの上で背筋を伸ばした。あえて表情を凍らせ、冷徹な仮面を被る。


「……ごきげんよう、洋助様。お見舞い、感謝いたしますわ」


よそよそしい態度と敬語。

洋助は少し怪訝そうな顔をしながら、パイプ椅子を引き寄せてベッドの傍らに座った。


「顔色が少し良いみたいだな。安心したよ。髪の色は……まだ戻らないみたいだが、俺は白い髪の桐子も綺麗だと思うよ」


さらりと、息をするように無自覚なタラシ発言が飛び出す。


(っ……! そうやって、すぐに甘い言葉を……!)


桐子の胸がギュッと締め付けられる。心が揺らぎそうになるのを、彼女はシーツの下で拳を握りしめることで堪えた。


「……お戯れはおやめくださいませ。本日は、洋助様に大切なご報告があってお呼びいたしましたの」


桐子は、氷のような冷たい声を出した。洋助の目を真っ直ぐに見据える。


「私と洋助様の婚約は、破棄されることとなりました。すでに、八咫烏の上層部から風間家へ通達がなされているはずです」


洋助の目が、僅かに見開かれた。


「……親父(助平)から『長老共が何か言ってきた』とは聞いたが、詳しい内容は聞いていない。どういうことだ、桐子」


「言葉通りの意味ですわ。……私は先の戦いで、霊力と生命力の源を深く損傷いたしました。医師からは、今後、子供を産むことは不可能であると宣告されましたの」


桐子の声が、微かに震える。だが、彼女は無理に口角を上げ、極めて事務的な、冷たい笑みを作った。


「政略結婚において、跡継ぎを残せぬ女など無価値の不良債権です。ですから、私は身を引きます。代わりとして、私の妹である鶴子が、貴方様の新たな婚約者となりますわ」


一気に告げられた事実。

桐子は息を詰め、洋助の反応を待った。

彼が驚愕し、同情し、そして「……そうか、家の決定なら仕方ないな」と諦めてくれることを。

だが、洋助は黙ったまま、桐子の顔をじっと見つめていた。

沈黙が病室を支配する。

やがて、洋助は短くため息をつき、包帯の巻かれた手で頭をガシガシと掻いた。


「……なんだ。そんなことか」


「……え?」


予想外の、あまりにも淡々とした反応に、桐子は言葉を失った。


「そんなこと、とはなんですの!? 私は子供が産めないのですよ! 名家である風間家の次期当主の妻が、跡継ぎを残せないということが、どれほど重大な問題か、お分かりにならないのですか!」


「関係ない」


洋助は、桐子のヒステリックな叫びを、きっぱりとした声で遮った。


「親父や長老たちが何を言おうと、家の事情がどうなろうと、俺の妻はお前だけだ。子供なんて出来なくてもいい。……俺には、桐子がいればそれでいい」


その言葉は、あまりにも短く、不器用で、何の飾り気もなかった。

だが、そこに込められた圧倒的な真剣さと熱量が、桐子の心を激しく揺さぶる。


「……っ、同情でそんなことを言わないでくださいませ! 今は良くても……歳をとったら、必ず後悔することになりますわ! 『なぜあの時、別の健康な女を選ばなかったのか』『なぜ当主としての責任を果たせなかったのか』と、私を恨む日が必ず来ます!」


桐子は半ば叫ぶように訴えた。彼を諦めさせるために、あえて醜い言葉を紡ぎ出す。


「鶴子は若く、神術の才もあり、何より洋助様を密かにお慕いしております! 彼女となら、間違いなく幸せな家庭を築けますわ! 私のような、白髪交じりの石女が隣にいるより、ずっと……!」


「桐子」


洋助は立ち上がり、パイプ椅子を蹴り退けて、桐子のベッドに腰を下ろした。

そして、シーツを握りしめて震える桐子の両手を、自身の大きく温かい手で強引に包み込んだ。


「……後悔なんて、しない」


至近距離で見つめ合う洋助の瞳には、迷いも、同情も、微塵も存在していなかった。

そこにあったのは、ただ一人の女に向けられた、純粋で絶対的な『執着』と『愛』だった。


「俺は、お前と一緒にいたいから婚約したんだ。お前が笑って、怒って、俺のために嫉妬してくれるのが嬉しいから隣にいるんだ。家のためとか、跡継ぎのためとか、そんなものは最初から後からついてきたオマケに過ぎない」


「洋助、さん……」


「お前と別れて、別の誰かと結婚する。……そんなことになったら、俺は一生後悔する。桐子がいない未来なんて、想像したくもないし、生きる意味もない」


洋助は言葉足らずだ。気の利いた長台詞や、ロマンチックな詩的な表現などできはしない。

だが、彼は言葉よりも、態度と行動で絶対的な証明を示す男だった。

洋助は、桐子の肩を引き寄せ、その細い身体を強く、折れるほどに抱きしめた。


「……っ!」


桐子の顔が、洋助の胸元に深く埋もれる。

彼の力強い心臓の鼓動と、生きている温かい体温が、桐子の冷え切り、凍りついていた心を容赦無く溶かしていく。


「大丈夫だ」


洋助が、桐子の耳元で静かに、けれど世界で一番力強い声で囁いた。


「誰が何と言おうと、俺がお前を守る。お前の髪が真っ白になろうと、子供ができなかろうと、何も変わらない。お前は俺のたった一人の、愛する女だ。……絶対に、離さない」


その一言に込められた、絶対的な肯定。

桐子がこれまで必死に張り詰めていた理性の糸が、音を立ててプツリと切れた。

彼を愛している。離れたくない。ずっと隣にいたい。他の誰にも、彼を渡したくない。

抑え込んでいた本当の感情が、決壊したダムのように溢れ出した。


「あ……あああ……っ」


桐子は、洋助の胸にすがりつき、顔を押し当てたまま、声を出して泣き崩れた。


挿絵(By みてみん)


「ごめんなさい……ごめんなさい、洋助さん……っ! 私、本当は……本当は、誰にもあなたを渡したくありませんわ……っ! 鶴子にも、誰にも……ずっと、ずっと私だけを見ていてほしいですわ……っ!」


嫉妬深く、愛に貪欲な、本来の彼女の言葉。

洋助は、優しく桐子の白い髪を撫でながら、ふっと柔らかく笑った。


「知ってる。お前が世界で一番、嫉妬深くて、俺のことを愛してくれてるってことくらいな」


「うぅ……っ、洋助さんの、おバカ……っ。いつも無自覚に女をときめかせて……私の気も知らないで……っ」


涙でぐしゃぐしゃになった顔を洋助の服に擦りつけながら、桐子は小さな子供のように泣き続けた。

洋助は何も言わず、彼女が泣き止むまで、ただ静かに、力強く抱きしめ続けていた。

やがて、桐子の嗚咽が収まり、静かなしゃくりあげに変わる。


「……本当に、後悔なさいませんのね?」


桐子は、赤く潤んだ瞳で洋助を見上げた。


「ああ。我事において後悔せずってな!」


「……家柄の重圧や、親族からの冷たい視線、それに長老たちの嫌がらせからも、私を一生護ってくださいますの?」


「当然だ。俺を誰だと思ってる。TIAの次期トップで、何より、最強の『武器の天才』だぞ。お前を傷つける奴がいたら、組織ごとぶっ壊してやる」


洋助の自信に満ちた、少しだけタラシで、頼もしい微笑み。

その笑顔を見て、桐子の胸の奥にあった最後の不安の欠片が、塵一つ残さず完全に消え去った。


「……ええ。存じておりますわ。私の愛した、世界で一番不器用で、誠実で、頼りになる方ですもの」


桐子は、ようやく心からの笑顔を取り戻し、静かにこくりと頷いた。

白く染まった髪は、窓から差し込む光を浴びて、真珠のように美しく、気高く輝いている。

二人の間に、もう余計な言葉は必要なかった。


(ごめんね、鶴子。……やっぱりお姉ちゃん、この人だけはどうしても譲れないわ)


心の中で愛する妹に謝罪しながら、桐子は洋助の背中にそっと腕を回し、その温もりを永遠に離さないと、強く、そして静かに誓った。

名家の重圧も、失われた未来も、今はどうでもいい。

ただ、愛する人が隣で自分を抱きしめてくれている。それだけで、葉室桐子の世界は、再び眩しいほどの光を取り戻していた。


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