『帝都・東京の地下深層。』
✴︎『帝都・東京の地下深層。』
何十年もの間、たった一人の哀れな少年・御影を人柱として機能していた『巨大な呪術フィルター』が消滅したことで、東京には再び、戦前からの途方もない穢れと怨念が猛烈な勢いで溜まり始めていた。
人間の負の感情が泥のように渦巻くその光景は、放置すればいずれ地上へ溢れ出し、帝都を死の街へと変える時限爆弾であった。
政府の特務機関や裏社会のトップたちが集まる、重苦しい円卓会議の場。
そこで、政府側の一部高官が、あまりにも愚かで非人道的な提案を口にした。
「……あの『極黒の魔王(持子)』に、月に一度、地下の穢れをすべて喰わせればいいのではないか? 彼女のあの底なしの胃袋であれば、帝都の呪いなど容易く処理できるはずだ」
その言葉が会議室に響いた瞬間。
部屋の温度が、物理的に数十度も急降下した。
「――うちの大切な恋問持子を、東京のゴミ処理機にするつもりかのう?」
口を開いたのは、TIA代表の風間助平であった。彼の全身から、底知れぬどす黒い呪力と、裏社会を統べる者としての圧倒的な殺気が立ち昇り、会議室の空気を重く圧迫する。
「彼女は我々TIAの最高傑作じゃ。……持子には二度と、あんな悲しい泥水を啜らせはせん。もし次にそのふざけた口を開いたら、ワシが直々にその舌を引き抜いて、代わりに地下へ放り込むぞい」
一切の冗談を含まない助平の凄まじい威圧感の前に、政府高官は顔面を蒼白にしてガタガタと震え上がり、ついには泡を吹いて気絶寸前となった。
ここに、持子を穢れ処理の道具として利用する計画は、永久に禁じられることとなったのである。
* * *
魔王の胃袋に頼らず、帝都の穢れをいかにして処理するか。
かつて血を流し合い、教義の違いで対立していた帝都の全陣営が、東京沈没を防ぐために嫌々ながらも技術と魔力を提供し合う『総力戦』がここに幕を開けた。
御影の呪術回路跡地に構築される、帝都新システム。人工霊脈濾過システム――通称『大禍つ炉』の建造プロジェクトである。
この巨大プロジェクトを動かすための莫大な資金を提供したのは、世界的企業を束ねるリジュであった。さらに、この『大禍つ炉』が将来的に生み出すであろう天文学的なエネルギー利権を見越し、リジュを通じてフランスが友好的に技術協力の姿勢を示す一方で、同盟国であるアメリカは露骨な政治圧力をかけて強引に利権の分け前に割り込んでくるなど、水面下では国家間の熾烈な駆け引きも行われていた。
そんな政治的思惑が渦巻く中、現場が建造を進める間、地下から地上へ溢れ出ようとする穢れや異形の化け物たちを食い止めるため、TIAの風間洋助は地上に設営された前線基地で戦闘指揮に専任していた。その傍らには、古神道結社から派遣された桐子が参謀役として控え、彼女の的確な戦況分析のもと、洋助が各陣営の防衛ラインを緻密にコントロールしている。彼らが直接前線に出ずとも、その完璧な盤面支配によって建造現場の安全は確保されていた。
前線で物理的な防衛線を死守しているのは、「都市を駆ける修験者」として名を馳せるクラン『鳳翼山伏衆』であった。代表の蔵王権蔵を筆頭とする彼らは、超人的な肉体の体現者であり、溢れ出る異形の群れを素手と巨大な錫杖で次々と粉砕していく。
彼らのその無双の戦振りを支えているのが、下町の町工場を束ねる凄腕の社長・一鐡轍吉である。彼が油まみれになりながら火花を散らして打ち出す特殊な対魔装甲や呪具武器は、いかなる最新兵器よりも頑丈で、確実に前線の者たちの命を繋いでいた。
さらに、防衛線の要として広範囲の制圧を担っていたのが、『曼荼羅浄土門』の代表・蓮華院慈空である。鉄壁の結界と死者の救済を司る仏教系の権威である彼は、高僧たちと共に巨大な曼荼羅を展開。押し寄せる泥のような怨念を光の障壁で弾き返しつつ、穢れに取り込まれた哀れな魂たちに読経で引導を渡し、次々と浄化・救済していった。
地上で苛烈な防衛戦が繰り広げられる中、安全が確保された広大な地下空間では、前代未聞の光景が広がっていた。
TIAの風間助平と天才電脳少女・高子が、複数のスーパーコンピューターを並べ、霊力と電子データを融合させた中枢OSのプログラミングを猛スピードで構築していく。
その周囲では、陰陽庁執行部・『六壬』のトップである土御門泰臣と朔夜が、膨大な穢れを抑え込むための強固な「五行結界」を敷き詰めていた。
「チッ、なんでTIAの連中の下請けみたいな真似を……」と朔夜が舌打ちをしながらも、その術式に一切の妥協はない。
さらに奥では、古神道結社『八咫烏』の葉室嗣綱を筆頭に、鶴子が、神聖な祝詞を奏上しながら、東京中から集まる霊脈のバイパスを安全なルートへと開通させていく。
パイプラインの出口には、イギリスの対魔組織『聖三条騎士団』の騎士団長エドワードが、巨大な銀の十字架を打ち込み、最高純度の「神聖浄化陣」を展開していた。
陰陽道、古神道、西洋魔術、仏教、修験道、現代科学、そして大国の最新技術。
かつては相容れることのなかった異端の力と技術が、一つの巨大な「炉」を完成させるために、見事なまでのパッチワークとなって組み上げられていく。
その巨大な炉の心臓部を組み上げたのは、新たに招聘された二人の天才だった。
帝都大学で霊子力学を研究する異端の学者・真田大好。七十を過ぎてなお現役の彼は、常に気難しいしかめっ面で図面を睨みつけながら、怨念をエネルギーに変換するタービンの理論設計を執念で完成させた。
そして、帝国重工から出向してきた実務の鬼である現場監督・権田朝陽。四十歳の彼は、真田の複雑怪奇で無茶な要求に対しても「ガハハッ! やってやろうじゃねえか!」と持ち前の豪快な性格で笑い飛ばし、ハキハキとした統率力で現場をまとめ上げ、寸分の狂いもなく巨大プラントとして物理的に組み上げてみせたのである。
「……チッ、計算通りとはいえ、よくあのふざけた期間で組み上げやがったな、重工の連中も」
真田教授が白衣を翻して憎まれ口を叩くと、ヘルメット姿の権田は白い歯を見せて力強く頷き、起動レバーを握った。
「よぉし! 先生の最高傑作、帝都の新心臓に火入れ式といくぜ! 第一から第五バルブ、全開だぁっ!」
権田がレバーを引いた瞬間。
地下空間を満たしていた漆黒の穢れが、強烈な吸引力で『大禍つ炉』へと吸い込まれていく。五行結界で圧縮され、神聖浄化陣で濾過された穢れは、タービンの中で臨界を迎え、眩いほどの青白い光へと変換された。
ゴォォォォォォォォッ……!!
「出力、規定値を突破! 安定しています!」
高子の弾んだ声が地下指令室に響く。
怨念から生み出された、無尽蔵の『クリーンな電力(霊力発電:エーテル・パワー)』。
東京の地下に、世界最大の、そしていかなる物理法則をも超越した「発電所」が誕生した瞬間であった。




