『静かなクーデター』
✴︎『静かなクーデター』
帝都・東京を未曾有の危機から救い出した、地下深層における『東京霊脈戦線』。
神話級の古竜と極黒の魔王による人知を超えた死闘の余波は、物理的な破壊だけにとどまらず、国家の中枢である永田町と霞が関に、かつてない激震をもたらしていた。
事態が終息し、重苦しい空気が漂う防衛省の極秘会議室。
そこに、血と硝煙、そして死臭を色濃く纏ったままの二人の男が立っていた。
自衛隊・特殊作戦群『極暑』の指揮官である山本貞二郎一等陸佐と、警視庁・公安部『特殊呪歌対策課』の葛西研二課長である。
彼らは本来、犬猿の仲とも言える軍と警察のトップであり、内閣府・第七神祇課『彼岸花』の室長である赤城太郎の命令下で動く駒に過ぎなかった。
だが、あの絶望の地下空間で、彼らは見たのだ。国家の予定表など全く通用しない、圧倒的な滅びの力を。そして、それをねじ伏せた『規格外の特異点』の存在を。
「……以上が、地下における事の顛末のすべてである」
山本一佐は、分厚い報告書――否、『連名の告発状』を、政府上層部が並ぶ長机に叩きつけるように置いた。
その顔には、死線を越えた者だけが持つ、凄まじい覇気が宿っていた。
「赤城室長は、現場の状況を完全に無視し、自衛隊の戦力と都民の命を天秤にかけ、暴走した。……我々がテロリストと名指しして攻撃を仕掛けたTIA(高田馬場囲碁愛好会)の協力と、彼らが擁する『極黒の魔王』の武力がなければ、我が師団は全滅し、帝都は今頃地図から完全に消滅していたのだ!」
葛西課長もまた、鋭い視線で政府高官たちを睨み据える。
「赤城の予定表は、国家を滅ぼすためのただの紙屑に過ぎなかった。現場の人間として、あの男の独断専行と非人道的な采配を、これ以上見過ごすわけにはいかない」
軍法会議すら辞さない、現場の二大実力者による前代未聞の反旗。
政府中枢はパニックに陥った。赤城のやり方が強引であることは周知の事実だったが、事態を収拾するためのスケープゴートが必要だったのだ。
* * *
政府が対応に苦慮し、右往左往する中。
事態に決定的なトドメを刺したのは、他ならぬTIAの代表――風間助平であった。
深夜の総理大臣官邸、極秘会談の場。
普段はスケベな笑顔を絶やさない白髭の老人は、この日ばかりは『伝説の霊能者』としての絶対的な威圧感を放ち、総理大臣と官房長官の前に座っていた。
「……さて、単刀直入に言おうかのう」
助平は懐から一つの薄型メモリを取り出し、無造作に最高権力者たちの前のテーブルへ放り投げた。
「これは、うちの天才電脳少女(高子)が、彼岸花の地下指令室から引き抜いてきたデータじゃ。赤城が貴様らの決裁も仰がずに極秘の軌道兵器を起動させた『暴走のシステムログ』、そして、あのままいけば帝都がどうなっていたかを示す『完全な崩壊シミュレーション』がすべて入っておる」
総理と官房長官の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「このデータを諸外国やマスメディアに流せば、どうなるか……わかるな? 内閣は三日と持たずに吹き飛び、国家の霊的防衛の脆弱性が全世界に露呈することになる」
「き、貴様……国家を脅迫する気か……!」
官房長官が震える声で絞り出すが、助平は冷酷に鼻を鳴らした。
「脅迫? 笑わせるな。これは『交渉』じゃ。……我々TIAをテロリスト指定から直ちに外し、帝都地下の『完全なる不可侵の自治権』を我々に認めよ」
助平は身を乗り出し、政府のトップたちを鋭く睨み据えた。
「さもなくば……数千万の呪いを平然と胃袋で喰らい尽くした『あの魔王』が……次はお前たちの国会議事堂を更地にすることになるぞ?」
――極黒の魔王、恋問持子。
その規格外の暴力の化身を、彼らは完全に飼い慣らしている。その事実こそが、いかなる兵器よりも恐ろしい『究極の抑止力』であった。
政府上層部は、底知れぬ恐怖にただ平伏し、条件を呑むしかなかったのである。
* * *
数日後。
すべての責任を負わされた赤城太郎の失脚は、あまりにもあっけないものだった。
彼は即座に第七神祇課の室長の座を剥奪され、『彼岸花』は事実上の解体・権限縮小処分を受けた。
冷たいコンクリートの壁に囲まれた取調室。
手錠をかけられ、虚ろな目で床を見つめる赤城の前に、一人の男が現れた。
「……お迎えに上がりましたよ、元・室長」
銀縁眼鏡を押し上げながら冷たく見下ろしてくるのは、かつて彼が「完璧な予定表の歯車」として使い捨てにしようとした元部下、霞涼介であった。
「……霞、か。国家の裏切り者であるお前が、私を処刑しに来たというわけか。……ふっ、合理的な判断だ」
赤城は自嘲気味に笑った。
しかし、霞は首を横に振った。
「処刑? そんな無駄なことはしません。あなたのその優秀な頭脳は、まだ使い道がありますからね」
霞によって連行された先は、刑務所でも処刑場でもなかった。
それは、帝都の地下深くに存在するTIAの本部。その一角にある、薄暗く、書類の山がうず高く積まれた粗末なデスクの前だった。
「……ここは?」
「今日からあなたの新しい職場です。おめでとうございます、赤城さん。あなたは『TIA専属の資金調達・事務処理担当』……平たく言えば、下っ端の経理に任命されました」
「なっ……!?」
赤城の顔が、屈辱に歪む。
国家のエリート官僚として、常に他者を見下し、国を動かしてきた自分が、民間組織の薄暗い部屋で、テロリスト扱いしていた連中のために電卓を叩けと言うのか。
「かつてあなたが国家の権力と予算で我々を使い捨てにしたように……これからは、あなたが古巣の政府を脅し、莫大な予算を『合法的に搾取』してくるんです。魔王様(持子)の莫大な食費と、我々の活動資金のためにね。……期待していますよ、集金マシーン」
霞は冷酷な笑みを浮かべ、赤城の肩をポンと叩いて部屋を去っていった。
「……ッ」
薄暗いデスクに一人残された赤城は、目の前に積まれたおびただしい量の『請求書』と『領収書』の山を前に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
ラーメン二郎の領収書、時価五万円のパフェの領収書、そして莫大な武器の修繕費。
「……完璧な予定表など……もう、この世界のどこにも、ないのですね……」
赤城太郎は、銀縁眼鏡を外し、乾いた笑いを漏らしながら、ただひたすらに請求書の束にハンコを押し始めた。
同時に、この圧倒的な政治的勝利と、政府の完全な屈服を目の当たりにした六壬(陰陽庁)や八咫烏(古神道)の保守派たちも、もはやTIAに逆らうことはできず、次々と軍門に下っていった。
現場の反逆から始まったこの静かなクーデターにより。
TIA――そしてその背後に君臨する極黒の魔王は、名実ともに『帝都の裏の支配者』としての絶対覇権を確立したのである。




