錬金術師と旅商人
目の前を流れる、透き通るような川のせせらぎが、さらさらと耳を撫でて過ぎていく。
何となしに指で触れてみると、想像していたよりもずっと冷たい感触に、思わず「ひゃっ!」と小さく悲鳴を上げてしまう。
「む? どうした?」
「あ、ごめんなさい。川の水が意外と冷たかったので」
「そうか。もう秋だからな……一年が過ぎるのはあっという間だな」
大きな剣を携えて辺りを警戒するように見渡していたジュストさんが、しみじみと呟く。
「ところで、もう採取は良いのか?」
「はい。目的の薬草はこの通り取れました」
私は立ち上がるついでに手にした薬草をジュストさんに向けて掲げる。
ジュストさんは薬草にずいっと顔を寄せて顎ひげを触りながらじっと見つめる。
次に辺り一面に生えている雑草へ視線を落とし、首を捻った。
「ふむ、やはり違いが分からないな」
「あはは……。まあ、この薬草は特に見分けが付き難い種類ですからね」
一見するとこの辺りに生えている雑草と同じだが、良く見ると葉っぱの根本にある葉脈の形が僅かに違うのだ。
とはいえ、この違いが分かるようになるまで私もかなりの日数を要した。
ジュストさんならあるいは、とも思ったが、やはり分からないようだ。
「ところで、目的の採取地はここで最後だったか?」
「はい、そうです」
「ならば日が暮れ始める前に引き返すとしよう」
「分かりました」
私は薬草をローブ左側の袋へ入れ、パンパンと手と服に付いた土を払う。
そして川から遠ざかるように移動し始めたジュストさんを追い掛ける。
夏の暑さも和らぎ、森林の木々も徐々に緑から黄色へと色付き始めた頃。
私は街の外にしか生育していない草花や鉱石を求めて、ジュストさん護衛の元、採取に出ていた。
本当はジュストさんに採取をお願いしたいところなのだが、先の薬草など、見分けが付き難い素材は意外と多い。
そのため今回は護衛という形で依頼し付き添ってもらっているのだ。
鬱蒼とした茂みの中を歩くこと数十分。
途中で何度か魔獣にも遭遇しつつもジュストさんが素早く対処。
太陽が傾き始めたところでようやく目の前が開けた。
「ふう……。ようやく茂みを抜けましたね」
「ああ。まだ歩けるか? それとも一度休憩するか?」
「まだまだ大丈夫ですよ!」
これでも日頃から身体を動かすよう心掛けているのだ。
私が握りこぶしを作ってみせると、ジュストさんはふっと笑みを浮かべた。
「そうか。では、このまま街道まで戻ってから一度休むとしよう」
「はい」
水辺や森林の中は強い魔獣が生息しており、逆に現在いる場所のような平原では比較的弱い魔獣しかいない。
特に街道は最も安全とされており、飛行船が発達した今でも急ぎの商人などが利用している。
背後に茂みがあるこの場所で休むより良いだろう。
……凄腕の狩猟師であるジュストさんからすればどちらも大した差はなさそうではあるが。
茂みの中より襲ってくる魔獣の数も少なく、比較的のんびりとした足取りで進む。
やがて一面の緑の中に街道らしき白茶色の線が見えたところで、突然ジュストさんが歩みを止めた。
また魔獣だろうかと周囲を見渡し、街道のある一点で違和感を覚えた。
「ジュストさん、あれって……」
「見えたか。おそらく商人の馬車だろうが、止まっているのは不自然だな」
――そう、街道の途中で馬車が立ち往生しているのだ。
馬車を見かけること自体珍しいのだが、それよりもいくら街道とはいえ止まっていたら魔獣の格好の的である。
もしかして、何かトラブルでもあったのだろうか。
私は魔獣に襲われて死んだという両親を思い出し、さっと血の気が引くのを感じる。
「何かあったのかも……!? 急いで助けないとっ!」
「待て。そう無闇に突っ込むな」
「でも……!」
駆け出そうとしていた私の腕をジュストさんの大きな手が掴んで引き留める。
振り払おうとするが、私の力程度ではがっしりと掴まれたその手はピクリとも動かない。
半ば睨むように視線を向けると、ジュストさんは静かな声で「落ち着け」と言った。
「何も急ぐなとは言っていない。だが、冷静さを欠けばそれが命取りになることもある」
「あっ……。ご、ごめんなさい」
ジュストさんに言われてようやく周りが見えていなかったことに気付く。
もし慌てて駆け出した先で魔獣に襲われたら、平静さを失った私では対処できず呆気なく命を落としていただろう。
ジュストさんはそれを危惧して駆け出そうとした私を止めてくれていたのだ。
落ち着いた私を見て、ジュストさんは手を離して大きく頷いた。
「分かってくれればそれで良い。さて、周りに注意しながらなるべく急いで向かうぞ。私のそばから離れるなよ」
「は、はい!」
私でも十分付いていける速さで駆け出したジュストさんを追い掛け、私も返事をして走り出す。
馬車が近付くにつれてその詳細が明らかになってきた。
馬車は二頭立ての幌馬車が一台のみ。
見える限りでは狩猟師らしき人が三人、武器を片手に周囲に目を光らせている。
そのうちの一人が商人らしき格好の男性とともに、私たちの方を警戒するように見ていた。
どうやら魔獣に襲われて全滅、という訳ではないようでとりあえず一安心だ。
やがてお互いの顔が分かるほどまで近付いたところでジュストさんが足を止め、私もその少し後ろで立ち止まった。
商人の隣にいる狩猟師が武器を掲げたまま「止まれ!」と声を張り上げる。
「お前たち、何者だ? なぜこんな場所にいる?」
「私たちはこの付近にあるリガロという街に住んでいる者だ。私は見ての通り狩猟師で、こっちの娘は錬金術師だ」
「……錬金術師?」
「ああ。彼女の依頼で素材の採取に出ていたところ、この馬車を見つけたのだ」
ジュストさんが説明するも、訝しげな表情を浮かべたままの人たち。
まあ、街の外で他の人に会うことなどまずないし、警戒するのは当たり前だろう。
「これ、許可証です」
私はローブの内ポケットから許可証を取り出し、ふわりと弧を描くように投げた。
許可証には私の身分を証明する情報――名前や職業など――が書かれているため、あれこれ言うより見て貰った方が手っ取り早いだろう。
私の許可証を受け取った狩猟師さんは隣の商人さんと一緒に覗き込み、なぜか驚いたように私と許可証を何度か交互に見た後、警戒を解くように武器を下ろした。
「……確かに。失礼した」
「いや、用心するのは当たり前だ。納得してくれればそれで良い。それより、そちらはどうしてこんな草原の真ん中で止まっているのだ?」
「それが、あの通り馬が魔獣にやられて怪我をしてしまいまして……」
ジュストさんの質問に答えたのは、それまで黙っていた商人さん。
彼が指差した方へ目を向けると、二頭の馬のうち片方が座っており、よく見るとその前足に血の滲んだ包帯が巻かれていた。
「今、護衛の一人に街まで救援を呼びに行って貰ったところなのです」
ここから街の壁がぎりぎり見えるくらいなので、往復と救援を呼ぶ時間を考えると五、六時間といったところだろうか。
そんな計算をしていると、ジュストさんが「なるほど」と頷いて狩猟師さんへ顔を向けた。
「状況は把握した。私たちに手伝えることはあるか?」
「できれば救援が来るまで護衛を手伝って頂きたい。仲間も先の戦いで疲労しているし、できれば休ませてやりたいのだ」
「……レティ嬢、どうする?」
「もちろん手伝いますよ! って、魔獣が来た時に戦うのは私じゃなくてジュストさんですよね……お願いできますか?」
元よりここで見捨てる気などない私は、確認するようにこちらを見たジュストさんに対して即答する。
とはいえ、実際に魔獣が来た際に戦うのは私ではなくジュストさんである。
そう思っておずおずと尋ね返すと、ジュストさんは表情を柔らかくした。
「無論だ。――そういう訳だ、救援が来るまで私も護衛に加わろう」
ジュストさんがそう言って手を差し出すと、狩猟師さんと商人さんは顔を見合わせて頷いた後、それぞれジュストさんの手を握り返した。
「恩に着る」
「助かります、ありがとうございます」
◇◇
商人さんから許可証を返して貰った後、ジュストさんは見張りの一人と交代。
手持ち無沙汰になった私は商人さんの許可を得て馬の怪我を見ていた。
ちょうど摘んできたばかりの薬草が手元にあるし、手当てだけでもできないかと思ったのだ。
「よしよし、良い子だね。ちょっと怪我見せてね」
私が近付いても特に立ち上がったり暴れたりする様子のない馬を撫でつつ、包帯をほどく。
現れたのは爪で切り裂かれたような痕。
足の付け根から先に掛けて深く切られているため、確かにこの状態で馬車を引くのは難しいだろう。
私はふわふわなたてがみを撫でながら、先ほどからちらちらとこちらを見てくる狩猟師の一人へ顔を向けた。
「あのー。そういえば、何の魔獣に襲われたんですか?」
「ん? ああ、ダイアウルフの群れだよ」
「群れ、ですか。良く無事でしたね」
「ははっ、まったく本当に災難だったよ」
疲労の滲んだため息を漏らしながら、乾いた笑みを浮かべる狩猟師さん。
ダイアウルフは体長二メートルほどのオオカミに似た魔獣である。
鋭い牙と爪は軽鎧をも貫き、平原の魔獣の中では飛び抜けて凶暴とされている。
その群れに襲われて被害がこれだけというのなら、不幸中の幸いといったところだろう。
私はお礼を言うと、再び傷口を確認する。
「うーん……。薬草だけじゃ無理そうだね」
さすがに馬の治療の経験はないが、傷口の大きさや深さからして薬草を潰して塗るだけではあまり効果がなさそうだ。
となると、より効果の高い薬を作るのが良いだろう。
一度包帯を巻き直しながら、今日採ってきた素材の中で使えそうな物を頭の中に並べていく。
薬草である『白秋花』に、トルソンと呼ばれる川に生息する魚型の魔獣のヒレと鱗。
水は口を付けていない水筒がまだ一個あるのでそれを使えば良いだろう。
後は『活性粉』があると良いのだが……。
「一度商人さんに聞いてみようかな。……もうちょっと待っててね」
どこでも手に入る物とはいえ、商人さんなら持っている可能性はある。
包帯を巻き終えると、最後に一度だけ馬を撫でてから商人さんの元へ向かう。
馬車の後方で小さなイスを広げていた商人さんは、私に気付くと人好きのする笑顔を浮かべて出迎えてくれた。
「おや、ライエ様。どうされました?」
「えっと、薬草だけでは治療が難しそうなので、錬金術で薬を作ろうかと思っているんです。それで『活性粉』が欲しいのですが、ありますか?」
「おお、そこまでして頂けるとはありがたい限りです。『活性粉』でしたらわずかですが在庫がありますよ。すぐにお持ちしましょう」
商人さんはそう言っておもむろに立ち上がると、体格に似合わず身軽に馬車へ飛び乗り幌の中へ入っていく。
幌の中から商人さんと別の誰かの話し声が聞こえ――。
「錬金術! そんな面白そうなこと、見逃せませんわ!」
――次の瞬間、幌が内側からばさっと勢い良く開いたと思うと、ドレスを纏った少女が現れ、その勝気そうな顔に実に楽しそうな笑みを浮かべたのだった。




