錬金術師と湖
浴槽に貯める水に関しては『雨含石』を使うということで決まり、私たちはもう一つの問題である木材を確認するため森林の中を歩いていた。
青々と茂った木々の合間を縫い、乾いた土をジャリジャリと楽しげな音を立てて踏みしめつつ、先導するロザリーを追い掛けるように歩みを進める。
さすがに七月となると日差しだけでなく気温自体も暑くなり、木々の影を歩いているだけにも関わらず汗ばんでしまう。
「オレ、こっちに来ることあまりないんだが、凄いなこの森。どうやったらこんなバラバラな種類の木が育つんだ?」
周囲の木々を眺めていたヴァネッサさんが感心するように呟いた言葉に、以前同じ話をした際のロザリーの悲しげな表情が脳裡をよぎる。
私は「あー」と間延びした声を上げた後、話題を変えようと質問を質問で返す。
「えっと、ヴァネッサさん、木の見分け付くんですか?」
「ははっ、オレだって技師だからな。木や石の目利きなら自信あるぜ!」
ちょっと強引過ぎたかと思ったが、気付いた様子はなく乗ってくれるヴァネッサさん。
そんな彼女に私は心の中で謝罪と感謝をしつつ、数メートルほど先を飛ぶロザリーも聞こえた様子がないことにホッと息を吐いた。
「じゃあ、今度分からない素材を手に入れたら、ヴァネッサさんに聞いてみることにしますね」
「おう! 任せておけ!」
それからヴァネッサさんと木の見分け方で盛り上がりながら歩くこと数分。
私にも分かるくらいに周囲の木の種類が揃ってきた辺りで、先導していたロザリーがこちらを振り返って大きな声を上げた。
「二人とも、見えてきたよ!」
その小さな指が指し示す森林の奥に、青く透き通る光が少し見える。
逸る気持ちを抑えて、けれど自然と早足になって森林を抜けた。
「――わあっ!」
出迎えてくれたのは、太陽の日差しを反射してキラキラと光る水面。
透明度の高い水は晴れ渡る空の色を写してスカイブルーに輝いている。
吹き抜ける涼しく心地いい風が水の冷たさを物語っているようだ。
「きれい……」
「ね、凄いでしょ?」
「……うん」
二つに結った金色の髪を風になびかせながら隣にふわっと飛んできたロザリーが、私の思わず溢した呟きに優しげな表情を浮かべる。
湖を眺めつつ、吹き抜ける風で歩いて火照った身体を冷ました後、そういえばヴァネッサさんの姿が見当たらないと後ろを振り返った。
ヴァネッサさんは湖の際に生えている木の一本を見上げたり幹を触ったりしていた。
綺麗な湖よりも木材を優先するその姿勢にヴァネッサさんらしいなと内心で苦笑しつつ、私はきびすを返して近寄ると声を掛けた。
「ヴァネッサさん。この辺りの木、使えそうですか?」
「ああ、かなりしっかりしているな。水にも強い種類だし。これなら問題なさそうだぜ!」
「良かった」
「ただ、思った以上に距離が遠いから、運ぶのに一苦労しそうだな。時間が掛かるのは大目に見てくれよ?」
「もちろんです! 無償で作って頂けるのに、そこまで無茶は言わないですよ」
「ははっ、レティはそういうヤツだったな!」
弾けるように笑って私の肩をぺしぺしと叩くヴァネッサさんに、私も微笑みを返して湖へ顔を向ける。
実を言うとヴァネッサさんの言った「一苦労」という言葉に申し訳なさを覚えてしまったのだが、それを伝えたところで聞き入れては貰えないだろう。
かと言って非力な私では文字通り力になれそうもない。
湖を眺めながらどうしようかと思案していると、ひとしきり笑って満足したのか、ヴァネッサさんが「さて」と一息入れた。
「せっかくだからオレはしばらくこの辺りの木を見て回るつもりだが、二人はどうする?」
「お店そのままにして来ちゃったし、アタシは戻らないといけないかなー」
「私も『雨含石』について少し調べたいので、戻りますね」
「そっか。数日は木を切ったり乾燥させたりしてるから、風呂小屋の打ち合わせはまたそのうちにな」
「分かりました」
私が小さくお辞儀をすると、片手を上げて湖に沿って歩き出すヴァネッサさん。
その背中をしばらく見つめた後、隣のロザリーへ顔を向けた。
「じゃあ、私たちも帰ろっか、ロザリー」
「んー。ねえ、レティ。何か悩んでない?」
顎に人差し指を当てて何かを考えていたロザリーの発した言葉に、思わず顔が強張ってしまったのが分かる。
慌てて平静を装うが、ロザリーの疑うような視線にこれは誤魔化せないなと感じ、私ははあと息を吐いた。
「……良く分かったね」
「まー、もう二ヶ月も一緒に住んでるからね。それで、どうしたの?」
「うん、実は……」
お店への道すがら、木材の運搬を手伝いたいが難しいことを相談する。
するとロザリーは何をそんなことと言いたげにきょとんとした表情を浮かべ、その場に停止した。
変なことを言ったかと心配になりつつ、私も足を止めてロザリーを振り返った。
「そんなの、誰かに手伝って貰えば良いじゃん」
「――あっ、そっか。……ロザリーって、意外と頭良いよね」
「意外ってどういう意味かなー、レティ?」
すっと目を細めるロザリー。
私は視線を逸らしつつ「あはは……」と乾いた笑いを漏らした。
「ま、『キャラメリィ』の時と言い、時計塔の時と言い、レティは一人で解決しようとしないでもう少し周りを頼ると良いよ」
「……うん、そうするよ。ありがとう」
すぐに真面目な表情に戻して言ってくれたそんな言葉に、私は素直に感謝の意を伝えるのだった。
◇◇
「――それで私に声を掛けたという訳か」
その翌日。
私はお店の掃除や薬の調合をすぐに片付けて街へ出掛けると、まっすぐ街の北部にある狩猟師組合へ向かった。
そして、街の外へ出ていなければ朝はそこにいると言っていた知り合いの狩猟師、ジュスト・カッセルさんを見付けて声を掛けた。
それから近くの食堂へ入り、早めの昼食を取りながら一通りの事情を説明すると、ジュストさんはなるほどと頷いた。
乾いた口を潤すようにコップに入った水を飲み、テーブルの上へ置いてから私は再度口を開く。
「はい。何とかお願いできないでしょうか? もちろん報酬はお支払します」
「もちろん手伝おう。それと、報酬はなくて良い」
「え、でも……」
即答で返事が戻って来て喜ぶも、その後に続いた有無を言わせぬ一言に私は口ごもってしまう。
そんな私を見たジュストさんは表情を緩めて苦笑する。
「ロザリー嬢にももっと他人に頼れと言われたのだろう? 私も『真紅の霊薬』のことで君には恩があるのだ、それくらい手伝うさ。それに木を運ぶ程度ならちょうど良い鍛練になるだろうからな」
「あはは。じゃあ、お願いします」
顎ひげを触りながら口の端を上げたジュストさんに、私も笑いを返しながら頭を下げる。
「では、昼食が済んだらその湖へ案内してくれるか? まだこの街に慣れていないうえ、特にあの森林は街中にあるものとしては破格の広さだからな」
「分かりました」
妖精が住んでいるから、と言う訳にもいかず頷くに留め、話し込んでいたためすっかり冷めてしまったスパゲティの残りをフォークで巻き取り頬張った。
ほどなくして昼食を食べ終えた私とジュストさんは、連れ立って湖へ向かう。
北の大通りから直接目指せば近いとは思うが、迷う可能性を考えて少し遠回りだが一度お店を経由する。
そのうち森林をロザリーに案内して貰おうと頭の片隅に留めていると、昨日と同じ湖の景色が目前に広がった。
「ほう、これは壮観だな。これほどまでに美しい湖はなかなかないぞ」
「あ、やっぱり綺麗なんですね」
「ああ。街の外の湖はたいてい魔獣の住み処になっているから、もっと荒れている。そもそも水中にも魔獣が潜んでいるからな」
荒れているという街の外の湖のことを思い浮かべているのか、眉間にしわを寄せるジュストさん。
私も先生から、街の外にある川や湖といった水辺には近寄らないようにと言われていたことを思い出した。
確か、水辺を縄張りにしている魔獣は、森や山、洞窟といった辺境の地に生息する個体と同じくらい凶暴だと言っていた覚えがある。
もっとも、故郷サントスの近くには川も湖もなかったので見たことはないのだけれど。
「――あれ、レティか?」
そんな先生の言葉を思い出して懐かしんでいると、不意に後ろから声が掛かった。
振り返ると、以前と同じく汚れた前掛けを身に付けたヴァネッサさんが、驚いたように目を瞬かせていた。
右手にはノコギリを握りしめているので伐採の作業中だったのだろうか。
「えっと……お邪魔だったか?」
「何でですかっ!」
私とジュストさんを交互に見ると左手で頭の後ろを掻いてそんなことを言うヴァネッサさんに、私は思わず全力で突っ込んでしまう。
ヴァネッサさんはからからと楽しそうに笑った後、「悪い悪い」と手を振った。
「冗談だよ、冗談」
「――もうっ!」
「で、そっちはどちらさんなんだ?」
私が口を尖らせていると、ヴァネッサさんがジュストさんへ視線を向けた。
「私はジュスト・カッセル。狩猟師をしている」
「狩猟師? またなんでこんなところに……まさか魔獣でも出たのか!?」
見る見るうちに顔を強張らせると、警戒するように辺りを見回すヴァネッサさん。
街の中で魔獣が発見されることは稀にあり、理由は分からないが鳥が運んで来た魔獣の卵や幼体が成長したのではと推測されている。
とはいえ今回は魔獣が見つかった訳ではないので、私は慌てて顔の前で手を横に振った。
「違います違います! ジュストさんは私の知り合いで、今回の小屋の件を手伝ってくれるようお願いしたんです。ジュストさん、こちらは技師のヴァネッサさんです」
「よろしく頼む、ヴァネッサ嬢。手伝うと言っても私には力仕事くらいしかできないのだがな」
「そうなのか。いや、それでもこっちとしては助かるぜ!」
魔獣がいないと知って安心したように息を吐いたヴァネッサさんは、その後ジュストさんに運ぶ木材の場合や予定などを伝える。
しばらく頷きながら聞いていたジュストさんだったが、説明が終わったタイミングで口を開いた。
「ふむ、木材の搬入に関しては理解した。ところで、伐採は手伝わなくても良いのか?」
「そっちも手伝ってくれれば嬉しいけど、倒れる方向とかノコギリの使い方とか、意外と難しいぜ?」
「なるほど……」
ただ木を切るだけでもいろいろと技術がいるようで、ヴァネッサさんの説明を感心しながら聞く。
すると、顎に手をやりながら何かを考えていたジュストさんは近くにある木へと近寄った。
そして昨日ヴァネッサさんがやったのと同じように見上げたり幹に手を添えて押したりする。
「ふむ、念のため少し下がっていろ」
首だけ捻って掛けられた声に、私とヴァネッサさんは顔を見合わせつつも、素直に後ろに下がる。
それを満足そうに見たジュストさんは、おもむろに腰に提げられた大きな剣を抜き――。
「――ジュストさん!?」
「ちょっ、おっさん!」
私たちの制止の声が届くよりも早く、一閃。
次の瞬間、ミシミシと音を立てながら木が横へ倒れていき、最後に小さな地鳴りを起こして横倒しになった。
突然の事態に驚いて縮こまっていた身体を上げ、切り株となった木を見ると、まるで加工済みのような綺麗で平らな断面が顔を覗かせていた。
「ノコギリの使い方は分からないが、倒れる方向だけならどうにかなるな」
倒れた木を眺めながらなんてことなしに呟き、剣を鞘に収めるジュストさん。
その様子をぽかんと口を開けたまま見ていたヴァネッサさんは、私へ顔を向けてきた。
「……なあ。狩猟師ってみんなこんな感じなのか?」
「いえ、ジュストさんだけだと思います……」
「だよなあ……」
私とヴァネッサさんの会話に、不思議そうに首を傾げるジュストさん。
改めて凄い人だなと認識しつつも、どこか抜けているなと心の中で苦笑いした。




