錬金術師と新たな一歩
――ピチャン。
額に落ちてきた水滴の冷たさに私は目を覚ました。
湯気の向こうにある石造りの天井を見つめながら、どうやらいつの間にか意識を手放してしまっていたようだとぼんやりと考える。
戻って休むようヴァネッサさんに言われて時計塔を出た私は、しかしお店へは戻らず、住宅街にあるこの公衆浴場へ来ていた。
もともと依頼の達成祝いと寄って帰ろうと思っていたため、タオルや替えの服などを持ってきていたのが幸いした。
ただし、祝賀会ではなく残念会になってしまったが。
私は「はあ」と一つため息を付いてからゆっくりと頭を起こして周囲を見渡す。
どれくらい眠っていたのかは分からないが、来た時と同様に浴場には人の陰は見当たらない。
ロザリーのお店もそうだったが、夕方から夜に掛けてという一番の書き入れ時に、私以外のお客がいないとか大丈夫なのだろうか。
……いや、人のお店の心配をしている場合ではないだろう。
私は頭を振ると、額や耳に張り付いた髪を掻き上げる。
そこでようやく帰り際にずっと腕の痛みが引かなかったことを思い出し、左右の手をそれぞれ揉んでみる。
多少強く触ってみても痛みは走らないため、ちゃんと治ったようだ。
安心してほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、チャポンと口元まで湯船に沈める。
確かに先の部品は形が複雑ということもあったが、正直成功するかどうかは半々だと思っていた。
しかし結果は成功、失敗以前の問題で、エーテル操作が追いつかないという状態。
これでは先生のような立派な錬金術師になるなんて夢のまた夢だ。
「……ネガティブになっていても仕方がないよね」
今回の錬金術で思い知ったのは、私のエーテル操作は未熟だということだ。
ただ、これに関しては一朝一夕でどうにかなるものではなく、長い時間を掛けてゆっくりと負担に慣れさせていく必要がある。
そのため、今回の依頼は別の方法で解決する必要がある。
――もちろん諦めるという選択肢は、ない。
「うーん……。別の方法かあ」
そう独りごちて考えてみるが、なかなかすぐに良いアイデアは思い浮かばない。
調合ではなく金属の加工であるため、エーテルを流し込む速度は多少遅くしても良いのだが、それはすでにやっている。
腕の負担はわずかに減ったものの結果は変わらずだった。
そのまま考えること数分。
結局良いアイデアは思い浮かばず、そろそろ上がろうかと思った時――。
浴場と脱衣所を繋ぐドアの開く音が聞こえ、私は無意識にそちらへ顔を向けた。
「危ないから走っちゃ駄目よ?」
「はーい!」
湯気で姿ははっきりしないが、声や話の内容からすると親子だろうか。
しかしこの声、どこかで聞いたことがあるような気がする。
そう思って湯気の向こうをじっと見ていると、小さい陰がこちらへ向かってきた。
「あー! お姉ちゃんだ!」
「えっ、アリエルちゃん? ということは、もしかしてそっちはポーラさんですか?」
「あらあら、こんばんは。こんなところで会うなんて偶然ね」
ぱたぱたと裸で駆け寄ってきたアリエルちゃんの後ろからは、タオルで髪を巻いたポーラさんが別のタオルを片手に歩いてきた。
ポーラさんはそのまま湯船に入ろうとするアリエルちゃんの手を握ると、壁際に設置された洗い場を指差した。
「入る前に身体を洗いましょうね」
「えー! お姉ちゃんと一緒に入りたい!」
「あはは……。私はもう少しいるから、先に洗っておいで」
「うー、分かった。ちゃんと待っててね!」
駄々をこねるアリエルちゃんに苦笑いしながらそう言って手を振ると、彼女は再びぱたぱたと元気よく洗い場の方へ向かって行った。
頬に手を当てて「あらあら」とその様子を見ていたポーラさんは、八の字に眉を寄せた顔を私に向けた。
「ゆっくりしていたところをごめんなさいね」
「いえ。私もアリエルちゃんに会えて嬉しいですから、気にしないで下さい」
「おばあちゃーん! 早くー!」
「はいはい、すぐに行きますよ」
洗い場のイスに座って手を振るアリエルちゃんに、私とポーラさんは顔を見合わせてから笑いあった。
◇◇
「ふんふふーん」
「えっと、アリエルちゃん? それ何してるのかな?」
身体を洗い終わったアリエルちゃんは、私の隣に来て一緒に湯船に浸かり始める。
楽しそうに鼻唄を歌う彼女だったが、その両手がお湯の中でくねくねと変に揺れているため思わず尋ねてしまった。
「これ? あみものだよ!」
両手を湯船からちゃぷんと出して私の顔の前に持ってくるアリエルちゃん。
なるほど、確かに良く見ると編み針を持っているようにも思える。
「おばあちゃんに教えて貰いながらやってるの! こう、右手と左手の棒で順番にあんでいくんだよ!」
「へえ、難しそうだね。私、編み物はやったことがないけど、そんな難しそうなことできるのは凄いと思うよ」
「えへへー。あっ、そうだ! 今度お姉ちゃんにも何か作ってあげるね!」
「ふふっ、ありがとう」
満面に喜びの色を湛えたアリエルちゃんは、お湯の中に腕を戻して編み物の練習を再開する。
端から見ていると器用に左右の手が動いており、本当に難しそうに見える。
掬い上げるように右手が動いた後、左手が小さくくるっと回転し、また右手が少し動いて、続いて左手が――……。
「あーっ!」
「わわっ! ど、どうしたの、お姉ちゃん?」
激しい水音を立てながら勢い良く湯船から立ち上がった私に、アリエルちゃんが仰天の声を上げた。
私は腰を低くすると驚きで目を丸くしたアリエルちゃんの両手を取ってぶんぶんと上下に振る。
「ありがとう、アリエルちゃん!」
「えっ、え? まだお姉ちゃんにプレゼントしてないよ?」
「そっちも嬉しいけど、でもこれは別の感謝だよ!」
意味が分からないと困った表情を浮かべるアリエルちゃん。
困惑する彼女をよそに、身体を洗い終えたポーラさんが来るまで、私は満面の笑みで感謝を続けるのだった。
◇◇
そして翌日のお昼過ぎ。
からっとした快晴の中、足取りも軽やかに待ち合わせ場所である中央の広場へ向かうと、ヴァネッサさんが表情の優れない様子で時計塔の前に立っていた。
広場の陽気な雰囲気とは対照的に、彼女の周囲だけどんよりした空気が広がっているのが傍目でも分かる。
もしかして風邪でもひいたのだろうかと心配になりつつ、私はヴァネッサさんへ近寄り声を掛けた。
「こんにちは、ヴァネッサさん。大丈夫ですか?」
「おう、レティか。……もう腕は大丈夫なのか?」
「はい、それはもう! あと、実は昨日の失敗をもとに、秘策を考えてきたんです!」
「秘策……ってことは、もしかして今日もやってくれるのか?」
「もちろんです! 今日こそ成功させて見せますよ!」
私は気合いを表すように胸の前で握りこぶしを作る。
すると、なぜかヴァネッサさんは若干涙目になりながらも「良かったー!」と盛大にため息を吐いた。
「昨日、相当疲弊してたし、もう断られるかと思って心配してたんだぜ……!」
「あっ……なるほど。ごめんなさい、心配お掛けしてしまって」
「いやいや、こっちこそ勝手に諦めて悪かった。さっ、気を取り直して、早速上へ行こうぜ!」
「はいっ!」
カギはあらかじめ開けておいてくれたのか、昨日と同じように先導してくれるヴァネッサさんを追い、私は時計塔の中へ入ると螺旋階段を上っていく。
ゆっくりと階段を上っていく途中、ヴァネッサさんが横目でこちらを振り返った後、おもむろに話し掛けてきた。
「そういえば、さっき秘策って言ってたよな?」
「あ、はい。実は昨日、帰りに知り合いの女の子に会ったんです。それで、その子が編み物に熱中しているらしくて」
「……編み物? それが錬金術と関係があるのか?」
「えっと、編み物自体ではなくてですね。参考にしたのは両手の使い方なんです」
階段を上りながら、私はアリエルちゃんの手の動きを真似して両手を動かす。
それを見たヴァネッサさんは怪訝な表情を浮かべた。
「それ、編み物か?」
「わ、私は編み物やったことないので、動きが適当なのはいいんです! そうではなくて……」
「っと、着いたぜ! 後は実践で見せてくれよな」
恥ずかしくなって両手を後ろに隠したところで、ヴァネッサさんが階段の先に見えた開けたスペースを指差してはにかんだ。
私は「もうっ!」と口を尖らせるとヴァネッサさんを追い抜かすように残りの階段を駆け上がる。
そして、昨日と同じ場所に腰を落としてスクロールを広げて失敗したままの不恰好な金属の塊を乗せると、心を落ち着けるように一度深呼吸をしてから、昨日思い付いたアイデアを思い浮かべた。
錬金術とは、専用の図形を介して素材にエーテルを流し込むことで別の形、効果を持つ物を作り出す術である。
複数の手順が必要な場合は途中で流し込むエーテルの量やスピードを変えることで調整する。
実際、私がこれまでやってきた錬金術では全てこの方法を取っている。
しかし今回の金属加工では、その途中の調整で掛かる負荷に耐えられず上手くいかなかった。
また、今後もより難しい調合に挑む場合、これまでの方法では厳しい場面も増えてくるだろう。
そこで思い付いたのが編み物の動き――つまり左右の手で別々の作業を同時に行うという方法だ。
この方法であればエーテルの流す量を途中で切り替える必要がなく、腕に掛かる負担を大きく減らせる。
要は直列ではなく並列。
もちろん調合中に考えることは増えるし、精密なエーテル操作も要求される。
「けど、今の私にできることは全部やってみよう……!」
ヴァネッサさんに聞こえないようにそう小さく呟くと、私は「よしっ」と気合いを入れてからスクロールへ両手を伸ばした。
今回の錬金術で最もネックになるのが、小さな歯車の作成から他の大きな部品の作成への切り替え時である。
そのため、大きな歯車と軸に関しては左手でエーテルを流し、小さな歯車に必要なエーテルは右手で流し込む。
これを同時……と言いたいところだが、今回は左手、右手の順に行うことにする。
いきなり同時にやるほど無謀ではないし、今回は偶然にもエーテルを流す速度を多少緩めても大丈夫な調合だからだ。
頭の中で考えをまとめ終えると、エーテルを注ぎ込み始める。
まずは左手だけからエーテルを流し、外側の大きな歯車と中心の軸を作る。
そして左手から必要なエーテルを流し終える――と同時に右手に切り替えた。
……光が溢れないということは左右の切り替えは成功したのだろうか。
そう考えながらも最後まで集中力を切らすことなく右手のエーテルを注ぎ込み終え、私はスクロールから両手を離した。
いつものように……いや、いつもよりも眩い光がスクロールと金属の塊を覆うように煌めき、薄暗い時計塔の中を照らし出す。
まるで光によって眠りから呼び覚まされたように、壁一面の歯車一つ一つが光を鈍く反射する。
やがて光が収まった後、スクロールの上にはいくつもの歯車が組み合わさった金属の部品が残されていた。
「や、やりました……! 成功です!」
「おう、見てたぜ! ホントに成功させてくれるとはな、さすがだな!」
興奮して後ろを振り返ると、ヴァネッサさんもまた顔一面に笑顔を広げて親指を立てた。
「じゃあ、次はオレの出番だな! っても、嵌め込んでネジ回すだけだけどな」
そう苦笑しながら私の向かい側へ来たヴァネッサさんはできあがった部品をそっと持ち上げる。
そして壁一面の歯車の一部分、ちょうど文字盤の裏の中央にあたる場所にぽっかりと開いた空間へと部品を嵌め込んだ。
固唾を飲んで見守る中、ヴァネッサさんは年季の入ったネジを懐から取り出すと、部品のすぐ下にある穴へ差し込み横に捻った――次の瞬間。
広がるように壁の歯車たちが次々と回り始めた。
四方から聞こえるカタカタという歯車の回る音が小気味の良いリズムを刻む。
しばらく回る歯車を見て楽しんだり音に聞き入ったりしていると、どこからかカチッという何かが噛み合う音が聞こえ――。
その日、約三ヶ月振りに、リガロの街に鐘の音が響き渡ったのだった。




