錬金術師と時計塔
リガロの街の中央にある広場。
その中心には高さ二十メートルほどの大きな時計塔がそびえ立っていた。
大きな街にはたいてい存在する時計塔は、比較的高価な懐中時計を持たない人にとっては正確な時間を知る唯一の手段と言えるだろう。
もちろん広い街中の全てから文字盤を見られる訳ではないが、正午などの区切りのタイミングで鐘を鳴らして時間を告げてくれる。
そんな人々の暮らしを支える時計塔だが、このリガロの街へ来てから一月以上経つ今でさえ一度も動いているところを見たことがない。
中央の広場を通るたびに時計塔は目に入るため気になっていたのだが、あまり深くは考えていなかった。
今日この時までは……。
「――ここに錬金術師がいるってのは本当か!?」
「きゃっ!」
「うわっ、何!?」
突如勢い良くお店のドアが開くと同時に大声を上げて入ってきた女性に、私とロザリーは揃って悲鳴を上げる。
驚いた拍子にエーテルを流し込みすぎたスクロールからいつもより眩い光が漏れ出し、ポンッという小気味良い音とともに一気に収縮した。
「あらら……」
器の中に残った黒い物体をちらりと見たロザリーはそう呟くと、光にやられたのか目を押さえる女性へ再度顔を向けた。
「くぅ……! なんだ今の光は?」
「自業自得だね。今度からはもっと丁寧にドアを開けることだね」
「まあまあ、ロザリー」
作っていた『キャラメリィ』が黒い物体に変わってしまったからか、少々ご立腹なロザリーを苦笑しつつなだめると、私は女性へ視線を向ける。
二十歳過ぎといったところだろうか、女性は普段着の上に煤か何かでところどころ黒く汚れた前掛けを身に付けており、頭にはバンダナを巻いている。
腰に工具入れのようなポーチが提げられているのを見るに、何かの職人のようだ。
「えっと、それで、どちら様でしょうか?」
「オレは技師のヴァネッサ・ヴェイユだ。ヴァネッサで良いぜ! ってか、なんか邪魔しちまったようだな、すまん!」
「いえ、気にしないで下さい。ところで、何か急いでいたようですけど」
「おう、そうだった! 最近ここに住み始めた錬金術師ってのは、あんたのこと……で良いんだよな?」
テーブルの上で両手を腰に当てて仁王立ちしたロザリーを一瞥した後、私に視線を戻して尋ねてくる。
さすがにロザリーのことを錬金術師とは間違えなかったようだ。
私はヴァネッサ・ヴェイユと名乗った女性に頷いて返す。
「はい。錬金術師のレティシア・ライエと言います。私もレティで良いですよ。こっちはこのお店の店主のロザリーです」
「……よろしく」
「お、おう。よろしく頼む。さっきはホントにすまなかったな」
「……ま、もう済んじゃったことは仕方がないし、許してあげる」
「ははっ、助かるぜ」
頭を下げたヴァネッサさんを見てロザリーはふうと息を吐くと、雰囲気を柔らかくした。
機嫌を直してくれたようで良かったと私も内心でホッとしつつ、また後で『キャラメリィ』を作ってあげようと心に留めておく。
「で、本題だ。レティ、この街の中央の広場に時計塔があるのは知ってるか?」
「もちろんです。あの大きな時計塔のことですよね」
「あー、そういえば最近鐘の音が聞こえないね」
ロザリーの言葉に同意するようにヴァネッサさんが大きく頷く。
「少し前から調子が悪くてな。原因は分かっているんだが、代わりの部品がなくて困ってたんだ。っと、これが時計塔の設計図な」
ヴァネッサさんは近くのテーブルの上へ手にしたスクロールを広げると、その一ヶ所へ手を伸ばす。
それは時計塔の最上部にある機構のようで、ヴァネッサさんの指はその中の立体的な歯車を差していた。
「あんたに作って欲しいのはここの部品だ。できそうか?」
「うーん、かなり複雑な形ですね……」
「だよな! いやあ、何とか不調の原因を突き止めたのは良いが、こんな部品なんて作れるヤツ、この街にはいなくてな! はははっ!」
笑いごとではない気がするが今は置いておくとして、問題はこの歯車を作れるかどうかだ。
まさかこんな複雑な形だとは予想だにしなかった私は、設計図をじっと見つめながら軽く口元を押さえる。
形としては、大きな歯車の中心に軸が通っており、その隙間をいくつもの小さな歯車が埋めているような形だ。
これを作るとなると、今までの調合とは比べ物にならないくらい精密なエーテル操作が要求されるだろう。
とはいえ、元素を扱う必要がない分だけ考えることは減り、エーテルの操作に集中できる。
だから不可能ではないだろうと結論付けると、私は顔を上げてヴァネッサさんを真っ直ぐ見た。
「ここまで複雑な錬金術は初めてですが、恐らくできると思います。一度やらせては貰えませんか?」
「おう、助かるぜ! ま、金属ならたくさんあるから、そんなに気負わなくても大丈夫だ」
親指を立ててはははっと笑うヴァネッサさんに釣られて、私とロザリーも笑顔を浮かべるのだった。
◇◇
お店はロザリーに任せ、私とヴァネッサさんはさっそく時計塔へ向かうこととなった。
もう何度も通っているのにも関わらず、こうして中央の広場の様子を見ながら歩くのは初めてな気がする。
広場は時計塔を中心にして円形に広がっており、東西南北へ続く大通り以外の場所も丁寧に石畳が敷かれている。
また、移動式の露店も開かれているようで、花やお菓子などが売られているお店も点々としている。
広場を吹き抜ける風が優しい香りを運んでくる。
「レティ、最近こっちに越してきたんだったよな? 良い街だろ?」
話し掛けてきたヴァネッサさんをちらりと見た後、広場にいる人に目を向ける。
露店を楽しげに眺める親子、ベンチに腰掛けて話す老夫婦、大道芸のようなパフォーマンスをする女性。
そんな誰もが楽しげに過ごす様子を見て、思わず頬を緩めた。
「そうですね。みんな笑顔に溢れていて、見ている私も楽しくなっちゃいます」
「ははっ、そう言ってくれると嬉しいぜ! っと、着いたな。カギ開けるからちょっと待っててくれ」
「分かりました」
時計塔の入り口、頑丈そうな鉄のドアを懐から取り出したカギで開けるヴァネッサさんを横目に、私は目の前にそびえ立つ時計塔を見上げる。
時計塔の高さは二十メートル以上あるだろうか、見上げ続けていると首が痛くなりそうだ。
そしてヴァネッサさんやロザリーの言っていた通り、上部に取り付けられている文字盤の針は時を刻むのを止めていた。
やがてガチャンという錠の外れる音がして視線を下ろすと、ちょうどヴァネッサさんが鉄のドアを開けたところだった。
「よしっ、開いたぞ! 例の部品の前まで使われていた物が最上階に置いてあるから、着いて来てくれ」
そう言って先に時計塔の中へ入っていったヴァネッサさんを追い掛け、時計塔内に足を踏み入れた私は、外と違って冷たい空気が立ち込める室内に思わず身体を震わせた。
時計塔の中は中心に太い柱が一本立っており、その周囲に螺旋を描くように階段が上まで続いている。
何より特徴的なのはところどころに嵌め込まれたステンドグラスのような色付いた窓で、そこから射し込む光が空気と螺旋階段を照らし、まるで天界へと続く道のようにも見えた。
「ちょっと長くて大変だと思うが、頑張ってくれよ!」
「あ、はい。大丈夫です、頑張ります!」
どこか幻想的とも言える時計塔の内部に見入っていた私はヴァネッサさんの声で我に返ると、胸の前で片手だけの握りこぶしを作って大きく頷いた。
そしてもう片方の手に持っていた手提げカバンの持ち手をギュッと握ると、ヴァネッサさんに続いて階段を上り始める。
ゆっくりとしたペースで螺旋階段を上ること数分、やがて階段は途切れ、開けた場所に出た。
その場所は四方の壁際が大小様々な歯車でびっしりと覆い尽くされており、歯車の向こう側に文字盤と思わしき板が見える。
さらに上を見上げれば、歯車から続く大きな鐘が吊り下げられている。
ここがこの時計塔の心臓部のようだ。
「レティ、これが前まで使われていた部品だ」
ヴァネッサさんが木の床の上に敷かれた布の上に置いてある、直径三十センチほどの金属の塊を指差した。
近寄ってから屈んで見てみると、先ほどお店で見せて貰った設計図にあったような複雑な形をしている。
そしてそれは、素人の私が見ても分かるくらいに、軸の一部が変色して曲がってしまっていた。
「これは……酷いですね」
「まあ、この街ができてから百年以上もずっとここで時計を動かし続けていたからな。特にこの部品は動力の要でもあるから、一番摩耗が早かったんだろうぜ」
「そうですか……」
私は冷たい金属の部品を撫でつつ、心の中で「お疲れさま」と呟く。
そして同じく布の上に置かれた金属の塊を指差してヴァネッサさんを振り返った。
「こっちが次の素材、で良いですか?」
「おう、そうだぜ!」
「分かりました。ではさっそくやってみます。危ないので、離れていて下さいね」
同意をくれたヴァネッサさんに頷いて返すと、手に持ったカバンを床へ置き、中からスクロールを取り出す。
そして床の上に広げたスクロールの上へ金属の塊を移動させる。
ずっしりと手に掛かる重みに比例するように、いやがおうでも緊張感が高まってしまう。
「ふうっ……」
私は頭の中を切り替えるように目を閉じ、一度深呼吸をする。
そして「よしっ」と小さく呟くと、スクロールへ手を伸ばし、エーテルを流し込み始める。
今回の部品――歯車の機構は主に三つの部位からできている。
一つは外側の大きな歯車、一つは中心の芯、そして最後に隙間の小さな歯車たちだ。
まずは中心の芯を作るようにエーテルを注ぎ込み、次に外側の歯車を作るためにエーテルの量を調整する。
急激なエーテルの変化のためか、腕が鈍い音を立てるが、今は無理やり頭から追い出す。
そして最後に小さな歯車を作ろうとさらにエーテルを調整しようとした時だった――。
「――痛っ!」
両腕に激痛が走ったことで、私は思わずスクロールから手を放してしまう。
同時にスクロールから溢れた中途半端な量の光が金属を覆い、収まった後には不恰好に変形した金属が残っていた。
「お、おい、大丈夫か!?」
「はい、大丈夫です。ちょっと痛みが走っただけで……」
慌てて近寄ってきたヴァネッサさんに、私は抱えた両腕を解いて摩ってみる。
幸い痛みはすぐに引いたため今は何ともない。
どうやら腕の方が急激なエーテルの調整に耐えきれなかっただけのようだ。
「ホントか? 無理なら無理で他の街から助っ人を呼ぶとか考えるから、遠慮せず言ってくれよ」
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫なので、このままやらせて下さい」
「レティが良いなら良いが……。ホントに無理だけはするなよ?」
「分かりました」
心配するような目付きで見てくるヴァネッサさんを安心させるように笑顔を浮かべると、私は再度スクロールへ手を伸ばす。
大きな歯車を作る工程から小さな歯車を作る工程へ切り替える際に負担が掛かるなら、順番を変えれば良いだけだ。
変な形に歪んでしまった金属を見つめながら頭の中で手順を入れ替えた後、再度エーテルを流し込み始める。
「……うぐっ」
しかし結果は変わらず。
どうやら大きな部品から小さな歯車へエーテルを調整するタイミングで腕に負荷が掛かり過ぎるようで、弾かれるように手を放してしまった。
またもや別の形に変形した金属の塊に目を向けつつ、私は小さく息を吐いた。
「大丈夫か? やっぱ無理そうか?」
「……もう少しだけやってみます」
その後、何度も手順を変えて試してみるが、全て失敗。
やがて腕の痛みが引き難くなってきたところで、外が暗くなってきたこともあり、ヴァネッサさんから「今日はもう終わりにしておけ」と止められてしまったのだった。




