~ 四ノ刻 反魂 ~
工藤健吾が駅前の甘味屋に到着したのは、その日の太陽が西に沈みかけた頃だった。
嶋本亜衣に犬崎紅と話ができるよう頼んだ後、その返答は直ぐに返って来た。なんでも、かなり渋られたようだが、工藤が何かを奢るという話をネタに釣ったらしい。
亜衣から電話があった時は、思わず「警察に協力はタダだ!!」と言いたくなった。が、相手はたかが高校生。自分から無理難題を頼んでおいて、目くじらを立てるというのも気が引けた。
「あっ、こっちだよ、刑事さん!!」
店に入ると、既に亜衣は席を取って待っていた。隣には、紅が相変わらずの無愛想な表情で、腕を組んだまま座っている。
「やあ、待たせたかい? なんだか急に呼び出したりしてすまないね」
「そう思うんなら、要件を早く言え。言っておくが、つまらん話なら直ぐに帰らせてもらうぞ」
紅が、下から睨みつけるような視線で工藤を見た。目上の相手であっても容赦のない尊大な口調だが、血のように赤い目で見つめられながら言われると、何も言う気が起こらなくなってしまうから不思議なものだ。
「まあ、そう言わずに、まずは何か頼もうか。嶋本さんも、好きな物を注文していいよ」
紅と対面するような形で腰掛けながら、工藤は亜衣にメニューを手渡した。亜衣はそれを受け取ると、適当なページを開いてしばし悩む。
「うーん……。クリーム餡蜜は、この前、照瑠達と食べたばっかりだしなぁ……。さすがに、こうも連続で食べるのはちょっとね……」
照瑠達とは、昨日の夕方にこの店を訪れたばかりだ。そこで照瑠の餡蜜をつまみ食いし、果ては癒月の残した物まで平らげたことを思い出す。
さすがに、二日連続でクリーム餡蜜はないだろう。いくら甘い物が好きとはいえ、こうも立て続け食べるようとは思わない。
「やっぱり、今日は抹茶と小さな羊羹だけでいいや。刑事さんは?」
「なら、僕もそれで。正直、今日はあんまり食欲が無くてね。重たい物は、あまり食べたくないんだよ」
昼間、初美に聞かされた検死解剖の結果を思い出す。昼食もろくに食べていない工藤であったが、今日は進んで何かを食べたいとは思わない。
そもそも、変死体の話などを目の前でされて、食欲がある方がどうかしているのだ。岡田や初美などのタフさは、まさに異常とも言える。きっと、あれが職業病というものなのだろう。後、五年後か十年後には、自分もああなっていると思うと複雑な心境である。
「それじゃあ、注文取るよ。犬崎君も、私達と同じでいいよね」
亜衣が隣に座る紅に聞いたが、紅は答えなかった。相変わらず、不機嫌そうな顔をして腕を組んでいる。
知らない人間が見れば、なんと不愉快な印象を与える少年だと思うことだろう。だが、亜衣の知る限り、紅が不機嫌そうな顔をしているのはいつものことだ。そうでなければ、後はどこか遠くを見るような、ぼんやりとした目つきで呆けているだけである。
およそ、笑うとか泣くとかいった表情を見せない、感情が欠落しているのではないかと思う犬崎紅。同じ歳の人間として、ここまで自己表現のバリエーションが少ない者も珍しい。
亜衣がそんなことを考えていると、店員が注文を取りに現れた。抹茶と同じ色をしたエプロンが、店の空気と合わさって良い感じだ。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「えっと……。この、抹茶と羊羹のセットで。数は……」
「二つだ。それと、クリーム餡蜜を一つ頼む」
一瞬、誰が喋っているのか分からなかった。恐る恐る横を見ると、そこには店員を睨みつける紅の姿があった。もっとも、実際には睨みつけているわけではなく、単に目つきが悪いだけなのかもしれないが。
「で、では、確認いたします。抹茶セットがお二つと、クリーム餡蜜がお一つでよろしいでしょうか?」
店員の言葉に、紅が無言で頷いた。横で見ている亜衣達は、ただ呆気にとられる他にない。
あの、ぶっきらぼうで口が悪く、無愛想を絵に描いたような紅が餡蜜を頼む。普段の彼の様子からは、決して想像できない組み合わせである。
「犬崎君、餡蜜なんて食べるんだ……」
「悪いか、嶋本。俺だって、甘い物は嫌いじゃないぞ」
「で、でも、意外だよね。犬崎君って、そういうの食べる風に見えなかったから……」
「人を見かけで判断するな。昔ながらの甘味は、俺の好物の一つだ」
あくまで淡々とした口調で語る紅だったが、亜衣は未だに自分の聞いた言葉が信じられなかった。
特大の餡蜜を前に、それを美味そうに食べる犬崎紅。考えただけで、あまりのミスマッチに眩暈を起こしそうになる。笑いが込み上げてくるのを通り越して、これはもう衝撃だ。
堅物な校長のズボンを降ろしたら、実はイチゴ柄のパンツを履いていた。もしくは、人形のような可愛らしさを持つ幼女の脇に、もっさりと脇毛が生えていた。それと同レベルの衝撃としか言いようがない。
(犬崎君の好物がクリーム餡蜜だなんて……。これ、新しい都市伝説だよね。きっと、そうに違いないよ……)
闇の世界の住人と戦う犬神使いは、実は餡蜜が好物である。まさか、こんなところで新しい都市伝説のネタが手に入るとは思わなかった。もっとも、今回ばかりは、それを積極的に広めようという気にはならない。一歩間違えれば、冗談抜きで紅の犬神に呪い殺されそうだ。
「あの……。そろそろ、本題に入らせてもらってもいいかな?」
痺れを切らしたように、工藤が口を開いた。本当であれば注文した物が届いてから話してもよかったのだが、亜衣と紅の間に流れる微妙な空気に耐えきれなくなったと言った方がよい。
「犬崎君。君も知っているかもしれないけれど、今、この火乃澤町では連続殺人と思しき事件が起きているんだ」
「そいつはまた、物騒なことだな……」
興味はない。そう言わんばかりの口ぶりだったが、工藤は気にしなかった。
「その、殺人事件の被害者たちなんだけど……どうにも、妙な点が多くてね。もしかしたら、君の言う向こう側の世界の住人が関わっているんじゃないかと思って、ちょっと心配になったんだよ」
工藤の言葉に、今度は紅の瞳が少しだけ反応した。とりあえず、これで話に興味は持ってもらえたようだ。後は、彼がこちらの話を聞いて、どこまでの意見を述べてくれるかだ。
「向こう側の世界の連中が関わっているかもしれない事件か……。最初に聞いておくが、そっちの勘違いってことはないのか?」
「それは、僕にもわからない。だからこそ、君に聞いているんじゃないか」
「なるほどな。だったら、その殺人事件の手口や殺された被害者の状況ってやつを教えてくれないか? そうすれば、少しはこちらも話のしようがある」
「そうだね……。まあ、こんなところで話すような、気持ちいい話じゃないんだけど……」
時折、横で話を聞いている亜衣の様子に気を配りながら、工藤は慎重に言葉を選んだ。なにしろ、刑事の自分でさえ、初美の話を聞いた後は食事が進まなかったのだ。猟奇殺人事件の話など、これから甘い物を食べようとしている女子高生の前で話すのは少々気が引ける。
だが、そんな工藤の考えを見越してか、亜衣は至って普通に笑顔を作り、工藤に向かって言った。
「わたしのことなら平気だよ、刑事さん。こう見えても、グロイ話には慣れてるからね。ポップコーン片手に映画館でスプラッター映画見るなんて、私にとっては普通だもん」
「そ、そうかい。だったら、こちらも遠慮なしに言うけど……」
心配しただけ損だった。どうやら亜衣は、ある意味では初美と同じ人種のようである。こういった類の話に関しては、むしろ男性よりも女性の方が耐性を持っているのではないか。思わず、そんな妙な考えが頭をよぎってしまう。
「それじゃあ、まずは遺体の状況だけど……。実は、殺された後に身体の一部が持ち去られた形跡があったんだ」
「ほうほう。それで……」
「最初は僕達も、変質者の仕業じゃないかって思ったんだけどね。でも、遺体によって持ち去られた場所は目玉だったり指だったり、それぞれで違っていたし……被害者の年齢や容姿もバラバラだったんだ」
「なるほど。それは興味深い……」
「その上、最初に見つかった遺体と今日になって見つかった遺体からは、検死の結果、砒素が発見されたのさ。でも、直接殺害には使われなかったみたいで、犯人を特定するような決め手にはならなかった」
「ふむふむ。毒物反応があったのに、それが直接の死因ではないとは……。いやあ、実に不可解な……」
そこまで言った時、亜衣の頭を紅の手が軽く叩いた。話の腰を折られて抗議の視線を向ける亜衣だったが、直ぐにそれは、紅の赤い瞳に睨まれてかき消えた。
「さっきから、いちいちやかましい。少しは落ち着いて話を聞け」
「むぅぅ……。ちょっとくらい、話に入ったっていいじゃんか」
「勘違いするな、嶋本。お前の役目は、俺をここまで連れて来ることだ。それから先は、俺の仕事。違うか?」
紅から言われた厳しい一言。確かにその通りなのだが、ここまではっきり言わなくてもよいではないか。
だが、隣で憤慨する亜衣のことなど、紅はまったく気にしていないようだった。亜衣のことは放っておいて、工藤に話の続きをするよう催促する。
「それで、あんたの見立てはどうなんだ。何か、幽霊や妖怪が現れた証拠でも見つけたのか?」
「その辺を、君に聞きたいと思っていたんだよ。幽霊や妖怪の話じゃなくても……例えば、呪いとか祟りとか、そっち系の話でもいい。とにかく、今回の事件に関して、何か思い当たるようなことはないかい?」
「身体の一部を持ち去られた遺体と、それに砒素か……。まあ、完全にないとは言えないが……」
工藤の話を聞いた紅は、再び腕を目の前で組んで考え込んだ。いつもは目の前の相手を油断なく見据えている赤い瞳が、今は珍しく閉じられている。
工藤の話から、思い当たらない節が無いわけではない。人体の部品を集め、更には砒素を用いて行う禁じられた術を、紅は以前にも聞いたことがある。
「とりあえず、俺の知っている範疇での話だが……」
今は、あくまで予測の範疇でしか話をすることができない。自分の中で言葉を選びつつも、紅はゆっくりと目を開いて話しだした。
「反魂の術というものを、聞いたことはあるか?」
「反魂の術? なんだい、それは」
「私、知ってるよ。確か、死んだ人を生き返らせる術じゃなかったっけ?」
目の前で首をかしげている工藤に代わり、亜衣が言った。だが、自信満々に答える亜衣に対し、紅はあくまで冷静な口調で彼女の言葉を否定した。
「いや、少し違うな。反魂の術ってやつは、別に死者を復活させる術じゃない。どちらかと言えば、人が人を造り出す術と言った方が正しいか……」
「人が人を造る? なんなの、それ……?」
自分の考えを軽く否定され、亜衣も不思議そうな顔をして紅を見た。と、そこへ、先ほどの店員が注文の品を持ってやってくる。
「お待たせしました。抹茶セットがお二つと、クリーム餡蜜でございます」
「ああ。餡蜜は、こっちに置いてくれ」
餡蜜と言えば、女の子の食べ物だと思ったのだろう。亜衣の前にクリーム餡蜜を置いた店員を、紅が軽く睨みつけるようにして言った。
「し、失礼いたしました」
紅の前に餡蜜を置き、残る抹茶セットも出し終わると、店員はそそくさと店の奥に引っ込んで行った。注文を採った時からおかしいとは思っていたのだろうが、まさか、本当に目の前の無愛想な少年が餡蜜を食べるとは思ってもいなかったのだろう。
「食べながら話すので構わないか?」
目の前に置かれた餡蜜を口にしながら、紅が工藤に尋ねた。
「ああ、僕は構わないよ」
「それじゃあ、さっきの続きだ。反魂の術ってやつは、人を生き返らせるための術じゃない。あくまでも、人が新しい肉体に新しい魂を宿すことを目的とした術だ」
「そこんとこ、よくわからないんだけど?」
「話は最後まで聞け、嶋本。反魂の術が初めて登場した文献は、平安時代末期に作られた撰集抄という説話集だ。その中に、西行という法師が反魂の術を行ったという話がある」
「西行? なんか、聞いたことない名前だけど……」
「まあ、無理もないだろうな。そもそも、学校で使うような歴史の教科書に出て来る名前じゃない。古文の授業だったら別だが……当然、反魂の術の話などは学校で扱わない」
口に付いたクリームを指で拭きながら、紅が亜衣に向かって言った。先ほどからあれこれと話してはいるが、それでも目の前の餡蜜は確実に減っている。それだけ食べるペースが速いということなのだろうが、紅がいっこうに表情を変えないため、まったく美味しそうに見えない。
「それで、その西行という法師は、いったいどんな術を使ったんだい?」
「さっきも言っただろう、刑事さん。反魂の術は、人が人を造る術だ。山籠りの修業中、その孤独に耐えかねた西行は、野山に転がっている人骨を集めて人間を造ろうとしたのさ。自分の話し相手としてな」
「それはまた、とんでもない話だね。でも、どうやって?」
「俺も詳しいことは知らないが、撰集抄に載っている話なら知っている。なんでも、拾い集めた人骨を人の形に並べて、砒霜石……これは、砒素を含んだ鉱物なんだが、こいつから作った薬を骨に塗る。そして、イチゴとハコベの葉を揉み合わせた物を骨に乗せ、藤の若葉から作った糸で、骨を繋ぐんだ」
「なんだか、随分と手の込んだ方法だな。本当に、そんなことで人が蘇るのかい?」
どうにも話が呪術めいた物になってきた。僧侶が行った術と聞いて祈祷のようなものを想像していた工藤だったが、これは想像以上だ。どちらかと言えば、南方の辺りで行われている黒魔術の類に近いような気がする。
一方、そんな工藤のことなどお構いなしに、紅はクリーム餡蜜を口に運びつつも話を続けた。餡蜜は、もう既に半分ほどなくなっている。
「話はまだ終わりじゃないぞ、刑事さん。それに、何度も言っているが、反魂の術は死者を蘇らせる術じゃない」
「だったら、続きを聞かせてくれないか? できれば、僕にもわかりやすいように……」
「こっちは最初からそのつもりだ。それで……骨を繋ぎ合わせた後なんだが、そいつを今度は水で数回に分けて洗う。その後、サイカチとムクゲの葉を焼いた灰を頭部に塗りつけて、土の上にゴザを敷き、骨をそこにうつ伏せにさせる。最後は風が入らないように骨をゴザでくるみ、沈降を焚きながら、十四日間に渡って反魂の真言を唱えるんだ」
「なるほど。だいたいの方法は分かったよ。それで、その西行っていうお坊さんは、術を成功させたのかい?」
「いや。残念ながら、術は失敗だった。術によって誕生したのは、感情を持たない人形みたいなやつだったらしい。要するに、腐っていないゾンビみたいなものだな」
「なんだ……。思わせぶりに話さないでくれよ……」
先ほどまで紅の口から語られていた、実に細かい反魂の術の詳細。その話を聞いていた工藤は、てっきり術が成功したものだとばかり思っていた。が、よくよく考えれば、そんな危険な術を紅が容易く人に紹介するはずもないだろう。話の結末には拍子抜けしたが、落ち着いて考えてみれば納得もできる。
「まあ、どちらにせよ、反魂の術なんてやつは人の手に余る代物だって話だ。もとより、その辺に転がっていた名も無き死者の人骨を適当に集めて、新しく人間を造ろうとしたんだからな。人が人の肉体や魂を創造しようなんて、元よりおこがましい行為だってことさ」
「ふむふむ。私が聞いた話とは、随分違っているみたいだね。死者蘇生ってよりは、フランケンシュタインの怪物やゴーレムの作り方に似ているってわけですなぁ……」
紅の隣で、亜衣が独り納得した顔をして頷いている。工藤には死者蘇生とフランケンシュタイン博士が怪物を生み出した技術の違いはわからなかったが、それでも紅が話していたことは少しばかり理解できた。
「ところで犬崎君。今回の事件なんだけど……君は、その反魂の術が関係していると睨んでいるのかい?」
「いや、ちょっと違うな。ここまで話しておいてなんだが……恐らく、今回の事件に反魂の術は無関係だと思う。人体のパーツを集めるところや検出された砒素のことが気になったんだが……やはり、少しばかり話がずれている気がするからな」
「そうか……。それじゃあ、やっぱり事件は、変質者の仕業ってことで間違いないのかなぁ……」
自分の予測が外れたことに少しだけ安心を覚えたが、それでも工藤は首を垂れて項垂れた。
人体の一部を集めていることに加え、遺体から検出された砒素の存在。確かに紅の話と共通する部分はあったが、それでもどこかずれている気がするのもまた事実。
反魂の術に必要なのは人骨であって、目玉や耳などではない。唯一、共通している部分と言えば、砒素を含んだ鉱物の存在くらいか。
「すまないな、刑事さん。だが、人の身体の一部を集めるという話と、それから砒素。この二つから思いつくことは、俺には反魂の術くらいしかなかった」
「いや、こっちこそ、勝手に妙な期待をしていたからね。確かにちょっと異常な事件ではあるけれど……それで、全てが呪いだの祟りだのといったもののせいにするのは、やっぱり気が早かったかな……」
「だが、完全な無駄足ってわけでもなかったはずだ。少なくとも、これで可能性の一つが完全に消えたわけだからな。後は向こう側の世界の連中なんか気にせず、普通に捜査を続ければいい」
「そう言ってくれると、こっちも助かるよ。願わくば、今回は君の力を借りずに事件を解決したいものだしね」
「こっちも健闘を祈らせてもらう。ただ……もし、何か妙なことがあったら、今度からはこっちに連絡しろ。嶋本を使わなくても、直接話が出来るようにしておいた方が便利だろう」
テーブルに備え付けの紙ナプキンを引き抜いて、紅はそこにボールペンで電話番号らしき物を書いた。番号からして、どうやら携帯電話のようだ。文明の利器などとは無縁の生活をしているように見える紅だったが、意外と器用に使いこなしているのかもしれない。
「わかったよ。だったら、僕も自分の連絡先を教えておこう。事件に関して気付いたことがあったら、こっちに連絡してくれ」
抹茶をすすりながら、工藤も紅に自分の名刺を渡して言った。相変わらず、紅は表情一つ変えずに餡蜜を口に放り込んでいる。
せめて、もう少し美味しそうな顔をすれば良いのに。そう思った工藤だったが、口には出さず心の中の声だけに留めておいた。仮に言ったところで、どうせ「悪いか……」の一言で一蹴させるのがオチだからだ。
結局、その日に工藤が知ったのは、妙な儀式についてのやり方くらいのものだった。オカルト好きな人間にとっては興味深い話なのかもしれないが、工藤にとっては単なる雑学程度の物に過ぎない。
餡蜜と、それから抹茶セット二つに対する対価としては、あまりにも釣り合わないような気がした。せめてもの救いは、自分が妙な考えに縛られて誤った捜査をしないで済むということくらいか。
(やっぱり、岡田さんの言う通り、直感や思い込みで捜査をしても駄目だなぁ……。ここは一つ、僕も初心に返って聞き込み捜査からやり直しますか……)
ほろ苦い抹茶をすすりながら、工藤は自分の捜査のやり方を今一度考える必要性を感じていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その日の夜も、天倉癒月は例の夢を見ていた。
暗闇の中を歩き、見知らぬ少女を追い詰める自分。やがて少女は逃げ場を失い、夢の中で癒月によって殺される。そして、世にもおぞましい解体ショーが繰り広げられ、死体は無残な姿へと変えられる。
二カ月程前は、五日に一辺くらいしか見る事の無かった悪夢。しかし、ここ最近になって、悪夢を見ることは連日の日課のようになってしまった。自分が夢の中で殺す人間の種類も増え、ある時は少女であり、またある時は自分よりも少し年上の女性だった。
夢の中、癒月はいつもと同じように、見知らぬ少女を追い詰めてその頭を殴る。夢であると分かっているのにも関わらず、相手を殴り殺した時の感触はあまりにも生々しい。
仰向けになって倒れた少女の顔を見ると、それは癒月が初めて見る顔だった。金色に近い色に染められ、先端で幾重にも巻かれた髪が特徴的な、いかにも遊んでいそうな少女である。
仰向けになって絶命している少女の髪型は、先月末の金曜にニュースで報じられていた、佐藤美奈子のものに良く似ていた。が、それでもやはり別人のようで、目元や口元などは似ても似つかない。
既に事切れた少女の口を、癒月は強引にこじ開けた。中から舌を引きずり出し、それを鋭利な刃物で切断する。次いで、少女の腕の皮を剥がし、それも自分の足元に置く。
自分が他人の身体を解体する。例え夢であれ、こんな光景を毎日のように見せつけられれば頭がおかしくなってしまう。
もう見たくない。お願いだから、見せないで欲しい。そんな癒月の願いも虚しく、夢の中の自分は少女の身体の様々な部分を切り取って並べた。そして、その中から最初に切り取った舌を取り出すと、自分の口を広げてそれを自分の舌と重ね合わせる。
血と、肉と、それから得体の知れない何かの混ざったような、異様な匂いが口内に溢れた。あまりの臭気に今まで堪えてきた色々な物が、一気に胃の奥から這い上がってきそうだ。が、これは所詮夢。胃の中の物を吐き戻すことさえ許されず、癒月はただひたすら、この苦痛に耐える他にない。
(も……もう……駄目……)
泣きたくても泣けず、吐きたくても吐けない。その苦痛に耐えかねたのか、癒月は自ら意識を保つことを放棄した。だんだんと目の前が暗くなってきたが、それでこの異常な世界から解放されるのであれば、癒月にとってはむしろ救いだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「うっ……」
気がつくと、そこは見慣れた自分の部屋だった。枕元に転がっている目覚まし時計を見ると、まだ朝の五時である。
今日は祝日で、学校もない。ここぞとばかりに睡眠不足を解消しようと思ったのだが、あの悪夢はそれさえも許してくれなかったようだ。
(眠いなぁ……)
寝癖の目立つ頭をかきながら、癒月はそっと自分のベッドから出た。正直、身体は睡眠を欲していたが、あんな夢を見た後に二度寝ができるほどのタフな神経は持ち合わせていなかった。
まだ薄暗い部屋の中を手さぐりで進み、癒月は一階にある洗面台へと向かった。とりあえず、顔を洗って落ち着こう。二度寝するかどうかは、それから考えればよい話だ。
鏡の前に立って自分の顔を見ると、数日前よりも確実にやつれている感じがした。既に風邪は治っているはずだったが、それにしては顔色が悪い。
やはり、連日の睡眠不足が原因か。このままでは、今に肌が荒れて髪の毛も枝毛だらけになってしまう。過剰なストレスから、額の目立つ場所ににきびができないとも限らない。
「もう……。ホント、嫌になっちゃうわ……」
鏡の中の自分に語りかけるようにして、癒月はそんなことを口走った。蛇口から出る水に触れると、予想以上の冷たさに手が痺れた。
もう片方の、お湯を出す栓を捻り、癒月は水の温度を調節する。ぬるま湯程度の温度になったところで、一気にすくって顔を洗った。
頬を伝わる雫をタオルで拭き取り、癒月は改めて自分の顔を見る。やはり、顔色が悪い。部屋の薄暗さも相俟って、鏡の向こう側にいるのは自分ではなく幽霊ではないかと思ってしまうほどだ。
今日が祝日で本当によかった。こんな顔では、はっきり言って学校に行くのもはばかられる。
夢のことは気になったが、癒月は部屋に戻って二度寝をすることに決めた。少しでも睡眠不足を解消せねば、それこそ本当に死人のような顔になりかねない。
タオルを洗濯籠の中に放り込み、癒月は大きな欠伸をしながら背筋を伸ばした。腕を上に上げると、寝間着の袖がだらしなく下に垂れさがってくる。
ふと、自分の右腕が気になって、癒月は裾をさらにまくりあげてみた。
「あれ……。ここ、確か痣が……」
昨日の昼時、保健室に運び込まれた時に見つけた大きな痣。見るからに痛々しいその痣が、跡形もなく消えていた。
あれほど大きな痣だったのだ。たった半日で、完全に消え去ることなど考えられない。
自分の目の錯覚か、それとも左腕の間違いだったのか。試しに右腕をくまなく探し、左腕の裾もまくってみたが、やはり保健室で見た痣は見つからなかった。
(どうなってるの……?)
あの時は、確かに腕に痣が存在したはずだ。痣を押した時の感触も、痛みも、はっきりと覚えている。
では、今朝になって、なぜ痣が綺麗に消えてしまったのか。わからない。連日の悪夢といい、悪夢に出て来た女性と同じ顔をした女性が次々に死体として発見されることといい、ここ最近、自分の身の回りで起きていることはわからないことだらけだ。
――――ガタッ!!
突然、何かが倒れるような音がして、癒月は思わず肩を震わせた。音は外から聞こえて来たようで、癒月は恐る恐る、目の前の窓を開けてみる。
格子の隙間から外を覗くと、そこには一匹の猫がいた。昨日、癒月が学校に行こうとした際に見た、あの黒猫だ。首輪には相変わらず悪趣味な髑髏の鈴がついており、金色に光る二つの目は、これまた昨日と変わらずに、癒月の方をじっと見つめている。
「……ニャオ」
妙に低い、唸るような声で鳴きながら、猫は癒月の前から姿を消した。昨日もそうだったが、やはりあの目は好きになれない。猫ではなく、なんだかもっと禍々しい存在に、心の奥底まで見透かされているような気になるからだ。
「それにしても、あの猫、どこの家の子なんだろう?」
首輪をしているということは、飼い猫であることに間違いはない。だが、あんな気持ちの悪い猫を飼っている人間など、この近所では癒月の知る限り見当たらない。
あの猫は、いったいなんなのだろう。なぜ、自分の家の周りをうろついているのだろう。
下らない、本当に取るに足らないことではあったが、癒月はなぜか、あの猫のことが気になって仕方がなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
祝日とはいえ、警察の仕事が休みになるわけではない。国民の大半が休みを謳歌しているにも関わらず、工藤健吾は今日も仕事のため警察署にやって来ていた。
公務員は定休が取れる羨ましい仕事などと言われるが、警察に関しては当てはまらないと工藤は思う。こと、警察署勤めをしている刑事に関しては、例え休みの日でも事件があれば直ぐに出動命令が下る。仕事の性質上、代わりを立てるわけにも行かず、酷い時には丸ごと一カ月近くも休みがもらえなくなってしまう。
だが、それなら交番勤務が楽かというと、そういうわけでもない。彼らは休みこそ必ずもらえるものの、当直の日は徹夜覚悟で仕事をせねばならなくなる。当然、翌日は昼間で寝てしまうことが殆どで、これでは休みがあってもなくても同じような物だ。
当直があっても定休をもらえる交番勤務か、それとも通常は定時で帰れる代わりに事件があれば休みが潰れても文句が言えない警察署勤務か。どちらがマシかという問いに対しては、恐らく永久に答えが出ることはないだろう。
署内に入ると、そこには既に到着していた岡田の姿があった。毎度のことながら、岡田の早起きには頭が下がる。なんでも、未だに早朝のランニングを続けているとのことで、腕っ節の強さにも納得が行く。
「おう、工藤。ようやく来たか」
工藤の姿に気づき、岡田が席を立った。思わず「遅いぞ!!」と怒鳴られるかと思ったが、岡田は何やら数枚の書類の束を手に持つと、それを工藤に押し付けた。
「岡田さん。なんですか、これ?」
「なんですかってことはねえだろう。こいつは昨日、俺が集めた情報を俺なりに整理したもんだ。意外と面白い発見があったんでな。今日の捜査会議で使えるよう、簡単にまとめておいたんだよ」
「そうだったんですか。なんか、独りで仕事させたようで、すいません……」
「気にすんな。お前はお前で、情報を集めていたんだろう? 昨日は珍しく単独行動してたみたいだからな。もっとも、その顔じゃあ、大した収穫はなかったみたいだが……」
「は、はぁ……。まあ、そんなところです」
昨日、初美と別れた後、岡田は岡田で今回の連続殺人事件について調査を進めていたらしい。その一方で、自分と言えば、甘味屋で高校生相手にオカルト話のネタをふっただけだ。
さすがに工藤も自分の行動が恥ずかしく思えてきた。本当のことが知れたら、いくら岡田とて許してはくれないだろう。自分は自分で疑問に思ったことを調べていたつもりだが、傍から見ればサボりにしか映らないことも事実である。
「で、岡田さん。その、面白い発見ってなんですか?」
自分の考えを悟られないように、工藤は話を岡田のまとめた書類の中身へと持っていった。ああ見えて、勘の鋭い岡田のことだ。下手なことを口走れば、それこそ藪蛇となる。
「まあ、まずは順を追って話した方がいいだろうな。お前、今回の事件で最初に見つかった被害者のことは覚えているか?」
「ええと……。確か、県内の高校に通う女子高生でしたよね。名前は……佐藤美奈子とか言いましたっけ?」
「そうだ。その佐藤美奈子なんだが……どうも、学校ではかなりの遊び人で通っていたらしくてな。まだ十八にもならないガキだってのに、エルメスだのヴィトンだの……とにかく、身の丈に不釣り合いなブランド品なんかも、結構持っていたらしいぜ」
「エルメスにヴィトンって……。そんな物、この辺の女子高生が簡単に買えるんですか?」
「だから、俺もそこが妙だと思って調べてみた。そうしたら、案の定出てきやがったんだよ。佐藤美奈子が、援助交際をしていたっていう事実がな」
「援助交際!? それ、本当なんですか!?」
岡田の口から出た援助交際という言葉に、工藤は目を丸くして驚いた。なにしろ火乃澤町は、未だ下町風情の残る閑静な田舎町なのだ。駅前は比較的賑やかだが、それでも下町であることには変わりない。それこそ、援助交際などという言葉とは無縁の場所だと思っていただけに、岡田の口から告げられた事実は衝撃だった。
「残念だが、どうやら佐藤美奈子が援助交際をしていたっていう話は本当みたいだぜ、工藤。しかも、ただその辺のオヤジとデートして金をもらうだけじゃねえ。場合によっては、一緒にホテルへしけ込むこともあったってよ」
「ホテルにしけ込むって……。マジですか……」
未成年による売春行為。当然のことながら、これは犯罪である。本人は軽い小遣い稼ぎのつもりだったのかもしれないが、その結果、変態の客に捕まって殺されてしまったのであれば、これはあまりにも悲惨だ。
「佐藤美奈子は、以前から使っていた出会い系サイトがあったみたいでな。そのサイトについて調べていたら、他の被害者との共通点が見つかったんだよ」
「共通点?」
「そうだ。次に発見された被害者の短大生、安達理恵なんだが、こいつも同じ出会い系サイトに登録してやがった。携帯電話からインターネットに接続した履歴を調べたら、あっさり見つかったよ」
「そ、それじゃあ、もしかして第三の被害者も……」
「ああ、お前の考えている通りだ。昨日見つかった被害者の身元を洗っていたら、やっぱり出会い系サイトを使っていた形跡があった。もっとも、今度は携帯電話なんかじゃなくて、自宅のパソコンだったがな」
「でも、どっちにしろ、売春紛いのことをしていたってのは変わりないんですよね」
「そういうことになるな。ちなみに、昨日見つかった遺体は、県内のアパレルショップに務める店員だった。名前は内海杏子。やっぱり、仕事の仲間の間でも、遊び人として有名だったらしいぜ」
書類の束をめくりながら中身に目を通す工藤に向かい、岡田がどこか軽蔑したような口調で話を終えた。
警察官として、非合法の売春を認めるわけにはいかない。買う側が一方的に責められることの多い売春だが、岡田は売る側にも問題があると考えていた。
楽に金が稼げる。欲しい物を買ってもらえる。そんな安易な理由から、親からもらった身体を簡単に名も知れぬ男に差し出してしまう。あまりに軽率で、あまりに不愉快な行為だ。
夜の街を歩いている若者に聞けば、決まってこう言うだろう。「そんなこと、みんなやってるよ」と。だが、それでも、やはり親からもらった身体を傷つけてまで、金をもらおうという考えは理解できない。
いったい、いつからこの日本は、こうもおかしな国になってしまったのだろうか。清楚な大和撫子など今は化石のような存在であり、街を歩けば金髪で巻き毛のいかにも遊び人といった女が我が物顔で歩いている。
「まあ、とにかくそういうわけで、捜査は振り出しに戻りそうな気配だな。犯人は、出会い系サイトを使って被害者の女性と知り合った可能性もある。頭のイカレタ野郎が通り魔的な犯行を繰り返していたのかと思っていたが……こいつは意外と、知能犯かもしれないぜ」
嘆いていても仕方がない。そう思った岡田は、工藤が一通り書類に目を通したところで、それを再び自分の手元に戻して言った。
「でも、岡田さん。知能犯って言っても……女性達の身体の一部が持ち去られていたことには、どう説明をつけるんですか?」
「その辺は、犯人をとっ捕まえてみなけりゃ分からんだろうな。計画的に犯行を行うだけの頭を持っていても、初美ちゃんの言っていたみたいに、変態性欲を持っている可能性もあるんだからよ」
「変態性欲ねぇ……。持ち去られた部分に共通点がないから、初美さんの言っていたフェチの話とは結びつかない気がしますけど……」
「そんなことは、まだ今の段階では分かんねえよ。単に犯人の気に入った部分が、ある時は目玉であり、ある時は耳だったって可能性もあるぞ」
「そうですね。しっかし……こうなると、ますますわかんなくなってきましたよ。不審者や変質者の情報はゼロ。近所に性犯罪歴のある者も住んでいない。おまけに、被害者たちの共通点は、出会い系サイトと来たもんだ」
「ああ、確かにそうだ。その上、出会い系サイトで被害者たちと会っていた人間の足取りも、まだ完全につかめちゃいねえ。たぶん、偽名か何かを使っている可能性もあるからな。こいつを探しだすのは、かなり骨が折れそうだぜ」
手の中の書類をまとめ、それを大きめの茶封筒の中に仕舞い込む岡田。その顔には、どこかもどかしさを隠しきれない様子が見て取れる。
犯人まで後一歩というところに迫りながら、最後の一手がまったく決まらない現状。このまま野放しにしておけば、犠牲者は増える一方である。
警察官として、これ以上の凶行が起きるのを待っているわけにはいかなかった。だが、今は何よりも情報が乏しい。それに、岡田と工藤の二人だけでは、できることにも限界がある。
全ては今日、これから始まる捜査会議で決定される。少しでも早く犯人を追いつめるためにも、岡田は自分のまとめた書類が何らかの形で役立ってくれることを、心の奥で願ってやまなかった。




