第二十話 それぞれの選択
神在月最後の朝、宮下から告げられたのは、静かな、しかし重い言葉だった。
「鏡は、完全な形を取り戻しました。還る術も、正しく機能するはずです。ですが」
宮下は、座敷に集まった十二人を、一人ずつ見渡した。
「還れるのは、今夜限り。神々が出雲を発つ、この神在月最後の夜だけです」
座敷に、静かな緊張が走った。
「つまり、今夜のうちに、還るか、留まるか、それぞれが決めねばならぬ、ということじゃな」
龍馬が、確かめるように言うと、宮下は静かに頷いた。
その日は、朝から、誰もが口数少なく過ごした。それぞれが、いつものバイト先へ顔を出し、いつものように働きながら、心の中では、ずっと同じ問いと向き合っていたのだろう。
夕方、座敷に戻ってきた面々の顔には、それぞれの覚悟が滲んでいた。
最初に口を開いたのは、卑弥呼だった。
「わたしは、還る」
迷いのない声だった。
「邪馬台国には、わたしを待つ民がおる。この時代で得たものは、確かに大きい。じゃが、わたしの役目は、あちらにある」
紫式部が、静かに頷いた。
「わたくしも、還ります。『源氏物語』は、まだ書き終えておりませぬ。この時代の恋物語や、あの黒い箱に映る芝居も、随分と学ばせていただきましたが……筆を置いたままでは、死んでも死にきれませぬ」
義経が、腕を組み、しばらく黙り込んだ後、静かに言った。
「拙者も、還る」
その声には、覚悟の重さが滲んでいた。
「己の時代には、己の時代の役目がある。たとえその先に、厳しい運命が待っていようとも――逃げるは、拙者の性分に合わぬ」
誰も、その言葉の裏にあるものを、あえて問いはしなかった。
利休が、静かに、しかし少し違う調子で口を開いた。
「わしは……留まろうと思う」
座敷が、わずかにざわついた。
「あの安土桃山の世では、わしの茶の湯は、時に政の道具として扱われた。だが、この時代で開いた、あの『一服百円』の茶席では、ただ純粋に、人の心を和ませることができた。それが、思いのほか、わしの性に合っておった」
「利休様……」
一葉が、驚いたように呟く。利休は、穏やかに笑った。
「案ずるな。これも、わし自身が選んだ道じゃ」
一葉が、俯きがちに、静かに口を開いた。
「私は……還ります」
その声は、微かに震えていた。
「この時代で見つけた居場所は、確かに、かけがえのないものでした。ですが、あちらには、私を頼りにしてくれる家族がおります。それを、放り出すわけには参りません」
龍馬が、大きく息を吐いた。
「わしも、還る。わしには、まだやり残したことがある。この国の形を、変えるという大仕事がな」
龍馬は、少し照れたように、続けた。
「じゃが、正直に言えば……この出雲での日々を、忘れることは、決してあるまいよ」
座敷にいる信濃組の面々も、それぞれ静かに、自らの選択を口にしていった。信玄と謙信は、互いに顔を見合わせ、どちらからともなく「還る」と告げた。積み残した因縁が、あちらにはまだ多く残っているのだろう。幸村と巴、義仲もまた、同じ選択をした。山本勘助だけが、少し考え込んだ後、「わしも、還ろう」と静かに答えた。
結局、留まると決めたのは、利休、ただ一人だった。
航は、その光景を見ながら、胸の奥に、複雑な感情が渦巻くのを感じていた。
安堵と、寂しさと。
そして、これから訪れる、本当の別れへの、静かな覚悟のようなもの。
「今夜、還る儀を執り行います」
宮下の言葉に、座敷にいた全員が、静かに頷いた。
神在月最後の夜が、すぐそこまで迫っていた。




