第十一話 鏡と、消された名
「――これは」
卑弥呼の呟きに、座敷にいた全員の視線が集まった。彼女が指先で押さえているのは、色あせた巻物の隅、他の文字よりも小さく、まるで書き添えるように記された一節だった。
「読める者は、読んでみよ」
卑弥呼が促すと、一葉が身を乗り出し、慎重に文字を追った。
「……“客人を還す儀には、対となる鏡が要る。鏡欠くれば、還る道、閉ざされる”……」
その一文に、卑弥呼の顔が、初めて強張った。
「鏡……わたしの持つ、この鏡のことか」
彼女は懐から、あの青銅の鏡を取り出した。錦光堂での鑑定以来、肌身離さず持ち歩いていたものだった。
「まさか、これが……還るための鍵、ということですか」
航が思わず口を挟むと、老神職が難しい顔で頷いた。
「断定はできませんが……三百年前の記録が途絶える直前、最後に記されていたのも、鏡についての記述でした」
老神職は、別の巻物を広げた。そこには、さらに小さく、震えるような筆致でこう記されていた。
「“鏡、何者かに奪われる。客人、還る術を失う”」
座敷に、重い沈黙が落ちた。
「奪われる、というのは」
真田幸村が、静かに、しかし鋭く問う。
「誰に、という記述はないのか」
「それが……」
老神職が、巻物の続きを指し示した。そこだけ、明らかに他の部分と墨の色が違っていた。まるで、後から誰かが上から塗りつぶしたかのように。
「この部分だけ、判読不能になっております。おそらく、意図的に」
武田信玄が低く唸った。
「三百年前、鏡を奪った何者かがおり、そのせいで客人は還れなくなった。そして、その事実を隠すように、記録そのものが塗りつぶされた、ということか」
「もしそうならば」
上杉謙信が目を開け、静かに続けた。
「此度も、同じことが繰り返されようとしている、ということもあり得るな」
その言葉に、卑弥呼が、無意識のように鏡を強く抱きしめた。
「――わたしの鏡も、狙われている、ということか」
「断定はできません。ですが」
宮下が、これまでで一番硬い声で言った。
「皆様がお持ちの品々の中に、鏡が果たす役割が特別なものであるならば、用心するに越したことはございません」
龍馬が、腕を組んで唸った。
「つまり、こういうことじゃな。わしらを還すための鍵は、卑弥呼殿の鏡。そしてその鏡を狙う何者かが、三百年前にも、そして今も、動いておるかもしれん、と」
誰も、それを否定できなかった。
巴が、薙刀の柄をそっと撫でながら、低く言った。
「ならば、話は単純じゃ。鏡を守り抜けばよい。それだけのこと」
「言うは易しですが」
一葉が、帳面を閉じながら、静かに釘を刺す。
「相手の正体も、目的も、まだ何一つ分かっていません。守るにしても、何から、どう守ればよいのか」
利休が、それまで黙っていた口を、静かに開いた。
「……一つ、思うところがござる」
全員の視線が、利休に集まる。
「三百年前の“客人”たちが還れなんだのなら、その者たちは、どうなったのか。その行方こそ、次に調べるべきことではないか」
その提案に、老神職が息を呑んだ。
「実は……その件についても、一つだけ、言い伝えがございます」
全員が、老神職の次の言葉を、固唾を呑んで待った。
「還れなかった客人たちの子孫と名乗る家が、今もこの信濃に、ひっそりと残っている、と」




