9話 お見舞いは異世界から
「……うわぁ、38.9度」
ピピッと鳴った体温計を見て、ため息を吐く。
昨日からやたらと身体がだるかった。
なのに、いつも通り遅くまで残業したのがいけなかったのか。
帰宅したのは、夜11時。
身体が辛すぎて、着替えることもせず、布団に倒れ込んで、気づいたら朝だった。
「リュシアン、何も冷蔵庫に入ってなくて驚いてるかな」
今まで毎日欠かさず続けていた異世界との交流。
初めて、途切れてしまった。
関節が痛くて、頭痛がする。身体もだるい。
「とにかく会社に電話しなきゃ」
休むことを会社に伝えると、再びベッドに仰向けに倒れた。
♢
スマホのメッセージの受信音で目が覚めた。
また寝てたようだ。
のそのそとキッチンまで歩き、蛇口をひねった。
コップに注いだ水を一気に飲み干し、息を吐く。
ふとスマホに目をやると、会社の同僚、結城から連絡が来ていた。
『風邪ひいたって聞いたけど、大丈夫? 神崎の自宅、営業先の近くだから、飲み物とか食べ物、持って行こうか?』
「えぇ!」
気持ちはありがたいが、来ないでほしい。
たしかに先月の飲み会で家まで送ってもらったので、ここの住所は知っているが。
何度も遠慮したのに、「深夜は危ないから」と送ってくれたのを思い出す。
でも、仲の良い友達でもない、ただの同僚に、スッピンでしかも体調不良の状態で会いたくない。
結城には丁寧にお礼とお断りのメッセージを書いて送った。
これで大丈夫と安堵していると、再び受信音が鳴る。
『あ、ごめん。もう近くまで来ちゃった。買ったやつはドアノブにかけておくね。お大事に』
「えぇー!」
数分後、カサっと扉の外側で音がした。
おそるおそる扉を開けると、コンビニの袋がかかっていた。
中には、ポカリやゼリー、ヨーグルト、果物などがぎっちり入っている。
周りを見渡しても人影は見当たらない。
顔を合わせないよう気を使ってくれたのだろう。
身体がつらい中、飲み物や食べ物を買ってきてくれたのは正直有難い。
「あとで、お礼メールしなきゃ」
ポカリを飲みながら、ふと冷蔵庫に目を向けた。
リュシアンは交流が止まってどう思っただろうか。
いつもなら入っているはずの手紙も食べ物も無かったのだ。
彼の性格からして、怒るよりも、何かあったのかと心配するはずだ。
会ったこともない異世界にいる彼が、自分を心配している姿が想像できた。
「リュシアン、今どうしてるかな……」
小さい呟きが部屋に落ちた。
その夜、手紙も食べ物も送れなかったことを詫びる手紙と、食べ物をそっと冷蔵庫に入れた。
♢
次の日も熱はまだ下がらなかった。
「……まぁ昨日よりはマシだけど」
当然、会社は休み。
体調不良による休みは仕方ない。
だが、それにより自分の仕事がどんどん溜まっていくのは恐ろしい。
「早く治さなきゃ」
深夜0時。
時計の針がカチっと鳴った直後に冷蔵庫の扉を開ける。
中を覗き込んで、一瞬思考が停止した。
見慣れないものが、これでもかというほど詰め込まれていた。
冷蔵庫の端に手紙を見つけ、手に取った。
『ミオ、体調不良とのことだが、昨日よりは良くなっているか? 医者には診せたか? 食事は摂れているか? ――』
手紙の前半は質問攻めだった。
『そちらの世界で効くか分からないが、滋養のある食べ物と大聖堂で清めた護符を送る。護符は病を直接治すものではないが大切な人の無事を願うとき、聖堂で清めた護符を贈る習慣がある――』
「大切な人……」
なんだか、むずがゆい気持ちになるのは何故なのか。
心臓の奥がきゅっとなった。
その感情を振り払うように、冷蔵庫の奥へ手を伸ばす。
そこには、木箱がいくつも入っていた。
一つ取り出して蓋を開ける。
中には、あちらの世界の文字や魔法陣らしきものがびっしりと書かれた羊皮紙や金属板、宝石などが詰め込まれていた。
他の木箱も同じようなものだった。
「……これ、どうやって使うんだろう」
部屋のどこかに飾るのか。それとも、身につけるものなのか。
リュシアンにとっては当たり前のものなのだろう。こちらの世界にも当然あると思っているのか、詳しい説明はなかった。
気を取り直して、食べ物を探す。
「滋養のある食べ物って何だろう」
冷蔵庫の奥に、布がくるくると巻かれた皿があった。
布をほどくと、皿の上には、みたこともない料理が乗せられている。
「……えっと、お肉? 貝かな?」
よく分からない見た目だが、ニンニクとバターの香りがする。
一口食べてみると、コリコリとした食感だ。味は可もなく不可もなく。
でもリュシアンが自分を思って用意してくれたのだ。残すつもりはない。
手紙の最後の一行に視線を向ける。
『ミオ、早く元気になれ』
自然と口元が緩むのが自分でも分かった。
「ありがとう、リュシアン」
なんだか胸がいっぱいで。
なんで、こんなに心が満たされるのか。
自分でも分からない。
今はとにかく身体を回復して、リュシアンに治ったよと安心させたい。
謎の食べ物を完食する頃には睡魔が押し寄せ、手紙を握りしめたまま布団にもぐり込んだ。
手紙からわずかに香るスミレの香りを感じながら、幸せな気持ちで眠りについた。
しばらくして、謎の食べ物が異世界のナメクジだったということを知ったのは、また別の話。




