8話 午前0時の異変【王子視点】
ミオの国のバレンタインという文化を知った時、純粋に感心した。
思いをチョコに託して伝えるとは、実に雅だ。
そして、同時に疑問が一つ。
「好意のある相手や、お世話になった人に贈るとあるが……私はどちらなんだ」
好意のある相手としてなのか。
お世話になった相手としてなのか。
一番肝心なことが手紙には書かれていなかった。
だが、ミオに、私はどちらなんだと聞く勇気はない。
金箔が散らされた漆黒の箱を開ける。
色鮮やかなチョコレートが整然と並んでいた。
「私に好意があるということか? いや、でも会ったこともない相手に好意を抱くものだろうか」
そもそも、お互い、顔も知らないのだ。
「……お世話になった相手だから、だろうな」
そう結論づけてから、少し落ち込んでいる自分に気づいて驚いた。
最近は、ミオとの交流が毎日の楽しみになっている。
そこは否定できない。
だけど、これ以上はミオを心の内に住まわせるわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせるが。
夜を思わせる艶やかな髪をかきあげて、深く息を吐く。
どう頑張っても、もう手遅れな気がした。
深い緑色のチョコを一つ口に入れる。
甘味の奥に、ほのかな苦みと渋みが広がった。
♢
「最近、なんか話しかけやすくなったみたいですよ、殿下」
「……は?」
ある日、仕事をしていると、お調子者の部下が突然よく分からないことを言い出した。
「なんの話だ」
「最近はリュシアン殿下が話しかけやすくなったって皆言ってます。今までの冷たいオーラが薄まったというか」
「……そうか」
「もしかして、あれが関係してます?」
部下のセシルが指差す。その先には、執務机の端に飾ってある押し花。
「四つ葉のクローバーなんて、誰にもらったんです?」
金髪に碧眼。整った顔で社交界でも人気者の部下は、令嬢なら気絶するような笑顔でわざと聞いてくる。
「分かってるのに聞くな」
「えー、殿下の口から聞きたいのに」
クローバーをもらった経緯も、その背景も、二人だけの秘密だ。
うるさいセシルを無視して、目の前の書類に集中した。
♢
月がとうに昇った時間。
やっと仕事がひと段落し、深いため息を吐く。
だが、やることは山のように溜まっている。
それだけではない。
毒や暗殺にも気を張って。
愚痴も弱みも、誰にも打ち明けることはできない。
部下にも、血の繋がった家族とされる人達にも。
琥珀色の瞳を閉じる。
――あぁ、疲れた。
「そろそろ寝る支度を……」
睡眠は必要だ。
分かってる。
身体も脳も疲れてる。
なのに、眠れない。
もう何年もまともに寝ていない。
だから、これは仕方のないことだ。
ミオの手紙を読んで、それまで鎖で固く閉ざしていた扉が、わずかに開いてしまったとしても。
『リュシアンも悩みがあったら私に言ってください。助けになれるか分からないけど、私もリュシアンの力になりたいです。あなたと一緒に考えたい』
心の内をさらけだすな。
それは命の危機に直結する。
頭では分かっている。
だが……
気づいたら自然とペンを握っていた。
具体的な事は伝えられない。
ただ、仕事や家族の事で疲れて、夜眠れない、と。
そう書いてしまった。
次の日、冷蔵庫を開けると、たくさんの物がぎっちりと詰め込まれていた。
隙間に収まっていた封筒を開く。
『仕事や家族の悩みを解決するのが一番だとは思うけど、まずは、寝る環境を変えてみるのはどうかな? 快眠グッズを贈ります。それぞれの使い方を説明します。まずは……』
自律神経なるものが整うアロマ。
炭酸なるものが出てくるという入浴剤。
装着すると勝手に暖かくなるというアイマスク。
他にもたくさん。
寝る前の過ごし方も、細かく書かれていた。
家族や仕事の詳細を伝えられないことを察して、ミオは眠くなるグッズや方法を教えてくれた。
自然と口角が上がる。
きっと、今の顔をセシルに見られたら、からかわれていただろう。
「ありがとう、ミオ」
その夜、ぐっすりとはいかないまでも、数年ぶりに長い時間眠ることができた。
「ここ数日、顔色がいいですね、殿下」
「あぁ、先日知人から、よく眠れるものを沢山もらった。そのおかげだな」
「それって、あの手紙のお相手から?」
「……」
セシルがしつこく聞いてくるので、快眠グッズをもらったことや、夜の過ごし方を教えてもらったことを伝えた。
「ふーん、アロマとかアイマスクとか過去に試したこと、なかったんですか?」
「……いや、あったが」
「じゃあ、なんで今回は効いたんですか?」
そう質問されて、答えに困る。
何故なのか。
私が口をつぐんだ姿を見て、セシルが顔を近づけた。
「もう、しょうがないですね。鈍感な殿下のために僕が教えて差し上げます」
「……早く言え」
ふふっとセシルが笑う。
「眠れたのはグッズのおかげじゃなくて、自分のために悩んで選んでくれたことが嬉しかったからですよ」
「……」
その言葉は、自然と胸の内にすとんと落ちてきた。
そういうことだったのか。
ミオが私を思って贈ってくれたから……
「……だから眠れたんだな」
じろじろと見てくるセシルと目を合わせたくなくて視線を逸らした。
セシルが執務室を出ていった後も、仕事は山積みだった。
気づけば窓の外はすっかり暗くなり、フクロウの鳴き声が遠くから聞こえてくる。
書類に目を通しながら、何度も時計に視線を向ける。
――もうすぐだ。
気づけば、その時間を待つことが当たり前になっていた。
今日は何が入っているだろうか。
手紙には何が書かれているだろうか。
ミオは元気にやっているだろうか。
――カチッ。時計の音が部屋に響く。
深夜0時。
はやる気持ちを抑えて、部屋を出た。
王宮の端にある倉庫の奥。
静かに佇む木製の氷冷蔵庫を開ける。
中には――
何も入っていなかった。




