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20話 穏やかな時間の終わり【王子視点】


 ミオから異世界に渡る方法はあるのかと聞かれた時、真っ先に思った。

 ――なんと答えればいいのだろう。


 実は、数カ月前から異世界に渡る方法を調べていた。

 だが、調べれば調べるほど、それが不可能であることを思い知らされた。


 異世界同士をつなぐことのできる大魔法使いなど、もう存在しない。


 数百年の歴史を持つ王宮の図書館にも足を運んだが、何も手がかりは見つからなかった。


 そして、不可能だと結論づけた時、思っていた以上に落ち込んでいる自分に気づいた。


「……やはり、会えないのだな」


 人の心とは、なんとままならないものなのだろう。

 会えないと分かっても、この思いが変わることはない。


 それでも、気持ちを切り替えなくては。

 会えなくても、こうして交流できている。それだけで十分ではないか。


 そう頭では分かっているのに、なかなか割り切れなかった。


 だからこそ、ミオに関することには、些細なことでも心を乱されてしまうのかもしれない。


 ミオから、恋人がいるのかと尋ねられたのだ。


「……どういうつもりで聞いたんだ?」


 分からない。

 自分なら、気になる相手に恋人がいるかどうか尋ねる。

 だが、親しくなった交流相手にも、特に深い意味もなく尋ねることだってあるかもしれない。


 社交界で異性との噂が絶えないセシルなら、何か分かるだろうか。

 ふとそう考えたものの、すぐに首を振った。


「いや、やめておこう」


 この不思議な交流のことは、たとえセシルであっても話さない方がいい。

 それに、恋愛相談をするのは単純に恥ずかしい。

 絶対にからかってくる。


 ふぅ、と深いため息を吐いた。


 ミオの丁寧な文字を見つめた。

 字には、その人の性格が表れるという。

 ミオの字からは、優しく柔らかな人柄が感じられた。


 そっと、その文字を指先でなぞった。


「ミオも、私と同じ気持ちなのだろうか」


 そうであれば嬉しい。


「……そもそも、ミオには恋人や婚約者がいるのだろうか」


 そういえば、いつもなら0時直後には取り出されている食べ物と手紙が、先日はまだ残っていた。

 もしかして、家にいなかったのか?

 もしかして、恋人と一緒に過ごしていたのか?

 

 ミオの隣にいる恋人を勝手に想像して、眉間に皺が寄った。

 想像だけで嫌な気分になるのはやめよう。

 知りたいのなら、自分も聞けばいい。


 そして翌日。

 ミオからの手紙には、恋人も婚約者もいないと書かれていた。

 その答えに、心から安堵した。


 南の離宮で執務をしていても、ふとミオのことを考えてしまう。

 そういえば、ミオは湖を見てみたいと言っていた。


 窓から湖を眺めた。

 きらきらと輝く水面のそばには、鹿たちが集まっていた。


 近くに控えていたセシルに声をかけた。


「少し休憩を取る」

「えっ!」


 驚いたセシルに目を向ける。


「なんだ?」

「……ご自身から休憩を取られるなんて珍しいですね」

「小さい無地の紙と絵の具を持ってきてくれないか」

「……かしこまりました」


 ミオに見せたい。

 ミオと、この景色を共有したい。


 絵を描くのは久しぶりだったこともあり、思ったより時間がかかってしまった。


 そういえば、もうすぐミオの誕生日だ。


 お互いの誕生日は、すでに伝え合っている。

 会えないのなら、せめて特別な贈り物をしたい。

 誰よりもミオを喜ばせられるものを――


「殿下!」


 セシルが息を切らして駆け込んできた。


「どうした?」


 セシルの顔は真っ青だった。


「へ、陛下がお倒れになりました!」



♢



 急いで王宮に戻った頃には、日もとっくに暮れていた。


 普段、父王と顔を合わせることはほとんどない。

 ましてや、寝室に呼ばれたことなど一度もなかった。


 王の寝室に入ると、兄と弟がすでに王のそばに控えていた。

 兄のアンリが、こちらを睨みつけた。


「遅いぞ、リュシアン」

「地方の視察に出ておりましたので」


 王はベッドの上で上半身を起こし、書類に目を通していた。

 倒れたと聞いていたが、今は落ち着いているように見える。

 原因については、まだ何も知らされていなかった。


 私が近づくと、王は視線を向けた。

 私と同じ琥珀色の瞳は、死人のように濁っていた。


「リュシアン、お前も来たか」

「はい、お待たせして申し訳ございません。お倒れになったと聞きましたが」


 王は視線を再び書類に向ける。


「私も歳だからな。病には勝てぬ」


 弟が焦った声で王に問いかけた。


「ご病気なのですか?」

「お前たちには言わなかったが、もうずいぶん前からだ。私もいつ死んでもおかしくない」


 衝撃的な言葉に、絶句した。

 父王が死ぬ?

 若い頃から周辺国に恐れられ、陰で暴君と呼ばれ続けてきたこの王が?


「ここにお前たち三人を呼んだ理由は分かるな?」


 突然の問いかけだった。


 呼ばれた理由など、分かりきっている。

 後継者を指名するためだ。


 本来、王位は長男が継ぐものだ。

 我が王家でも、歴代のほとんどの王は長男が継いでいる。


 おそらく今日、この場でアンリが王太子に指名されるのだ。

 私と弟は、いわばその場に立ち会うだけの存在だろう。

  

 隣にいるアンリは、わずかに興奮した様子で、その時を待っているように見えた。

 王が私たちを見据えた。


「王位は――生まれた順番ではなく、有能な者に継がせる」


「…………は?」


 数秒の沈黙のあと、兄の呟きが部屋に落ちた。


 アンリが王太子に指名されるのではなかったのか?

 おそらく、誰もが想定していなかった言葉だった。


 アンリがわずかに震える声で王に問いかけた。


「父上、有能な者に継がせるとは、どういう意味ですか? 私は長男ですし、これまで数え切れないほどの実績も上げてきました」


「アンリ、聞こえなかったのか。生まれた順番で王位は決めないと言ったのだ」

「しかし、父上!」

「話は以上だ。各々、今後も国のために尽くしなさい」


 そう言うと、王は話は終わりだとばかりに、書類へ視線を戻した。

 その瞬間、私たちは王にとって、もう存在しないも同然だった。

 まるで、そこにいないかのような扱いだった。


 侍女たちに促されて部屋を出たあと、私たちはしばらく廊下で呆然と立ち尽くしていた。


 私も兄も弟も、誰一人として口を開かなかった。

 あまりにも突然のことだった。

 アンリが王位を継ぐ。それが当たり前だと思っていたのだから。


 アンリが忌々しそうに歯ぎしりした。


「……だから、嫌だったんだ」

「兄上?」


 何が嫌だったのだろうか。

 私が視線を向けると、怒りに満ちた碧眼と目が合った。


「リュシアン、お前は王には向いていない」

「……」

「王にふさわしいのは俺だけだ」


 そう言い残すと、アンリは足早に暗い廊下の向こうへと去っていった。


 それから数日後、兄が私の身辺を調べていることを知った。

 何か弱みがないか、探っているのだろう。

 私は王位などに興味はないと、何度も伝えているというのに。


 アンリが王位を継ぐ。

 それが暗黙の了解だった。


『王位は――生まれた順番ではなく、有能な者に継がせる』


 その一言で、長年保たれていた兄弟の危うい均衡は、一瞬にして崩れ去った。


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