16話 突然のお誘い
リュシアンは、意識が戻ってから二週間ほどで、通常通り仕事ができるまでに回復した。
「……本当に良かった」
今日の異世界料理は、鶏肉の煮込み料理のようだ。
テーブルにそっと料理を置いて、クッションに座る。
「いい香り」
鶏肉を白ワインと香草でじっくり煮込んだ料理だそうで、柔らかな鶏肉に、少し酸味のあるソースが絡んでいる。
「これが、リュシアンの思い出の味なのね」
彼の乳母が、よく作ってくれた料理らしい。
手紙によると、昨日はその乳母の命日だったそうだ。
それで、久しぶりにこの料理を食べたくなって、私にも送ってくれたらしい。
フォークを鶏肉にあてると、力を入れなくても簡単にほぐれた。
口に入れると、ハーブの香りと肉の旨味が口いっぱいに広がる。
「おいしい」
異世界の家庭料理なのだろう。
素朴で、優しい味付けで。
食べたこともないのに、どこか懐かしさも感じる。
普段はそこまで料理をしないので、こういう家庭料理はありがたい。
手紙にはこう書かれていた。
『――ミオは子供の頃、どんな料理を食べていた? 乳母や母が作ってくれた思い出の食べ物はあるか?』
「……思い出の食べ物」
あるだろうか。
そもそも、子供の時から両親とは、あまり仲がいいとは言えない。
昔から、勉強ができない子、愛想が悪い子、と散々言われて育ってきた。
今だって、滅多に会わないし、会おうとも思わない。
可愛がってくれたのは、亡き祖母だけ。
この異世界につながった冷蔵庫も、祖母の家から譲り受けたものだ。
かなり古い年代物で、扉を開けるとギィィと音が鳴る。
それでも、大好きな祖母が大切に使っていたものだから。
東京に引っ越すときに、一緒に持ってきたのだ。
「あ、そうだ! から揚げ」
ふと、思い出す。
祖母の家に行くと、よく鶏のから揚げを作ってくれた。
にんにくと生姜をたっぷり使った、衣がカリッとした黄金色のから揚げ。
「あれ、美味しかったなぁ」
美味しくて、美味しくて、何個も食べていると、祖母はふふっと笑って「澪は本当に美味しそうに食べるね」と頭を撫でてくれた。
思い出の食べ物といったら、間違いなく、そのから揚げだろう。
しばらく思い出に浸って、ふと手紙に視線を戻す。
『――もし可能であれば、ミオの思い出の料理を私も食べてみたい』
「えぇぇ!」
から揚げを?
祖母のから揚げは、市販のものとは一味違う。
だからといって、市販品を送るのも、なんだか違う気がする。
――それはつまり、自分で作るしかないということだ。
「うぅ、どうしよ……」
レシピは知っている。
でも料理はそこまで得意ではない。
ただ、リュシアンの思いには応えたい。
しばらく悩んだあと。
明日、仕事帰りに、スーパーで食材を買おうと決意するのだった。
次の日。
幸運にも今日は早く会社を出ることができた。
料理をする時間は確保できるだろう。
――ただ。
「あっつ!」
手に油が跳ねて、思わず声が出た。
から揚げなど、人生で数回しか作ったことがない人間が、異世界の王子に“これ”を食べさせてもいいものなのだろうか。
昨日の決意が揺らぎそうだ。
味噌汁や簡単な料理は問題ない。
でも、から揚げは、私にとってワンランク上の料理なのだ。
実際、目の前のから揚げは、若干焦げていて、形も不揃いで。
とても、自信を持って出せるものではない。
それでも。
私の思い出の食べ物は、祖母のから揚げだ。
だから、一口でも食べてもらえたら嬉しい。
から揚げを盛り付けて、レモンと千切りキャベツも忘れずに添える。
手紙を書いて、から揚げと一緒に冷蔵庫に入れた。
今までにも、作った料理をリュシアンに送ったことは何度かあったのに、今回はなぜかソワソワする。
手の込んだ料理だから?
思い出の食べ物だから?
それとも、今は彼を大切な相手だと思ってるから?
どれかは分からないが、とにかく美味しいと思ってもらいたい。
その思いが一番強かった。
次の日の夜。
少し緊張した気持ちで、冷蔵庫を開ける。
中には、美味しそうなミルフィーユのような菓子が入っていた。
ミルフィーユは大好きだが、今はそれよりも。
急いで封筒を手に取る。
中を開けると。
『――ミオ、美味しい鶏のから揚げをありがとう。ミオの祖母の思い出の食べ物を、私も食べられて嬉しい。から揚げは、ガーリックとジンジャーの香りが立ち、外はカリっとしていて。気づいたら、美味しくて何個も食べていた。だから、手紙を読んで、ミオの手作りと知って驚いた』
美味しいと思ってくれたのかな?
いや、お世辞かもしれない。
それでも、リュシアンが美味しいと言ってくれた。
そのことが何より嬉しい。
『――ミオは仕事もしていて、こんなに美味しい料理まで作れるなんて、本当に尊敬する。ミオは美しいし、何でもできる。きっと私の国にいたら、国中の男性が放っておかないだろう』
「いやいや、お世辞がすぎるって」
本当にそう思っているのかは分からない。
それでも、彼にそう言われると素直に嬉しい。
『――ミオの手料理をミオと一緒に食べられる人がいるなら、とても羨ましい』
「……え」
どういう意味だろう?
……一緒に食べたい、ってことなのかな。
人との関わりが少なかったせいか、彼の真意が分からない。
しばらく考えたけど、やっぱり分からない。
もう、そのままの意味で受け取っておこう。
棚に置いたリュシアンの肖像画に視線を向ける。
「私もリュシアンと一緒にご飯食べたいな」
リュシアンに会って、一緒にご飯を食べられたら、どんなに楽しいだろう。
ミルフィーユのような菓子を一口、口に運ぶ。
レモンの香りが鼻を抜ける。
爽やかなクリームの甘みと、サクッとした生地が口の中で混ざり合い、絶品だった。
「美味しい」
から揚げを美味しいと言ってくれた。
それ以外にも、私を尊敬すると言ってくれた。
そして――。
『ミオの手料理をミオと一緒に食べられる人がいるなら、とても羨ましい』
嬉しい。
その気持ちが、どんどん積み重なっていく。
ニマニマと顔が緩んでいる自覚はあるが、しばらくは元の表情に戻れそうにない。
「今日はいい夢、見られそう」
リュシアンの手紙を握りしめ、ベッドに倒れ込んだ。
手紙から香るスミレの香りに包まれていると、不思議と心が落ち着いた。
その夜は、いつもより穏やかな気持ちで眠りについた。
♢
「神崎、今いい?」
昼休みに廊下を歩いていたら、結城に声をかけられた。
「なに?」
「なんか、神崎、今日機嫌いいね」
「え、そうかな」
昨日のリュシアンの手紙が嬉しすぎて、今日も朝から少しテンション高めだったのは否めない。
同僚にも言われたけれど、まさか結城にまで言われるとは。
「えっと、それで、何か?」
「あ、あのさ、前に飲み会で、海外の料理に興味あるって言ってたよね?」
たしかに、以前そんな話をした。
リュシアンと交流するようになってから、世界の料理にも興味を持つようになったのだ。
「も、もし神崎が良かったら、今度の土曜に、代々木の世界グルメ祭りに行かない?」
「……え」
楽しそうではあるが。
これって。
デートというやつなのだろうか。




