15話 望んではいけない願い【王子視点】
毒を食事や酒に仕込まれたことは今まで何度もあった。
それなりに毒の知識はあったし、細心の注意を払っていたはずだった。
なのに。
あの建国記念日の夜。
部屋に戻ってすぐ、胃に不快感を覚えた。
嫌な予感とともに、過去の記憶が頭をよぎる。
急いで医師を呼び、医師が到着したころには、全身に痙攣が起こり、立っていることすらできない状態だった。
結果として、一週間ものあいだ昏睡状態に陥った。
それでも助かったのは、わずかな異変に気づいた段階で医師を呼んだからだ。
そして、何に毒が含まれていたのか、ある程度の見当がついていたからでもある。
「……あの最後に出されたワインだろうな」
私だけを狙って毒を盛る方法にも、見当はついている。
だが、現時点では、誰が毒を盛ったのかは分からない。
王族の中にさえ、私を疎ましく思う者はいる。
だからこそ、下手に動けば、かえって身を危険にさらすことになる。
今の私にできることは限られている。
深いため息が、寝室に落ちた。
♢
「そろそろ仕事したくなってきました? リュシアン殿下」
ベッドに横たわる私のもとに、未決裁の書類の束を持ったセシルが現れた。
「……そうだな。窓の外をずっと眺めてるより仕事してる方がマシだな」
書類を受け取ると、セシルは当然のようにベッドの横にある椅子に座った。
「何故、座る」
「お見舞いも兼ねてるので。体調はどうですか? 食べられてます?」
「毒殺されかけたんだ。しばらくは、まともに食べれんだろうな」
「まぁ、そうですよね」
正直、意識が戻ってから、食事はあまり摂れていない。
ここ数年、普段の食事は自分が直接雇った料理人に作ってもらっていた。
そのため、毒殺未遂に遭ったのは数年ぶりだった。
だからこそ、食事が怖くなってしまった。
大丈夫だと分かっていても、食べなければいけないと分かっていても、食べられない。
だが、ミオから送られてきた食べ物は自然と食べることができた。
一週間ぶりに再会した交流。
最初にミオが送ってくれたのは、卵粥だった。
上には、ゴマと緑の葱が少し散らしてあって。
一口食べると、その温かさと優しい味つけに、身体も心もホッとした気がした。
不思議だ。
会ったこともない相手なのに。
ミオは、毒など絶対に盛らない。
そう断言できるのは、なぜなのだろう。
甘く爽やかなスズランの香りがする手紙からも、ミオの心配と労わりの思いが伝わってきて。
暗く沈んでいた気持ちが、少し晴れたのはミオのおかげだ。
ちなみに、一週間連絡できなかった理由は正直に伝えた。
毒殺されそうになったと伝えれば、ミオは心配するだろう。
だが、嘘をつくのも心苦しい。
それに、嘘をついたら、それを信じたミオが、症状に効きそうな薬やらグッズやらを大量に送ってくるかもしれない。
それはそれで申し訳ない。
だから、ありのままを話した。
ミオは手紙を読んだ時、どう思っただろうか。
「まぁ、何はともあれ、無事に生還できて良かったですね」
セシルの声にはっとする。
つい、ミオのことを考えていた。
「あぁ、そうだな」
「今は身体を回復することが優先ですから、できるだけ僕が対応しますね。殿下の承認がどうしても必要なものだけ、こっちに持ってきますので」
「あぁ、頼む」
それじゃあ、と立ち上がったセシルを見て、ふとミオの手紙を思いだす。
ミオの手紙は、いつも、所々に、関わる人や、日々の暮らし、自然への感謝が綴られている。
私もそんなふうに感謝の心を持ちたい。
そう思ったので――
「……セシル」
「はい」
セシルが振り返る。
わずかに緊張した面持ちの私に、彼は首をかしげた。
「まだ、何か?」
「…………いつもありがとう。感謝してる」
口にするのは、恥ずかしいものだな。
少し早口になってしまったが。
でも、言えて良かった。
だが、セシルから何も返事がない。
ちらりと視線を向けると。
なんとも珍妙な顔をしていた。
「なんだ、その変な顔は」
「……驚きと困惑と、小指の爪程度の嬉しさが混じった顔です」
「そうか」
「突然、何です? まさか毒のせいで頭がおかしく……」
「早く出ていけ」
言わなければ良かったかもしれない。
そう後悔の念を抱いたが、セシルは部屋を出る前に再び振り返った。
「あなたにそう感謝されて、悪い気はしませんね。それじゃあ、また明日」
セシルが出て行った扉を見つめる。
今まで、使用人には――特に女性には怖がられ、距離を置かれていた。
軽口を叩ける相手も少ない。
もしかしたら、ミオのように感謝の心を持って普段から接していれば、今とは違う状況になっていただろうか。
「私もまだまだ未熟者だ」
それでも。
ミオのおかげで、私は少しずつ成長できているのかもしれない。
ベッドサイドの棚の引き出しを開けて、昨日送られてきたミオの手紙を読み返す。
数日前から、ミオはスズランの香りがする便箋を使い始めたようだ。
香りを嗅いでいると、とても落ち着く。
最近はずっとベッドの住人だったせいか、つい余計な妄想をしてしまうことがある。
――もし、ミオがここにいたら。
もし、ミオがこちらの世界に。
私のそばにいたら。
昏睡状態に陥ったことを心配して側にいてくれただろうか。
手を握って、助かるよう祈ってくれただろうか。
意識が戻った時、笑顔を向けてくれただろうか。
そんな妄想を抱くも。
現実には、広いだけの自室にいるのは自分だけだ。
手紙には、その日、ミオの世界で雨が降っていると書かれていた。
『――窓の外はしとしとと雨が降っています。外の冷気で窓ガラスに触れると、とても冷たくて、薄暗くなった空は、まるで灰色の絵の具を広げたようでした』
手紙から窓へと視線を移す。
こちらの世界でも、今日は雨が降っていた。
寝たきりでなまった身体を無理やり動かし、窓辺へ近づく。
外は、ミオが書いていた「灰色の絵の具を広げたような」空ではなく、真っ暗だった。
それでも、窓ガラスに手を置くと、ひやりと冷たかった。
――会いたい。
その言葉は、口に出してはいけない。
望んではいけないことだ。
それでも、心に抱いてしまったその言葉は、決して簡単に消えてくれない。
「今のこの奇跡に感謝すべきだ。これ以上は望むべきじゃない」
そう自分に言い聞かせて。
その思いを必死に飲み込んだ。




