13話 返事を待つ日々
「……え、何も入ってない」
今日はリュシアンが食べ物と手紙を送る番のはずだ。
だが、冷蔵庫の中には、リュシアンが送ったと思われるものは何も入っていなかった。
そのことに落ち込みはしたけれど、自分だって風邪をひいたとき、何も送れなかったことがある。
「仕方ないよね……」
彼にも、何か事情があるのだろう。
そう自分に言い聞かせた。
だが、次の日も冷蔵庫に何も入っていないとなると、一気に不安が押しよせる。
「……え、なんで入ってないんだろう。風邪?それとも怪我?」
もしくは。
リュシアンがこの不思議な交流に飽きてしまった?
嫌な想像が脳裏をよぎるが、すぐにそんなことはない、と頭を振る。
「リュシアンは、飽きたからって何も伝えずに、突然やめる人じゃない」
それなら、なぜなのか。
やはり、体調を崩した可能性が高い。
いや、それとも――。
冷蔵庫が突然、異世界に繋がらなくなったという可能性もある。
ぎゅっと唇を噛みしめた。
もし後者なら、もう二人にはどうすることもできない。
前者なら、リュシアンが回復すれば、きっと連絡が来る。
きっと、そうだ。 そう思うことにした。
「……リュシアン、何があったの。無事でいて」
棚に飾ってある小さな女神様に、祈るような気持ちで視線を向けた。
それから三日が経った。
まだリュシアンから返事はない。
試しに自分からもう一度、手紙を送ってみたが、次の日、手紙はそのまま冷蔵庫に入ったままだった。
最近は考えすぎて、なかなか眠れない。
仕事にも集中できず、ミスまで増えている。
しっかりしなくては、と頭では分かっているのに、不安で仕方がなかった。
どうして、返事が来ないんだろう。
風邪でも怪我でも、意識があるのなら、無事だということくらいは何かしら伝えてくれるはずだ。
それすらできないほどの状態なのだろうか。
もしかして――。
亡くなってしまっていたら。
「神崎さん!」
同僚の女性に声を掛けられ、はっとする。
「なんか最近元気ないけど、大丈夫?」
「……あ、大丈夫です。すみません」
今はお昼休憩の時間。
同僚の女性たちとお弁当を広げて雑談していたはずなのに、気がつけば、またリュシアンのことを考えていた。
三人が顔を見合わせた。
そのうちの一人がおそるおそる口を開いた。
「あのさ、何か相談したいことがあったら言ってね」
「……ありがとうございます。大丈夫です。ちょっと仕事でミスしちゃって落ち込んでただけです」
本当のことなんて言えない。
無理に作った笑顔に、彼女たちが納得したのかは分からない。
ただ、誰もそれ以上は言わなかった。
唐突に一人が、思いだしたように声をあげる。
「あ、そうだ! そういえば、今週、向かいのビルがリニューアルして店舗も新しいお店が入ったよね!
お昼食べたら、見に行かない?」
「あ、いいね! 神崎さんも気分転換に行こうよ!」
気分転換。
その言葉に惹かれて、三人と一緒に向かいのビルに入った。
リニューアルしたばかりだけあって、どこも綺麗で、見たことのない店も多い。
カフェや、ケーキ屋、衣料品店、レストランなど。
目新しいのでキョロキョロしていると、ふと、ある店が目に留まった。
「……文房具屋さん」
「神崎さん、あそこ興味ある? 前は確か無かったよね。行ってみよう!」
店に足を踏み入れると、紙やインクの匂いだろうか。
文房具屋の独特な、どこか懐かしい匂いが鼻をかすめた。
リュシアンと交流を始めてから、便箋や封筒を買うことが多くなった。
近くに専門店がなかったから、今までは駅前の本屋に置いてある無地の便箋を買うことがほとんどだった。
ここには数多くの便箋や封筒が並んでいる。
その中で、目に止まったのを手に取る。
スミレの花が小さく描かれた便箋。
顔を近づけると、かすかにスミレの香りがした。
――リュシアンの手紙と同じ香り。
「……っ」
思わず、急いで棚に戻した。
ただの香りだ。
それなのに。
どうしてだろう。
胸がいっぱいになった。
「……リュシアンと同じ香りの便箋を買うのは、さすがに恥ずかしいな」
何となく、隣の便箋に目を向ける。
かわいらしいスズランの花が描かれたものだった。
手に取り顔を近づけると、甘すぎず爽やかな、みずみずしい草木の香りがした。
「……いい香り。これにしようかな」
リュシアンから何日も返事はきていない。
それでも、いつかきっと返事は来る。
そう信じて、この便箋を買うことにした。
返事が来たら、この便箋で手紙を書こう。
そして、私がそうだったように。
この香りが、少しでも彼の多忙な日常の癒やしになったら嬉しい。
それから二日経った。
相変わらず、リュシアンからの返事はない。
でも、どうすることもできない。
電話をかけることも、会いに行くこともできないのだから。
ただ、待つしかない。
耐えるしかない。
そう自分に言い聞かせるしかなかった。
深夜0時。
祈るような気持ちで冷蔵庫を開ける。
ゆっくり慎重に開けたために、いつもより、ギギッときしむ音が響いた。
中には――。
食べ物は何も入っていなかった。
ただ。
封筒が一つ。
わずかに震える手で、それを取り出す。
そして、急いで封を開けた。
「……っ」
手紙には二行だけ書かれていた。
『返事が遅くなってすまない。また、連絡する』
リュシアンの文字はいつも丁寧で美しい。
けれど今回は、ところどころ文字が歪んでいた。
それでも。
そこからは、いつものスミレの香りがした。
自分で気づくより先に、涙が頬を伝った。
ぽたぽたと手紙に落ちて、慌てて手で拭う。
「……生きてた」
怪我。病気。もしくは、もう亡くなってしまったのか。
どんな状況か分からないからこそ、不安で仕方がなかった。
ここ数日は、もう異世界と繋がらなくてもいい。
彼が生きていてくれれば、それでいい。
そんなふうにさえ、思うようになっていた。
「……良かった。良かった……」
会ったこともない相手。
それでも。
私にとって、リュシアンは――。
大切な人なのだ。
そのことに、このとき初めて気がついた。




