93:呼べ、その名は
「この報せはどっちだろうなァ? 先生」
目隠しをされているせいで視界が真っ暗闇の中、楽しそうなワイルの声と奴の持つ電話からの着信音だけが俺の耳に聞こえてきた。
魔物ランク★1スケイルバットを使って作ってある電話、バットフォンの『ヴァヴァヴァ』という特徴的な鳴き声が部屋の中で反響して少々やかましい。
そんな風に煩わしく思いながらも、俺はその連絡の結果が気になって仕方ない。
しかしこの状況を楽しんでいるワイルに対して何か反応してやるのも癪なので、俺は黙って待つことにした。
ワイルがバッドフォンのボタンを押す。
電話が繋がった。
『こらーーーーーー!!』
キーーーーン、と。
耳をつんざくような甲高い声がバッドフォンを通して部屋に響き渡った。
『もしも~し? 貴方がこいつらの親玉? どこの誰だか知らないけれど残念でした。貴方の手下はみ~んな私が成敗させてもらったわよ』
偉そうな口ぶりで一方的にまくしたてる電話の相手。
聞き覚えのあるその声に、俺の口元がついつい緩んだ。
(セレナ……!)
電話の向こう側にいるのはセレナだ。
ということは事前に連絡をもらっていた通り、アイリスと一緒にフィオーナの魔法によってこちらの大陸に渡ってきたのだろう。そしてそのまま街中の戦場に駆けつけると、敵と戦うアシュレイ達の助太刀をしてくれたといったところか。
なんて頼もしい仲間達だ。
俺は心から嬉しく思った。
『ちょっと~? これ聞こえてるのかしら……もしも~し?』
反応のない相手に対して、心配そうなセレナの声が徐々に弱々しくなっていく。
一人で喋っているだけの可能性を感じて恥ずかしくなってきたのだろう。
そんな中、おもむろにワイルが舌を打った。
「……間抜けどもめ」
『え? あ、貴方! その声まさかワイr……』
ブツン。
通信機の会話はそこで途切れた。
「はァ~~~~~~……」
ワイルのでかい溜息。
ここではないもう一つの戦場、その勝敗はこちらに軍配が上がった。
どうやら天秤は俺の方に大きく傾いたようだ。
少しの間ワイルは何も言わないまま黙っていた。
だがしばらくすると、どうしたことか大声で笑い始めた。
「はっはっは……っはァ、クックック。こりゃあ傑作だ。ただのスペアだったあの姫さんがね……なかなか面白ェ育ち方をしたもんだぜ」
セレナをスペアと呼ぶワイルの口ぶりは実に愉快そうで、勝敗の結果など眼中にないといった様子が伝わってきた。
だがわずかに感じる違和感。どこか作り物めいている。
俺は思わず口を開いた。
「……相変わらず何が楽しいんだそんなによ」
「ああ?」
ワイルがカツカツと靴底を鳴らして俺の傍に近寄ってきた。
そして俺の左肩に刺さったままの矢を握ると、
「あぎっ……ぐああぁ!」
ぐりぐりと矢尻を押し込まれ、俺はたまらず叫び声をあげた。
「おいおい! 何言ってんだよ先生オイ! こんっなつまんねえ仕事、オレなりに精一杯楽しもうとしてんじゃねェか! そんな冷たいこと言うなよォおい!!」
そう言いながらワイルは俺の腹を思いっきり殴りつけた。
あまりの衝撃に俺の口から血反吐がこぼれ落ちる。
「ごほっ……かはっ……」
「……あ~、いけねぇいけねぇ」
我に返ったようなワイルの呟き。
ぽんぽん、と俺の肩が優しく叩かれた。
「悪い。つい殴っちまった」
「……げほっ、き、気が短いな……カルシウムが足りてないんじゃないか?」
「あぁ? カルシウム? なんだいそりゃ」
そして続けざまに振るわれるワイルからの暴力。
二発、三発と重たい拳が俺の腹に突き刺さる。
「……ぐ……ふっ……」
「へらず口を叩くのは後にしな先生。今はお仕置きの時間なんでね」
お仕置きと称して続く一方的な暴行。
俺の頑丈な体じゃなかったらこのワイルの激しい暴力に耐えられずあっさり死んでいるだろう。
そういうのを分かってやっている辺りが、こいつの最高に憎たらしいところだ。
しばらくして気がすんだのかワイルは手を止めると、また一つ大きな溜息をついた。
「ま、仕方ねえ。今回の侵攻は失敗だ。撤退せざるを得ねェ状況になっちまった」
ワイルの乾いた声が部屋に響く。
「ゴバル大陸側に用意した軍勢からも連絡が無ェ……。大方、先生が打った手とやらにやられちまったんだろうが」
その直後に、グシャ、と何かがひしゃげる音がした。
ワイルが自身の手に持っていたバッドフォンを踏み潰したようだった。
「喜べ先生。アンタらの勝ちだ」
各所に渡って広がっているこの大規模な争いに関して負けを認めたワイル。
その顔がどんな表情をしているか、目隠しをされている俺には想像することしかできなかった。
そうして、ワイルがこちらの体に触れるほど近寄ってくるのを感じると、
「とはいえ惜しかったなァ。もう少しで先生の完全勝利だったのによ」
耳元でねっとりと囁かれるそんな言葉。
その声色にはなんとも言えぬ愉悦の感情が含まれている。
楽しみはまだ残っているとでも言いたげだ。
「残念。アンタだけはここでゲームオーバーだ」
そう言ってワイルは俺の首を握りしめた。
奴の力強い手が徐々に俺の首元を締めてくる感触がひしひしと伝わってくる。
(……あ~あ、ちくしょう)
俺は全身に走る痛みの中で、この戦いの顛末を思い返す。
ファントムとゴーストを制した。
だがあと少しというところでワイルに乱入され、形勢はあっという間にひっくり返されてしまった。
もう少しでいけると思っていたんだがな。予想以上にワイルの復帰が早かった。
やはりこの男ほどの相手が絡んでくると思った通りにはいかないらしい。
(……魔物相手ならともかく……なあ。難しいもんだ)
他の戦場はこちらの思惑通りに勝ったようであるが、肝心の俺が負けてちゃ世話がない。
すまない、皆。
「かはっ……つ、次は俺一人だけでなんとか勝ちたいもんだ……」
「次? なに言ってんだ先生、次はねェよ。アンタはこれからオレと一緒に帰るんだぜ。嬉しいだろ? 懐かしの故郷アルカダ大陸だ」
ワイルがケラケラと笑いながらのたまうと、俺の胸に熱い思いが沸き立った。
故郷。どの口が言うんだ。
それはお前らが俺から奪っていったものだろうが。
そして俺は口の中に溜まっていた血をぺっと吐き飛ばすと、締められている首の苦しさも忘れて堂々と宣言してやった。
「……いずれ必ず取り返す。それまで首洗って待ってろボケども」
すると、
「調子に乗りすぎだテメエは。ぼちぼちにしとけや」
ドスのきいたワイルの声。
さっきまでの作ったような口調はどこにもない。
どうやら今回の戦いの結果は相当にワイルの逆鱗に触れたようだ。
(……ざまあみろ。化けの皮を剥いでやったぞ)
ワイルの放つ圧倒的な威圧感が俺の全身を殴るように叩きつけてくる。
普通だったら失神してしまいそうなほどに激しい覇気。
だが俺はかまわず不敵に笑ってやった。
「ぐっ……く…く。ハッ、お前ほどの男が、あ、相変わらず、シモンズのジジイの命令に従ってばかりか? ダセえぞ、ワイル」
「うるせえ。黙ってろ」
「かっ……」
俺の首を握るワイルの力がさらに強くなる。
「世の中どうしようもねえことの一つや二つはある。アンタにとっての俺たちもまさしくそういう存在だ」
「ぐ……あ……」
「だからアンタはおとなしくオレ達に利用されてればいいんだよ。分かったか?」
「……じゃあ、ひ、ひとつだけ聞かせてくれワイル。二年前のあのとき、なぜ俺をあっさり見逃してくれたんだ……?」
呼吸もロクにままならない中、俺は胸の内にあった純粋な疑問を吐き出した。
二年前の燃え盛るリュミエの街。
シモンズの陰謀によって追い詰められたところをフィオーナが助けてくれたとはいえ、初めからこの男が本気で俺たちを狙ってきていたら結果は違っていた可能性が高かった。
サンライト・ヴァルファリオン討伐の際に俺に手を貸した時とは状況が違う。
あそこで俺を見逃す必要など一切なかったはずだ。
俺はもう一度口を開いた。
「お前は……い、いったいどっちの……」
「……フン、さあな。ただの気まぐれさ。忘れちまったよそんなこたァ」
「……かはっ……ワ、ワイル……」
「もういいだろ。さっさと落ちとけ先生。苦しいだけだぜ」
問答はもう必要なしと言わんばかりに俺の首がさらに締め上げられる。
耳に届くワイルの声が徐々に薄らいでいくのを俺は感じた。
「なあに安心して眠っとけ。次に目が覚めたときには新しい人生が待ってるぜェ」
ギリギリギリと物凄い握力で締められると、俺の息の根は完全に止められた。
もうあと数秒もしないうちに俺は気絶してしまうだろう。
だが不思議と焦りはなかった。
そんなことが分かってしまうほどに、今の俺の頭の中はどこか冷静だった。
俺は誓った。
必ずコルダ王国を……シモンズを倒してみせると。
だからワイル。もう躊躇はしない。
お前とはここでさよならだ。
遠ざかり始めた意識の中で俺が瞬時に押したのは頭の中のエシュタルモンスター図鑑、《*魔人リスト》の一ページ、その中にある”楔”という項目だ。
《*魔人リスト》に搭載された万能コマンド、楔。
オーダー『魔人招来』。召喚の命令を行使する。
来い──!
次の瞬間、空気が一変した。
俺の足元から突然現れた強烈な光と共に部屋の中に激しい風が吹き荒れる。
しかもただの光ではない。床から湧き上がるそれは質量のあるまばゆい輝き。
輝きは勢いそのままに俺の両目を覆う布をあっさりと吹き飛ばしてゆく。
そして質量のある光の塊によって物理的に体を押しのけられたワイルは俺の首から手を離すと、困惑した様子で俺の方を睨みつけた。
「なんだこれは。この光はいったい……」
「げほっ、げほ……ワイル、いつぶりだ。久しぶりに会っていけ」
溢れる光の渦の中、物理法則を無視して床からゆっくりと現れたのは一人の男だ。
乱れた金髪。身に着けた鎧は魔性の衣。そして背に翻したダークブルーのマントが荒れ狂う風にたなびいている。
右眼に漆黒の眼帯をかけた端正な顔立ちは依然として健在だが、どこか翳りを感じさせるのは今の本人の気質にも依る所があるだろう。
人か。魔物か。男はただそこに存在していた。
その名はストレイン・アスガルド。
現在は【魔刃】。
俺の、最強の相棒である。
「……!! クソガキ、テメェ!!!!」
突如この場に現れたストレインに目を剥き吠えかかるワイル。
そんなワイルには一瞥もくれず、ストレインはただ静かに眼を閉じて──、
「ストレイン、命令だ。やれ」
「御意──」
躊躇なく放った俺の一言。
カッと眼を見開いて反応したストレインが次の瞬間、爆ぜるようにワイルに向かって襲いかかった。




