92:もう一つの戦い(後)
唐突にアシュレイ達の前に現れたのは一人の女だった。
肩の辺りで切り揃えられた美しい髪。
鉄製ではない独創的な鎧を身に着けており、その手にしているのは珍しい装飾が施された一振りの刺突剣、いわゆるレイピアだ。
鎧の下に覗いた肌のみずみずしさから見るに成人して間もないくらいの若さといったところか。
ちらりと見えた横顔は絶世の美女と呼んでも差し支えないほど整っており、まるで王族のご息女のごとく気品を感じさせる。なにより胸がでかい。
そしてアシュレイは驚愕に目をひん剥いた。
現れた女剣士の実力。
氷漬けになっている自分達に向かって飛んできていた敵の凶弾、その一切合切を手にしていたレイピアであらぬ方向に曲げて逸らしたのだ。
「待ってて。すぐに解いてあげるわ」
こちらに振り返って自信あり気に答える女剣士。
もはや口も氷漬けになってしまって喋れないアシュレイだが、なぜか目の前の女性は信頼に値する者だと感じていた。
「──いくわよ!!」
女剣士が勢いよく駆け出す。
前に倒れると思うほどに体勢を低くして駆けるその様は、まるで一匹の狼のように雄々しく勇猛だ。
前進あるのみ。
彼女は、邪眼を発動させている敵の女に向かって一直線に駆けてゆく。
(だけど、それじゃあよお……っ!)
アシュレイが息を呑んだ。
ダメだ。このままでは自分と同じように凍ってしまう。
相手は恐ろしく凶悪な邪眼の持ち主だ。
奴の眼を見てしまったら最後、全てがおしまいに──、
(……って、ありゃ?)
しかし、即座にアシュレイの心配は否定された。
女剣士は何故か一向に凍る気配が無い。
「ふん。そんなニワカな使い方で、私に通用すると思ってんの!」
敵の邪眼使いも戸惑う様子を見せていた。
なぜ凍らない。
その答えは簡単だった。女剣士は相手の顔に一切視線を向けていなかった。
「見るのは常に足元のみ、よ!」
ならば、と。
邪眼使いを守るように待ち構えていた仲間の数人が、突っ込んでくる女剣士めがけて一斉に武器を振るった。
下を向いているなら攻撃を躱せはしまい。格好のカモだ、と。
だが、
「遅い!」
さきほどまでの獣のごとき雄々しさとは対称的に、今度は風に舞う蝶のように、軽やかに相手の攻撃を躱しながら前に進んでゆく女剣士。
その芸当は神業といっても差し支えない。対峙する相手の足さばきと気配だけで攻撃の動きを察知しているのだ。
そうして女剣士はあっという間に邪眼を使う女の懐まで肉薄すると、手にしたレイピアを振るった。
一閃。ニ閃。三閃──。
目にも止まらぬ速さで敵を貫くレイピアが、あっさりと邪眼使いの意識を刈りとった。
(王宮……剣術……)
アシュレイは息も絶え絶えの中、女剣士のその動きに見とれていた。
強く凛々しく気高い。
その姿はまるで、戦場に舞い降りた戦乙女のようだとすら思った。
女剣士はニッと口の端を吊り上げる。
「邪眼を発動させているからって油断しすぎよ、貴女」
邪眼の能力は、一度目が合った者に対して邪眼を発動している間だけ効力が発揮される。
そして今、能力の主たる使い手の意識が消え、邪眼の効果は止められた。
つまり──、
「こっちはさんざん本物の邪眼使いにしごかれてたのよ。私を倒したかったら今度はもう少し邪眼の使い方を磨いてくることね」
倒れている邪眼使いの女に向かって皮肉混じりにそんな台詞を吐く女剣士。
次の瞬間、氷漬けになっていたアガート軍の兵士達を覆う氷がバキィっと盛大な音を立てて砕け散った。
「うおお! た、助かったあ!」
「生きてる! 生きてるぞ、俺たち!」
兵士たちが大声をあげて歓喜している。
アシュレイも自分の身を覆っていた氷が砕けて剥がれ落ちていくのを目で追いながら、体の自由がきくことに安堵の念を抱いていた。
「は……はは……なんとか助かったみたいだねえ」
しかし、少しの間とはいえ氷漬けにされていた影響か、体の調子がおかしい。
まだ動かない方が得策だろう。
すると、
「──大丈夫ですかっ?」
突然横合いから聞こえてきた女の子の声にぎょっとするアシュレイ。
視線を向けると、そこにいたのは戦場には到底似つかわしくない雰囲気を持った可憐で可愛らしい女性の姿。心配そうな瞳がこちらを覗き込んでいた。
若い。あの女剣士と同じくらいの年頃だろうか。
「まだあまり動いてはダメですよ? 体がびっくりしちゃってますからっ」
「君は……? あの女剣士の……いや、あの戦乙女ちゃんの知り合いかい?」
「……戦……乙女……ちゃん? ぷぷっ」
アシュレイの言葉を聞いた彼女は思わずといった感じで吹き出した。
(……オレっち何か変なこと言ったかねえ?)
いい歳した自分がこんな若い子に笑われるなんて……。
なかなか悪くないじゃないかと内心思うアシュレイ。何かに目覚めそうだった。
「はいっ。あの戦乙女ちゃんは私の友達ですよ。だからもう大丈夫ですっ」
「しかしねえ。敵は手強いよ。彼女一人に任せておくのは危険じゃないかい」
「ふふ……セレナちゃんはもっと強いので心配いりません」
ぶいっ、とピースをしながら可憐な女性はそう微笑んだ。
言われて再び戦場に視線を送るアシュレイ。
見ると、セレナと呼ばれた女剣士は残っている敵の残党と戦闘を続けていた。
「貴方達にこのレイピアを持つ私の相手が務まるのかしら? ほら。かかってきなさいよ」
セレナの挑発に敵の残党──コルダ王国軍所属ワイル・D・ロビン付き私兵部隊の者達が、それぞれ手にした魔宝具でお互いに連携をとりながらセレナに攻撃を仕掛ける。
熟達した練度を誇るワイルの私兵達のコンビネーション。
並の者なら一瞬で絶命してもおかしくないその猛攻を、セレナはその場でくるりと一回転するとレイピアを軽やかに振り回した。
すると──、
「なっ!?」
アシュレイは思わず声を上げて驚いた。
セレナに向かっていた敵の攻撃全てが敵自身に向かって方向を変えたのである。
物理法則を捻じ曲げて跳ね返った自身の攻撃に敵の何人かは対処しきれず、その場で崩れ落ちてゆく。
端から見ていたアシュレイも、また攻撃を跳ね返されたワイル私兵部隊の者たち自身も、いったい何が起きたのか理解できなかった。
「ふふん、引っ掛かったわね。そんな攻撃、私のファルシアには通用しないんだから。そっくりそのままお返しするわ」
そう言ってセレナが得意げに胸を張ると、その豊満な胸が鎧を壊しかねない勢いで主張した。若い男にとってはなんとも目に毒な光景である。
セレナの持つレイピア。
その名を『歪曲剣ファルシア』。
魔物ランク★8ゾル・ゾナの素材を用いて作られた、剣の周辺に”歪み”を発生させることができる特殊なレイピアだ。
セレナ自身が名付けた、彼女専用の武器でもある。
ついでにまたの名を『偏歪機構搭載型刺突剣』という。
こちらはもちろん、作り手であるウェムラ・アキュラの命名だ。
ちなみにセレナがそう呼んだことは一度としてない。
「どうしてやろうかしら、こいつら」
歪曲障壁の影響で体勢を崩した残りのワイルの私兵達はその場で尻もちをついている。
今が敵を仕留める絶好のチャンス。
だがそこで何を思ったか、セレナは突如としてひとりごとを始めた。
「そうだわ! セレナ、貴女の方が早いでしょ? 替わるわね」
「ちょっとセレナ? なんですか急に」
「魔法でいっぺんにやっちゃって。あとはお願い」
「あなた、面倒くさいだけでしょう? ふう。まったく、もう一人の私ときたら……。仕方ありませんわね」
自分で自分と対話しているようなその会話は、周りの者たちからしたらなんとも不思議な光景だった。
(おいおい、いったいなんだい? あの子はなにを言って)
アシュレイが戦場の様子を必死に汲み取ろうとしていると、そこでまた一つ状況に変化があった。
なんと一瞬の間を置いてセレナの持つ気配が別人のように切り替わったのだ。
そしてどうしたことか戦場の真ん中で仰々しくお辞儀をし始めた。
「皆様方。ここからはわたくしのご相手をお願い致しますわ」
ちょこんと服の端を持ち上げるようなその振る舞いはまるでどこぞの貴族のご令嬢のよう。
突然のセレナの変わり様に、敵も、味方も、周りの者が誰一人としてついていけていなかった。
さっきまでアガート王国軍とコルダ王国の戦いだった戦場が、たった一人の女剣士によって無茶苦茶に翻弄されている。戦場の空気感だとか情緒とか、もはや色々と限界であった。
「はァッ──!!」
呆然としているワイル私兵部隊の者たち、そのスキにセレナがすかさず魔法を叩き込むと、残っていた者全てが容赦なく地にひれ伏した。
その様を上から見下ろし上品に笑うのは、アシュレイに戦乙女と評されたセレナではない、もうひとりのセレナだ。
「うふふ……ごめんあそばせ」
決着はついた。
王都の街中に商人と偽り潜入していたコルダ王国の兵士たちは全員もれなく無力化させられることとなった。
アガート王国軍の新たな戦術と、そして一人の女剣士の力によって。
「じ、人使魔法まで使えるのかい、彼女」
「ふふ、セレナちゃんと一緒にセレナさんも、あの人のためにとすごく頑張ってましたから」
「……はは、なるほど。君たちがアキュラ君の言ってたねえ……」
アシュレイは乾いた笑いを浮かべた。
彼がいつも連れていた人間離れしている眼帯の男もそうだったが、まさかこんな若い女の子までこれほどの実力を持っているとは……驚きを通り越して呆れ果てたと言うしかない。
「セレナちゃ~ん!」
「アイリス。まだ危ないからこっちにきちゃダメよ。それとフィオーナさんって私達を置いてどこ行っちゃったの?」
「大陸の境の方を見に行くって言ってたよ。向こうの状況を一度確認してくるって」
「もうっ。相変わらず勝手なんだからあの人」
「……それ、セレナちゃんが言う~?」
アイリスがもの言いたげな目でセレナを見つめると、拗ねたセレナが頬を膨らませてそっぽを向いた。
そのあどけない仕草はさきほどまでの凛々しい姿とは大違いだ。
アシュレイはそんな二人の女の子の姿を眺めながら、この世界の裏で着々と進行する侵略の魔の手、その事態の中心に立っているであろう男について思いを馳せた。
名もなき名匠、ウェムラ・アキュラ。
コルダ王国という巨悪の進撃を挫こうとする、反逆の復讐者──か。
(……まったく、頼もしいねえ……)
味方についたのがアキュラ君達の側で良かった。
アシュレイは倒れている敵を捕縛するために動き始めた部下達に指示を出しながら、しみじみとしてそう思ったのだった。
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