90:傾く天秤
「やってくれたなァ、先生」
カツンカツンと石造りの城内の床を鳴らすのはこちらに近づいてくる男の靴底。
いつまでも耳奥に残るような粘り気のある声が室内にこだまする。
視界はかすれてよく見えないが、かまわず俺は声をあげた。
「……ワイル……ッ!」
「オレへのちょっかいもそうだが、まさか一人でこいつらを倒すとはな」
現れたワイルが感心したように言った。
左肩を矢に貫かれ壁に縫い付けられている俺は激痛にこらえながら、
(くっそ……ピンピンしてやがる……)
徐々に見えてきた視界、そこに映ったワイルの姿にやるせない気持ちになった。
かなりの高所から吹き飛ばしたにもかかわらず無傷というのでは、つくづく相手の実力の底知れなさを実感する。反則だろ。
「イヤイヤ、無傷とはいかねェさ。おかげさんであちこち擦りむいちまったよ、実際大したモンだぜ先生。それに比べてよォ……」
ワイルはそう言うと、その足元でしゃがみ込むファントムへ目を向けた。
「おい、負け犬のグズ」
ゴミでも見るような目つきで吐き捨てるワイル。
俺の魔眼から解放されたファントムは床に膝をついた格好で静止していた。ダメージの回復に努めているのだろうか。
ワイルがその背中にガスッと蹴りを入れた。
「テメエ先生を本気で殺そうとしたな? 多少はいたぶってもいいが生け捕りだと言ったはずだぜ」
「……」
「ダンマリかよ。ガキが」
返答のないファントムに対してワイルがため息混じりに肩をすくめる。
「まあいい。テメエはそこに落ちてるミストルテインとゴーストを回収してさっさと先に引き上げろや。邪魔だ」
「……ダマレ……」
「あ?」
鉄仮面の下から唸りのような声が聞こえた。
命令を下したワイルに対しての明らかな敵愾心。
そうして、しゃがみこんで黙っていたファントムが突然ワイルに向かって飛びかからん勢いで立ち上がった。
「ダマレ! ワイル・D・ロビン! コノ男はオレガ……殺スンダ!」
深い憎しみを孕んだファントムの叫び。どれだけの激情がこの男を突き動かすのだろうか。
俺は、狙われているのが自分だというのにファントムのその姿に妙なシンパシーを感じてしまっていた。
復讐に走る自分にその姿を重ねてしまったのだ。
だが、
「邪魔だっつってんだよ」
一瞬の出来事だった。
ワイルがファントムの頭を片手でワシ掴むと、そのまま躊躇なく床に叩きつけた。
「グ……!」
「誰に口きいてんだテメエは。なァ」
叩きつけられたままのファントムが抵抗して頭を上げようとしているが、押さえつけているワイルはピクリともしない。
(し……信じられん。あの魔人の力を片手だけで……)
俺でも念動の魔眼の出力を上げに上げてやっと。魔人のもつ膂力とはそういう類の理不尽な力だ。
だというのになんだ。この光景は。
ワイル・D・ロビン。
倒すべき仇敵であるコルダ王国、その中でもズバ抜けて突出した戦闘力は相変わらず未知数と言わざるを得ない。やはりこいつもストレインと同様、枠を外れたイレギュラーな存在だ。
「テメエみてえな未熟な野郎がオレ様から一本とれるとでも夢見てたのかァ? 誰が鍛えてやってるか理解しろや」
「……クソッ……チ、チクショウ……!」
「ちくしょうじゃねェよ。さっさとここから失せろって言ってんだよオレァ。はやくしろ」
そう言いながらもワイルは何度もファントムの頭を床に叩きつけている。
あれで早く行けもクソもないだろう。ただのうさ晴らしか。
ファントムの鉄仮面と床がぶつかり合うたびに鈍い金属音が響き渡り、部屋の中にはなんとも言えない不気味な空気感が生まれていた。
(……ワイルめ、悪趣味な。体罰のつもりか。相手が魔人じゃなかったら今頃とっくに死んでいるぞ)
この男、やはり本質は悪そのものか。
敵とはいえ先程まで自分と命の削り合いをしていた相手を一方的に痛めつける姿は見ていて気分のいいものではない。
だが、おかげでようやく脳へのダメージが抜けてきた。
こいつらがわちゃわちゃしている内になんとか左肩の矢を抜いて、魔眼でこの場を切り抜ける算段を──、
「おっとォ」
突如、ワイルの空いている方の手がきらめいた。
ドスン。
直後に俺の下半身に何か強い衝撃が走る。
途端、歯を食いしばるほどに強烈な痛みが身体中を駆け巡った。
「……がっ……」
俺の右足の太もも辺りに一本の短剣が深々と突き刺さっていた。
「ぐっ……ぐううぅぅ……!!」
「もうちょっとおとなしくしといてくれよ先生。ったく、出来の悪い部下の指導もおちおちできやしねえ。しょうがねえなァ」
ファントムから手を離したワイルがこちらに近づいてくると、なにやら黒い布のような物を取り出し俺の両目を塞ぐように縛りつけた。
「本当はその厄介な右眼を今すぐにでも抉りとってやりてェがな。アンタの目と腕に傷をつけるとウルセェんだコレが」
視界が塞がれた俺の耳元でワイルが面倒そうに呟いた。
(……っ、目隠し……俺の魔眼への対策か?)
しかしまさか布一枚でどうにかなると?
俺は刺された右足の痛みを懸命にこらえながら、不意に訪れたチャンスを前にして意識を右眼に集中させた。
甘く見られたもんだな。
こんなもので俺の魔眼が抑制できるとでも──!
って、え?
「覚えてねえか? そいつは元々アンタが作ったもんだぜ」
俺は愕然とした。
右眼に魔力を流しても、思ったように力を発揮させることができない。
水道の蛇口をいくらひねっても出てくる水が弱い、まるでそんな感覚だ。
能力自体は発動できそうなのだが、どうやらさっき巻かれたこの布に魔眼の出力を目一杯抑えられているようだった。
「これは……まさか」
「おう。先生の工房に置いてあった眼帯の布だ。あの生意気なクソガキのために作ってあったものだろ?」
ワイルの言葉を反芻する俺の脳裏には、二年前の邪眼工房の記憶が蘇ってくる。
”魔眼仕様”と”邪眼仕様”の二種類の邪眼。
そしてストレインの左眼に着けられている”邪眼仕様”の邪眼の能力。常に発動し続ける左眼の能力を日常的に抑えるため、当時の俺はより効果的な眼帯布の開発には余念がなかった。
「回収した親父殿がアレコレいじくり回して研究したらしい。どうやって作っただの、何の素材を使ってるだのな」
「……へえ。それで何か分かったのか?」
「どうやら何とかなったみてェだな。ま、親父殿自身は『布の複製には成功したが特殊な材質上、加工は困難を極める。申し訳ないが布のまま使ってくれ。ああ、こんな情けない私を誰か罰してくれ』なんてゴミみてーな自虐をしていたぜ。相変わらず気持ち悪ィジジイだよな。ヒャッヒャッヒャ!!」
ワイルの下卑た笑い声がひどく耳障りだが、なるほど事情は分かった。
親父殿──諜報機関シモンズの長、レスキンスがあの布を利用して複製することに成功したらしい。大したものだ。
やはり邪眼工房にある物を丸々奴らに差し押さえられたのは痛かった。
俺の犯した過去の過ちが現在に連なり、しっぺ返しのように続々と牙を剥く。
(……煌翼領域もダメか。あの頃の俺め、厄介なものを置きっぱなしにしたものだ)
本来は目隠しされていても幻惑の魔眼を使えば部屋の中などあっさり視えるのだが、この布が相手じゃ分が悪い。
様々な魔物の素材を組み合わせて織り込んだかなり特殊な布で、いろいろな魔物の特性を利用して魔力抑制効果を実現させている。
むしろよくぞ複製に成功したと相手を褒めてやってもいいぐらいだった。
ワイルは俺の魔眼が封じられたのを確認したからか話の矛先をファントムに向けた。
「おいファントム。テメエ、次にオレ様の命令を破ったらゴースト……いんやァ、テメエが大事に大事にしてるその女をすぐにブチ殺すからな」
「……グ……」
「分かったらさっさと失せろ。じゃねえと本当に今すぐやっちまいそうだ」
「……分カッタ」
絞りだしたような声で返事をしたファントムが、ゴーストとともにこの部屋から遠ざかってゆく気配がした。目隠しされているので分からないがどうやらワイルの命令通り撤退したようだった。
(クソ……せめて奴らの正体だけでも知りたかったが……)
そして部屋の中には俺とワイルの二人だけが残された。
とはいえ今の俺は左肩ごと壁に縫い付けられ、右足には短剣がブッ刺ささり中。
挙げ句の果てに視界まで塞がれているという散々な有様であるが。
「さァて。オレたちはここで待つかい。もう少しだけダベっていこうや先生」
「待つって、いったいなにを……」
「なに言ってんだ先生。報告だよ報告。オレの兵隊かアンタの手駒か、勝ったのは果たして……ってなァ」
ここではない戦場の勝敗。
城下に潜んだワイルの部下たち。そして大陸国境周辺での軍隊による侵攻。
その結果をここで聞こうと言うのだ。
すると、
「お、きたきたァ……オレの電話が反応してやがる」
噂をすれば何とやら。
どうやら敵の部下からワイルの元へと連絡が入ったらしい。
見えはしないが目の前でワイルがニヤニヤしているのは分かった。
「この報せはどっちだろうなァ? 先生」
愉快そうに弾んだ調子で俺に問いかけるワイル。
俺は黙ってその結果を聞くしかなかった。
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