70:希望ある未来へ
(ハァ……ハァ……やはりまだこの辺りにいたか……)
俺は振り抜いたままの拳を下ろし、深く息を吐いた。
気を失ったガウェイグの姿を一瞥し、すぐに目を移す。
視線の先にいるのは探し求めていた女の子達、嬉しそうに顔を綻ばせるアイリスとセレナの姿だ。
間に合って良かった。
「アキュラさんっ!」
「アキュラ!」
「二人とも……無事で良かった……」
ガウェイグに襲われた衝撃でまだ動けそうもない二人に駆け寄り、目立った傷などが見られないことを確認し俺はほっとした。
二人がまだはぐれた場所の付近にいると睨み、運良く彼女達を見つけることができたのは奇跡に近い。
だが俺がドボルグの酒場付近に駆け付けたときにはすでに差し迫った状況になっていた。
刃物を手にしたガウェイグと、座り込んだままのアイリス。
俺は咄嗟に右眼の『幻惑の魔眼』を発動させ、ガウェイグの気を逸らす為に同じシモンズかつ顔見知りであろうワイルの幻を作り出したわけだが……。
どういうわけか、思ったよりも動揺してくれたようだ。
なんにせよ、間に合って良かった。
「この辺りもじきに火が回る。二人とも、しんどいだろうがもっと安全な場所に移ろう」
そう言って俺は座り込むアイリスの手を取り起き上がらせる。
するとアイリスが俺の右目にはまった山吹色の瞳に気付き、悲しそうな顔で唇を震わせた。
「ア、アキュラさん……その眼は……」
「……色々あってな。どうだろう、似合ってるか?」
「そんな……」
愛想笑いで力なくおどける俺の言葉に、アイリスは下を向いたまま返事をしない。
少し会わない間に俺の片目が邪眼になっているんだ、その経緯を察し悲しみに打ち震えているのだろう。
相変わらず、優しい娘だ。
やっと出会えた仲間達の前で空元気を見せる俺だったが……。
アイリスの穢れのない暖かな心根に触れ、俺の中に押し留めている感情がわっと溢れ出そうになる。
クマ吉……。
(まだだ、まだ終わってない。気を抜いてはダメだ、俺がちゃんとやらないと)
こぼれそうになった想いを呑みこみ、床にへたれこんでいるセレナの手も引いた。
「大丈夫か? セレナ」
「え、ええ。でもまだちょっと頭がくらくらするわね……」
そう言って苦しそうに顔をしかめるセレナ。
すると、
「おっと」
ふらりと揺れたセレナの体が勢い余って俺の胸に飛び込んできた。
むにゅ、と。
不可抗力とはいえ、その豊満な胸の感触がこれでもかと伝わってくる。
ラッキースケベというやつであろう、普段ならば表情が緩むのは避けられない。
だが俺は至って真顔であった。
こんな時に変なことを考えるほど俺もイカれていない。
あまり見くびらないでもらおう。
町は焼かれ、友を失い、今もなお緊迫した状況下にいるのだ。
女の子のおっぱいの一つや二つ、どうということはない。
どうということはないんだ。
……いったい誰に言い訳してるのか、俺は。
隣にいるアイリスの視線が妙に痛かった。
それに心なしか、どこか遠くの空でクマ吉の呆れた雄叫びが聞こえた気がした。
と、とにかくーー
「セレナ、歩けそうか?」
「だ、だいじょうぶ……じぶんで歩くわよ……」
「全然大丈夫じゃなさそうだな……」
頭を抱えぼやいたセレナの顔色は真っ青だ。
ガウェイグの催眠の後遺症だけでなく、長年仕えた執事の恐ろしい変貌を目の当たりにしてショックが大きいのだろう。
俺はふらつくセレナを片手で支え、アイリスとともにこの場を離れようとして、
(その前にこれだけはやっておかないとな)
自分の右手を前にかざした。
そして別れ際でのフィオーナの言葉を思い起こす。
ーー合流できたらその指輪に魔力を込めること、いいわね!
フィオーナに指示されていた通り、俺は指にはまっている赤い宝石の指輪に向けて残していた魔力のほとんどを込める。
すると俺の魔力を受けた指輪が、ぼうと赤く鈍い光を放ち始めた。
(加減はわからないが、これで問題ないはずだ)
指輪がどんな機能を持っているか詳しくわからないが、要は彼女にとってのGPSのような役割に違いない。
信号を受け取ったフィオーナが指輪を座標にして転移する、という手筈なのだろう。
だが、指輪の宝石から赤い光が消えても、フィオーナがこちらに転移してくることは無かった。
(まだ戦いが続いているようだ……)
俺は元来た道の方角に視線を向けた。
大広場での戦闘はまだ続いているようで、ストレインと黄金兵の衝突が大きな地響きとなって町全体を揺らしている。
離れたこの場所にも、空気の震えがビリビリと伝わってきていた。
あの渦中にフィオーナはまだいるのだ。
今すぐ転移する余裕などありはしないのだろう。
「仕方ない。とにかく場所を移そう」
「そ、そうね」
「アイリス、少しの間セレナを頼む」
「はい、わかりましたっ」
具合の悪そうなセレナをアイリスに預け、俺は警戒しながら一人先行し周囲の様子を窺う。
シモンズや王国兵士がまだ潜んでいる可能性だってあるのだ。
(くそ……魔力さえあればな……)
俺は内心で毒づいた。
右眼の能力、『煌翼領域』さえ使えればもっと楽に危険を察知でき、伏兵や奇襲などを恐れる必要は無くなるのだが……。
残念なことに魔眼の力を展開する魔力はもう残っていない。
さっき指輪に込めた分で最後だ。
今の俺は体が動くだけのギリギリの状態なのである。
(情けないが……体張ってでも守る。今度こそ絶対に)
なんとしてでも皆で無事に脱出する。
服の内にしまいこんだクマ吉の爪の欠片を握りしめ、一人俺は決意を固めた。
そうして周囲を探ること一刻。
アイリス達と少し距離が空いたが、この大通り一帯に敵が潜んでいることはなさそうなのが分かった。
俺は胸を撫で下ろし、肩の力を抜いた。
後はあの建物の角を曲がって安全を確認したら、二人を連れて避難し、フィオーナが迎えに来るのを待とう。
そうして俺がまだ火の回っていない家の角に向かって歩みを始めたーー
まさにその時だった。
(((ーーあっーー!?)))
脳みそが揺れたかと思うほどの大きな震えが俺の頭から体へ通り過ぎる。
ーーなんだ!?
すると頭の中に直接、何者かのくぐもった声が強く、鋭く響いた。
その言葉はーー
次の瞬間、俺はすぐさまその場で反転し、アイリスとセレナの元へ駆け出していた。
視界に捉えているのは倒れたままのガウェイグの姿。
そのガウェイグが、あれも隠していた武器の一つなのだろう、外した眼鏡を凶器に変えて、今にもセレナ目掛けて投げんと構えていたところであった。
ダメだ、二人とも気付いていない!
「セレナリアお嬢様は私のモノだ……誰にも渡してなるものかあああ!」
正気とは思えぬ叫び声を上げるガウェイグに、先に気付いたアイリスが、
「セレナちゃん! 危ないっ!」
「きゃ!?」
その身を庇うように前へ躍り出た。
ガウェイグの手の中から放たれた凶器が、アイリスに迫る。
その寸前でーー
「アイリスッ!!」
俺は必死になって叫び、無我夢中で体を差し込んだ。
魔力が残り僅かとはいえ、転生時に授かった強靭な肉体が俺の脚を支えていた。
ガウェイグの放った刃物が俺の肩口あたりに突き刺さる。
間一髪で間に合ったのだった。
「この変態ジジイ……いいかげんセレナの前から消えろ!」
「お、嬢様……おじょうさまァ!!」
最後の力を振りしぼり、俺は悔しそうに歪んだガウェイグの顔を思いっきり蹴り飛ばした。
手加減無しの怒りの一発。
おぶぅあ、と断末魔の叫びにしてはずいぶんと間抜けな声をあげて、今度こそガウェイグは完全に気を失ったのだった。
「いい歳してストーカーは見苦しいぞ、まったく」
俺は肩に刺さった眼鏡を引き抜きながら、鼻息荒くして息を吐いた。
シモンズってのはどいつもこいつも……本当に陰気な奴らだ。
だがようやく一つ、やり返すことができたな。
するとセレナを地面に座らせたアイリスが、俺を見て慌てている。
「アキュラさんっ! か、肩から血が……!」
「……ん?」
言われて気付く。
そうだった。
興奮状態で痛みも忘れていたが、たった今、勢いに任せて肩から凶器を抜いてしまった。
当然、俺の肩口からは血がどくどくと流れ出ていた。
「う……いてて。意識したら急に痛みが……ハハ」
「もうっ、笑ってる場合じゃないですっ。じっとしてて下さいね」
慌てながらもアイリスが手際良く自分の服の一部を切り裂き、包帯代わりに止血処置を施してくれる。
ありがたい。そしてごめん。
俺の態度にアイリスは文句を言いながらも、嬉しそうに笑顔を見せていた。
倒れたガウェイグをしばらく見つめていたセレナも、どこか吹っ切れたのか、俺達の様子を見て可笑しそうに微笑んでいた。
(二人とも元気が出たみたいだな。それにしてもーー)
そんな中、俺は先ほど自分を襲った謎の現象に思考を巡らせた。
どこからともなく届いた、誰かの言葉。
その声をもう一度思い出すーー
彼女達から離れるな。
今度は、しくじるなよ。
(なんだったんださっきの声は?)
知らない男のような、それでいて聞き覚えのある声。
この世界で会った誰でも無いーー自分の声にも似た何者か。
はっきりとはわからないが、なんとなくそう思った。
(……まあいいか、ともかくアイリス達が無事でよかった)
あと少しでも駆け出すのが遅かったら間に合わなかっただろう。
もしそうなっていたならば、このアイリスのまぶしい笑顔は二度と見られず、俺自身どうなっていたかわからない。
これも誰かの思惑の内か?
それとも……俺を転生させたあの白い服の男、神様の仕業なのだろうか?
何にせよ……。
腑に落ちない奇妙な体験だったが、今は素直に喜ぶべきだろう。
俺は心の奥で誰かもわからない何者かに感謝した。
するとそこでまた一つ、景色に変化があった。
大広場の方向にある空に、その真下辺りから一筋の大きな光が昇っていく。
あの光には見覚えがあった。
ノアが第十スペル『限界突破』を唱えた時のものだ。
ということは……、
「まさか、また!?」
俺は最悪の想像をして内心竦み上がった。
だが、そのすぐ後に気付く。
ここまで響いていた闘争の地響きは、いつの間にか止んでいたのだった。
次で【リュミエの町襲撃】は終わりです




