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69:走れアキュラ

ーーーー


 リュミエの町中央区付近。

 ついに火の手が回り始めたこの区画にも、もはや町人も兵士の姿も見当たらない。

 そんな中、二人の女の子が火の粉を避けるようにして懸命に通りの道を駆けていた。


「ハアッ、ハアッ……! セレナさん、こっち!」

「……っ、アイリスさん、あなただけでも逃げて下さいませ!」

  

 アイリスに手を引かれたまま走るセレナが、悲痛な面持ちで叫ぶ。

 その顔は普段のセレナとは違い荒々しさの欠片も無く気品に満ちたものであるが、それもそのはず、今の彼女の人格は王族としての本来のセレナだった。

 漂う上品な雰囲気から、アイリスは同一人物でありながら今のセレナを”さん付け”で呼んでいた。


「諦めちゃダメですっ! あの人達に捕まったらまたセレナさんがひどい目に遭わされちゃう!」

「ですが……」

「それよりセレナさん、セレナちゃんはまだ……?」

「ええ、まだ気を失っていますわ」


 狂戦士バルディロイを従えた貴族ゼクンツに襲われた際、その衝撃で普段のセレナの人格はいまだ意識を取り戻していない。 

 シモンズの精神実験の副作用で二つの人格をその身に宿すセレナには、こうして人格が切り替わることがあった。

 何かに追われるように必死に町中を走るアイリスとセレナ。

 後頭部で一つまとめにしたアイリスの尾のような髪が激しく跳ね、その動きに合わせてセレナの豊満な胸が揺れ美しい髪が風にたなびく。


「アイリスさん……アキュラ様は大丈夫でしょうか……」

「……っ、はい! あの人なら……あの人ならきっと大丈夫です! ですから今は私達もふんばりましょう!」

「……ごめんなさい、その通りですわね。ありがとうございます、アイリスさん」


 俯いていた顔を上げるセレナに、アイリスは笑顔を向けた。

 だが、無論アイリスとて本心からアキュラが無事で済んでいるなんて思っていなかった。

 アキュラを襲った、黒い男の強烈な暴力。

 あの時、自分は貴族の男に見逃されたが、意識を失ったままのセレナの介抱もあり後を追うことなんてできなかった。

 その後アキュラがどうなったかはアイリスには全くわからない。

 つまり、ただ信じるほかなかった。


(アキュラさんっ……!)


 胸が張り裂けそうな不安を内に秘めたまま、アイリスはセレナの手を引き一生懸命に走り回る。

 二人は焼け崩れていく家屋の海から逃げている、というわけではなかった。

  

「逃がしはしませんぞ、お嬢様」


 影から聞こえてくる、執拗な囁き声。

 しわがれた声色が不気味に響いて、アイリス達の不安をさらに煽った。

 後ろを振り向いたり周りに目を凝らしながら、恐怖に感じた思いを振り切るように二人が走る速度を上げると、


「あっ!?」

「そんな……」


 アイリスとセレナは立ち止まった。

 目の前にあったのは『ハメリーティの愉快な酒場』と書かれた看板。

 それはアイリスの家であり、二人が襲われる直前まで身を隠していた場所であった。

 いつの間にか戻ってきてしまったのだ。


「ワタクシめが誘導していたのです。あなたたちのような小娘相手には容易いこと」


 そう言いつつ、物陰から人影が現れる。

 眼鏡をかけた白髪の老紳士、平時であれば柔和な雰囲気を纏った執事にでも見えるかもしれない。

 だが今、アイリス達の目の前に現れたこの男、ガウェイグは違った。

 かけている眼鏡が妖しくギラリと光り、口元には悪意のある笑みが浮かんでいる。


「ガウェイグ、あなたは……!」

「おやおや、これはいけませんな。出てはいけない方のセレナリアお嬢様が出ているではありませんか。ワタクシにとってのお嬢様は、馬鹿で、愚かで、何も知らない、哀れな偽物の方なのですよ。貴女には引っ込んでいてもらいましょうか」

「うっ……!」


 ガウェイグと対峙した途端、セレナの表情が苦悶に歪む。


「セレナさん……!?」


 その場でへたり込んだセレナを見て、アイリスが慌てて駆け寄った。

 そんな二人の姿を見下すようにガウェイグが冷たい視線を向けている。


「本当に……貴女には手を焼かされる。妹君のノア様の”替えスペア”である貴女を切り捨てる、そうボスから聞かされた時はワタクシも憤然としたものです。せっかく手塩にかけて育てた苦労が水泡に帰すなんて、そんなことは許されない」


 眼鏡の縁をクイと指で押し上げた後、ガウェイグは短く嘆息した。

 まるで躾のなっていない家畜の不始末を嘆くように。


「無事見つけられてようございました。ワタクシも密かに単独行動をした甲斐があったというものです。おかげで王に献上するべくよい土産ができましたぞ」

「うぅ……うあ……あ……」

「起きなさい。貴女には再教育が必要ですな、セレナリアお嬢様」

「あ……ガ、ガウェ……イグ……?」


 ガウェイグの声に反応して、虚ろながらもさっきまでとは違った反応を返すセレナ。

 それを見たアイリスは、またも人格が切り替わったのだと気付いた。

 意識を失っていた普段のセレナの人格がガウェイグによって強制的に呼び起こされたのだ。


「おはようございます、お嬢様。お迎えにあがりましたよ」

「な……によこれ……いったい、どうなって……」

「セレナちゃん!」


 困惑するセレナを温厚な笑顔で出迎えるガウェイグ、たまらずアイリスが叫び声を上げた。


「立って! 早くこの人から離れないと……!」

「あら……アイリス……? そういえばアキュラは? あれからいったい何があったの?」

「色々あったの! 今はそんな場合じゃないよっ」

「えっと……それになんでガウェイグがここにいるのかしら?」


 起き抜けゆえに記憶が混濁としているセレナは思うままの言葉を口にした。

 しかし端から見てあまりに呑気なその姿に、流石のアイリスもカチンとくる。

 

「セレナちゃんのバカっ! そんな場合じゃないって言ってるじゃん!」 

「痛った!? あなた、今バカって!? それに叩くことはないでしょ!?」

「いいから急いでっ! 早く……きゃ!?」


 そんな茶番のようなやり取りに業を煮やし、どこからか取り出した長い革紐でガウェイグが一瞬の内にアイリスの体をキツく縛りあげていた。


「邪魔な小娘ですな……。先に始末致しますか」

「あ……ぐ……! に、逃げて……セレナちゃん……」

 

 ガウェイグが腕を引くごとにアイリスに絡んだ革紐は食い込んでいく。

 体を締めつける強い痛みに顔をしかめながら、アイリスが呻くように呟いた。

 

 シモンズの諜報員、ガウェイグ。

 第一王女セレナリアの専属執事としての顔に加えて、年老いてなお卓越した暗器使いとしての武も持ち合わせていた。

 今、彼が手にしている革紐は、腰に留めてあった暗器用の伸縮ベルトである。

 

「ガ、ガウェイグ!? あなた、何をやってるの!?」


 幼い頃から己の傍に仕えていた執事の、初めて見る凶悪な姿にセレナは驚き狼狽えた。


「いい加減にして! アイリスを離しなさい!」

「”黙れ”。貴女は、そこで”おとなしく”していなさい」

「あ……う……。体が……勝手に……」

「ふむ……反応があまりよろしくない……。間が空き過ぎたせいで、催眠効果がだいぶ薄らいでしまったようですな。まあ、またこれから再調教すればよいか」


 そんな風に呟いたガウェイグの言葉に、セレナは殴られたような衝撃を受けた。

 王国の闇。シモンズの陰謀。精神実験の被検体。

 セレナは今更ながら、以前アキュラが言っていたことが本当だったのだと実感した。


(そんな……! ア、アイリス……!)


 体が言うことを聞かないせいで、声もロクに出せない。

 絞め殺されそうになっているアイリスをただ眺めていることしかできなかった。


「あ……あ……くる……し……」

「痛いでしょうな? 本来は拷問用の物ですが、力の入れ方によっては人間など簡単に絞め殺せるのですよ」

「い……や……」


 痛みとともに急激に薄らいでいく意識。

 そんな中、アイリスの脳裏にある者の姿が浮かんだ。

 無事かどうかもわからないその身を案じながらも、こんな状況では助けを求めるように思い浮かべずにはいられなかった。 


 あと一刻もすればその命が失われる。

 そのとき、アイリスの首にかかっていた銀細工のネックレスがカタカタと震え始めた。

 この銀のネックレスは以前に、アイリスがエルフのフィオーナから餞別として貰った物だった。

 すると、


「きゃっ!?」

「ぬおお!?」


 突然ネックレスが砕けたと思った次の瞬間、アイリスの体からつむじ風のような鋭い暴風が発生し、食い込んでいた革紐を切り裂きながらガウェイグの体を吹き飛ばした。

 拘束から解放されたアイリスが地面に座り込み咳きこむ。

 吹き飛ばされたガウェイグはあちこちを切り刻まれ血を流しながら、よろよろと立ち上がった。


「小娘、きさまぁ〜……いったい何をした……」


 血に塗れ、鬼のような形相でアイリスを睨みつけるガウェイグ。

 そんな幽鬼のごとき存在には目もくれず、肩で息をするアイリスは砕けたネックレスの欠片をきゅっと握りしめた。


(フィオーナさん……ありがとうございます……)


 何かあったときに役に立つと言っていた。

 まさしく今その時、フィオーナの言葉通り自分を守ってくれたのだ。

 アイリスは悪戯っぽく笑うフィオーナの顔を思い出し、心から感謝した。


 目を伏せ、ほぅと安堵の息を漏らすアイリス。

 必然無視された形となったガウェイグがさらに怒りを露にする。

 内ポケットに忍ばせたペンを取り出したかと思えば、その軸先から鋭い刃物を露出させた。


「コケにしおって……許さん。貴様は惨たらしく殺してやりますぞ。お嬢様の前で、しっかりとな」


 目を血走らせ刃物片手に近づいてくるガウェイグを前に、すぐさまアイリスが立ち上がろうとする。

 だが、彼女の足はもう言うことを聞いてはくれなかった。

 アイリス自身気付いていないが、これまでの間で彼女は肉体的にも精神的にもとっくに限界がきていたのだった。


(アキュラさん……助けてっ……!) 


 先ほども脳裏に浮かんだ大切な人へ、祈るように願った。

 いつか自分を助けてくれた時と同じように、あの人は必ず来てくれる。

 こんな時に願ってはダメだと分かっていたが、アイリスはひたすらに信じた。

 

 すると、信じられないことが起こった。


「な、なぜ貴様がここに……」


 ひたむきなアイリスの思いを知ってか知らずか、なぜかガウェイグの足が止まっていた。

 その目に映っているのは、恐怖の念だった。


(な、なぜここにワイル・D・ロビンがいるうぅぅ!?)


 ガウェイグの視線の先。

 アイリス達の後方にいたのは……、

 いつもの嫌らしい笑みを浮かべながら矢を引き絞るワイルの姿であった。

 明らかにガウェイグの方に狙いを定めている。


 まずい、奴は私のことを嫌っている。

 このまま面白半分で私を狙ってきても不思議では無い。充分ありうる。

 それとも、私がボスに黙ってここに来たことが知れたのか? それで粛正を?

 それにしても何故ここにいるのがわかったのだ!?


 突然現れ弓を構えるワイルの姿に、ガウェイグの脳内でいくつもの疑問や恐れが次々と湧き上がる。

 動揺のあまり、手にしていた暗器を落とした。


 次の瞬間、ワイルの姿が陽炎のごとく消えた。


「……ほ?」

「ーーこっちだ」


 ガウェイグの後ろから聞こえた声。

 振り返る間もなく、ドゴォ、と凄まじい音とともにガウェイグが宙を舞った。

 突如現れた新たな人影。

 その者の姿を見て、アイリスは満面の笑顔を浮かべた。

 ほらね、やっぱり来てくれた、私の大切な人!


「アキュラさんっ!」


 嬉しさのあまり涙を流しアキュラの名を叫ぶアイリス。

 ガウェイグを殴り飛ばしたアキュラもまた、そんなアイリスに笑顔で応えたのだった。


ーーーー

あと1、2話で【リュミエの町襲撃】は終わりです。

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