68:絶望と希望
『****を確認しました。****を確認しました。”緊急モード”に移行します』
サイレンと共に突然勝手に動き始めたエシュタル図鑑。
何か異変が起きたことは間違いなかった。
『自動解除機能、オン。メインメニューの《*メニュー新規作成》を一時的にアンロックしました』
頭の中でメッセージが忙しなく流れていく。
それらを呆然と眺めながら、俺はクマ吉の爪の欠片を強く握りしめた。
手の中が切れて血が出ているがどうでもいい。
悪い夢ならこのまま覚めてくれ。
俺はいまだに、クマ吉が死んだことを信じたくなかった。
『《*メニュー新規作成》を実行。レイアウトは”パターンB”を選択しました。書式は”自動”を選択しました。タイトルの入力を決定。保存を選択。メインメニューに新たな項目を追加しました』
その間にも図鑑の書き換え作業は着々と進んでいく。
どうやら今までロック状態にあったメインメニューの《*メニュー新規作成》を使って、図鑑が何かしら新しいメニューを作成しようとしているようだった。
『緊急モードを終了します。”通常モード”へ移行しました。《*メニュー新規作成》の項目をロック状態に戻しました』
時間にして数秒にも満たない速さで、勝手に動いていた図鑑の処理は終わった。
俺は無意識のうちにメインメニューの画面を開く。
すると、
《 ーエシュタルモンスター図鑑ー 》
《 》
《 *全国図鑑 》
《 》
《 *モンスター分布 》
《 》
《 ▶*魔人リスト 》
《 》
《 *メニュー新規作成 》
《 》
《 *オプション 》
図鑑のメインメニューに生まれた、新たな項目。
そこにあったのは《*魔人リスト》という、不気味な単語だった。
(……魔人……リスト……?)
今はクマ吉のことで何も考えたくない俺であったが……、
その言葉のあまりの気味悪さについつい反応をしてしまった。
このタイミングでいったい何だ?
そこまで考えて、俺はさきほど感じた空気の震えを思い出す。
これって、まさかーー
「……ハハ。つかえが取れたというかなんというか……」
慣れ親しんだ声、だが何かが決定的に違う。
ぼやけた視界の先に、ドス黒い塊のような存在があった。
俺は慌てて目の焦点を合わせ、前方を見定める。
すると、
「あぁ……スッキリした……」
生来の美しい金色の髪をさらりと手でかき上げ、天を仰ぐように見上げるストレインの姿があった。
たった今、クマ吉が死んだというのにその表情はなんとも晴れやかである。
吹っ切れた、そんな感じだ。
(……ストレイン……なんで……)
だが表情とは裏腹に、その身に溢れる漆黒の邪気は目を逸らしたくなるほどに禍々しい。
近くにいる黄金兵の輝きをモノともしない闇のごとき”黒い魔力”が、空気一帯を塗り潰すように渦巻いていた。
(なんで……帰ってこれなかった……!)
なんでもくそもない。わかっている。
長い付き合いだったあいつらだ。
耐えられなかったのだろう。
堕ちた。
俺はヴァルファリオンと戦った時に起きたストレインの異変を思い出し、今の姿を見て直感的にそう感じた。
見た目には何ら変化は感じられない。
だが、あのストレインは今までのストレインとはもはや別物だ。
……魔人。
「アキュラ殿、しばしお待ちを。すぐに我らの安寧の地を取り返してみせましょう」
くるりとこちらに振り返り笑顔を向けるストレイン、眼帯のついた左眼とは反対側の右眼の魔眼が今までに見た事が無いほど不吉に赤くギラついている。
身に纏う強烈な邪気、その中で浮かべる晴れ晴れとした笑みはひどくアンバランスなものに見えた。
そんな、人と思えぬような歪な気配を前にして、俺は言葉に詰まって何も返事をすることができない。
これではまるで魔物ではないか。
湧き上がる不安を胸に、俺はストレインを見つめた。
ストレイン……、
お前は、本当に……、
「お前は本当にストレイン・アスガルドか?」
黄金兵が俺の心の声を引き継いだかのように、表情を変えず抑揚のない声で問いかける。
さっきまでとは明らかに様子が違うストレインを怪訝に思ったのだろう。
「ん? そんなこと、もうどうでもいいじゃないか」
対するストレインがあっけらかんとした様子で答えた。
そして、
「死ね」
スッ、と手にしていた極光宝剣を黄金兵に向けた。
そのあまりの自然な動作に意表を突かれたのか、黄金兵の反応が一瞬遅れる。
直後に、剣先から黒が混ざり合った莫大な量の光が迸った。
「がァ……! き、貴様……!!」
ストレインが放った極光宝剣の解放波に黄金兵の体が飲み込まれる。
なんとかその場でこらえたようだが、さすがに無傷では済んでいない。
初めて黄金兵が傷を負った瞬間であった。
「……ストレイン・アスガルド、許さんぞ!」
やり返しとばかりに黄金兵が手を突き出し、先ほどと同じようにクマ吉を屠った時の閃光波を繰り出した。
至近距離、もろに直撃を受けたストレインが剣を支えによろめく。
だが、全身をズタズタにされながらもストレインの顔に浮かんでいたのは、苦悶の表情ではなく愉快そうに歪んだ狂喜の笑みだった。
「ハハハ、これではまだ足りないか! ならばもっと、もっと……!」
「悪魔め……! すぐに粛正してやる!」
ストレインと黄金兵が剣を交え合う。
もうどうしようもない。
誰にも止めることのできない、人外同士の苛烈な殺し合いが始まってしまった。
(ぐおっ……! なんて衝撃だ……!)
激しい斬り合いの余波が辺り一帯を衝撃波のごとく襲い、俺は身構えながらなんとか耐えた。
キツい。
これ以上この場にいるのは危険すぎる。
光と闇の塊がぶつかり合う度に、空気が悲鳴を上げ広大な大広場の地形が原形を失ってゆく。
そんな中、崩れそうなお立ち台の上でシモンズの長であるレスキンスが冷や汗をかきながらもニヤリと笑っていた。
「この展開は予想外ではあるが……問題あるまい。深淵の姫君よ、催眠鬼デリウスの催眠波はもう使えるはずだろう? 今すぐあの悪魔のごときストレイン君に術をかけるのだ! それで彼らは”詰み”だ」
まずい。
レスキンスの言う通り、黄金兵を相手しているストレインを操られたら今度こそお終いだ。
いったい、どうすればーー。
だが、俺の抱いた恐れは杞憂に終わる。
この混沌とした戦況の中では、もはや一個人の思惑など何の意味もなかった。
「ーーだれがーー」
デリウスの口と同時に動く小さな唇。
胸部に磔にされているノアの瞳には、さっきまでの虚ろなモノとは違う、はっきりとした意思の光が浮かんでいた。
「ーーだれがーー貴方の言うことーーなんて聞くとーー思っているのーー」
「な、なにっ!? 意識が!? まさか、拘束が外れかけているのか!?」
突如自らの意思を取り戻したノアを前に、レスキンスが激しく狼狽える。
見ると、デリウスを縛る拘束具がストレイン達の戦闘の余波で外れかけているようだった。
どうやらその影響でノアの意識が一時的に戻ったようである。
そうして、光を灯したノアの瞳が俺に視線を向けた。
「ーー久しぶりーーね、ウェムラ・アキュラーー。貴方の声がーー聞こえたわーー」
「ノア……意識が……!」
「ーーこんなことーーになってーー本当にごめんなーーさいーー」
「……バカ野郎!」
謝るより前に言うことがあるだろうが!
魔物と融合させられて助けを求めるどころか泣き言ひとつ言わないノアに、俺は胸の奥がカアッと熱くなった。
それでもノアが俺を見つめる眼差しは穏やかで、何か悟っているようでもある。
くそっ、諦めてんじゃねえ!
そうしていると、俺の目の前にフィオーナが転移してきた。
少し遅れて、ワイルが地面に転がり落ちるようにフィオーナの手によって転移してくる。
随分離れた所まで戦闘がもつれこんだようだが、こちらは決着がついたようだ。
「……うへへ、長耳の姉ちゃん、アンタつええなァ……。楽しかったぜ、またいつかヤろうや」
「二度と来んな。あっち行け」
しっしっ、と露骨に嫌そうな顔でフィオーナがワイルを手で払う。
二人の状況を見るにフィオーナが終始圧倒したようだが、ワイルに対して並々ならぬ不快感を示していた。何があったのだろうか。
「は〜嫌われ者はつらいねェ〜。そんじゃ、まあ行くわ。先生も達者でな」
起き上がったワイルがそう言うや、てくてくと気楽な調子でお立ち台の方に戻っていく。
俺のことを逃がすつもりは無いと言っていた癖に……いったいどういう風の吹き回しだ?
見逃す気まんまんなその発言に俺は呆気にとられた。
いつまで経っても理解できない変な奴だ。
「大変なことになっちゃったわね……」
離れた所で轟音とともに死闘を繰り広げるストレインと黄金兵を背に、哀しそうな顔で俺に向かってフィオーナが手を差し出した。
「アキュラ、わかっているでしょう。もう諦めなさい。これ以上ここにいては危ないわ、私とともに行くのよ」
「…………」
「アキュラ!」
俺は差し出された手を、とらない。
とることができない。
何も答えることができなかった。
するとフィオーナが深い溜息をつき、差し出していた手を引っ込める。
そしてぼそりと呟いた。
「……私だって、ホントはアイリスを見殺しになんてしたくないわよ……」
「え?」
「ああもう! わかった、わかったわよ!」
やけくそといった様子でフィオーナが声を上げた。
「なら約束して。アナタにほんの少しチャンスをあげる。その間になんとしてでも彼女達を見つけなさい。その代わり、無事にこの地を脱した後はアナタは私に協力を惜しまないこと。絶対だからね、いい?」
「わかった! 約束する! ありがとう、フィオーナ」
「……ふ、ふん。今だけだからね! 感謝してよね!」
俺は勢い良く返事をし、照れているフィオーナに向かって頭を下げた。
俺のワガママに付き合ってくれる彼女には本当に感謝しかない。
最後に、ノアの方に目をやった。
下衆共に拐かされ、怪物と融合されられた哀れなお姫様。
このままシモンズに利用され、戦争の道具として使われることになるのだろうか。
そんな彼女を見放すようにこの場を離れることに、俺は強く胸が痛んだ。
「ーーさあ、行ってーー、ウェムーーラ・アキュラーー。姉さんのーーことーー頼んだわよーー」
「ノアッ! いずれ! 必ず、必ず助けてやる! だからそれまで、頑張っーー」
一際大きな爆発が起こり、俺の声は掻き消される。
ストレインがあらんかぎりの破壊を振りまいていた。
「行きなさいアキュラ! あの馬鹿は私が面倒見てあげる。それよりアナタは早くアイリス達を見つけてちょうだい!」
「ああ! だがフィオーナ、お前ももう魔力が……」
「いいから早く! 合流できたらその指輪に魔力を込めること、いいわね! わかったら行く!」
「……くっ!」
くそ、くそっ!
クマ吉を失った悲しみに浸る暇も許されない。
変わり果てたストレインを止めてやることもできない。
魔物と融合したノアを今すぐ助けてやることも叶わない。
捕らえられた町の人達も、壊れて崩れゆく町も救うことは困難だ。
それでも、はぐれてしまったアイリスとセレナにもう一度会う為にーー
俺は燃え盛る町の中へと再び駆け出したのだった。
ーーーー
おぼつかぬ意識の中、ノアはこの場を離れていく男の後ろ姿を眺めていた。
そしてその姿が無事に町中へと消えていくのを確認し、胸を撫で下ろす。
ああ、よかった。
「なんてことだ……! おい、とにかくこの場から姫君を離すのだ! そして手が空いている者はすぐに彼女の再調整にかかれ! いいか、分かっているだろうがくれぐれも鬼の目隠しは外すなよ!」
「「「はっ!」」」
視界の先では、シモンズの構成員達が焦るレスキンスの命令を受けて慌ただしく動いている。
その様を見てノアは少しだけ愉快な気分になった。
いい気味だ。
(とはいえ、私の方が笑えない状況ね)
もうどれだけ自分の意識が保つかわからない。
でも、あの男は言ってくれた。
助けに来る、と。
魔物と融合してしまった、こんな化物の私にもだ。
(本当にお人好しな男、まったく……ふふ)
初めて会った時もそうだった。
疑われて当然のはずの自分の話を信じ、最後まで付き合ってくれた。
(だったら早くしなさいな、ウェムラ・アキュラ)
どこまで耐えられるかわからないけど……
仕方ないから……貴方を信じて待っててあげる。
だから今は、とノアは目を閉じるようにゆっくりと意識を閉ざしていく。
もう限界。
これ以上無理をすると戻れなくなる……。
そうして、ノアが深い眠りにつこうとした、その時である。
『ねえ、もう眠っちゃうの?』
意識の中、自分と瓜二つの小さな女の子がいつの間にか傍らにいた。
ノアは一目見てわかった。
それは本能からくる直感とも言えた。
この女の子こそが、本来の自分の人格だということを。
(偽物だったのは私……か)
どうやら私は作られた人格のようだ。
真相を知ったノアが、自虐的になって皮肉げに微笑んだ。
ふん、別人格のお姉様にあたっていたのが馬鹿みたいね。
今思えば偽物同士、なんて滑稽だったのかしら。
「貴方、今までどこにいたの」
『ノアはずっとここにいたよ! でもこの辺りはずっと真っ暗で、いつも誰もいないの。すごく変なところ。つまんないよ〜。あ、でもね、たまに明るくなって暖かい気持ちがふわって入ってくるときがあるの。そのときはすごく楽しい気持ちになれるんだ〜』
「あ、そう」
これが本当の自分?
甘ったれた性格で、見るに堪えないわね。
幼年期の精神状態のまま成長してないのかしら?
っと、そんな場合じゃない。
「会って早々悪いけど私は眠るわ、じゃあね」
『あ、待って! それじゃあノアも一緒に寝る! ね、いいよね? ずっと一人で寂しかったんだから! ね、お願い! もう一人は嫌なの……だから……お願い……』
「泣かないでよ、うっとうしい。……勝手にしなさい」
『……! うん!』
ノアは少しだけ同情的になって、もう一人の自分が抱きつくようにすり寄ってくる様子を眺めていた。
仕方ない。どうせこのまま眠りについてしまうのだ。
昔、姉が自分にしてくれたように、優しく抱きしめてやろう。
そこまで考えて、ふと、その記憶が偽りのものかもしれないと思うことに、ノアは少し寂しい気持ちになった。
「ーーさようーーならーー」
姉さん……ウェムラ・アキュラ……それに、お姉様も。
どうか、無事でーー。
消えゆく意識の中、ノアは祈った。
偽りなれど記憶に残っている大切な人達のこの先にある輝かしい未来を。
そして、信じた男がいつの日か囚われの自分を救いに来てくれることを夢見て。
そうして、ゆっくりと瞼を下ろしていく。
もう一人の自分と共に、ノアの意識はそのまま深い深い眠りへとついたのだった。
ーーーー




