64:迫る決断
「さて、と。ここらが潮時ね」
圧倒的な実力で王国騎士団の兵士を撃退したフィオーナ。
そんな彼女が、静まり返った敵陣営を横目に引き返し俺たちの方に戻ってくる。
ん、どうしたんだ?
「それじゃあアナタとストレインを連れて今すぐ別の大陸に転移するわ。準備はいいわね」
「えっ」
「なんだと?」
俺とストレインは揃って声をあげた。
対するフィオーナは冷ややかな目で俺たちの反応を見ている。
「……なにかしら?」
「ま、待ってくれフィオーナ。お前ならこのまま奴らを返り討ちにできるんじゃ……」
「さて、どうかしらね……」
至って真剣なフィオーナの眼差し。
彼女の言葉が冗談では無いということを物語っていた。
「アキュラはともかくストレイン、アナタなら解るでしょう? 彼らはいまだ全てを見せていない。一手か二手、いえそれ以上かも……まだ何か手の内に隠してるわ」
「くっ……だが、だからといって……」
ストレインが苦々しい表情で呻くようにして答えを言い淀んだ。
そんな様子を歯牙にもかけず、フィオーナが淡々とした口調で話を続ける。
「それにさっきからあのお爺さまにちょっかいをかけようとしているんだけど、隣にいる無精髭の彼に一切隙が無いわ。この短い間で空間魔法の性質をある程度見抜いたみたいね。分かっているとは思うけど、あの男も相当の手練よ」
そう、今まで手出しをしてこなかったのでなんとかなってはいたが……
ストレインに匹敵する実力の持ち主ワイル・D・ロビン、あいつがまだ全快の状態で後ろに控えているのだ。
さっきは妨害こそ間に合ったものの、次は上手くいくとは限らない。
ノアの強化魔法と合わせられた場合、とんでもない脅威となる。
そしてもう一つの脅威。
クマ吉がかけられていたと思しきデリウスの特性の一つである『即効性一時的強化催眠』だ。
図鑑によると一度使用した後にリキャストタイム(再使用可能時間)が必要らしいのだが、時間の経過からして”次”まではもうかなり近づいているはず。
あれを使われたら、今こちらに防ぐ手段はない。
俺はともかくとして、ストレインやフィオーナを操られたらジ・エンドだろう。
フィオーナの言う通り敵の戦力はまだまだ未知数であり、それらに対抗できる確実な見通しなど今の俺たちには一つとして存在しなかった。
「万全の状態ならともかく、ここに来る前に私もだいぶ魔力を使ってるしアナタたちだってボロボロよ。今のままでこれ以上彼らと戦うのは危険だわ」
「しかし……」
「いい、アキュラ? 勘違いしないで」
膝をつく俺の目線に合わせるようにフィオーナがその場で屈み込んだ。
彼女の透き通る綺麗な瞳が、問いつめるように俺の瞳の奥を見つめている。
そこにはさっきまでの陽気な雰囲気など、もはや微塵も感じられない。
「私はこの町を救いに来たんじゃないの、アナタを救いにきたのよ。いえ、もっと本音を言うなら”攫い”に来たの。今こうして加勢しているのはアキュラの意思を尊重してだけど、それでアナタの身に危険が迫るのなら私はアナタ以外の一切を迷わず切り捨てるわ」
「…………そん、な」
「この町を見捨てたことにアナタは怒るでしょう、後悔もするでしょうね。けれどそれも一時の感情よ。コルダ王国に捕まったら死んだも同然の未来しか待っていないわ。アキュラだって自分の命は惜しいでしょ? ここで死にたいの?」
「貴様……! アキュラ殿は……!」
「アナタは黙ってなさい、ストレイン」
冷淡とも思えるフィオーナの言葉。
彼女の目的はあくまで『職人としての俺』なのだから当然とも言える。
「この世界を変えるほどの可能性を持つアナタという人間は『救い』にも『滅び』にもなる、極めて不安定な存在よ。誰の手にも渡すわけにはいかないわ。悪いけど、おとなしく私の言うことを聞いてちょうだい。今ならストレインも一緒に連れていける余裕はあるわ」
「アキュラ殿……」
主たる俺の返答に従うつもりなのか、ストレインはもはや口を挟むことは無かった。
そんなストレインを横目に、何も言わずフィオーナは腰をあげ立ち上がる。
ストレインにも薄々分かっているのだろう。
デリウスとノアが敵として現れ、生き残っている町の住人達の身柄を押さえられている以上、戦況は悪化していく一方だ。
もうこのまま俺達がシモンズを返り討ちにすることは難しい、と。
俺が町の救出を誓って手にした『幻惑の魔眼』の力も、現状の魔力の少ない俺という使い手では十分な効力を発揮できているとは言い難い。
フィオーナが言及した、俺の存在が世界を変える可能性がどうだとかはよくわからないが、俺一人が抵抗したところでどうにかなる状況では無いのは確かである。
そしてなにより、魔帝であり戦闘経験豊富であるフィオーナの判断が即時の撤退を告げているのだ。
死にたくなければ今すぐ彼女の言葉に従うべきであろう。
分かっている、分かっているさ。
リュミエの町を、邪眼工房を、ここにある全てを諦めなければこのまま全滅する。
そんなことは……本当は俺だってもう分かっている。
ギリッと奥歯を噛みしめた音だけが、自分でも妙にうるさく聞こえた。
とても冷静になれた状況じゃないが、それでも俺が出した答えはーー
「……わかったフィオーナ。助けてもらう礼だ、ここを抜けたらお前には全面的に協力しよう。お前の望む通りの物だって作るし、なんだってやってやる」
「アキュラ殿!?」
「だが……」
だがーー
と、俺は足に精一杯の力を込めて立ち上がり、眼前のフィオーナをしっかりと見つめ返す。
そうして、深々と頭を下げた。
「だが頼む。もう少しだけ……もう少しだけ待ってくれ。クマ吉も……アイリスとセレナだってこの町のどこかにまだいるんだ。二人を見つけてからじゃなければ俺はお前には従えない。協力する気は無い」
「……なんですって? アイリスが……?」
俺が狂戦士バルディロイに蹴り飛ばされた時、二人で倒れていた姿を見たのが最後だ。
あの後ゼクンツが彼女達に手を出した……とは考えにくい。
もし危害を加えていた場合、あいつの性格ならば俺の目の前にその首をもってくるなりなんなりして嫌がらせをすること間違いないだろう。
かなり楽観的な推測だが、今はそう信じるしか他にない。
見当はつかないが、町のどこかで二人は生きているはずだ。
(なんとしてでも見つけて一緒に行くんだ……。邪眼工房で共に過ごした仲間達までも見捨てて、自分だけ逃げ延びるなんて死んでもゴメンだ!)
それにクマ吉もまだ体の自由が戻っていないんだ。
こんな所に一人置いていけるわけがない。
魔力の尽きかけている俺では何もできず、フィオーナとストレインの力に頼らなければどうしようもない情けない状況だが……
今更、なりふりなんてかまってられるか。
俺を利用したいのなら、多少の無茶は聞いてもらうぞフィオーナ。
アイリスは生きている。
俺の告げた言葉にフィオーナがほんの少し動揺したように見えた。
短い間とはいえアイリスと仲良くしていた彼女にも思うところがあるのだろう。
一瞬の逡巡。
だがフィオーナが即座に答えを口にしようとした、その時ーー
「ーー第十ーースペルーー」
どこからか聞こえた、少女とも魔物ともつかぬ声色のかすかな呟き。
その直後、広場のお立ち台を中心にまぶしいほどの光が輝きを放ち始めた。
「大事なお話の途中にすまないね。だが我々シモンズは君達を逃がすつもりなど決して無い」
すぐさま振り向いた俺たちに向けて、逆光の中でレスキンスが静かな笑みを浮かべていた。




