55:アイリスとセレナ(後)
「なんだぁこいつ……生意気な女だな」
アイリスの言葉に振り返った男二人組が、苛立ちの声を上げる。
凄んでくる男たちの視線を受けて、しかしアイリスは気丈にも一歩も引かなかった。
すると、男の片割れが何か思い出したように口を開いた。
「あれ……おい、この子って南区で有名な例の酒場の娘じゃねえか?」
酒場の一人娘でありながら一部の熱狂的な男性ファンを作るほど人気者のアイリス。
どうやら男達もその顔を見知っているようだった。
「あぁ? ……あー、それだ。どおりで見覚えがあると思った。へぇ、生で見るのは初めてだが、噂通り可愛いねえ」
村長の息子とやらが急に態度を変え、ニタニタと薄ら笑いを浮かべる。
その様子に、セレナは露骨に嫌悪感をあらわにした。
それと同時に、いまだ引き下がろうとしないアイリスに対して何ともいえない気持ちを抱いていた。
なんであなたが出てくるの。
私なら一人で大丈夫。助けなんていらないわ。
あやふやで不確かな存在である自分を、わざわざ助ける必要なんかない。
ついさっきまで自分の身の上のことを考えていたせいか、セレナはひねくれた思いでアイリスの姿を見つめる。
本当は怖いくせに……足が震えてるじゃない。
……おバカ、おとなしく隠れてなさいよ。
すると村長の息子がなにか思いついたといった様子でわざとらしく手を叩いた。
「……そーだ、この子にも俺たちと一緒に遊んでもらおうぜ」
「おぅ! ナイス名案! 冴えてる〜」
「二人仲良く可愛がってやるよ……たっぷりとな」
「ハハハ! 悪っりい奴だなぁお前! 彼女怖がってんよ〜」
「っ……! こ、怖くなんかありません、あなたたちなんか……!」
男たちの嘲るような笑い声に一瞬ひるむも、アイリスは目を逸らすことなく睨みをきかす。
そして、すぅ……と一呼吸したのち、勇気を振り絞って叫んだ。
「私の大切な友達から、い、今すぐ離れなさいっ!」
アイリスの言葉に、セレナは驚きに目を見開いた。
(友達……私が?)
今まで工房でも二人きりでなんてロクに話したことがなかった。
今日だって強引に外に連れ出され、買い物に付き合わされたぐらいだ。
これで友達という関係と言うには、疑問を感じざるを得ない。
でも……。
どんなことにも一生懸命でひたむきなアイリスの言葉。
セレナの胸の内に、今まで感じたことのない気持ちが広がっていく。
それは彼女の心に空いていた穴を埋める、とてもあたたかいものだった。
村長の息子が笑みを止め、苛立ちの表情で顔を歪ませる。
掴んでいたセレナの腕を離し、アイリスに向かって近づいていく。
「あんま調子にのってんじゃねえぞ?」
「いやっ……」
手を振り上げ、恐ろしい剣幕で恫喝する男。
身の危険を感じたアイリスが小さな悲鳴をあげるとーー
「いい加減にしなさいよ、この雑草共」
凛として響き渡ったセレナの一声。
すると次の瞬間、セレナが素早い動きで隣にいた男の股間を思いっきり蹴り上げた。
容赦のない金的に、男は声を上げることなくその場に倒れ込む。
「ふん、いい気味ね」
「あ? なんだぁ?」
アイリスに手を上げようとしていた村長の息子が、後ろを振り返る。
そして状況を確認し、不機嫌なその顔をより一層歪ませた。
「ちっ……どいつもこいつも。いっぺん痛い目みなきゃわかんねえようだな」
カチャリ、と男がポケットからナイフを取り出した。
対峙するセレナに向けて突き出すように構える。
「セレナちゃん!」
「大丈夫よ、安心しなさい」
不安に張り裂けそうな顔をしたアイリスに淡々と告げるセレナ。
そして、ナイフを構える男に向かって駆け出した。
「クソ女が……ぬかせぇ!」
激昂した男が、飛び込んでくるセレナに向かってナイフを振るった。
それを流れるような足捌きで華麗にかわし、すれ違いざま男の手にあるナイフを払いのけた。
「私が愛用のレイピアを持ってなくてよかったわね?」
風のようにひらりと男の懐に潜り込んだセレナ。
そして先程と同じようにして、またも思いきり相手の股間を蹴り上げた。
下腹部を襲う強烈な痛みに悶絶しながら、村長の息子が膝をつく。
「な……んで。この女、つえぇ……」
「今どきの女子は王宮剣術くらい嗜んでるものよ?」
不敵に笑うセレナを横目に、男が白目をむいて地面に倒れ込んだ。
あまりの痛みに気を失ったようだ。
「あらまあ、情けないこと」
倒れた男どもを蔑むように見下し、セレナは誇らしく胸を張った。
ふふん、まあこんなもんかしら。
私だってやるときゃやるのよ。
セレナは見事、悪漢どもを返り討ちにしたのだった。
浅ましい俗物を撃退したという高揚感で得意のドヤ顔になりながら、アイリスの様子を窺おうと目をやると、
(……って、え?)
周りを見渡すと、騒ぎを聞きつけた町の住人や通行人たちが野次馬のごとく集まってきていた。
外出する際は、町で決して騒ぎを起こすな、目立つな、とアキュラには厳しく言われている。
しかしチンピラ相手に大立ち回り、そして今は変装用の帽子などを脱いでしまっているせいか素顔が丸見えだ。
このままでは自分の正体がバレてしまう危険が……。
あわわ、どうしよう!?
これじゃまたウェムラ・アキュラに叱られるじゃない!
もう顔面鷲掴みはイヤぁ!
予想外の事態にあわあわと慌てるセレナ。
すると、
「セレナちゃん! こっち!」
「あっ!」
アイリスがセレナの手を引いて、人だかりの中から抜けだし駆け出した。
事情を聞こうとしていた町の住人たちの呼び止める声を一切無視して、二人はその場から姿を消したのだった。
「ハァ……ハァ……、ここまでくれば安心かしら……」
「う……うん。でも今日はもうあの周辺には近づけないね……」
雑貨屋から幾分離れた、ある路地裏。
息を切らせた二人が、壁にもたれながら足を止めていた。
人々の目を避けるように全力で逃走し、影に身を潜める。
まるで犯罪者にでもなった気分だ。
「ぷっ……」
今の自分たちを見て、セレナが堪えきれず吹き出した。
それを見たアイリスもつられて吹き出す。
「あはは……!」「ふふふっ……」
二人で顔を見合わせ、笑い合う。
なんだかおかしな気分になってしまった。
「あなたねえ……弱っちいのに無理するんじゃないわよ! まったく!」
「だって……あの人たちがセレナちゃんに乱暴しようとしてたから……つい」
「私は幼い頃から習い事で剣術とかやってるし! あなたが思ってるより全然強いんだから!」
「うぅ……ごめんなさい……」
しゅん、と縮こまって恥ずかしそうに謝るアイリス。
その姿を見て、しまった言い過ぎたかと自分の言動をちょっぴり悔やむセレナ。
(ま、まぁ……一応助けてもらったわけだし? ふん、礼ぐらい言っとこうかしら……)
セレナが腕を組んだまま顔を逸らしつつ、もごもごと口ごもりながら呟く。
「その……あ、ありがと。面倒かけたわね、アイリス」
照れながらのセレナに、アイリスの顔がぱあっと明るくなる。
セレナは気付いていないようだが、名前で呼んでもらえたことがアイリスには嬉しかった。
「ううんっ! またセレナちゃんが危ない目に遭っていたら、私にまっかせて!」
あら、調子に乗っちゃってこの娘。
また無理して危ない目に遭っても知らないんだからね、まったく。
素直になれないセレナは、しかし無邪気なアイリスの姿に自然と頬が緩んだのだった。
「それにしても……今日はあっついわね……」
山の工房あたりはもう少し気温が低く快適なものだが……。
本日は天気が良い、良すぎるくらいだ。
町の中になるとかなり気温が高く、相当の暑さに感じた。
(この辺り特有の気候だから文句を言っても仕方がないけど……)
さっきまで走っていたせいか、体中汗で湿って気持ち悪い。
セレナが服の胸元をぱたぱたと仰いでいると、
「……どうやら中央区近くまで逃げてきちゃったみたいね……ということは近くにアレが……」
アイリスが表の通りに顔を出し、何かブツブツと呟いている。
そして何を思い立ったか突然セレナの手を引き、歩き始めた。
「ア、アイリス?」
「セレナちゃんは黙って付いてきてくださいっ」
いったい、どこへ?
ずかずかと早足で歩くアイリスに引かれながら、その妙な気迫にセレナは首をかしげながら黙って従うほかなかった。
「……というわけで、はいっ」
カッ、ポーン。
「ここはリュミエの町で一番大きいお風呂屋さんですっ。ちょうど近くにあってラッキーだったぁ」
布一枚しか巻いてない格好で、アイリスとセレナが浴場内の景色を見渡す。
慣れない大衆浴場にセレナは少し恥じらいつつ、感心の声を漏らした。
お城に住んでいた頃の豪奢な大浴場と比べるのはアレだが、一般的な大衆浴場にしてはかなり立派なお風呂だ。
(こんな大きなお風呂……久しぶりだわ……)
現在セレナが住んでいる邪眼工房に風呂が無い……わけではないのだが……。
ものづくりになると周りが見えないアキュラは風呂なんて簡易に済ませれば充分と思っているらしく、小屋から少し離れた所に露天風呂と称した手作りの小さな桶風呂があるだけだ(自動発熱機能が付いているあたり無駄にムカつく)。
今までにももっとしっかりした風呂場を建てるよう再三文句を言ってきたが、いつも「ハハハ、わかったわかった」と空返事だけ。
これだから男って……。
「はぁ……生き返るわぁ……」
たまには町に出るのも悪くないものだわね。
なんかいろいろと……すっきりしたかも。
湯船に浸かりながら今日のことを振り返り、ほぅと一息つくセレナ。
すると突然背後から二本の腕が伸びてきてセレナの胸をわしづかみ揉み始めた。
「ひう! ちょっとアイリス、いきなり何するのよ!」
「こんな……こんなのズルい、ズルすぎますっ!!」
後ろから抱きつくように密着してセレナの胸を揉みながらアイリスが哀しみに涙している。
まるで意味がわからないセレナは、ただただ困惑するしかなかった。
「美しくきめ細かな白い肌、ほどよく引き締まった絶妙なプロポーション。そしてなにより……この大きなおっぱい! こんなの最初から勝負になってないじゃないっ」
「ええと……アイリス? あなたがさっきから何を言っているのかよくわからないけど、あなたの胸だって充分大きいと思うわ……」
「そういうことじゃないんですっ!」
客観的に見てもアイリスの胸だって平均より大きいだろう、なのに何が問題なのか。
彼女の言う意図がいまいち理解できないセレナはお手上げとばかりに溜息をついた。
するとアイリスがふて腐れた様子でぼそぼそと呟く。
「だって……アキュラさんが普段セレナちゃんの胸ばかり見てるんだもん……」
いじけたように体を湯船に沈めたままほっぺを膨らませる。
あ、あああ、あのケダモノ! いつのまに私の胸を覗いていたの!?
衝撃の真相に内心パニくる心をなんとか抑え、セレナが平静を装う。
「ふ、ふうん……。アイリスってば、本当にアキュラのことが好きなのね」
「……うん……」
「まったく……どこがいいのかしらあんな男。エッチだしスケベだし、ガサツで頑固で……何かあるとすぐに私の顔掴んでくるのよ? ……ま、まあ、けっこう頼れるところもある……けど……? でもだからってね……!」
何を言っているの私は。
アキュラはケダモノよ、しっかりアイリスに教えてあげなくちゃ。
平静を装えず慌てたまま喋るセレナを見て、アイリスがフフッと微笑んだ。
そしてとても落ち着いた様子でゆっくりと言葉を紡ぐ。
「うん……知ってるよ……全部知ってる……。私を助けてくれた、とっても優しい人……」
アイリスがうっとりとした表情で虚空を眺める。
まるで誰かにその言葉を届かせたいかのように……。
「……大好き……」
恥じらいながらも呟くアイリス。
アキュラに恋い焦がれるその姿は、この場にいる誰よりも輝いて見えた。
セレナはなんともいえない愛しさを感じ、アイリスの恋に自分も協力してあげようと申し出ようとして、
ーーなぜか言葉が出なかった。
(……? なんだろう、変な感じ……)
自分じゃないような自分の心が激しくざわめき、セレナは首をかしげる。
自分自身に口を塞がれている、不思議な感覚。
いったいどうしてしまったんだろう。
結局そのまま何も言えず、二人は風呂屋を後にしたのだった。
「はい! これ」
邪眼工房に向かう途中、アイリスが差し出してきたのは雑貨屋で見たフォレストクロウベアのイヤリングだった。
「えへへ、実はあの時買っておいたんですっ。三つ買ったので、私とセレナちゃんとアキュラさん、三人でおそろいです!」
友好の証、と言ってアイリスがセレナに手渡したクマのイヤリング。
セレナはまんざらでもない様子で受け取り、優しく握りしめた。
友達……か。悪くないものね……。
「喜んでくれるといいなあ、アキュラさんっ」
喜ぶわよ、きっと。
いつかちゃんと伝わるといいわね、あなたの気持ち。
アイリスと共に山道を登りながら、セレナは足取り軽く工房へと帰った。
この後、プレゼントを渡されたアキュラが嬉しさのあまりはしゃいで転んで頭打って怪我して気絶して皆てんやわんやの大騒ぎになったのだが……その話はいずれまたーー。
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