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通史

 1724年、オーストリアから派遣された民兵たちは、流行病の最中にあるセルビア村落について本国へ報告書を送った。キソロヴァ村の村人たちは、ある死体を吸血鬼だと言い張り、杭を打って焼いたのだという。さらに続いて1726年と1731年にメドヴェジャ村でも連続死亡事件が発生し、このときも吸血鬼騒ぎが起きた。

 調査の報告は、どちらも死者の復活を原因としている点に類似が示されている。両村は200kmほど離れているが、セルビアを南北に縦断するモラヴァ川を共有しているから、多くの流行病がそうであったように人の移動が感染を拡大させたのだろう。


 1730年代には吸血鬼に関わる出版物が幾つも発行された。例えば1731年、セルビアへ派遣された軍医フルキンガー氏の書いたレポートはオーストリア国内の有名な雑誌に掲載されたし、1732年には同じく医者のグラサー氏がセルビアにおける流行病とその推移の内容を纏めてニュルンベルクの新聞社へと送った。

 これ以前に西欧ではヴァンパイアという言葉自体用いられていなかったという。しかし出版物の流通があったとはいえ、当初は学術的な関心が向けられたに過ぎなかった。


 同じ頃、ネーブラの助祭ミヒャエル・ランフトが現地の村から情報を得て、金策のために大衆を煽り立てるような論文を書き始めると世相は変化する。彼らが血を吸うことも、吸血鬼対策としての幾つかの処方も彼の論文によって示唆された。

 早速、既に流行病の最中にあった東ドイツで死体発掘が始まる。彼らは疑わしい遺体の頭部を切断し、心臓に杭を打ったり石版で棺を塞いだりした。

 この埋葬方式は、1741年に死んだロプコヴィッツ家の貴族エレノア・アメーリエ・フォン・シュヴァルツェンベルクにも適用された。巨大な腫瘍と青白い顔のために吸血鬼と看做された彼女は、タバコの吸い過ぎのために癌で死んだという。奇妙な死に方と、彼女の生前のオカルト信仰が──当時オカルティズムに凝るのは特に珍しいことではなかったが──彼女を吸血鬼と看做した。


 1731年から1748年までにオーストリアは何度かの敗北と妥協を迫られ、軍制および財政の改革が必要とされていた。

 マリア・テレジアの改革は、彼女の改革というよりむしろハウクヴィッツとカウニッツの改革である。ハウクヴィッツは1761年、七年戦争の芳しくない経過を理由に解任されるまで政治的に主要な役割を担っていた。

 彼はシュレジェン紡績地帯や東インド会社の喪失によって頓挫した重商主義政策から保護貿易に方針を変える。また行政機関の包括的な改革──非ドイツ系地域では失敗したのだが──と共に、将来的な重農主義的方針の礎として国内市場確立のために農奴の保護を推進した。

 急務だった税金確保は増税によって賄われる。とはいえ増税による圧力は再版農奴制のために貴族よりもむしろ農民に降りかかった。つまり農奴の保護は失敗に終わる。貴族の力が削減されるのはカウニッツ以降の改革による。

 軍制においては三十年戦争以来用いられてきた傭兵制度から常備軍への移行に携わるが、近衛兵団の結成はハンガリーへの依存度を強めることになった。またかつてプリンツ・オイゲンの築いた軍政機構は撤廃するに至らず、軍政と行財政は乖離したままだった。

 カウニッツはハプスブルクの外交を担って外交革命を起こした人物で、ハウクヴィッツが排除されてからヨーゼフ2世の急進性と実行力に圧されるまでの間、主導的地位に居た。


 1755年、オーストリアの政庁はトラニアの大司教をアドバイザーとして調査と議論を行った。そして検閲官ゲラルド・スウィーテンの報告書に基づいて、魔女裁判を廃止したときと同様、法的な強制により狂気を沈静化させようとする。つまり墓を掘り起こすことを禁止した。しかしこれに反対したのはカトリック教会だった。

 政庁とカトリック教会の対立は、妄信や宗教的イデオロギーではなく教会特権に起因する。スウィーテンはカトリック教会内部の自己批判に加担してその利権を剥奪しようとしていたのが、最終的には不成功に終わった。とはいうものの吸血鬼に関してはローマ法王ベネディクト14世から支持を得られず、カトリック教会は沈黙する。

 しかし吸血鬼の民間信仰は絶えなかったし、何より既に吸血鬼伝説が伝播した国々に対しての拘束力はなかった。啓蒙主義者たちからの批判は、その教化が無意味だったことを意味する。現代においても予言や占いが信じられるように、大衆は今も昔も吸血鬼を信じる。


 19世紀初頭、イギリスのバイロン卿の著作は吸血鬼小説の走りである。彼の手によって吸血鬼はブリテン島へと降り立った。同世紀中葉に大衆小説が出た頃、死体の心臓への杭打ちが法的に禁止されたというからイギリスでも騒ぎはあったのだろう。

 ブラド・ツェペシュの物語が掘り起こされて、彼が吸血鬼扱いされるようになったのは定説の通りブラム・ストーカーからだ。史実との大きなずれはあるものの、ヴァン・ヘルシングの大活躍が主題みたいなものだから重要ではない。

 ハンターは吸血鬼物には必要不可欠で、虚言癖のクルースニクは大衆文芸によって社会悪からヒーローへの昇華を果たした。彼らが吸血鬼だと言い張れば、それが吸血鬼になってしまうのだ。その証拠作りには余念がなく、墓荒らしさえ厭わなかった。

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