第五話 撃鉄の音と偽りのない弾丸
銃口が突きつけられた狭い執務室で、空気が一瞬で凍りついた。
エルドリッヒの氷のような青い瞳が、窓枠に立つミストを射抜いている。彼の指先は引き金にかけられ、微かなブレすら存在しない。その背後からは、緊迫した気配を察知した護衛の騎士たちの靴音が廊下に響き始めていた。
「動くな。それ以上一歩でも動かせば、眉間を撃ち抜く」
エルドリッヒの低く澄んだ声には、一滴の感情の揺らぎもなかった。
レイアは息を呑み、二人の間に割って入りそうになる体を必死で抑えた。
(煙が……出ていない)
エルドリッヒの喉元を凝視する。
「脅し」でも「ハッタリ」でもない。彼は言葉通り、ミストが動けば迷わず引き金を引き、その命を奪うつもりだ。純粋で完璧な殺意と執行意志。
対するミストは——ゆっくりと両手を挙げながら、布越しに薄く笑ってみせた。
「やあやあ、噂の冷血長官様だ。ご丁寧なお出迎え、恐縮しちゃうねえ」
「問答は無用だ。不法侵入の容疑で拘束する」
「おっと、そう焦らないでくれよ。俺はただ、可愛い幼馴染に夜食を届けに来ただけの親切な市民さ」
ミストの喉元からも、相変わらず「嘘」を示す煙は一筋も立ち上らない。
二人の男。一人は完璧な自己統制によって嘘が存在しない男、もう一人は正体不明の仮面によってすべてを覆い隠している男。
「レイア、そこから離れろ」
エルドリッヒがレイアに短く命じた。
「その男はただの情報屋ではない。……身のこなし、魔力の遮蔽技術、どれをとっても並の裏社会の人間ではない」
「……長官、待ってください!」
レイアは思わず一歩踏み出し、エルドリッヒの前に立った。
「この人は……ミストは、私に危害を加えに来たのではありません! 捜査に重大な手がかりを届けに来てくれたのです!」
「何……?」
エルドリッヒの眉根がかすかに寄った。
レイアは背中にミストの視線を感じながら、必死で言葉を続けた。
「第四の犠牲者、アシュトン伯爵の地下書庫に、事件の『本当の鍵』が残されていると……。この人は、それを知らせるためにリスクを冒してここへ来たのです」
「レイア、君ねえ……」
背後でミストが呆れたような、しかしどこか参ったというような息を吐いた。
エルドリッヒは銃口を下げることなく、レイアの目をじっと見つめた。
「レイア。お前は私に、その男の言葉が『真実』だと保証できるか?」
重い問いかけだった。
ミストから煙は見えない。だからといって、彼が100%正しいと言い切る証拠もない。
それでも——レイアは、ミストが去り際に残したあの瞳の奥の「痛み」を信じたかった。
「……はい。私のこの『目』にかけて。彼が私に渡した情報に、私を陥れるための偽りは存在しません」
静寂が部屋を支配する。
やがて、廊下に騎士たちが駆けつけてきた。
「長官! ご無事ですか!」
エルドリッヒは一瞬の沈黙の後、静かに魔導拳銃の撃鉄を戻し、腰のホルスターに収めた。
「……引き下がれ。ネズミが一匹、迷い込んだだけだ」
「はっ……!?」
騎士たちが戸惑う中、エルドリッヒはミストに向き直った。
「命拾いしたな。……だが、次はない。レイアの言に免じて今夜は見逃すが、再び私の前に姿を現せば、その時は監獄の闇の中で一生を過ごすことになると知れ」
「へいへい、肝に銘じておくよ」
ミストはひらりと窓枠の外へ身体を傾けた。
去り際、彼はレイアだけに聞こえるような小さな声で呟いた。
「……お人好しめ。あの男にそこまで毒されてるなんてね」
夜風が吹き抜け、ミストの姿は月光の闇の中へと消えていった。
残された室内に、重苦しい静寂が戻る。
レイアはほっと胸を撫で下ろすと同時に、強烈な目眩を覚えてその場に頽れそうになった。膝が震えて止まらない。
「無茶をするな」
倒れそうになったレイアの身体を、エルドリッヒの強い腕がしっかりと受け止めた。
彼の胸に顔が埋まる。上質な羊毛の香りと、ほんのりと温かい体温。
「申し……訳ありません、閣下。身勝手な振る舞いを……」
「責めているのではない」
エルドリッヒはレイアの肩を抱き起こし、彼女の目を見つめた。
その氷のような瞳に、初めて微かな「熱」が宿っているのを、レイアは見逃さなかった。
「お前が私を信じ、私に向かって己の意思を通した。……それで十分だ」
エルドリッヒの手が、レイアの乱れた前髪を優しく払う。
「明日、アシュトン邸の地下書庫へ向かう。お前の言葉が正しいか、確かめに行くぞ」
「……はい!」
二人の距離が、確実に縮まっていた。
だが、去っていったミストの、あの仮面の裏にあった寂しげな瞳が、レイアの心に小さな棘となって残り続けていた。




