01 神話 ~ 観天録『この天に唯一動く物』
天空宮_
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概要
紀元前推定6000年から紀元1268年まで、惑星上空高度10セクに位置し、時速30セクで移動していた人工構造物。多くの期間を樽型の人工雲に覆われ、遠景に天を支える柱に見えたことから天柱雲とも呼ばれた。正確に一年の周期で北半球上空を蛇行軌道で規則正しく巡航していたことによって人類の歴史や文化に多大な影響を――――――
天柱雲/雲上宮/銀羊/天御所/天の聳雲/天蓋栓 他を関連します
『オルディアス 第一章 ~始まりの人~』
古より、雲の海に銀色に輝く宮殿が在り。その名を天空宮である。主神オルスと千の精霊が住まう宮殿なり。
ある日、主神オルスは精霊に尋ねる。天空宮は天なりか。
千の精霊は是と答えた。
主神オルスは言った。否である。
天は仰ぎ見る者なくば天たりえず。
そこで千の精霊は雲からオグの種を撒き、雷を雨と降らせた。
すると地が起こり、草木が芽生え、鳥が羽ばたき、獣が走った。
やがて人が生まれた。人は主神オルスの宮殿を見上げ頭を垂れた。
主神オルスは天空宮は天なりと宣言し給うた。
『タタ・ヤルカーナ業典:第五編』
天空の都にお座す七の一万の神の一柱であるアグリとヒャリフ王国の巫女シャンタラは一年の愛の休暇を過ごした。アグリはシャンタラの生む子に神の子を意味するパルパナの名と穂のない槍を残して天空の都に帰っていった。
天空の都が東を巡幸する間にシャンタラはパルパナを産んだ。
生まれながらに国の誰より大きく強い男子である。
パルパナはアグリの子であるので、天空の都が周り、天空の都から見える全ての土地は自分のものであると言った。パルパナは穂なき槍を用いて周りの十の国を自分のものとした。
天空の都が戻りアグリがやってきて、パルパナが王を名乗っていることを知った。アグリは嘆き悲しみパルパナの名前を剥奪するといってパルパナの名はシームになった。シームはシャンタラと人の間に生まれる子の名前である。シームは怒り狂い、ノーズ山に駆け上り穂なき槍を天空の都に向けた。
天空の都は雷槌を落とし、ヒャリフ王国は十の国と共に消えた。
それ以来、アグリは天空の都を雲で覆ってしまった。
シャンタラがどれほど美しい舞を舞っても、もう届くことはなくなった。
『滄雲記 第八章』
カスル王は神々がその姿を隠されたことに嘆き悲しみ、再び神の恩寵を得んとして、預言に在ったナセスの梯子を築かんとした。
シソラの十の山を削りとり百の森を開き万の民を集め、カスル王の子、その子が白髪になるまで建設が続き、ついにナセスの梯子の最上段は滄雲の底に辿り着いた。
奇しくも天空宮が巡る日である。カスル王は梯子台の周りに千の羊を捧げ、千の巫女が祈りを捧げた。
しかし天空宮から轟雷が落ちナセスの梯子は崩れ落ちた。王は失意の内に地に伏した。
シソラの地に山がなくラネ木より高い家がないのはそれ以来である。
『ヒヒロ書 第5片』
むろんあなたたちは天柱雲の影にあるときは自らの行いを正し、跪いて祈りを捧げるだろう。飢えた隣人にパンを与え、病める者の唇に油を塗りもするだろう。だがそれは祝福の影が照らさぬ期間も絶やすことなく続けねばならない。
天の眼差しが雲の瞼で覆われるようになったとき、天上の全ての雲の向こうに神の遍在が意味されたのだから。
『オド・エール学館 尖字記録収集目録』
エルトア碑文 推定BE 3800年頃
(気候の指標としての天柱雲の記録)
神のベールがシトア山脈に姿を見せるとき
シトアに白き冠が残るなら冬は厳しく春は遅れるだろう
夏のノール川は恵みにあふれるだろう
アルネア市の粘土板 推定BE 3200年頃
(天柱雲を基準とした農事の兆し)
ユル山の頂きから東、大いなる雲が姿を現した日を春分とし、麦まきを開始する
市に家名を届けた長は4スプラ四方の土地に労働者3名を用意せよ
カシール遺跡石板破片 推定BE 3000年頃
(豪族の墓地を建造する奴隷が語る天空宮到来の年差)
ロガ王の墓地 必要とするもの
抱えられぬ石を土台に
ラネ木で囲むこと
何より必要とするのは 天空の宮殿の影の祝福
されどこれより五年は天空の宮殿は夜に巡る
次なる五年で天空の宮殿は昼に巡る
最たるは夜の五年の次の二年
太陽が最も高きとき 天空の宮殿は墓地に影を落とす
故に我ら 急ぎを必要としない
必要なのは ビールを今より醸すこと
『オピュニオス記』BE 1425年
大師オピュニオスはアルネアの地に、春分の日の偉大なる雲の影を見るとここに赤鉄鉱の六角柱を埋め込み、神の光の至相を示さんと願い影導石と名付けた。
翌年の春分の日、その正午。偉大なる雲の影は影導石から北西20ニールの地にあった。翌年はさらに北西20ニール。
九つの影導石が置かれた。
その翌年は偉大なる雲の影は一の影導石に重なった。
大師オピュニオスはこれをもって議会に建議した。神の暦は十年で一日の余剰を生む。
人の定めた暦にあらぬこの一日は人の定めた法律を免除されると訴えた。
議会はこれを認め、大師オピュニオスと弟子15名はついにアルネア市を脱出した。
『オルマセス書簡』BE 1310年
我が弟子よ。
遥か東、シトア山脈へ向かう天柱雲を見送るとき。彼方へ遠ざかるその威容が、空の高みにありながら次第にシトアの稜線の合間へ飲み込まれゆく様を見れば、我らが大地が平らではなく湾曲していることは自明の理である。
されど、この大地が人智を超えた如何ほどの巨きさを持つか。それを解き明かすのもまた天を支える雲の導きが必要であった。
充分な距離を持つ二点において同じ日の同じ刻、天柱雲の下縁を仰げばその仰角には必ず差があるはずである。
その差が我らが立つ大地の曲がりにほかならぬ。
ゆえに私はアルネアと、その真南五十五ニールの地にあるメルキアに観測者を置いた。
オピュニオスにならい、両地の者は春分の日の正午に、同じ式度器をもって天柱雲の下縁を測った。
そのときアルネアにおける仰角は七度。
メルキアにおける仰角は五度と五分の一。
その差は一度と五分の四であった。
ここにおいて、五十五ニールが球状大地の一度と五分の四に当たるならば、その全周は一万一千ニールに及ぶ。
※現在の尺度に換算すればオルマセスの算出した一万一千ニールは実際の全周との差が1%に収まり、古代時代でありながら極めて高い精度である
『師オルマセスへの返簡:この天に唯一動く物』BE 960年
偉大なる師、オルマセスに捧ぐ。
アルネアの賢人オピュニオスが顕した天球図においては、天空宮の高度二と五分の四ニールを不動点とし、この大地を第一の円とし神の眼差しに全てを晒すべくその身を回らせ、月を第二の円、太陽を第三の円、第四から第七を各星々に当て、それぞれの軌道が正円にて交じるものと説明していました。
師よ。あなたが晩年において示した天球図の否定。天空宮自身も動いているのだという真実の理をこの不肖の弟子、エクレイデスが継ぐことをここに宣言致します。
ですが俗世に染まる私は師のように聖院の審問に掛けられ、罪と名誉を奪われることを良しとはしません。
故に浅学非才の私は、師が天に召された齢を越える歳月を費やして第一から第七までの全ての円軌道を修正いたしました。
オルディアスの第二章にある『天空宮は星々の全てを支配した』の一節。かつては、これは天空宮を極点として他のあらゆる物体がその周囲を舞うことと理解していました。
ですが師よ、ご覧ください。私が計算した大地と太陽と月、そして星々の軌道を。これらは驚くほど単純な円球の軌道なのです。
この軌道は惑う星々の逆行や、日ごとの影のズレといった数多の謎、その全てを説明します。
そしてこのとき天空宮は第零の円として、この第一の円である大地の周囲を奔放なる蛇の如き歩みで巡っているのです。
これは天空宮を貶めることを意味しません。
第一から第十までの全ての円球は、神が最初に回したコマを惰性の働きで保っているにすぎないのです。剛力の戦士が回す鎖に繋がれた鉄球といってもいいでしょう。
天空宮だけなのです。惰性の働きによらず、この大地の上を意志の力で自在に動き、それでいてこれまでの永劫を寸分たがわず拝謁の恵みを絶やさないのは。
天空宮こそがこの天にある全ての物の中で唯一、自らの意思で”動いている”と言えるのです。
《備考》
古代時代において当時存在していた文明のほとんどが、天空宮の存在により正確な暦の獲得や惑星の形状・サイズの理解へ到達していました。
仮に天空宮が存在していなければ、観測対象は日々の位置変化の差が緩やかで長期の観測条件の統一が難しい太陽や恒星となります。同じ結果を得るには幾世紀もの遅れをみたでしょう。
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