第九話 秘密の鍵付き箱と、学問への第一歩
朝食をなんとか完食し、心身ともに消耗した私はひとまず自室へと戻った。
ふかふかのベッドに腰を下ろし、疲れた脚を休ませていると――コンコン、と扉を叩く静かなノック音が部屋に響いた。
「リル様、ろこです。入ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんわ。お入りなさい」
重い木製の扉を開けて入ってきたろこは、何やら両手に大きな包みを大事そうに抱えていた。
「どうしたの、ろこ? 何か届いたのかしら」
「この前、リル様からお願いされておりました『お使いの品』でございます! 街から買ってまいりましたわ」
「あ……!」
すっかり朝からのドタバタで失念していたけれど、ろこにお願いしていた秘密道具たちだ!
ろこは机の上に包みを広げ、誇らしげに並べて見せた。
大量の上質な紙、そして白紙の厚い本。そして一番目を引いたのは――本が何冊か納まりそうな大きさの、深みのある瑠璃色の箱だった。高級感漂う重厚なつくりで、デザイン性も申し分ない。
「こちらが鍵付きの箱でございます。そして、お渡しし忘れておりました鍵がこちらになります」
ろこから差し出されたのは、小ぶりでシンプルな銀色の鍵。
さっそく鍵穴に差し込んで回してみると、カチリと心地よい手応えとともに完璧に噛み合った。これでプライバシーの保護はバッチリだ。
私はさっそく買ってもらった紙と本を箱の中へと移し、以前に日本語で書いた『緊急作戦会議メモ(メサコン王子破産計画)』も大切に仕舞い込んだ。
(……この鍵の隠し場所だけど、常に身につけて持ち歩くのが一番安全ね)
鍵を小さめの巾着に入れて首から下げることに決め、満足感に浸っていると、ろこが声をかけてきた。
「リル様、ご準備はよろしいでしょうか? ルキハ様がお待ちでございます」
(うぐっ……テンション上がってたのに一気に垂直落下したわ)
◇
ろこに案内されて着いたのは、王宮の一角にある『ルキハの執務室』だった。
ドアが開くと、窓際の立派なデスクで何やら書類を走らせていたルキハが、私に気づいてパッと顔をほころばせた。
「いらっしゃい、リル。待っていたよ」
ルキハは私が室内に入るなり、机の上の書類を引き出しへサッと隠した。
(なに今の!? めちゃくちゃ怪しいんだけど!)
気になりつつも、私は淑女らしく上品にお辞儀をした。
「失礼いたします、ルキハ様。本日はご相談がありまして伺いましたの」
「どうしたの? 何でも言ってみて」
「ルキハ様が選んでくださった一昨日の黒いドレス、とても気に入りましたの。できれば、あと2着ほど同じ仕立てで作っていただきたいのですが……」
「昨日のドレス! 気に入ってくれたのかい!?」
ルキハはパーッと分かりやすく表情を輝かせた。
(まあ、あいつのセンスが良かったのは事実だしね。前世が大人の私からしたら、フリフリのピンクドレスよりシックな黒の方が落ち着くのよ)
「よし、じゃあ明日にでもドレス職人のところへ向かおう。……でもね、あの人が君のために服を作ってくれるかどうかは、君次第なんだよ」
「……それって、どういう意味でしょうか?」
「まあまあ、明日のお楽しみ、だね」
不敵に微笑むルキハ。相変わらず思わせぶりでムカつく顔だ。……まあいいわ、忘れないうちに本命のもう一つの相談もしておかなくちゃ。
「それと……もう一つお願いがございます。私、文字や計算などの勉強をしたいと考えておりますの。次期国王の婚約者となった以上、最低限の知識やマナーは身につけておかなければ、皆様に恥をかかせてしまいますから」
(無知なままで恥をかくのは嫌だし、何よりこの世界の文字が読めないと脱出計画にも支障が出るからね!)
私の言葉に、ルキハは少し意外そうに目を丸くした。
「勉強かい? そっか……本来、本格的な貴族教育は17歳になって貴族院に入ってから受けるんだけどね。よし、リルに専属の教育係をつけて、17歳までに基本の文字や計算だけでも学べるように手配しよう」
「ありがとうございます。ご配慮に感謝いたしますわ」
おねだりも無事に成功し、私はルキハの執務室をあとにした。
◇
自室に戻って一息ついていると、再び扉がコンコンと叩かれた。
(誰かしら? ろこは後ろにいるし、ルキハが自ら歩いて来るとも思えないけれど……)
「失礼いたします。お入りになってもよろしいでしょうか?」
扉の向こうから聞こえてきたのは、近所の優しいおばあちゃんを思わせる、どこか温かみのある上品な声だった。
「はい、どうぞお入りください」
入ってきたのは、白髪を綺麗なお団子にまとめた年配の女性を先頭に、いかにも厳格そうな茶髪の女性、そして若々しい金髪混じりの女性の3人組だった。
「ルキハ第一王子殿下より、リル王太子妃様の教育係を仰せつかりました。王宮メイド長のラーニエと申します。後ろにおりますのは、文字と計算をお教えするランドクとリーンでございます。本日はご挨拶に伺いました」
手配が早すぎる! さすがは一国の王子だ。
「これからよろしくお願いいたします、リルと申します。……あの、お聞きしてもよろしいでしょうか? なぜ私を『王太子妃』とお呼びになるのですか? まだ正式な妻ではございませんし、早すぎるのでは……?」
前世のオタク知識を総動員しても、今の段階で「妃」呼ばわりされるのは違和感がある。私の疑問に、メイド長のラーニエは目元を緩めて微笑んだ。
「おほほ、いいのですよ。わたくしは幼少期よりルキハ殿下を見てまいりましたが……あの方がここまで一人の少女に夢中になられたのは初めてのことにございます。ルキハ殿下はお気に入りを決して手放さないお方。ですから、必ずやリル様が将来お妃になられると確信しておりますの。それに、そうお呼びした方が、殿下のご機嫌も一段とよろしくなりますので」
(……そうなの? ていうかルキハってそんな執着心の強い面倒くさい奴だったの!?)
まあ、あいつが私の顔面ビジュアルに激重の執着を抱いているのは薄々気づいていたけれど……。
「そうですの……それなら、私も期待に応えられるようしっかり勉強いたしませんと!」
健気なヒロインを演じて見せると、ラーニエは「まあ素晴らしい……!」と感激していた。
挨拶を終えて教育係たちが去った後、私はさっそく一人で『第二回・作戦会議』を開催した。
ろこが買ってきてくれた白紙の本――これを、今日から私の『極秘日記帳』にすることに決定!
さっそく羽ペンを握り締め、誰にも読めない日本語で記念すべき1日目をスラスラと書き込んでいく。
『日記1日目。
王宮の生活にも少し慣れてきた。ご飯(見た目は酷い)も美味しいし、ベッドもフカフカでお風呂に毎日入れるのは最高。
明日はドレスを買いに行く!……けどルキハも一緒。一人で行きたかったなぁ。
明後日からは勉強も始まるし、本格的に忙しくなりそう。』
書き終えた日記を瑠璃色の箱に収め、しっかり鍵をかけて首の巾着に鍵を仕舞う。
「ふぁ……おやすみなさい」
ふかふかのベッドに潜り込み、私は満足感に包まれながら静かに目を閉じたのだった。




