第八話 徒労感と、禍々しき朝食
「お披露目パーティーはもう終わりだ。帰ろうか」
ルキハが何でもないことのように、あっさりとそう言い放った。
(……え? 私、まだ全然ご飯食べてないんだけど!?!?)
耳を疑い、焦ってホールの中を見回してみる。 先ほどまで煌びやかに歓談していたはずの貴族たちが、給仕や近衛兵に案内されながらぞろぞろと出口へと向かい、既に帰宅の準備を始めていた。
「え、あ……あの、ルキハ様。もう皆様お帰りになられるのですか? まだお料理もたくさん残っておりますし……」
私が名残惜しそうに遠くのビュッフェテーブルを見つめると、ルキハは私の手にそっと自分の手を重ね、困ったように首を振った。
「気持ちは分かるけれど、今日の主役である君がドレスを汚されてしまったからね。これ以上、君に不快な思いをさせながら宴を続けるわけにはいかないよ。父上も『本日の挨拶は十分果たされた』とお許しくださったんだ」
(フラサのバカ娘のせいで私のご馳走が消えたぁぁぁぁ!!)
心の中で血の涙を流しながらも、ここで「もっとケーキを食べたい!」と駄弁をこねるわけにもいかない。私は完璧な淑女の笑みを貼り付け、「ご配慮感謝いたしますわ……」としおらしく頷くしかなかった。
◇
大聖堂のようなホールを後にし、私たちはライトアップされた夜の庭園を抜けて乗車場へと向かった。
冷ややかな夜風が、新しく着替えた黒いドレスの袖を揺らす。先ほどまでホールを包んでいた熱気と狂騒が嘘のように遠のき、コツン、コツンと私たちの足音だけが静かな夜の空気に溶けていく。
馬車へ乗り込む前、ルキハはサスタに低く鋭い声で指示を出していた。
「サスタ。ハイグリンド家と、それから……タルス・ノーヴェントの動向を調べておけ。特に、あのマントの件だ」
「はっ。承知いたしました、ルキハ殿下」
サスタが恭しく深々と頭を下げ、暗闇へと消えていく。その横顔は、いつもの穏やかな従者のそれではなく、冷徹な暗部の冷たさを帯びていた。
(なんか……裏で物騒なことが動いてないかしら……?)
背筋にツーッと冷や汗が流れるのを感じながら、私はルキハの手を借りて馬車へと乗り込んだ。
◇
ガタゴトと車輪が重い音を立て、馬車は夜の街並みを抜けて王宮へと走り出した。
車内には、私とルキハのふたりきり。 外の街灯の明かりが、周期的に車内をチラチラとオレンジ色に照らし出す。
「……疲れただろう、リル」
向かい側に座るルキハが、柔らかい眼差しで私を見つめていた。その赤い瞳には、昼間のパーティーで見せた冷たさなど微塵もなく、ただ純粋な愛おしさと執着が揺らめいている。
「少し、疲れましたわ。ですが……ルキハ様がいてくださったので、なんとか最後まで乗り切ることができました」
あざとく微笑んでみせると、ルキハは嬉しそうに目を細め、静かに手を伸ばしてきた。 私の指先にそっと触れ、手袋越しに優しく握りしめてくる。
「君は本当に頑張ったよ。……ドレスも、すごく似合っていた。最初の黒も素敵だったけれど、僕が選んだこのドレスを着た君は……世界で一番美しかった」
「ふふ、ありがとうございます。ルキハ様のお見立てが素晴らしかったおかげですわ」
(ふん、口では上手いこと言っちゃって! でも内心、マウント女のせいで予定が狂ってイライラしてるんでしょうね!)
表面上は仲睦まじい婚約者同士の会話を交わしながらも、私の心の中は「早く部屋に帰って横になりたい」「お腹減った」でいっぱいだった。
やがて馬車は、夜の闇にそびえ立つ広大で不気味な王宮の城門をくぐり抜けた。 あたたかな城の灯りが差し込み、馬車が完全に停車する。
こうして、嵐のような私のお披露目パーティーは、不完全燃焼のまま幕を閉じたのだった――。
王宮に戻る頃には、ひどい馬車酔いで吐き気が限界に達していた。
「……馬車に酔ってしまったので、部屋で休ませていただきます……」
フラフラになりながら部屋に戻ったものの、ふと重大な疑問が浮かんだ。
「あっ……ダンス! 踊ってないじゃん!! ろこ、ダンスは踊らないの!? あんなに練習したのに!」
ろこは困ったように微笑んだ。 「それはですね……状況が状況でしたので、予定を繰り上げて早めに終了することになったのです」
(何よそれ!! あんなに死ぬ気で練習したのに!! 状況って何よー!!)
徒労感に打ちひしがれながら、お風呂へと向かった。 下女3人がかりで体を洗われるのも、一週間経てば流石に慣れた。綺麗さっぱり洗い流し、私は泥のように眠りについたのだった。
◇
翌朝。ろこに着替えさせてもらいながら、私は提案した。
「ねえろこ、私、昨日の黒いドレスがすごく気に入ったの。同じドレスをあと2着作ってもらえないかしら?」
「では本日、ルキハ様にご相談して、あのドレスを仕立てた職人の元へ行きましょう!」
「私から直接お願いするのはダメなの?」
(わざわざアイツと一緒に行くなんて嫌なんだけど!)
「それは出来かねます。あの職人は『自分が信用した者にしか服を作らない』という偏屈な方でして、リル様が直接行かれても話すら聞いてもらえないかと。それに、まだ専属護衛もついていない身ですから、安全を第一に考えていただかないと困ります!」
あっさり却下された。護衛か……考えたこともなかったな。 でも確かに、一人で自由に行動するためには早めに優秀な護衛を確保したいところだ。
今日着せられたのは、赤色のフリルがたっぷりついた年相応に可愛らしいドレス。 朝食へ向かう長い廊下を歩きながら、私は思索に耽る。
(はぁ……ここ最近、本当に7歳児とは思えない過密スケジュールね。前世が元大人じゃなかったらパンクしてるわよ。あの国王といいルキハといい、何を考えてるのやら)
食堂へ到着すると、すでに全員が席についていた。
「遅くなってしまってすみません、お待たせいたしました」
「いいやリル! 全然待っていないさ!」
ルキハが朝から眩しすぎる笑顔を向けてくる。
(こいつ……本当に顔『だけ』は良いのよね)
私は苦笑いを浮かべ、定位置となったルキハの隣に座った。
……そして、目の前に運ばれてきた朝食を見て、絶句した。
(……なに、これ??)
そこにあったのは、食欲を極限まで削ぎ落とす『紫に緑が混ざったようなベチョベチョした物体』と、ただの『葉っぱ』、そして『水』。
孤児院のご飯より酷くない!? 食べたくないんだけど!! 色的に腐ってない!? これ人間が食べて大丈夫なやつ!?
不安で死にそうになりながら周囲を見ると、全員が「いただきます」と手を合わせ、国王様がそのベチョベチョ物体を何食わぬ顔で美味そうに口へ運んだ。続いて王妃様も、ルキハも。
(えぇぇ……マジで食べるのコレ……)
私は腹を括った。スプーンでその謎物体をすくう。 ねっとりとしていて、かすかに『コポコポ……』と泡立つ音が聞こえる気がする。 目を固く瞑り、思い切って口の中へ放り込んだ!
「…………!?」
めちゃくちゃ美味しい!!?
見た目に反して、優しい塩味と出汁の深い旨味が口いっぱいに広がる。どんな出汁を取ったらこんな禍々しい色になるのかは謎だが、味は完璧だ。……なんか悔しい!
次に、ただの木についていそうな『葉っぱ』に挑戦する。 ひとくち噛み締めた。
(……味しねぇぇぇ!! パサパサして口の中痛い!! ドレッシング持ってきて!!)
前世で野菜を好き嫌いしていた自分を猛烈に反省した。日本のサラダって、本当に美味しかったんだなぁ……。
食文化の改善は、今後の最優先課題に指定しよう。私がこの世界で快適に生きるためには不可欠だ!
精神をガリガリと削られた朝食をなんとか平らげ、私は深く息を吐き出した。
(はぁ……疲れた。少し部屋で休んでから、ルキハのところへ相談に行こう……)




