第六話 お披露目パーティーの開幕
重々しい扉が開き、室内へ足を踏み入れる。
ルキハは窓際の執務机に向かい、真剣な横顔で書類に目を通していた。机の上に散らばる何枚もの用紙に羽ペンを走らせる姿は、七歳という年齢を感じさせない凛とした気品に満ちている。
(さあ! なんて言う……!?)
胸の中で最高潮に期待を膨らませ、私は可憐な淑女の立ち振る舞いで、静かにルキハのデスクへと歩み寄った。
だが――。
チラリ。
ルキハは私の方へ一瞬だけ視線を向けたものの、何事もなかったかのように即座に手元の書類作業へと意識を戻してしまった。サラサラと羽ペンが紙を滑る音だけが室内に響く。
……え、嘘でしょ。完全スルー!?
これほどまでの絶世の美女が、これ以上ない完璧な装いで目の前に立っているのよ!? 一言の称賛どころか、二度見すらしないなんてあり得ない! ほんっとに嫌い! 大嫌い!!
「……」
私はあからさまにムスッとした顔で眉をひそめると、返事も待たずにソファへ深々と腰掛け、腕を組んで迎えの馬車が来るのを待った。執務室の空気が一気に重く冷え込んでいく。
やがて、コンコンとドアが叩かれ、従者のサスタが恭しく顔を出した。
「失礼いたします。ルキハ殿下、リル様。パーティー会場へ向かうお馬車の準備が整いました」
「そうか。行こう、リル」
ルキハが立ち上がり、私に向かって静かに手を差し出してくる。私は頬を可愛げもなく膨らませたまま、その差し出された手を素気なく取り、重い足取りで馬車へと乗り込んだ。
サスタやろこ、その他の使用人たちは後ろに続く従着用馬車へ。国王様と王妃様は、一足先に豪華な先頭馬車へと乗り込んでいった。
ガタゴトと車輪が回り出し、馬車がゆっくりと動き出す。
移動中も、ルキハはなぜか頑なに私の方を見ようとせず、終始流れる窓の外の景色ばかりを眺めていた。
……ムカつく。本当にムカつくのだけれど、これから向かうのは私の「お披露目パーティー」なのだ。婚約者であるルキハと私がギスギスした雰囲気のまま会場に入れば、周囲の貴族たちに変な不信感を与えてしまうかもしれない。
(……はぁ。仕方ないわね、ここは大人である私が折れてあげることにするわ)
私はわざとらしく首を少し傾げ、不安で押し潰されそうな可憐な少女の声を装った。
「ルキハ様、今回の衣装はいかがでしょうか……? 髪飾りは、殿下の美しい瞳と同じ鮮やかな赤色にいたしましたの。先ほどお部屋で見せた時はすぐに作業に戻られてしまいましたので……私、何か失礼でもして似合っていなかったのではないかと、心配になってしまいまして……」
あざとく、上目遣いにルキハの横顔を見つめる。
だが――ルキハは相変わらず、頑なに顔を背けたまま窓の外を見つめ続けている。微動だにしない。
(無視された!! 最低! ホント無いわ、この男!!)
私の頭の中で、ブチンと怒りの導線が弾け飛ばんとしたその時だった。
「……っ」
窓の外を見つめたままのルキハの口元から、か細くボソボソとした呟きが漏れ聞こえてきた。
「……可愛くて、そんなに長く見ていられなかった」
あまりにも小さく掠れた声だったため、上手く聴き取れず、私は素で聞き返してしまった。
「なんと仰いましたか? 聞き取れませんでしたので、もう一度伺ってもよろしいでしょうか?」
するとルキハは、意を決したようにガバッとこちらへ振り向いた。その白皙の顔は耳の先端まで真っ赤に染まり、赤い瞳を揺らしている。
「っ……可愛すぎて、直視できなかったんだよ!!」
……はっ!? えっ!? 何!?
ドクンッ、と心臓が跳ね上がった。自分でも顔が急速に熱くなっていくのが手取るように分かる。ほっぺたが火傷しそうなくらい熱い。
なんで急にストレートに褒めてくるのよ! しかもこんな身勝手なヤツに褒められたくらいで赤くなるなんて、私どうかしちゃったの!? 熱でもあるの!? 望んでいた通りの回答でしょうが!!
車内でパニックになり、必死に両手で熱を持った顔を覆う私を見て、ルキハはフッと意地の悪いニヤリ顔を浮かべた。赤みはまだ残っているものの、いつもの気取った笑みだ。
「どうしたんだ、急に顔が赤いぞ。熱でもあるのか?……まさか、俺に褒められて照れてる?」
(誰のせいだと思ってるのよ!! ふざけないで!!)
「照れてなんか……っ! 馬車の中が蒸し暑いだけですわ!!」
必死に手で顔を扇ぎ、赤みを冷まそうと格闘している私に向かって、ルキハが窓の外に視線を戻しながら、ぽつりと小さく呟いた。
「……可愛いな、本当に前はお前は」
一人でジタバタと扇いでいた私の耳には、その優しい呟きは届いていなかった。
◇
馬車が停止し、ドアが開かれる。
「お披露目パーティー」の会場に到着したのだ。
馬車を一歩降りると、そこに聳え立っていたのは巨大な大聖堂を思わせる最高級のホールだった。天井は呆れるほど高く、300人は余裕で収容できる広大な空間。壁や柱の至る所に豪華絢爛な金の装飾が施され、無数のシャンデリアが眩い光を放っている。
「……明るい」
私がぽつりと漏らした呟きに、隣でエスコートの手を差し出すルキハが応じた。
「ああ。夜でもしっかり足元が見えて良いな」
先ほどの馬車内での一言のせいで、なんだか妙に心の距離が近づいてしまった気がする。本当に嫌だ。あまり近寄らないでほしい。
「リル、迷子になるなよ。お前を守れるのは俺だけなのだから、絶対に傍から離れるな」
「……はい。分かっておりますわ」
離れたくても離れさせてくれない癖に何言ってるのよ、と心の中で毒を吐く。私は再発火しそうな顔を全力で冷まし、意を決して会場内へと足を踏み入れた。
ホール内は眩いばかりの金色でピカピカと輝いていた。あまりの眩しさに目がチカチカしそうだ。
そこには、華やかなドレスや絢爛豪華な衣装に身を包んだ貴族たちが大勢ひしめき合い、グラスを片手に歓談している。
(はぁ……今からこの中に混ざって、頭を使いながら挨拶回りをするのね。気が重いわ)
私たちがホールの入り口に足を踏み入れた瞬間――甲高い笛の音が会場全体に響き渡った。
『国王陛下、並びに第一王子殿下、ご入場!!』
そのアナウンスとともに、一瞬にして歓談していた貴族たちの視線がこちらへと一斉に集まる。
……が、中には遠くのテーブルで豪華な料理に夢中になっている者や、壁際の椅子に興味なさそうに腰掛けているだけの者もいた。
「誰かしら、あの殿下の隣にいる綺麗な少女は」「まさか王子の婚約者?」「まぁ、なんてお美しい方……」
あちこちからひそひそ話が聞こえてくる。
(さてはアイツら、お披露目パーティーとか言っておきながら、貴族たちに事前説明を何もしてないわね!?)
厳めしい騎士のような男性に案内され、ホール全体を見下ろせる上段の謁見スペースへと階段を上って移動した。豪華な装飾の椅子が並び、いかにも特権階級の空間という感じだ。
国王様がホールの中央へ向かって立ち上がり、朗々とした声を張り上げた。
「皆の者! 今日はこのパーティーに集まってくれたことに感謝する! 本日は事前に皆へ伝えていなかったが、我が息子トニミスタ・ディア・ルキハに婚約者ができたことの報告、並びにそのお披露目である! 紹介しよう、ルキハの婚約者――トニミスタ・ディア・リルである!」
(……はぁ!? 急に挨拶!? 聞いてない聞いてない! ていうか、いつの間にか私の苗字が王家のものに変わってるんだけど!!)
一瞬パニックになりかけたが、ここで取り乱すわけにはいかない。一週間の地獄のレッスンの成果を見せる時だ!
私は意を決して優雅に一歩前へ踏み出し、ホールで見上げる大勢の貴族たちへ向かって、完璧な角度でお辞儀をした。
「この度、ルキハ第一王子殿下の婚約者となりました、トニミスタ・ディア・リルと申します。以後お見知り置きを。本日はわたくしのお披露目パーティーにご参加いただきましたこと、心より御礼申し上げます。どうぞこれからよろしくお願いいたします」
頭を上げ、可憐で神秘的な笑みを浮かべる。
(よし……! 一旦完璧にいけたんじゃない!? 貴族っぽかったでしょ! やっぱり私って天才ね!)




