第五話 舞踏会の試練
国王様の執務室は、重厚なオーク材の香りと古書の匂いが漂う、一国の頂点に立つ者に相応しい厳かな空間だった。
豪奢な絨毯の上に立つ私を見下ろし、国王様が重々しく、しかしどこか申し訳なさそうに口を開く。
「失礼いたします、国王様。何のお話でしょうか?」
「ああ、急に呼び出してしまってすまない。ひとつ、大切なことを言い忘れていたのだよ」
国王様はデスクの上の書類から目を離し、真剣な眼差しを私に向けた。
「言い忘れていたこと……ですか?」
「1週間後、お前の『お披露目パーティー』を行う。それまでに、貴族としての基本的なダンスを完璧に踊れるようになってくれ。これは、王子の婚約者としての最初の公式な任務だ」
「はい、分かりました(……って、わかるわけねぇだろバーカ!!)」
心の中で盛大に叫び散らかした。
ダンス!? ダンスって、あのワン・ツー・スリーってドレスの裾を揺らしながら優雅にステップを踏むアレのこと!?
前世の日本で普通の生活を送っていた私が、ワルツや宮廷舞踏なんて踊れるわけがない! ましてや7歳の幼い身体で、180度違う世界の貴族のダンスをたった一週間で覚えろだなんて、どんな無理ゲーなのよ!?
だが、目の前の国王様は「可哀想な子に負担をかけてすまない」という顔をしつつも、「婚約者としての責務」というカードをしっかり提示してきている。ここで「できません」と弱音を吐けば、「やっぱり孤児には無理だった」と、別の形で自由を奪われるかもしれない。
(やってやろうじゃないの! 完璧に踊り切って、文句のつけようがない姿を見せてやるわ!!)
◇
その翌日から、王宮のホールを貸し切った地獄のスパルタレッスンが始まった。
「違います、リル様! 背筋を伸ばして、あごをあと数ミリお上げなさい! 視線はパートナーの右肩のやや上です!」
あてがわれた鬼講師のドレスの裾を叩く鞭(の代わりの指し棒)が、ピシッと床を叩く。
重たくて長い練習用ドレスに足が取られ、何度もつまずいてはすっ転びそうになる。足首は痛むし、ヒールのある靴のせいで足の裏は悲鳴をあげっぱなしだ。
(痛い! 疲れた! もうやだ、なんで私がこんな苦行を……っ!)
悔しくて目元に涙が浮かびそうになるが、そこは根性の見せ所だ。
……と、死に物狂いで食らいついているうちに、私は自分の「身体の異変」に気づき始めた。
(……あれ? もしかして私、ステップ覚えるのめちゃくちゃ早くない……?)
一度見せられた複雑な足さばきが、まるでスローモーションのように頭の中に残る。身体が勝手に反応し、重心の移動も完璧にコントロールできるのだ。転びそうになっても、脅威的な体幹の強さでピタリと体勢を立て直せる。
(……あ、そうだった。私のこの身体、ビジュアルだけじゃなくてスペックも異常に高いんだった!!)
氷魔法を無自覚で暴走させた時と同じだ。この「リル」という身体は、一度コツさえ掴めば天才的な精度で身体を動かせる超高性能ハイスペックマシンだったのだ!
一週間後――。
ホールの中央で、私は鬼講師すら言葉を失うほど完璧で優雅な宮廷ワルツを舞ってみせていた。ドレスの裾が美しい円を描いて翻り、ステップの音ひとつ立てずにピタリと静止する。
「す……素晴らしい……! 完璧です、リル様……! まるで幼少期から舞踏を嗜んできた本物の姫君のようです……!」
感極まって震える鬼講師を前に、私は心の中でドヤ顔を決めた。
(私って天才じゃない!? いや絶対に天才だわ! 自分の身体の優秀さに感動しちゃうわね!!)
◇
そしてあっという間にやってきた、お披露目パーティー当日。
私の自室は、早朝から侍女や仕立て屋たちでごった返していた。
「リル様、もう少しだけ息を止めてくださいね!」
「髪の角度、これでよろしいでしょうか? ルビーの輝きが一番綺麗に見える位置に調整いたします!」
熟練の使用人たちが、一切の無駄がない手つきで私を「王子の婚約者」へと仕立て上げていく。まさにプロの職人技だ。
今日の衣装として用意されたのは、しなやかな高級シルクで仕立てられた、洗練されたシックな黒のドレス。
幼さを残す私にも似合うよう、ふんわりとした可憐なシルエットを保ちつつも、胸元や袖口には繊細な刺繍が施され、大人の気品と凛とした美しい雰囲気が漂う最高のデザインだ。
そして仕上げに、ろこが街のお使いで買ってきてくれた例の『赤色の髪留め』を飾る。
黒い髪飾りの土台に、ルビーのように鮮やかに澄んだ赤色の宝石が光を反射してキラキラと輝く。重厚な黒のドレスに、この一すじの情熱的な赤が恐ろしいほどよく映えた。
「絶対にお似合いになると思ったのです……! 完璧です、リル様!」
後ろで手を取り合い、瞳を輝かせて興奮するろこ。
「ありがとう、ろこ。本当にあなたのセンスは素晴らしいわ。私、とても気に入ったわ」
鏡の中に映る自分を見つめる。
金の髪をハーフアップにまとめ、右が青、左が緑の神秘的なオッドアイを際立たせたその姿は、どこからどう見ても『物語から飛び出してきた絶世の超絶美少女』だった。我ながら完璧すぎる仕上がりだ。文句のつけようがない。
(よし……これなら、あのメサコン王子もギャフンと言せられるわね!)
私は深呼吸をして胸を張り、ルキハの待つ執務室へとゆっくり足を進めた。
(それにしても……王宮の廊下、無駄に長すぎて歩くだけで疲れちゃうのよね……)
部屋へと向かう道すがら、私の頭の中はルキハの見せるであろうリアクションのシミュレーションでいっぱいだった。
『いつもの50倍かわいい!』
『これが本当に僕の婚約者なのかい!? 感動して言葉が出ないよ……!』
いつも何を考えているのか分からない、あの気取った透かし顔が、私の美しさに圧倒されて驚きと興奮で赤面する姿――。それを想像するだけで、フフッと口元から笑みがこぼれそうになる。
そうして一人で最高潮に盛り上がっているうちに、目的の重厚なドアの前に到着した。
コンコン、と軽く扉を叩く。
「ルキハ様、リルです。お入りしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。入ってくれ」
重厚な木製扉が、ギィと静かな音を立てて開いた。
さぁ、なんて言うかしら!?
私は密かに胸を躍らせながら、部屋の奥にいるルキハの元へと歩み寄った――。




