【ルキハ視点】歪んだ光と、盤上の赤龍
通された孤児院の談話室は、王族の僕にとっては息が詰まるほどボロく、狭苦しい場所だった。
隣には父上が不機嫌そうに腰を下ろし、正面では孤児院の院長が小刻みに震えている。
院長が怯える理由は知っている。この男、彼女をどこか別の国へ売り払おうと画策していたのだ。
彼女――かつては普通の茶髪に青い瞳をした、どこにでもいる至って普通の女の子だったらしい。
けれど四歳を迎えた頃、彼女の姿は一変した。輝くような金髪に、左右で色の異なる青と緑のオッドアイ。そして時期を同じくして、彼女は一度、激しい魔力暴走を起こしたという。絶対に何かある。
(もしかして彼女は……『女神』なんじゃないか?)
この国には漆黒の髪と目を持つ闇の神と、太陽の上がった世界を生み出した光の女神が伝わっている。そして伝承によれば、光の女神は白髪にエメラルドのような緑の瞳を持っているとされている。
彼女の金髪と、片方の緑の瞳――無関係だとは到底思えない。
それに、ちょうど三年ほど前、女神の力が弱まり世界が暗闇に覆われた日があった。あの事件との繋がりも、さらに調べる必要がありそうだ。
院長もまた、彼女が女神と何らかの関わりがあるのではないかと勘づいていたのだろう。
孤児で、強い魔力持ちで、あの類稀なる容姿。売れば莫大な金になるはずだ。
だが、そうはさせない。いざとなれば僕がいくらでも買い取ってやる。
僕が先陣を切ろうとしたその時、痺れを切らした父上が重々しく問いかけてきた。
「ルキハ、急に押しかけてきてどうしたのだ。サスタはどうした? 何故案内人の孤児を連れている?」
望んでいた問いだ。僕は澄ました顔で頭を下げた。
「突然押しかけて申し訳ありません、父上。サスタがどこへ行ったかは知りません。そしてこの孤児を連れてきたのは――僕がこの子と婚約を結びたいからです」
言えた。だが、まだ油断はできない。
「婚約……? どういうことだ。孤児を婚約者にするだと? 我々の名を汚すつもりか!」
案の定、冷ややかな拒絶の空気が漂う。父上の瞳には明らかな困惑と反対の色が滲んでいた。
「父上! この子を助けられるのは僕しかいないのです! 両親を失ったこの子を、僕は助けたいのです!」
「何を馬鹿なことを言っている! そんなことが認められるわけがないだろう。惚れたなどの理由で貴族が結婚などできるはずがない。少し考えれば分かることだ! 婚約などは断じて認めん!」
「なっ、父上……!」
「この話はもう終わりだ」
「どうしてそこまで」
父上は手切れとばかりに視線を外した。……終わった、とでも思っただろうか?
甘いな、父上。僕の熱狂と計画は、こんなところで挫けたりはしない。
「……なら父上、一つだけ、この子に好きなものを買ってあげても良いですか? 僕が巻き込んでしまったお礼としてです」
「……お前が払うのならばな」
「ありがとうございます。では、今から馬車を用意して街の店へ向かいましょう」
心の中で父上に静かに謝罪する。ごめんなさい、父上。でも仕方がないでしょう。頭が良いほうが勝つのです。
僕があらかじめ仕込んでおいた魔法具――『魅力の香水チャーム・パルファム』。
本来は身につけた者を優位に立たせたり、他者を誘惑したりするための代物だが、使い方次第でどうとでもなる。強い匂いを嗅がせれば恋に落ちるが、ほんの少量なら『相手の願いをなんとなく聞き入れてしまう』程度の好意的な誘導ができるのだ。
◇
用意させた馬車に乗り込むと、彼女は不思議そうな顔で窓の外を眺めていた。
彼女が僕と同じ馬車に乗り、同じ空気を吸っている。あぁ、なんて幸せなのだろう。胸の奥が熱くなり、息が上手く吸えないほどだ。
「この森を抜けると貴族街に出るぞ」
少し素っ気ない態度をとってしまった。余裕を演じてはいるものの、ついに二人きりで話せているのだから緊張しないはずがない。
初めて行く貴族街に緊張しているという彼女の横顔を眺めながら、心の中で固く誓う。僕が彼女をエスコートし、僕が彼女を守るのだと。
……あっ! 大切なことを聞き忘れていた。本人から直接聞きたくて、あえて事前に調べていなかったのだ。
「てか、聞いていなかったがお前の名前は何というのだ?」
「……リルと申します」
リル。良い名前だ。口の中で転がすだけで甘い蜜のような響きがする。
では近い将来、彼女は『トニミスタ・ディア・リル』になるわけか。あぁ、なんて素晴らしい響きだろう。
その時だった。
ずしんと腹に響くような、膨大な魔力の波が外から押し寄せてきた。
頭がクラクラするほどの魔力酔い。何か来る――。
激しい衝撃とともに馬車が大きく揺れた。
「っ……!」
僕は落ちそうになった彼女を庇うように強く抱き寄せ、白々しくあたりを見回す演技をした。
今頃、僕があらかじめ呼び寄せておいた『赤龍レッドドラゴン』が現れたはずだ。
リルは魔力持ちだ。もし彼女が魔法を使えるとなれば、父上の態度は一変する。
リルの魔法を父上に見せつけ、負けそうになったところを僕が助け出し、僕の力と頼もしさを彼女に見せる。一石二鳥の完璧な計画だ。
「何が起きている!?」
動揺する父上と、パニックに陥る衛兵たち。外は大混乱に陥っていた。
「どうしてこんな森に赤龍が……! 我々だけで勝てる相手ではありません、どうするどういたしますか父上!」
「総員、戦闘態勢! 馬車の中のリルを守るのだ!」
「父上、僕も戦えます!」
「勝ち目がない敵なのだぞ! お前はこんなところで死んではならん! いざとなったら我々が囮になる、その隙に逃げるのだ!」
「くっ……はいっ、父上」
「落ち着け、お前達!」
衛兵たちは少しはましになったが落ち着けるはずがない。僕の魔法具の力が彼らの判断力を徐々に奪っているのだから。
あとは、リルがどう動くかを待つだけだ。さぁ見せてくれ、君が魔法を使う瞬間を。どれほど美しく、どれほど僕を夢中にさせてくれるのか――。
次の瞬間、彼女は急に馬車を飛び出した。
直後、世界が凍りついた。
一瞬にしてあたり一面が極寒の冬へと変貌する。息をのむ暇もなく、空を覆うほどの巨体を誇る赤龍が丸ごと巨大な氷漬けと化していた。
(……嘘だろ?)
完全な計算外だった。
まさか彼女が、これほどの規模の魔法を使えるなんて。まだまだ僕の知らないことだらけだ。まぁいい、これからゆっくり知っていけばいいのだから。
計画は少し狂ったが、これで父上が彼女を取り込もうとするのは確定した。
「すごい! すごいよ、リル!」
感嘆の声が漏れた。これは演出でも何でもない、純粋な本心だ。すごい、僕以上の魔法の使い手だなんて。けれどダメだ、まだ君は守られる側の存在なのだから。君のその素晴らしい力も、すべて僕の腕の中で咲かせるべきなのだから。
赤龍の巨体が回収されていく中、僕は彼女を促して再び馬車に乗せた。
「……この孤児を、ルキハの婚約者とする」
馬車が走り出すと、父上が重々しく口を開いた。
ほらね、計画通り。順調、順調。僕の思惑通りに盤上が動いている。
「ええ、そうしましょう! これは絶対に逃してはダメです……!」
本当に心臓が持ちそうにない。彼女が正式に僕のものになるのだと思うと、歓喜で胸が張り裂けそうだ。
そんな僕たちのやり取りを見て、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「私たちが何かしましたでしょうか……? 先ほどは婚約にとても反対されているかのように捉えられましたが」
気づいていないのか。本当に可愛い。
世間に疎く、己の価値すら分かっていない君を、僕が絶対に守ってみせる。君を守れるのは、世界で僕一人だけなのだから。
「ああ。先ほど『まで』だ」
父上が理由を説明し始める。
「お前が魔法を扱えるのなら状況が変わってくる。魔法は貴族しか使えないものだ。なのにお前は貴族でもないのに、貴族たちよりも強い魔法が使えていた。この私よりもだ」
その通り。父上の魔力はそこまで多くない。僕よりも少ないくらいだ。
ともあれ、ひとまず第一段階の任務は完了。僕の勝ちだ。先ほど放たれた魔法の冷気が、風に乗って馬車の中へと吹き込んできた。
綺麗な金髪をなびかせる少女の姿は、あまりにも美しく、幻想的だった。
いつ見ても、どこで見ても変わらぬ美貌を持つ彼女が、もうすぐ僕の元へやってくる。
「お前、名前はリルと言ったな。もしかして別の国の王族か何かか? 苗字は何という?」
父上が尋ねる。それだ。僕があらゆる手を尽くして調べても一切出てこなかった彼女の素性。
彼女の苗字や家族に関する情報はどこにも存在しないと断言できる。彼女自身の記憶以外には。
「すみません。私は四歳頃からの記憶しかなく、覚えていないのです。お役に立てず申し訳ございません……。あの、もう一つ質問してもよろしいでしょうか?」
ちょっと待ってほしい。質問の前に、四歳からの記憶しかない?
彼女は今、七歳だ。ということは、三年前のあの時に何かがあったということになる。
リルの魔力暴走、その直後の容姿の変化、そして女神の力が弱まり世界が闇に包まれたあの日――全てが一つに繋がった。
(彼女は女神の関係者……あるいは、女神そのものだ)
僕の中で確信が渦巻く。救済者としての歓喜が、頭を痺れさせていく。
「ああ、構わない」
「ではありがたく……。あなたがたのお名前は何とおっしゃるのでしょうか?」
「え、知らないのか?」
素で知らなかったのか。誰しもが知っている存在だと思っていただけに、思わず驚いてしまった。本当に彼女が女神に関係する存在なのか怪しくなってくるほどの常識の欠如だ。
「ええ、聞いておりませんでしたので」
「何も説明せずに話を進めてしまって申し訳ない。私の名前はトニミスタ・ディア・アレア。トニミスタ王国の現国王である」
父上も困惑していることだろう。まさか自分が国王であることすら認識されていない状態で会話が進んでいたとは思わなかったはずだ。本当に、彼女はどこまでも僕を楽しませてくれる。
「アンド、僕は、この国の第一王子であるトニミスタ・ディア・ルキハだ」
(ぜひ覚えてくれたまえ!)と心の中で強く訴えかけながら自己紹介をした。
見れば、リルの額には微かに冷や汗が滲んでいる。
無理もない。普通であれば、王族を前にすれば貴族であっても平伏し頭を垂れるものだ。そんな雲の上の存在と普通に会話していたのだから。
馬車の隙間から吹き込む風が心地よい。
「国王様と第一王子様でしたか……。お気づきになれず、大変申し訳ありませんでした」
「良い。孤児であれば十分な勉学も受けられず、知らぬことが多いのは当たり前だ。気にするな。……そして心が痛むが、これは『命令』だ。ルキハとお前を婚約させる」
父上の言葉に、リルは静かに首を縦に振った。
――『命令』。
その言葉を待っていた。王命という絶対の縛りさえあれば、リルは晴れて僕のものとなる。
はぁ、長かった。本当に長かった……。
心が痛む? なぜ父上はそんなことを言うのだろう。王族と婚約できるなど将来の勝利が確定したようなものだ。これ以上の相手など存在しないというのに、父上はどこを見てどう判断しているのか理解に苦しむ。
◇
城へ到着すると、父上は召使いのろこにリルの部屋への案内を任せ、僕と父上はそれぞれの執務室や自室へと戻った。
静まり返った誰もいない部屋で、僕は一人、込み上げる喜びに浸っていた。
世界が鮮やかに色づいたあの日から、ずっと願い続けていたもの。それがとうとう叶ったのだ。
汗で少し乱れた髪をかきあげると、僕はあらかじめろこに用意させておいた魔道具『影映しの姿見シャドウ・ミラー』に意識を向けた。
この鏡は、対となる場所にいる者の姿と音声を映し出すことができる優れものだ。ただ一つ、全体的に映像が青みがかってしまうという欠点はあるが、世間に疎く無知なリルなら当分の間は気づきもしないだろう。
鏡越しに聞こえてくるリルとろこの会話を盗み聞くのは、僕にとって新鮮でたまらなく楽しい時間だった。
会話の内容から、あれほどの莫大な魔法を行使したにもかかわらず、リルの魔力にはまだ十分な余裕があることが判明した。あれだけの規模の魔法を使っておきながら、まだ底を見せないとは少し驚きだ。
夢中になって観察しているうちに時間はあっという間に過ぎ、就寝時刻を迎えた。
疲れからか、リルはベッドに入るとすぐにすやすやと眠りについてしまった。
「……気持ちよさそうに寝るなぁ」
愛おしい。まだ本当に彼女と婚約するのだという実感が湧いていないのは、僕だけなのだろうか。もし彼女も同じ気持ちでいてくれているのなら嬉しい。
そんなほのぼのとした余韻に浸っていると、ろこが報告のために部屋へやってきた。ろこは僕が仕向けたいわゆるリルの監視係的な感じである。
だいたいの状況は鏡越しに把握しているが、一応報告を受け取ることにする。
ろこが口にした報告は、以下のような内容だった。
「リル様は非常に膨大な魔力をお持ちであること。少々警戒心が強いこと。そして……これは私の推測となりますが、彼女は『人に助けを求める天才』かと存じます。彼女の周りには、どうにも庇護欲を掻き立てられる者や、救いたがりな人間が集まりやすいようです」
――助けを求める天才、か。
実に興味深い。けれど、今日からは他の誰も入る余地はない。僕が彼女の唯一の救い手となってあげよう。
……ふと、自分に問いかける。
こうして彼女を自分の手の中に囲い込もうとする僕は、果たして彼女の言う『救いたがり』なのだろうか?




