第十七話 翌朝の決意
王宮の自室へと連れ戻された後も、ルキハの過剰なまでの庇護欲は収まる気配を見せなかった。
「今夜は僕がここにいるよ。一人にしたら、また恐ろしい夢を見るかもしれないからね」
そう言って譲らないルキハに付き添われ、私はベッドの中に押し込められた。
ろこや侍女たちが手早く着替えと温かいハーブティーの用意を整えて退室した後も、ルキハはベッド脇の椅子に腰掛け、私の手をずっと握りしめていた。
「ルキハ様……お部屋にお戻りにならなくてもよろしいのですか?」
「君の無事を確認する以上に大切な用事なんて、この城のどこにもないよ」
柔らかく微笑む彼の瞳には、依然として底知れない執着の影が揺らめいている。
その体温は温かく、触れられている手からは確かな安心感が伝わってくるはずだった。……だが、私の背筋には、氷を押し当てられたかのような冷たい恐怖がへばりついて離れない。
(この人は、私が『可哀想で弱い被害者』でいる限り、どこまでも優しく包み込んでくれる……。でも、その手から逃げ出そうとした瞬間、この温もりは私を絞め殺す牢獄に変わるんだわ)
私はわざと怯えたように身を縮め、彼の手にすがりつくフリをした。
「……ルキハ様がいてくださって、本当によかったです。私、一人だったらきっと怖くて眠れませんでした……」
「よしよし、いい子だ。何も心配いらないよ。僕が君のすべてを守ってあげるからね」
彼の満足気な吐息を頭上に感じながら、私はゆっくりと目を閉じた。
呼吸を深く殺し、恐怖で乱れる心臓の鼓動をどうにか押し殺しながら、夜が明けるのをただじっと待った。
◇
翌朝。
眩しい日光が窓から差し込む頃には、ルキハは公務のために執務室へと向かっていた。
「リル様、お顔色がまだ優れませんわ……。本日のお勉強はお休みにいたしますか?」
朝食の給仕をしながら、ろこが痛ましそうな表情で私の顔を覗き込んできた。昨夜の事件は王宮内でも当然共有されており、館内の侍女や使用人たちの視線には、私に対する哀れみと同情が濃く滲んでいる。
「いいえ、ろこ。予定通り、今日からお勉強を始めますわ。……私、強くなりたいのです。ルキハ様に守っていただくだけの存在にはなりたくありませんから」
儚げに微笑みながら答えると、ろこは目元をうるませて「リル様……なんてお強いお方……」と感激に震えていた。
(よし、哀れで健気なヒロインの演出は完璧ね)
ろこが朝食の食器を下げに退出した隙を見計らい、私はドアに鍵をかけた。
首元から小さな巾着を取り出し、中の銀の鍵を滑り出させる。
瑠璃色の箱の鍵穴に差し込み、カチリと音を立てて蓋を開けた。中から引っ張り出したのは、白紙だったはずの厚い冊子――私の極秘日記だ。
羽ペンにインクを深く浸し、誰にも読めない日本語の文字を乱暴に叩きつけるように走らせていく。
『日記〇日目。
スラムでの一件は死ぬほど怖かった。だけど、これでルキハの「メサイアコンプレックス」は完全に極まったわ。
アイツは今、私を救い出したことに酔いしれてる。私が頼れば頼るほど、財産でも権力でも惜しみなく与えてくれるはずよ。
今日から始まる勉強も、全部利用してやる。この国の言葉、文字、法律、地理……脱出に必要な知識をアイツの金で完璧に叩き込んでやるんだから。
絶対に破滅させて、私が自由になって笑ってやる。覚えていなさいよ、ルキハ!』
カリカリと紙を削る羽ペンの音が、静かな部屋に力強く響く。
書き終えた日記を箱に戻し、鍵をかけて再び首元に隠した。
胸の奥で渦巻く恐怖は、冷酷な野心へと完全に塗り替えられていた。
コンコン、と扉を叩く軽やかなノック音が響く。
「リル様、ラーニエ様とお勉強の家庭教師の方々がお見えになりました」
「ええ、今開けますわ」
私は鏡の前で表情を作り直し、淑女としての完璧な笑顔を貼り付けて、最初の「授業」へと足を踏み出したのだった。




