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5. 石好き、別館にお引っ越し

 朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋を柔らかな光で照らしていた。

「……朝か」

 ゆっくりと身体を起こし、窓の外を見る。

 昨日までと変わらない景色。

 青く澄んだ空。

 屋敷の庭を歩く使用人たち。

 そのどれもが、今までと何も変わらない。

 けれど、今日から俺の立場だけが変わる。

「別館かぁ……」

 そう小さく呟き、ベッドから降りた。

 机の上には昨夜のうちに用意された木箱が三つ。

 どうやら荷造り用らしい。

「本当に今日なんだな」

 三年後には追放。

 その前段階として、今日から本邸を離れ、敷地の外れにある別館で生活する。

 少しだけ胸が締め付けられる。

 だが、父を恨む気持ちは不思議となかった。

 ガリソディア家は土魔術の名門。

 俺のスキルでは期待に応えられない。

 そう判断しただけなのだろう。

「……よし」

 いつまでも考えていても仕方ない。

 荷造りを始めよう。

 まず手に取ったのは本棚に並ぶ数冊の本だった。

 歴史書。

 魔術基礎論。

 鉱物図鑑。

「これは持っていこう」

 迷わず木箱へ入れる。

 特に鉱物図鑑は子どもの頃から何度も読み返してきた一冊だ。

 ページの端は少し擦り切れ、何度も開いた跡が残っている。

「……懐かしいな」

 幼い頃、ヴァルネスが読み聞かせてくれたこともあった。

『これは水晶です。透明でとても美しい鉱石ですよ。』

『こちらは黒曜石。火山から生まれる天然のガラスですね。』

 当時の俺は目を輝かせながら聞いていた。

 まさか今でも変わらず石が好きなままだとは、その頃のヴァルネスも思わなかっただろう。

 本を箱へ入れ終え、今度は机の引き出しを開く。

 中には羽ペンやインク、小さなナイフなど生活用品が並んでいた。

 一つずつ丁寧に布へ包んでいく。

「……あ」

 引き出しの奥から、小さな灰色の石が転がり出た。

 握り拳ほどの大きさで、磨かれてもいない、どこにでもありそうな石。

 それでも俺は自然と笑みを浮かべた。

「こんなところにあったのか」

 数年前、屋敷の裏で見つけた石だった。

 特別珍しいわけでもなく、魔石でも宝石でもない。

 それでも何となく気に入り、ずっと机にしまっていた。

 手のひらへ乗せる。

 ひんやりとしていて、少しざらついている。

「……落ち着く」

 思わず両手で包み込む。

 前世でもそうだった。

 疲れた日には石に触れていた。

 理由なんて説明できない。

 ただ、そうすると安心した。

 今世でも、それは変わらない。

「持っていこう」

 その石だけは木箱へ入れず、小さな布袋へしまった。

 いつでも取り出せるように。

 コンコン。

 扉がノックされる。

「バサルト様、失礼いたします」

 聞き慣れた声だった。

「どうぞ」

 ヴァルネスが部屋へ入ってくる。

 その表情は、いつもと変わらない穏やかな笑顔だった。

「荷造りは進んでおりますか?」

「うん、思ったより荷物が少なくて」

「本と文房具ばかりですね」

「あと石」

「やはりですか」

 ヴァルネスは小さく笑った。

 その笑顔につられ、俺も笑ってしまう。

「石だけは置いていけないから」

「ええ、存じております」

 そう言ってヴァルネスは木箱を持ち上げた。

「では、別館へ参りましょう」

 俺は最後に部屋を見渡した。

 十三年間暮らした部屋。

 楽しかった思い出も、苦しかった思い出も、全部ここにある。

「……ありがとう」

 誰に言うでもなく、小さく呟く。

 そして俺は、静かに部屋を後にした。

 本邸から別館までは、それほど遠くない。

 同じガリソディア家の敷地内にあるため、歩いて十分ほどの距離だ。

 しかし、俺にとってはその距離以上に遠く感じられた。

 隣を歩くヴァルネスは、何も言わず俺の歩幅に合わせてくれている。

 以前なら、屋敷の庭を歩くことなど何とも思わなかった。

 けれど、今日からは違う。

 俺は本邸の住人ではなくなる。

「……バサルト様」

「ん?」

 突然、ヴァルネスが口を開いた。

「別館とはいえ、ここはガリソディア家の敷地内です」

「はい」

「ですから、決して一人になったわけではありません」

 その言葉に、少しだけ驚く。

 ヴァルネスは前を向いたまま続けた。

「ブレイス様も、あなたを見捨てたわけではありません」

「……」

「ただ、あの方は領主であり、ガリソディア家当主でもあります」

「家を守る責任があるのです」

 分かっている。

 父上が俺を嫌いになったわけではないことくらい。

 昨日の言葉も、きっと本心だけではない。

 期待していたものと違った。

 ただそれだけなのだ。

「ありがとうございます、ヴァルネス」

 そう言うと、彼は少しだけ目を細めた。

「いえ、私は当然のことをしているだけです」

 そんな会話をしているうちに、目的地へ到着した。

 目の前にある建物。

 それが別館だった。

 本邸ほど大きくはない。

 だが、決して粗末な建物でもない。

 白い壁に、木製の扉で周囲には小さな庭もあり、落ち着いた雰囲気がある。

「……ここが」

「はい、今日からバサルト様のお住まいです」

 扉を開ける。

 中へ入った瞬間、少し埃っぽい匂いがした。

 しばらく使われていなかったのだろう。

 だが、広さは十分だった。

 寝室。

 書斎。

 小さな台所。

 そして――

「……」

 俺は一つの部屋の前で立ち止まった。

「こちらは?」

「以前は研究室として使われていた部屋です」

 ヴァルネスが答える。

 扉を開ける。

 そこには広い机と、いくつもの棚があった。

「……いい」

 思わず声が漏れる。

 広い机、たくさんの収納。

 そして何より――

 石を置く場所がある。

「ここ、使ってもいいですか?」

 自分でも驚くほど早く聞いていた。

 ヴァルネスは少しだけ笑う。

「もちろんです」

「おそらく、その部屋が一番バサルト様に合っているでしょう」

「……」

 見透かされている。

 でも嫌な感じはしない。

 むしろ安心する。

 荷物を運び込み、整理を始める。

 本は本棚へ、衣服は衣装棚へ、生活用品は使いやすい場所へ。

 そして最後、俺は布袋から小さな石を取り出した。

 昨日持ってきた、ただの石。

 机の上へ置く。

「……」

 それだけで、少しだけ部屋の雰囲気が変わった気がした。

 もちろん、ただの気のせいだ。

 でも俺にとっては、それで十分だった。

「さて」

 俺は部屋を見渡す。

 これから三年間ここで過ごす。

 追放されるまでの猶予。

 普通なら、不安で押し潰される時間なのかもしれない。

 でも――

「やることはある」

 俺にはスキルがある。

《好きこそものの上手なれ》

《岩石刻印》

 まだ使い方は分からない。

 父上には不要だと言われた。

 世間的にも価値が低いのかもしれない。

 でも、俺は石が好きだ。

 好きだからこそ、試してみたい。

 このスキルが何なのか。

 何ができるのか。

「三年後に追放されるなら……」

 俺は机へ向かう。

「それまでに、できることを全部やろう」

 まずは……

 《岩石刻印》を試してみよう。

 窓から差し込む光が、机の上の石を照らす。

 灰色だった石が、ほんの少しだけ輝いて見えた。

 その日、石好きの少年、バサルト=ガリソディアは新しい生活を始めた。

 追放へのカウントダウン。

 そして――

 自分だけの力を見つけるための三年間が、始まった。

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