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12/13

12:ハー君の病状

挿絵(By みてみん)

 こうしてハー君は、生まれて初めて動物病院で診察

 を受けることになった。大家さんは、この際だから

 とあらゆる精密検査を依頼した。検査費や治療費は

 いくら掛かっても仕方ない。なぜならハー君はもう、

 うちの子なのだからと(我らの道! 我らの道!)


 体重測定、体温、血圧、甲状腺、血液などの検査に

 加えて、レントゲンの画像検査や、超音波(エコー)検査……

 その間ハー君は意識がなく、所謂(いわゆる)昏睡状態だった。

 浅い呼吸はしていたが、全く目を覚まさなかった。

 誇り高きシャ・ドゥ・グティエール・リーブル※の

 老いて病んだ体は、文字通り精密に、隅から隅まで

 徹底的に検査された。


 やがて大家さんとKさんが呼ばれ、獣医師から結果

 が伝えられた。当然ながら検査の数値はことごとく

 良くなかった。そして、二つの病名が伝えられた。


【猫後天性免疫不全症候群】つまり猫エイズ。そして

【糖尿病】どちらも重病である。


挿絵(By みてみん)

   えーもうたいへーん(本当に大変)


 猫エイズの主な原因は、ウイルスキャリアの猫との

 喧嘩で、咬(か)み傷からキャリア猫の唾液中のウイルス

 が侵入して感染する場合がほとんどといわれている。

 もちろん交尾の分泌液による感染や、母猫から子猫

 へ胎盤や授乳を経由しての母子感染もなくはないが、

 感染率が圧倒的に高いのは喧嘩による咬み傷らしい。


 屋外に暮らす野良猫や、外飼いで出入り自由の猫の

 感染率は20~30パーセント。完全室内飼い猫の

 感染率は2~5パーセント以下だから、屋外で猫が

 猫エイズに感染する危険性は、完全室内飼いの猫の

 20倍以上になる。さらに屋外の雄(おす)猫は縄張り争い

 で喧嘩することが多いから、雌(めす)猫に比べて感染率が

 2倍も高いそうな。


 ハー君の気性というか立ち居振る舞いを知っている

 と、むべなるかなとは思ってしまう。正直、他の猫

 と喧嘩しているところは見たことがないが、人間に

 ハーッ!と凄んで一歩も引かない強面(こわもて)の猫が、他の

 雄猫に対して服従したり、穏便に衝突を避けるとは

 なかなかに想像しづらい。ときどき顔に負っていた

 傷は向こう傷で、タイマンのとき逃げずに正面から

 立ち向かうからこそ受けてしまう漢(おとこ)の勲章なのだ。

(ちなみに逃げて背中やお尻に負う傷は逃げ傷という)

 人間の四倍速といわれる猫の体感時間ではかなりの

 長期間、この界隈のボスとして君臨したハー君だ。

 ときには縄張りに侵入してくる流れ者?の雄猫との

 激闘もあったと思われる。そうした喧嘩で感染した

 可能性は極めて高い。糖尿病も口内炎も、猫エイズ

 による免疫力の低下がもたらした日和見(ひよりみ)感染※か。

 厳しい屋外環境と加齢に伴う体力の低下で感染発症

 する負の連鎖、悪循環。もちろん推測の域は出ない。

 ただひとつ確かなのは、ハー君は今、きわめて危険

 で重篤(じゅうとく)な状態に陥っているということだ。


 大家さんは検査代と治療費、薬代を払った。あとで

 聞いてびっくりするくらいのけっこうな金額だった

 が、大家さんは苦笑しながら言った。


「タイミングよく、コロナの給付金が入ったでしょ?

 これはハー君を助けなさいと神様が与えてくれたに

 違いないと確信して、ありがたく一括でポンと♪」


 一括でポン。我らの道! 我らの道!(←もういいよ)


 ハー君はキャリーケースに入れられて、大家さんと

 Kさんと一緒にタクシーでマンションに帰ってきた。

 そして駐輪場でも、1F給餌スペース横の段ボール

 でも、Kさんの部屋の前の段ボール別宅でもなく、

 最上階の大家さんの部屋に迎え入れられた。二度と

 外に出ることはない。ハー君はもう野良猫ではなく、

 優しい飼い主がいる完全室内飼いの猫になったのだ。


 しかし容体は予断を許さない。目を閉じたまま全く

 動かず、呼吸は浅く、不自然ないびきが続いていた。

 どんなに呼びかけても、体を擦(さす)っても、反応はない。

 このまま目覚めることなく、呼吸と心臓が止まって

 しまう可能性も大いにあった。帰宅途中だった私の

 スマホに、大家さんからLINEが来た。


『帰ったら、すぐうちに上がってきてください』


 急げおれ。死ぬなハー君。おれが帰るまで待ってろ。

 余計なことは考えないようにして、ひたすら急いだ。

 しかし頭には余計な考えがよぎる。泣きそうだった。


 死ぬな。


挿絵(By みてみん)

          なんとかなれーッ!

 

 

※脚注



シャ・ドゥ・グティエール・リーブル


 フランス語“ Chat de gouttière libre ”「自由な野良猫」

 シャレオツでかっこいいから使っただけで、けっして

 文字数稼ぎではないザマス。メルシーボークー石川啄木。



日和見《ひよりみ》感染


 猫エイズや猫白血病ウイルスなどに感染して免疫機能

 が著しく低下したときに、健康なときにはまず病気を

 至らない弱い病原体や常在菌によって発症する感染症。

 糖尿病と日和見感染は症状を相互に悪化させあい危険

 な悪循環を生み出す可能性があるので注意が必要。




挿絵(By みてみん)

 この頃はまだ元気だったカゴの中のハー君


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