第九話 秘策
犯人が逃げたのは、瀬戸内海にある小さな無人島だった。四国の愛媛県からがもっとも近いそうだ。
警察署からの距離は約五〇〇キロ、高速道路を経由して六時間半の行程だ。と、地図アプリでは表示されていた。
車が高速道路に入ったとき、運転席のほうをちらりと見た。時刻は二一時を過ぎた頃だった。ここから六時間半――到着は翌日の三時半か。
一定の間隔に設けられたライトがどんどん通り過ぎていく。自分の人生の中で、夜の高速という記憶はあまりなかった。家族旅行でも移動は基本昼だったしな。ちょうど私は左側の座席だったから、スマホを右手にしばらく外をながめていた。ときおり白地を緑の枠で囲った「非常電話」の標識が現れては、後ろに流れていった。あとは、防音壁の間から夜景がちらちらと見える。夜景といっても地方だし、ほとんど暗闇だったが。
そう面白いものでもない。単調だ。
気づかないうちに眠っていた。
目が覚めたのはサービスエリアに駐車したときだった。凛子ちゃんに起こされたのだ。
「すみません。起こすべきか迷ったんですが。お手洗いなど行っておいたほうがいいですよ」
外は真っ暗だ。時刻は一時前、どうやら日付も変わったらしい。目をこすりながら私はたずねた。
「ここは?」
「吹田です。大阪の」
小早川さんが声をかけてきた。
「ついでに何か食べますか? 時間がないので買って車内でですが」
膝の上で居眠りしていたキャメルンを揺すって起こした。
「キャメルン。ねえ」
「キャル? もう朝キャルか?」
「何か買ってくるから。食べたいものある?」
眠そうにキャメルンが答える。
「チーズケーキ。今はバスクチーズケーキの気分キャル」
こんなときにこの妖精は。キャメルンは車に留守番させ、私達四人は車を降りた。
サービスエリアに人はほとんどいなかった。夜遅くだからだろうか。二四時間営業のショップで軽食と飲み物を選ぶ。お土産や記念品とかも置かれている店だ。
私はたまごサンドとペットボトルの紅茶、凛子ちゃんは梅のおにぎりと緑茶にした。キャメルンのチーズケーキはどうしようか。ここはコンビニでなくてサービスエリアのショッピングコーナー、当たり前だが専売品は見つからなかった。そこで、プリンやヨーグルトのコーナーに並べられているやつを手に取った。プラスチックのカップに入った商品だ。バスクチーズケーキではないが。ちなみに、自分の記憶が正しければ、パンコーナーにもその名前を冠したものが菓子パンの一種としてあるはず。そちらよりはバスクチーズケーキに近い気がする。生タイプだし。どれも国吉さんがおごってくれた。
運転を小早川さんに代わって、また車が走りだした。国吉さんがスマホを手にしながら彼女にしゃべる。
「このまま西宮で阪神高速へ。その後は明石大橋方面ね。安全運転でよろしく頼むよ」
「はい。もちろんです」
再びうとうと居眠りをした。目覚めると、大きな橋を渡っているところだった。キャメルンと凛子ちゃんは寝てしまっていた。国吉さんも寝たらしい。
小早川さんが話しかけてきた。
「明石海峡大橋です。手前に見えるのが淡路島ですね」
この橋の先に広がる真っ暗闇は海なのか。濃飛県には海がない。自分にとって珍しい光景にはちがいないが、なによりも黒色が広がるばかりでよくわからなかった。フロントガラスのほうにも目をやってみたが、光の点がまばらにぽつぽつと判別できただけだった。
しばらくして、さらに私は眠りに落ちた。
次に気づいたときには、もう目的地に着いていた。外はちょっとずつ明るくなりはじめている。時刻は午前四時を過ぎたところだ。
国吉さんと小早川さんは車の外に出ていた。凛子ちゃんが声をかけてくる。
「おはようございます。二人はキャメルンを連れて、地元警察の人に説明しに行きましたよ」
本当だ。自分の膝の上にいたはずのキャメルンの姿が見えなかった。
私達も車から降りた。車の座席で寝たせいか、首まわりが少し痛い。生臭いような独特の潮の香りを感じた。船を横づけできるように岸をコンクリートで覆った埠頭だった。
あたりにはパトカーや捜査用と思われる車両が何台も停まっている。少なくとも十台はいた気がする。加えて、これも警察所有らしいボートが三艇、埠頭からキノコのようににょきっと設置された金属の杭にロープで係留されている。
警官達があちこちに何人も立っている。キャメルンは小早川さん達と一緒にいた。彼はコンビニスイーツのクレープを食べ終えたところだった。機嫌がよさそうだ。
「地球の友人達、宇宙生物学上の生理的欲求を充足するため、惜しみない物質支援に対して大いに満足、感謝の念を申し上げますキャル」
ただお腹がいっぱいになっただけだろ。私達が近づくと、小早川さんは話しかけてきた。
「おはようございます。愛媛県警の方がコンビニで朝食を買ってきてくださいました。あちらです。よろしければ好きなのをどうぞ」
二〇代後半のお兄さんが大きなビニール袋をいくつも提げて、国吉さんとしゃべっていた。挨拶をして中身を見せてもらう。私はサンドイッチ——たまごサンドは夜食べたのでハムサンド、飲み物はさっぱりと麦茶にした。凛子ちゃんはしぐれのおにぎりと緑茶だった。
凛子ちゃんと二人、海を見ながら朝食をとった。潮風がこちらに吹きつけてくる。
食事を済ませた後に、小早川さんがやって来た。
「犯人に動きがありました。あちらの車内で確認できますよ」
私達は、側面に愛媛県警察と書かれたバンタイプのパトカーに案内された。交通事故のときなどに、よく道路の横に停車しているものだ。そこの後ろの座席で、警官の一人がノートパソコンを二台開いていた。
パソコンの画面には、カメラの映像と思われる様子が四分割ずつで表示されていた。小早川さんが説明した。
「撮影用ドローンを使い、望遠モードで前後左右と斜め四方から監視しています。これ以上接近すると、被疑者の視界に入って所在不明してしまうので」
実際、一台は近づきすぎて犯人に見つかった瞬間に海中へ叩き落とされたという。移動の能力だ、と私は直感した。
国吉さんと警官とが車にやって来た。警官が話す。
「被疑者ですが、起床したようで島内に移動しました」
たしかに、ノートパソコンの画面には高校生らしい少年が砂浜を歩く場面が映っていた。国吉さんが補足で言った。
「犯人は一晩を船で過ごしたらしい。今、あちらさんとの連絡用にマイクとスピーカーを搭載したドローンで追跡中」
高校生の背後に黒っぽいものが見えた。ドローンだ。犯人は振り返ってそれを見つめた。
「女を寄越せ。一〇代から二〇代の警官でない美しい女だ。もし警官だった場合は殺す」
小早川さんが国吉さんにたずねる。
「どうするんです?」
「どうするって……こんなわがまま聞いていられないでしょ」
ノートパソコンを操作していた警官がしゃべった。
「それで犯人の気を逸らすことができれば。確保につなげられるかもしれません。万が一のための狙撃用ドローンも有効になるかも」
つい私は質問した。
「狙撃用ですか?」
警官が答える。
「ええ。相手は凶悪犯ですから、万が一激しく抵抗した場合は——」
その上で、国吉さんがさらに疑問を述べた。
「私、メカには詳しくないんだけどね、このパソコンの画面の映像と射撃用ドローンを組み合わせて、それで狙撃ってことはできないわけ?」
「難しいですね。被疑者に気づかれない位置からの狙撃だと遠すぎます。風の影響を受けて弾道が逸れてしまうんです。海外の軍隊だったら専用のAIで補正して約五キロ先からなんて例もあるみたいですけど。現状ではできません」
小早川さんが発言する。
「だったら、私が一般女性のふりをして犯人のもとへ行きます」
即座に国吉さんが否定した。
「だめだ。相手は既に赤ポリを一名重傷にさせている。危険すぎる」
「ですが、このままでは事態が一向に進展しません。私が行って被疑者の気を逸らせます。その間に同行者が確保をお願いします」
「それでもだめだ。危険なことに変わりない」
二人のやり取りに割り込むように、凛子ちゃんがしゃべった。
「私が行くのではだめでしょうか?」
その場にいた誰もが愕然とした。彼女が続ける。
「高校生の私ならば、犯人の条件にも合致していますし、相手の警戒も薄くなりませんか。適任だと思います」
国吉さんが大声で怒鳴った。
「何を言っているんだ、君は‼」
しかし、凛子ちゃんはまっすぐに国吉さんを見つめた。その瞳からは、はっきりと決意を感じ取ることができた。




