第四話 お出かけ水族館
日曜当日、大学がある日よりも少し早めの時刻にアラームをセットしておいた。
電車で向かうが、所要時間は大学へ行くのとほとんど一緒だった。
違うのはメイクだ。せっかくのお出かけ、普段よりも念入りにする。ふちがLEDになっている女優ミラーをながめながら、ベースメイクを済ませた。
続いては目元だ。スクリューブラシで眉毛を整え、ペンシルで足りない箇所を書いていく。パウダーと眉マスカラで色づけをする。あまり派手すぎると御法山さんと並んだときに悪目立ちしそうなので、どちらもカーキ系だ。ちなみに、私のパーソナルカラーはイエベ春だった。
さらにアイシャドウを塗る。パウダー、眉マスカラと同じ理由から、グレージュのシマーを選んだ。
ピューラーでまつ毛をくるんと上向きにしていく。根元から毛先のほうにつれて徐々に力を弱めるように。
お次はアイライナーだ。ピューラーを先にすることでまつげが邪魔にならない、とひさぎから教えてもらった。色はダークブラウンだ。手鏡を用意し左手に持ちながら、反対の手で目頭から目尻まですっと引く。この手鏡は五倍鏡なので確認しやすかった。
いきなりキャメルンがやって来た。
「日香里、お腹空いたキャル」
私の左肩後ろに、ぽんと彼が当たった。
「今朝はカフェオレが飲みたいキャル‼」
思わず自分は声を出してしまった。
「あっ」
右目のアイラインが目尻からまぶたのほうに二、三ミリ跳ね上がってしまった。やってしまった。
完全に落とそうとしたら、ベースメイクからやり直しになる。綿棒にクレンジングを染み込ませ、余分に跳ねた箇所を消すか。残ったのと消したところとの境界が不自然な感じになるが、なんとか修正するほかない。ひさぎに聞いた話だと、アイチップでごしごしこすって上からアイシャドウを塗ると、隣り合った程度では気づかれないとのことだったが。もし修正が上手にできなかったら試してみよう。
色々とやって、なんとか納得できるぐらいには直すことができた。キャメルンに怒りたかったが、電車の時間を考えると厳しいかもしれない。
まつ毛をマスカラで固定する。少し急いで、でも雑にはならないようにチークやハイライト、リップの順で仕上げていった。
家を出たのは八時前だった。今日は日曜なので、いつもは八時半から一〇時までアニメを観ているのだが――御法山さんとのせっかくの機会だから、録画で我慢だ。自分にとっての妥協だね。
御法山さんは途中の駅で乗ってくるそうだ。見つけやすいように、最後尾の列車に乗ってLINEで知らせておいた。休日ということもあり、車内の座席はほぼ空いていた。
駅のホームに御法山さんが立っている。利用客が少ないのですぐにわかった。停車してドアが開くと、彼女が乗り込んできた。
白いスタンドカラーの半袖ブラウス、セージグリーンをした膝丈下のAラインスカートに黒の細ベルト、シューズはアイボリーのストラップ付きローヒールパンプスだった。ベルトと同色のスクエア型のミニショルダーを左肩に掛けている。これはレザーだ。さらに、左手にはライトグレーの雨傘を畳んで持っていた。シンプルだが上品で、よく似合っている。なによりも素材がいい。
「おはようございます」
「おはよう。傘持ってきたんだね」
「午後から降るかも、との予報でしたので」
この車両は縦長の座席が一列に並んでいるタイプだった。なので、彼女は私の左隣に腰を下ろした。
自分の格好だが、大きめの黒いグラフィックTシャツに、白色をしたミディ丈のフリルティアードスカートを合わせた。グレーをしたふくらはぎ真ん中あたりの長さのソックス、シューズはトップスと色を揃えたスニーカーを選んだ。バッグはダークブラウンのミニボストンだ。雨傘はいつもの『プラチナドリーミングス』のものだった。
御法山さんはきれいめでかっちりとしたコーデかと予想していた。的中だった。系統が丸かぶりしてしまうと固くなりすぎる。かといって、自分が華やかすぎるとちぐはぐだし。だから、少しだけラフでクールっぽく見えるストリートミックスにした。
固くも崩れすぎてもなく、コーデの上ではバランスの取れた組み合わせだろう。二人で並んでみると、結構いい感じなのではないかと思う。
彼女からはふんわりと、かすかに甘さを含んだ上質な石鹸のような香りが漂っている。私はたずねた。
「香水付けてる?」
「はい。アッカカッパのホワイトモスです」
「へえ、香水も好きなんだ」
電車は水族館の最寄り駅に到着した。駅からは徒歩で五分もかからない。
チケット売り場では御法山さんの分も私が購入した。頼まれたわけではない。自分が誘ったのだしそんなに高額でもないからね。一枚チケットを彼女に渡すと、料金を支払おうとしてきたので断った。
御法山さんはちょっと不満そうだった。
「貸し借りのようなことはしたくありませんが……」
「高校生なんだしいいって! どうしてもってことなら、また後で話してよ」
私達は館内に進んだ。出入り口の真正面に設けられた巨大な水槽では、数種のイルカが泳いでいた。みんな想像よりもでかい。三、四匹が入場者を観察するように泳ぎ寄ってくる。いったい、どちらが見学する側なのか。
その少し先、白いアザラシのような生き物がいるプールの前で御法山さんは立ち止まった。アザラシと言ったが、体表はイルカのようにすべすべで胸びれと尾びれがある。ただ顔は丸っこいのだ。目と口の形状のためだと思うが、妙に人懐っこい表情をしている。ぷくぷくと太った赤ちゃんのイメージに近い。
じっと見つめる御法山さんの横で、解説のプレートに目をやった。
「シロイルカ……別名ベルーガだって。北極の海に生息しているみたい」
一匹がこちらのほうに泳いできた。正面で見ると、口元が少し飛び出していて、イルカっぽいと言えなくもない。御法山さんと水槽のガラス一枚をへだてて向かい合う。シロイルカが水面に近づき、頭の上にある小さな穴からぷしゅっと水が噴き出した。そのとき、かすかに彼女がにこりと笑った、気がした。
かわいい。こんな顔もできるんだ。私は思った。
しばらく私達はシロイルカをながめて、それから奥へと進んだ。
この水族館はかなり大きめの規模で、建物が二つに分かれている。私達が今いるのは北館だ。別の南館とは連絡通路でつながっている。
雑学なのだが、水族館の展示スペースにはある程度の規則性が存在する。たとえば、ここ北館はイルカやシロイルカ、他にシャチやペンギンがいる。どれも海獣と呼ばれる生き物たちだ。一方の南館は、イワシやサメ、エイ、深海のカニや貝などで、これらは一括して魚類と称される。要するに、海獣と魚類でそれぞれ近くにまとめて展示されるのが一般的なのだ。もちろん例外はあるけれど。ここだと北館が海獣エリアで、南館が魚類エリアとなるだろう。このように分類がされている理由は、各類で飼育管理や設備がよく似通っているからなのだった。会社の部署のように、飼育員も海獣か魚類かの担当で分けられるらしい。
別に自分が水族館マニアなわけではなく、小学生のときに母親と一緒に観ていたドラマで知ったのだ。
北館には屋外プールもあって、ちょうどイルカのパフォーマンスを見学した。飼育員の合図に従って、イルカ達がくるりと背中を向けたりいっせいにジャンプしたり、プール内に設けられた浅瀬に上陸したりするやつだ。てきぱきとよく動く。キャメルンよりも従順だな。もしかすると、彼よりも賢いのかもしれない。
正午近くになったので、私達は水族館に併設されているレストランへと入った。店内では、色鮮やかな熱帯の海の魚達が泳ぐのをながめながら食事ができる。
メニューを開くと、スペシャルメニューとしてサメ肉とワニ肉のステーキがどんと載っていた。「水族館ならではの貴重な味」とも書かれている。他には、普通に牛肉のステーキやハンバーグも。さらにページをめくれば、カレーや海鮮丼、ハンバーガーなどもあった。
自分はアボカドフィッシュバーガーを注文した。続けて御法山さんが、メニューを見ながら店員に伝えた。
「〝シャークステーキ〟でお願いします」
店員が去った後、彼女にしゃべった。
「意外。結構挑戦するんだね」
「バジルソースであっさり食べられそうですし。それにせっかくここまで来たので」
やがて注文したメニューが運ばれてきた。自分が提案する。
「ねえ、サメ肉ってどんな味なの? 一口いいかな?」
「……構いませんが」
「ありがとう。じゃあ私のも一口いいよ」
いつもひさぎとはよくやっていることだった。サメ肉の味も気になっていたし。
実際には鶏肉みたいにあっさりと淡白な味で、スパイシーなバジルソースが効いていておいしかった。なによりも、御法山さんとまた少し仲良くなれたように感じた。味よりも大切なことだ。
昼からは南館で魚を見るつもりでいる。ハンバーガーを頬張る自分の右横、巨大な水槽の中で側扁形というらしいコバルトブルーの魚が三匹ほど泳いでいった。




